~勇気! 友達の姿~

 身体がギシギシと悲鳴をあげていた。

 いや、ミシミシといった方がいいかもしれない。まるでくたびれた床板のように、錆びついた車輪のように、身体が壊れていく音がする。

 少しでも動かすと筋肉が限界を訴えてくる。

 もうこれ以上動かすな、と。

 あと少しでも動かしたら、もう後はないぞ、と。

 それでもまだ。

 それでもまだ尚、動かそうというのなら。

 その責任はおまえにあるぞ、と。

 僕の身体が。

 無責任に後始末を放棄してくるのが分かる。


「あぁ」


 この感覚を味わうのは、もう三度目だ。

 三回も僕は自分の限界を味わっている。

 ただ面白いことに。

 三度目だというのに、相手がまったく同じというところだ。


「さっさと……くたばれよ……飽き飽き、なんだよ……!」


 ぜぇぜぇと息を吐きながら僕は倒れるように前へ進んだ。膝を曲げてるのか、突っ張っているのかも分からない。足はもう、倒れないように支えるだけ。

 どうやって前へ進んでいるのかも分からないくらいに、感覚だけで足を踏み出した。


「お、おぉぉ……!」


 全力で拳を振りかぶり、全力で叩きつける。肩も腕も腰も、どの部位も悲鳴をあげる。ミチミチと引き剥がされるように筋肉が終わりを告げてくる。

 僕の攻撃は何とか成功した。

 成功したけど……痛い。

 まったくもってズルいと思った。

 殴ったこっちの拳がめちゃくちゃ痛いのだから。

 どうして魔族ってのは、こうも戦闘に有利な身体をしてるんだろうか。


「ぐぅ、まだ、だ。まだ戦える……ぞ」


 僕の拳で殴られつつ、ヤツ――乱暴のアスオェイローは笑っていやがる。

 殴られて喜ぶなんて変態かよ。

 そう思っていたら、アスオェイローが殴りかかってきた。緩慢な動きで、僕と同じくミシミシと骨と肉体を鳴らしながら。拳を振り下ろしてくる。

 もちろん――避けられる体力なんて残ってない。


「うがっ」


 思い切り顔を殴られ、よろけてしまう。

 だが、その程度だ。オーガ種の筋骨隆々の肉体から繰り出される拳にしては、弱すぎる。すっかりと体力を使い果たし、倒れる寸前であることが分かった。

 だから。

 ここで倒れてしまうのはもったいない。

 あと少し。

 あと少し耐えれば、僕の勝ちなんだから。


「ぐぎぃ!」


 歯を喰いしばって耐え。

 もう一度殴りかかる。

 身体が動くまで。

 アスオェイローが倒れるまで。

 僕が勇者である限り、倒れてしまうわけにはいかない。

 もう、武器を拾い上げる体力は残っていない。

 膝を曲げて、地面に近づけば。

 その誘惑に負けて、地面に横たわってしまうのは目に見えている。そうでなくとも、剣を持ち上げて振り回せるような力は残っていない。拳を握るだけで精一杯だ。

 あぁ、いっそのこと倒れてしまいたい。膝を地面に付け、ゆっくりと腰を下ろし、そのままコロンと横になれたら。

 それができれば、どれだけ心地良いだろうか。1秒も必要とせず、眠りに落ちる自信があった。

 でも、それは敗北を意味する。

 魔物の前で地に伏せるなんて……死を意味している……はずだった。

 違った。

 違ったんだ。

 魔物種は――言ってしまえば人間種のエルフとドワーフ、ニンゲンと獣耳種や有翼種と同じ、単なる種族違いでしかない。

 魔物は動物ではない。

 僕たちと同じ、あらゆる意味を込めて『同じ人間種』と言えた。

 それが分かってしまった今。

 僕は、アスオェイローにトドメを刺せなくなってしまった。

 最初の勝負は引き分けだった。

 二度目の勝負は、僕は若返り――アスオェイローは痩せていた。痩せて小さくなって、パワー特化からスピード特化に変えてきたんだ。

 だが、そこにはまだまだ付け入る隙があった。

 なにせ本当の意味での『速度特化』の相手なんて、エリスを見ていた僕にしてみれば見慣れたもの。フェイントすら織り交ぜない愚直な攻撃は簡単に避けることができた。

 だから、勝てた。

 もちろん満身創痍だったけど。息も絶え絶えだったけど。

 でも勝った。

 魔王直属の四天王、乱暴のアスオェイローに僕は勝ったのだ。

 でも。

 でも、トドメは刺さなかった。


「もう一度だ、アスオェイロー。これじゃダメだ」

「……殺さないというのか」

「殺してももらえなかった屈辱を味わえ。とは言わない。だが、これがおまえにとっては一番の屈辱だろう」

「相変わらず性格が悪い。だが……その屈辱、甘んじて受けさせてもらう」


 それが一度目の勝負の結果だった。

 みんなに怒られたけど。

 どうしてトドメを刺さなかったと賢者と神官には殊更に怒られたけど。

 本音は――怖かったんだ。

 トドメを刺すのが。

 アスオェイローは魔物種であって、モンスターではない。

 言葉が通じて。

 言葉が通じるからこそ。

 いっしょに笑うことができた。

 全力で戦って、お互いの健闘を讃えることができた。

 その相手を殺せるか?

