~卑劣! 師匠の路地裏体験生活~
そろそろ日が落ち――空の灰色が濃くなった頃。
「……ん」
俺は目を覚ました。
体は芯まで冷えていて、時間ではなく寒さで目が覚めたようなもの。冷たい地面を避けることもできず、手足が痛いほどに冷えている。
その場で赤ん坊のように縮こまり、少しの熱も逃したくないように、うずくまった。
「……」
周囲から視線が刺さる。
足早に通り過ぎていく者はちらりと俺を見て、逃げるように歩み去った。衛視だろうか。ガシャリと音を立てて、金属甲冑が音を立てている。
シン、と冷たい空気には痛いほど響くような気がする。
冬でも日の当たる明るい場所は、それすなわち目立つ場所でもある。職や家を失った路地裏で生きる者たちにとって、それは諸刃の剣のようなもの。
温もりを求めれば視線という刃が刺さり。
それから逃げれば、寒さという刃が全身を切り刻む。
どちらがマシかを考えれば前者となり、冬の日当たりには路地裏から人が集まってきていた。
そのうちのひとりとなった俺は、いつまでたっても温まらない体に辟易としつつも立ち上がった。
「……」
寝不足ではあるが、動けない状態ではない。
むしろ、動けなくなったらそこで終了だ。さっさと体を動かして体に熱を入れなければならない。
はぁ~、と指先を息で温め、手をグーパーと握ったり開いたりしながら移動する。
現在地は住宅区にある空き地。ぎりぎりで日が当たる場所ではあるのだが、冬のこの時期にはほとんど無意味ともなる。
俺の他にも家と職を失ったような大人の男がいるが、孤児や女性の姿はなかった。
このような目立つ場所で眠るにはリスクがあるのだろう。
生き残るには、周囲の状況を把握し、現状を理解し、的確に行動しなければならない。ひとつでも間違えれば、手痛い目にあう。その傷ひとつで人生が終わってしまう可能性は、むしろ高い。
表に出るリスク。
それは、子どもの方が大きいのは明白だ。
もちろん、逆の意味では子どもだからこそリスクが低いとも言える。
なにせ襲ったところでうま味は無い。ただただ加虐心が満たされるだけ。しかし、そんなことをしてくる変態がゼロとも言えないのだから、隠れないといけない。
「良く生き残れたものだ」
カサカサになったくちびるでつぶやく。
時間遡行薬で多少は若くなったが、やはり冬の寒空の下で生きるのは、いろいろと厳しい。
温かい屋根の下にいけるのなら、どんなチャンスでも掴みたいと思うよな。
もっとも。
それは冬を生き抜いたからこそできることであって。
「やっぱパルは凄いんだなぁ」
と、思った。
俺なんかとは違う、本物の勇者パーティの一員なんじゃないかな。俺は勇者の幼馴染なだけで、ほんの少し手癖が悪かっただけだ。
そりゃ追放されてしまうわけだよ。
「……」
いかんいかん。
思考が果てしなくマイナスになっている。
とにかく、まずは体を温めないと。
というわけで、足早に色街に移動した。
やはり冬というだけあって、日が落ちようとしている今の時間帯に出歩いている者は少ない。
街中が少しさみしくなった気がする。
ちらりと見える中央通りには、どこかの街から移動してきた商人の馬車が見えた。今から宿を探すのだろう。オンボロで破けた幌が見えたが……それすらもうらやましく見えるのだから、路地裏生活っていうのは恐ろしい。
早くも心が凍りついてしまっているようだ。
足早に移動し、娼婦たちのいる色街に近づいてくると――逆に人の姿が増えてきた。
矛盾しているようだが、夜は夜の街に活気が出てくるのは当たり前だ。だからこそ、路地裏生活者も集まってくる。
「……」
視線がいくつか飛んでくる。それは向こう側ではなく、こちら側から。つまり、同じ路地裏生活者からだ。
意味は理解している。
でしゃばるなよ、というものだ。
あまり表通りに出てしまうと、人々の視線が厳しくなる。酒に酔って気分が良くなった冒険者など、危険極まりない存在だ。そんな奴らが思うがままに暴力を振るってくる可能性がある。
理由ななんだっていい。
視界に入り、気に喰わない。その程度の理由で充分だ。
つまり、路地裏生活者が排除されてしまう。こそこそと隠れていても、暴かれ、暴力にさらされ、追い出されてしまう。
