~姫様! 叱ってくれる人がいる間は大丈夫~

 王族にとって奥の手。

 それは盗賊ギルドを使う事です。

 いえ、通常手段でもあるのですが、さすがに表立って使うわけにはいきませんので、コソコソと使うしかありません。

 自分で持つ情報網の弱さとか露呈するかもしれませんし、そもそも情報網自体が盗賊ギルドを使っている可能性も多いにありますので、盗賊ギルドが二重に儲けるだけ、というマヌケな結果になることもあります。

 ので。

 緊急性がある場合でない限り、ちゃんと自分の伝手を使った方がいいのです。

 ですが!

 今がその緊急の時!


「こんにちは」


 というわけで、私たちは中央広場でポツンと屋台を出しているジュース屋さんまで移動しました。

 ほんのり湯気が出てるので、さすがに冷たいジュースだけでなく温かい飲み物も売っているようです。

 見れば小さなお鍋がポコポコとお湯をわかせてありました。屋台には炭が赤くなって燃えていて、その上に金属の台みたいなのが置いてあり、その上にお鍋があります。

 屋台が木で出来ているのに燃えないのが不思議。

 灰があるからでしょうか。

 面白い光景です。

 紅茶とかコーヒーとか淹れてくれるのかもしれませんね。


「いらっしゃいまー」


 ジュース屋さんはのんびりした感じで笑顔を浮かべました。

 金髪というより、白い黄色という感じの髪色。背中まで届くくらいの髪の長さで、目はにっこりと笑っている時のような細い目。身体的特徴といえばそれくらいで、あとはエプロンを付けている普通の人。

 びっくりするぐらい普通。胸の大きさも普通。身長も普通。顔も普通。

 のんびりした雰囲気がなければ、ホントに誰か区別が付かないかもしれない。そういう意味では、師匠さまやパルちゃんって盗賊らしくない盗賊なのかもしれませんね。

 諜報係か戦闘特化で違うとは思いますけど。

 私はやっぱり、カッコイイ盗賊がいいですね。


「温かい飲み物があるんですか?」

「ありますよ~。ホットミルクか紅茶か、エッグノッグか~」

「エッグノッグ? どんな飲み物ですか?」


 聞いたことがない名前です。

 ジュース屋さんのオリジナルでしょうか?


「牛乳とか卵とかで作る物ですよ~」


 ……ぜんぜん分かりませんね。

 でも牛乳が入っているのでしたら、甘くて美味しそうな雰囲気があります。


「では、私はそのエッグノッグをお願いします」

「はーい。作りますね~」


 ジュース屋さんは新しく小さなお鍋を出して、その中に液体を入れる。少しだけ黄色味がある白い液体。牛乳なのでしょうか?


「その液体の内容は?」


 マルカの質問にジュース屋さんは少し困ったような表情を見せた。


「レシピは秘匿されてるんですよ~。牛乳と卵、だけは言えますねぇ~」

「危険な物は入っていないか」


 マルカの言葉に、あはは、とジュース屋さんは笑う。


「そんな物が入ってたら売れませんよ~」

「確かに。すまなかった」


 毒の心配をしているのでしょうけど、さすがにこのタイミングで毒を盛るのは難しいと思いますよ、マルカ。

 私が今日、この場所に来ることなんて予想できないことです。それに、漆黒の影鎧を着て変装中です。冒険者には見えないでしょうけど、お姫様にも見えないはずです。修行中の騎士みたいな雰囲気に見えるんじゃないでしょうか。