 同じ言語を使って、意思疎通ができる者を――容赦なく殺せるか?

 僕は。

 間違いなくできた。

 できていたんだ。

 今まではちゃんとできていたんだ。

 勇者であっても、僕のこの手は綺麗ではない。同族殺しはやっている。旅の途中で襲いかかってきた盗賊を殺しているし、罠にハメてこようとした貴族も殺したことがある。

 多くの人たちを助けて来たけど。

 多くの人間種もまた殺してきている。

 同じ言葉を使い、意思疎通ができる相手でも。

 殺せたんだ。

 そのはずなのに。

 アスオェイローは、なぜか殺せなかった。

 その理由は。

 次に戦った時に分かった。


「ぐ、うぅ……」


 負けた。

 速度特化をやめ、パワーとスピードを両立させたアスオェイローに僕は負けた。

 初めての敗北と言っても良かった。

 魔物を前に地面に倒れ伏し、動けなくなる恐怖は……得がたい経験だったように思う。

 別に油断をしていたわけじゃない。

 純粋に、アスオェイローが強かったんだ。

 短期間でかなりの修行をしたのが分かる。鍛え上げたヤツの肉体は限界ギリギリの酷使した状態だったが、まるで弓を引き絞ったような印象だった。

 剛力で放たれる矢。

 パワーとスピードが活かされた攻撃は――速く強く、完璧だった。

 惚れ惚れすると言っても過言ではない。

 もちろん、僕だって全力で戦った。全力全開を出し切り、もう身体が動かないってところまで戦って……膝を付いてしまった。

 でも。

 不思議と屈辱は感じなかった。

 これから殺されるっていうのに、どこか満足していたように思う。

 できれば勝って終わりたかった。

 いや。

 できれば、終わりたくなかった。

 そう思ったところで、気付いたんだ。


「あぁ、そうか」


 僕は。

 乱暴のアスオェイローと。

 友達になれるかもしれない、と。

 そう思ってしまった。

 人間種を喰うようなヤツだぜ? 魔物種を束ねる支配者だぜ? 人間を家畜のように扱っていたボスだぜ? 魔王直属の四天王なんだぜ?

 それが友達なんて。

 ふざけるなよ!

 頭の中で、僕の『勇者』がそう怒り狂っていた。勇者であろうとする部分というか、勇者を演じている部分だろうか。

 普段は意識していないけど。

 ときどき、こうやって顔を見せる。

 そういう時は光の精霊女王に、ごめんなさい、と謝ってからフタをする。真面目に勇者をやれなくて申し訳なく思うけど。

 でも、いいじゃないか。

 僕にだって、好きに生きる権利くらいはあるだろう?