そうなっては意味がない。
せっかくあちこちでランプの明かりが付けられ、場所によってはたいまつも掲げられ、焚き火のような場所さえもある。
そのほのかな明かりと温かさが救いとなっていた。
うとましく思われた時点で、暖が遠のいてしまう。追い出されてしまう。暖も残飯も遠のいてしまう。
それだけは避けなくてはならない。
冒険者たちが集まり、娼婦たちが誘い込む。
一夜限りの恋愛模様を横目で見ながら、俺は路地裏から色街の路地裏へと移動した。狭く冷たい空間で、ねずみ一匹いやしない。
それでもゴミ捨て場はある。ゴミ捨て場があるってことは、明かりが必要なわけで。ほのかにランタンが照らす場所があった。
俺はそそくさとそこへ移動すると、指先を温めるように近づけた。
ジンジンジワジワと、冷たくて痛いほどだった指先が溶けていくような錯覚がする。
血の巡りが良くなってくるのか、多少のかゆさも覚えるが……むしろ、そのかゆさが心地良い。
「ふぅ」
ようやくまともな『温かさ』みたいなのに触れて、思わず息が漏れた。
この程度のことでもありがたさを感じるとは、路地裏生活の恐ろしさでもあるな。
感覚が貧しくなるというか、しあわせのハードルが下がるというか。
「……」
それは良いことなのか、それとも悪いことなのか。
どうにも判断がつかないが、貴族的には悪いことになるんだろうなぁ。なんて思いつつ、ギュっと拳を握り込むと、そそくさと移動した。
本当の路地裏生活者ならば、ここを陣取るのだが。
いかんせん、俺はニセモノ。
路地裏生活体験中――のようなものなので、本物へ場所を譲っておきたい。なんなら、孤児に場所を譲りたいところではあるのだが……それほど上手くはいかないか。
ひとまずその場所から離れて、生ゴミの捨ててあるゴミ置き場のようなところを見に行った……が、しかし……すまん、パル。
俺には無理だ。
ここに捨ててある物を食べる勇気は、俺には無い。
冬だから、逆にマシな状態なんだろうけど……でもやっぱり無理だ。
「はぁ……」
仕方がない。
盗むか。
罰ゲームで路地裏に行くことになったが、禁止されているのは家に帰ることとお金を使うこと。それ以外は何をやっても自由。そんな単純なルールしかない。
場合によっては暴力で解決してもいいが……それはもう、なんというか、人間としてアウトな気がするので、倫理観や道徳心までは捨てたくない。
いや、ロリコンのくせに倫理や道徳を語るなんて片腹痛いけど。
というわけで、路地裏からターゲットを探す。まだ夜は始まったばかりなので酔いのまわっている冒険者は少なく、ましてや冬に食べ歩きをしているようなマヌケも見つからない。
そういう意味でも冬の厳しさはあると思う。
根気よく待ち続けていると体はどんどん冷えていく。仕方がない、と路地裏を歩いていると、前から冒険者が歩いてきた。
手には買ったばかりの何かの紙袋。
運がいい。
俺はそのまま進み、相手の足さばきだけを見た。
戦士系統の装備、脛を覆う防具。ブーツは革製のもので、金属での補助はない。腰の剣は細身で軽さ重視。
軽戦士の類か。
同業者でなく助かる。
というわけで、まずは気配を消して物陰にて待つ。
盗賊スキル『隠者』。
そして、そこからの盗賊スキル『ぶんどる』。
さすがに冒険者相手に単なる『ぬすむ』が成功するとは思えないので、物陰から飛び出すと同時にドンと体当たりをした。
「なっ!?」
意識を俺に向けた瞬間に相手の足を踏み、腰に提げている剣の鍔を叩く。
相手の視線をそちらへ向けた。
で、相手が気を取られている間に紙袋をかすめとり、代わりに中級銀貨をにぎらせてやった。
「おい待――ん?」
俺を追いかけようとした冒険者が足を止めるのが分かった。
そりゃそうだよな。
路地裏生活者に体当たりされた挙句、物を盗まれたかと思ったらそれ以上の価値があるお金を握らされてるとか。
意味不明にも程がある。
お金を使うのは禁止ルールだが、罰ゲームに付き合ってもらってるわけではないので、しっかりと迷惑料金を払わないと申し訳ない。
というわけで、無事に紙袋をゲットした。ほんの少し温かを感じる。なんだろな~、と中身を見るとチキンフライがいくつか入ったいた。