 そもそもジュース屋さんに命を狙われる覚えはないのですし、警戒しすぎると逆に怪しまれてしまいます。

 ほどほどで大丈夫なのです。

 小さなお鍋の中の液体がポコポコと沸騰してきました。少しとろみが付いてきた感じがします。ちょっぴり甘い香りがしてきて、美味しそう。

 ジュース屋さんはそれをコップに注ぎ、上から何かの粉をかけました。


「それは?」

「シナモンですよ~」


 そこは教えてくれるんですね。


「はい、どうぞ。1アルジェンティです~」


 コップをさしだしながらジュース屋さんは言いましたが――


「それとも、もう少し払いますか?」


 右目だけを開くように、ジュース屋さんは言う。まるで顔の右側だけ、印象が変わったように思えました。半分だけにっこり笑っている仮面を付けているような奇妙な表情です。

 ひくっ、とノドが鳴るように驚きましたが、私はさしだされるコップをおずおずと受け取りました。

 なんでしょう。

 とても怖い。


「も、もう少し払わせてください」

「分かりました。何をお求めでしょうか、ヴェルス・パーロナさま」


 当たり前のように正体がバレていました。

 さすが、と思うと同時に、恐ろしい気分でもあります。この漆黒の影鎧のおかげで立っていられますが、いつものドレスでしたら、今ごろは尻もちを付いているかもしれません。

 これが本物の盗賊なんでしょうか。

 ですが。

 ですが侮られていては困ります。

 ここはビシっと末っ子姫としての威厳とかそういうのを見せないといけません。


「そこまで多くは払えませんわ、ジュース屋さん」

「気持ちは分かります。自分で財布すら持てない王族ですもの。ナイフを持ち上げるのも、さぞ苦労されていることでしょう。メイドも大変ですね。そのコップは落として割ってしまってもかまいませんよ」


 むぐぐ。

 な、なんで私はこんなに責められているのでしょうか。

 助けてマルカ、ルーランちゃん。

 と、ふたりを見ましたが……周囲を警戒するように身構えていました。


「どうしました、ふたりとも」


 そう声をかけましたが、返事はありません。

 物凄い緊張感が伝わってきます。私にかまっているヒマなど無いかのように、今にも剣に手をかける勢いです。


「素晴らしい護衛騎士です。訓練が良く行き届いていますね。少しでも動けば、命が危ないことを理解しておられる」


 気が付けば。

 ジュース屋さんの両目は開かれていた。

 特徴が無い?

 とんでもない。

 恐ろしく綺麗な顔立ちで、とても美人に思えました。さっきまで、どうしてこの顔を『普通』などと評したのか、意味が分かりません。


「声を出せば姫のノドが切れます。手を動かせば、手を。足を動かせば足を。どうぞ、ひとつも動かないことを約束してくださいませ」


 ジュース屋さんはそう声をかけ、改めて私に向き直りました。


「な、なぜ私を……」

「プライドです。あなた、少々盗賊ギルドを舐めているでしょう」

「いえ――」

「あぁ、そうですわね。盗賊ギルドだけでなく、世の中を舐めている。いいえ、まだ間に合いますね。世の中を舐め始めている」


 ジュース屋さんはそう言って、私の頭を撫でるように――漆黒の影鎧の兜に手を添えました。

 攻撃を自動防御してくれる鎧に触れる。

 それは、つまり攻撃ではない、ということ。


「そんなことはありません。私は別に――」

「そうかしら」


 ジュース屋さんがバイザーを開けた。


「ひっ!」


 いつの間にかその指には針があった。盗賊の使う針。私も持ったことがある、毒を仕込める針。

 それが、私の目に突き付けられている。


「な、なんで」


 こんなことを?