 生まれてすぐに親に捨てられて孤児院で生きることになり、勇者として精霊女王の加護を受け、世界を旅してきた。

 そこに僕の自由はあったけど。

 そこに、僕の意思が本当にあったのかどうかは分からない。

 だから。

 友達くらいは選ばせて欲しい。

 だって。

 だってさ。

 僕のパーティに、もう友達がいなくなってしまったのだから。

 幼馴染で、しょうがねーな、と笑いながら付き合ってくれたプラクエリスがいないんだから。

 だから、友達くらい……好きに選ばせて欲しい。

 そう思って。

 敗北したまま、死を覚悟して顔をあげれば。

 乱暴のアスオェイローがニヤリと笑った。


「今回は俺の勝ちだな」


 ガハハハハ、と満身創痍のくせに強がって笑っている。今にも倒れそうなくせして、強がっているのが分かった。

 なにせ、友達だからな。

 何度も全力で戦い、殴り合ったんだ。

 それくらい分かるようになる。


「次だ。次もやるぞ、勇者」

「……あぁ、そうだな」


 僕はそう返事をして、バッタリと倒れたのを覚えている。意識を失ったのを覚えているなんて、不思議な話だけど。でも覚えてる。

 そしてこれが。

 一勝一敗一引き分けの状態から続く、四度目の勝負だ。

 全力全開で、満身創痍になってまで続く――男と男の勝負であり、友達同士のジャレ合いであり、人間種と魔物種との戦いであり、魔王討伐の勇者の旅路でもあり……

 いや。

 言い訳はいい。

 ただ、とにかく俺たちは。

 力比べがしたい。

 それだけだ。

 つまりは――


「僕の、ほうが、強い……!」


 殴る。

 握った拳をアスオェイローに叩きつけて、ビリビリと痛む全身に耐えて、もう手を開くのも嫌になったところで――


「強いのは、俺だ……!」


 殴り返されて、二歩、三歩とよろめく。


「ぐっ、まだ、まだぁ!」


 握れているのかどうかも分からなくなった拳で殴りつけ、そのまま寄りかかるようにして頭突きを食らわせる。

 痛い。

 目がまわる。

 そう思っていたら、アスオェイローが頭突きを返してきた。

 痛い。

 この頑固オーガが。


「さっさと、倒れ、ろよ」

「おま、えがな」


 つかみ合い、押し合う。

 倒れない。

 だったら、と足を踏んでやった。ヤツは裸足だからな。痛そうだ。ざまぁみろ。


「ぶっ!?」


 思いっきりアッパーをくらってしまった。

 ちくしょう。

 まだ腕を振り上げる力があるのかよ。

 ズルいぞ!

 なんだその種族特徴は!

 ニンゲンに考慮しやがれ!


「ふんぅ!」


 なので思いっきり小指を踏んでやった。


「ぐあ!?」


 ゲハハハハ、と笑ったら口から血が吹き出した。たぶん、さっきのアッパーで口の中が切れたんだ。

 その派手な血しぶきに悲鳴があがる。

 賢者と神官だ。

 心配そうにこっちを見てるのが分かった。

 若返った彼女たちは、僕より年下になってしまっている。意味が分からない。意味が分からないけど、事実なんだからしょうがない。

 まったくもって、エリスには驚かされたものだ。

 まさか追放したあとに、こんな復讐をされるとは思ってもみなかった。

 若さを取り戻した彼女たちのアピールには困ったものだが。いや、むしろウェルカムなんだけど、ほら、旅の途中でそういうことしちゃうと、なんかこう、ね? 分かるだろ? な?

 そういうわけで、街に付いたら遠慮なく色街に遊びに行く戦士がうらやましくてしょうがない。

 そんな戦士は魔物種のドワーフ将軍と肩を組んでやんややんやと応援している。

 それもまたうらやましい話だ。

 あいつらふたり、決闘をしている仲だというのに、さっさと友達になりやがった。

 こっちが遠慮してるっていうのに。

 勇者と魔王四天王の間柄で、なかなかその一歩が踏み出せないっていうのに。

 さっさと友達になってしまいやがって。

 でも、そういうところは王様向きの性格をしているとは思う。

 清濁併せ飲む、というやつか。

 まったく。

 こっちの気も知らないで。

 そう思うだろ、エリスも。なんか一緒になって応援してくれてるけど、なんで半透明なんだ、おまえ……って……は? え?


「ほげぇ!?」


 半透明なエリスにびっくりして、思いっきり油断して、思いっきり殴られて、そのまま僕は倒れた。


「やった……やったぞ……俺の……勝ちだ!」


 アスオェイローが拳を振り上げて、俺を見下ろしている。

 待て。

 待て待て待て待て待て!

 まだ負けてない。ちょっとびっくりしただけで……エリスの幻を見て驚いただけで、僕はまだ負けてないぞ!

 ちょっと待ってろ、今すぐ立ち上がるから――


「……」


 そう思ったけど、身体は動かなかった。

 地面に体が吸い付いているみたいで、とても心地良くて。

 拳を振り上げているアスオェイローが見えて。心配そうにこっちに駆け寄ってくる神官と賢者が見えて。

 で、まだ見えている半透明のエリスが苦笑しながらやってきて。


「なに負けてんだよ」


 そう言って。

 俺の幼馴染は笑って、俺の敗北を茶化した。

 隣には、パルヴァスもいて、学園都市の学園長もいて、吸血鬼の知恵のサピエンチェ――いや、ルゥブルム・イノセンティアだったか。

 みんな半透明で、こっちを見ていた。

 死んだのかと思った。幽霊になって見に来たのかと思った。

 でも、後で聞いたらそういう会話装置らしい。


「早く言ってよぉ!」


 おまえのせいで負けちゃったんだからな!

 何の用事で来たんだよ、来るなら事前に連絡しろよ!

 え?

 なんかすげぇ鎧を手に入れたから、それを渡すため、僕たちがどこにいるのか確かめるために連絡した?

 これが事前の連絡?

 何言ってんのか分かんねーよ!

 エリスのばーか!

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