マジで運がいいな、俺。
「上等な朝ごはんだ」
彼にとっては夕飯だったが、俺にとっては朝ごはん。油たっぷりのチキン。若返っていて助かった、なんて思いつつ食べていく。
しょっぱい。だが、そのしょっぱさが良い。体に熱が灯っていくのが分かる。
ありがたい。
食材にも感謝を捧げたくなった。
いただきます、という言葉の意味をイヤでも実感する。
もちろん、こんな良い物を食べてる同業者は狙われて当然、という感じでギラギラと路地裏から視線を感じた。
「まったく、厳しい世界だな本当に」
表にも出れない。だからといって裏にいても狙われる。
ビンビンに気配を察知してないと突然襲われても対処できそうにもない。
「パルが強くなるわけだ」
チキンの骨をバリバリと噛み砕き、粉々になるまで咀嚼する。じゃりじゃりになったのを確認してから飲み込んだ。骨の欠片すらも無駄にできない。
なんて思っていると前から孤児が走ってくる。少年か。それとも少女か。布を頭から深くかぶっていて、性別は分からなかった。
どうやら、無謀にも紙袋を狙っているらしい。
「……」
盗まれてやってもいいが、あまりにも多い獲物は無駄に敵を呼び寄せることになる。
今の俺みたいにな。
というわけで、トンと壁を蹴って三角跳びの要領で孤児の頭を飛び越えると、チキンフライをひとつだけ落としておいた。
「チッ」
わざとらしく舌打ちし、そのチキンを拾った孤児から取り返そうと一歩だけ踏み出す。孤児はそれを見て慌てて逃げ出した。
「……」
よし、それでいい。
どこか安全な場所で存分に味わってくれ。男の子か女の子か分からなかったけど、無事に冬を越して欲しいものだ。
できれば、孤児院に保護されて欲しいが。
そうも言えない事情があるのだろう。
上手く生きていけるパルでさえ、集団生活は無理だったのだから。
いや、違うか。
孤児院の中に『敵』がいたのでは、どうしようもない。その敵を倒すことは許されないのだから。
仕方がない部分はある。
それを飲み込める度量が孤児院にあればいいのだが……そう上手くいかないのが世の中だ。いや、上手くいく世の中であれば、最初から孤児などいない。
みんなが家庭でしあわせに生きていけるのが、一番なのだが。
そうはなっていないのだから。
世の中は、そう上手くはまわっていない。
「……」
もうひとつチキンにかじりつきながら、移動し続ける。
はてさて、今ごろパルはどこでどうしているやら。
近くにいるんだろうけど、会おうと思って会えるものではないな。探せば見つかるかもしれないけど、様子を見に行ってしまっては罰ゲームが台無しになる。
俺でさえガンガンに研ぎ澄まされていく感覚がある。
いや、研ぎ澄まし、思考し続け、正解を選び続けないとトラブルに巻き込まれる。
少しも油断できない状況に身を置いている感覚……勇者パーティにいる頃を緩和して疑似的に体験しているみたいな感じだ。
もちろん、本気を出せばもっと安全に生き抜ける。なんなら夜だけ人の家に侵入することだってできるし、娼館の使われていない部屋に逃げ込むことだってできる。
それをやったら意味がないので、やらないけど。
今ごろパルもビンビンになっているころだろう。
ちょっとは緊張感と集中力も養われていることを祈るばかりだ。
問題はルビーだが……
「まぁ、楽しくやってるに違いない」
ルビーなら路地裏生活を逆に楽しんでいるのではないか。
そう思った。
もしかしたら、どこか影の中に入って――
「……っ」
なんだこの視線。
強烈な、隠しもしていない視線を感じる。だが、それを確かめようとすると途端に視線が消え失せた。
上手い。
視線に気付かれたことを悟り、すぐさま気配を消した。
しかし、盗賊の類ではない。盗賊ならば、そもそも視線を気取られないようにする。
だが、この視線の持ち主はまったく違う行動を取っている。
「なんだ?」
とにかく、今までにない種類の視線だ。
俺は警戒するように足早にそこから移動するのだった。
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