「分からせる必要があるから、でしょうか。ヴェルス姫、私たちはあくまで切り札です。裏なんです。本来、使っていることを知られてはいけません」


 震える瞳が、針の先端から視点を外せない。

 今にも針が眼球を突いてきそうで、恐ろしくて恐ろしくて、呼吸が早くなる。なにもしていないのに、ただ立っているだけなのに、酷く苦しい。


「エラントとパルヴァス。あなたがアレに執着するのは別に問題ありません。仲良しこよし、大いに結構。末っ子姫との大きな繋がりができたことを感謝しているくらいです。ですが、アレらとの仲を我々の仲だと思ってもらっては困ります。盗賊ギルドとお友達にでもなったつもりですか、ヴェルス・パーロナ」

「……」


 言われて。

 それを言われて、どこか痛感しました。

 話をすれば分かってもらえるし、お金を払えば何でも情報をくれる。別に怖い組織ではないし、普通にしてれば仲良くしてもらえる。

 そんなはずはないのに。

 そう思ってしまっていた。


「どうして盗賊ギルドに符丁があるのかご存知ですか?」

「そ、それは……間違って入ってこないように、でしょうか……」


 正解です、とにこりとも笑わず、笑顔の声で伝えてくるジュース屋さん。

 でも、すぐに声色が冷たくなった。


「部外者を排除するためなのは大前提ですが、調子に乗った愚者をあぶり出すためでもあります。簡単ですよ。嘘の符丁でも入れてあげればいいのですから」

「私が知っている符丁はニセモノと」

「さぁ、どうでしょう」


 ようやくジュース屋さんが針を引っ込めてくれた。


「釘を刺す予定でしたが、針を刺さないで良かったです。お嬢さん」


 息を吐き、見上げれば――ジュース屋さんはにっこりと糸目に戻って、ぽややん、とした雰囲気がただよっていた。

 私は胸を撫でおろし、胸の奥で冷たくなってしまった息をすべて吐き出す。


「ご忠告、痛み入ります」

「いえいえ~、どうぞ休んでいってください~」


 ベンチに座ることをすすめられ、私は操られるようにベンチへ座った。いや、本当に操られていたのかもしれない。

 ベンチに座った瞬間にフと体が自由になった気がして、ジュース屋さんを見上げた。


「エラントとパルヴァス、ルゥブルム・イノセンティアは色街にいます」


 まだ質問もしていませんのに。

 知りたい情報を教えてくださいました。

 あぁホントに。

 私は盗賊ギルドを舐めていた……いえ、世の中を舐め始めていたのでしょう。

 手痛い失敗をする前に。

 怖い目に合わせてくださったのを感謝するべきでしょうか。


「お、お代は……」

「オマケにしておきましょう。王族相手に盗賊ギルドが何たるかを改めて教え込む機会はなかなかありませんから」


 それだけ言うとジュース屋さんはまたほんわかに戻る。

 もう何がなんだか分からないぐらい、怖い。

 手に持った温かいエッグノッグの甘い香りだけが信じられるような気がした。

 そして、未だに動いていないマルカとルーラン。他にも周囲を見渡せば、不自然に止まっている者が数名います。

 どこからか狙われているのでしょうか。


「すいません。私の護衛を解放してもらえないでしょうか」

「おっと、忘れていました~。失敗しっぱい~」


 えへへと可愛らしく笑うとガシャンと音を立ててルーランちゃんが膝を付きました。

 マルカは倒れはしなかったものの、明らかに疲弊している様子が分かる。

 あんな風になっているマルカは初めて見ました。


「またのご利用、お待ちしております~」


 にっこり笑ったジュース屋さん。

 目の奥すら見通すことができないその瞳に。

 私は少しだけ反撃することにしました。


「は、はい。お父さまによろしくお伝えください……」


 ぴくり、とジュース屋さんの眉が動いた。

 ちょっとは意趣返しができたでしょうか。

 王族舐めるなよ、と。


「ふふ。まだまだですね~」


 ジュース屋さんがそう言ったのは、果たして私に向けての言葉なのか。

 それとも自分に対しての言葉なのか。

 最後まで分かりませんでした。

 ですが――


「マルカ、ルーラン。宿に戻りましょう。とてもじゃないですが、歩けそうにありません」


 反省です。

 まずは反省しないといけません。

 ジュース屋さんの言葉を噛みしめるように、私たちは宿へと戻るのでした。

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