~姫様! 憂い姫~

 醸造所の皆さんに別れを告げて、私たちはすぐ近くの集落へと移動しました。

 ワインはそちらで受け取るみたいです。


「師匠さまはワインの味は分かりますか?」


 道すがら。

 師匠さまに聞いてみました。

 ワインにこだわる貴族の方が多かったのを覚えております。

 残念ながら私はまだまだ子ども。

 お酒の味は、未開拓の領域ですので参考になれば、と聞いてみたのですが……


「残念ながらお酒はあまり飲まなくて。お酒の味にはあまり詳しくありません」


 師匠さまは苦笑しながら肩をすくめました。


「それは盗賊だから、ですか?」


 酔っ払っていては周囲への警戒がおろそかになってしまう、なんてことかも?


「それもありますが。最初に飲んだのが安酒だったせいかもしれないです」

「どういうこと?」


 パルちゃんが聞きました。


「初めて食べた物が不味かったら、あまり食べようとは思わないだろ?」

「んぇ? 食べられるのに?」


 パルちゃんは不思議そうに首を傾げました。


「あぁ……おまえはそうか……」


 師匠さまは何とも言えない表情を浮かべました。

 私も、似たような表情をバイザーの下で浮かべていたでしょう。

 パルちゃんは『路地裏』で生きてた経験があります。

 そう――

 そうですね。

 美味しいとか不味いとか、関係ない世界ですもの。

 食べられる物か食べられない物かで判断して、美味しくないのが当たり前だったのかもしれません。


「パルちゃん」

「ベルちゃん痛い」


 鎧のままで抱きしめたら痛かったようです。

 ごめんなさい。


「あたしはそれぐらいで傷つかないよ、ベルちゃん」


 それでも。

 私としては、パルちゃんの心を守りたくなったのです。

 分かっています。

 真に理解できていない、単なる同情であるとも分かっています。

 それでも。

 寄り添いたくなったのです。


「そうだな。お酒は別の言い方をすると『毒』だ。相手をフラフラにして判断力を奪ってしまう毒。みんな美味しいから飲んでるけど、中には安物の不味い酒もある。初めて飲んだのが『不味い毒』だったら、あまり良い印象は残らないだろ?」

「あ、そうですね。虫とか食べようとして、舌が痛かったから。次から食べようとは思いませんでした……って、痛い痛い。ベルちゃん痛いよぉ。えぇ~、サチまでどうしたの?」


 私の反対側からサっちゃんが抱きしめてきました。

 神官ですもの。

 神さまに仕える者は、優しい人です。

 サっちゃんもパルちゃんに同情しちゃったのでしょう。

 なんかこう――今ここでパルちゃんが普通に食べ物の話ができていることが愛しく思いました。

 やっぱり、路地裏で生きる子ども達を救いたいです。

 それはとても難しいことだと分かっていますが。

 でも。

 私にできることがあるのなら、やりたいと思いました。


「シュユも食べ物の訓練は苦労したでござるなぁ」

「どんな訓練をしましたの? 興味深いですわ」


 荷車を引くシュユちゃんとルビーちゃんが話している。

 そろそろ集落の入口が見えてきました。


「毒草を食べるんでござる。体を壊すのはもちろんなんでござるが、とにかく苦くて美味しくないので、苦しい訓練でござった。食べきれないと罰が待ってるんでござる」

「どちらにせよ罰ゲームではございませんか。ニンジャって大変ですわね。では、毒はもう効かない身体に?」

「症状は出るでござるよ? ただ慣れたので我慢ができるようになるだけでござる」

「意味あるんですの、その訓練?」

「あ、これ毒だな……っていうのを判断して的確に内功を練り、仙術行使ができるようにする訓練でござる。毒を知らないと、迷っている内に手遅れになるでござるよ」

「なるほど。では、今度はわたしのオリジナルの毒を試してみてくださらない?」

「ルビー殿の毒でござるか? どんな毒でござる?」

「わたしの愛でおぼれる毒ですわ」

「んふっ! ちょ、笑っちゃったでござる……んふふっ」


 シュユちゃんが笑ってますね。

 かわいい笑い方です。

 なんて思っている内に集落に到着しました。


「絵本で見たような素朴な感じですわね」


 建物は丸太を並べて積み上げたような壁が多く、集落の中には緑がたくさんありました。

 森の中に家を建てた、という雰囲気でしょうか。

 人々が通る場所には草は生えていませんが、少しそこから離れるだけで草が覆い茂っています。

 家にもツタが這っている物もありますし、苔が生えている古い石造りの建物もありました。

 ですが、手入れが行き届いていない、という雰囲気ではなく、まるで植物と共存しているような感じでしょうか。

 のどかな雰囲気。

 それこそ本当に、絵本で描かれているような集落です。


「あ~、冒険者さんだ!」


 集落に住むお子さんでしょうか。

 私の半分くらいの身長の子どもたちが寄ってきて、私の鎧をペタペタと触りました。


「あらあら」


 可愛らしい。

 恐れを知らないとはこのこと。

 とても微笑ましいです。


「こら、おまえたち! ひめ、ベルさまに気安く触れるなど――」

「きゃー、騎士さまが怒ったー!」


 マルカが怒ると子ども達は嬉しそうに悲鳴をあげて逃げていきました。

 可愛らしかったのに。


「マルカ、なにもそこまで怒らなくても」

「もしものことがあったらどうするのですか、姫さま」

「そのための鎧なのでしょ」


 ねぇ、と私はルビーちゃんに問いかける。


「そのとおりですわ、マルカ近衛騎士。鎧とは守るために存在します。心配なのは理解していますが、あなたはベルを邪魔をしたいのか、それとも助けたいのか――」


 あれ?

 ルビーちゃんは急に黙り込みました。


「どうしたんです、ルビーちゃん?」

「いえ、ちょっと気になっていたことが解決しそうな気がしただけです。大変参考になりましたわ、マルカ」

「は、はぁ……」


 なにが?

 という感じで私とマルカは目を合わせました。

 どういうことか、と師匠さまを見ると――


「なるほど」


 と、師匠さまも何かに気付いたように納得されていました。


「なになに、何の話ですかパルちゃん」

「え、あたし何にも分かんない」


 師匠さまとルビーちゃんだけの秘密の話ってこと?


「なになに、教えて教えて師匠~」

「後でな」

「そ、それは私には教えてくれないってことですか?」

「……う~ん?」


 師匠さまは複雑そうな表情で首を傾げました。

 なにやら事情がある様子。

 あまり無理に聞き出さないほうがいいのでしょうか?


「……店に着いたわ」


 そうこうしていると、目的のワイン屋さんに到着しました。

 大きな店で、商人の馬車もそれなりに停まっています。


「『集落』ですので、そんなに大きな店だとは思っていなかったのですが。立派ですわね」


 ワイン屋さんは、集落で一番の大きさの建物のようです。

 どうやらこの集落の名物のようで、たくさんの人が働いている様子。

 ワイン樽を馬車に積み込む人たちの姿がありましたが、女性もひとりで運んでらっしゃいました。

 ドワーフの女性のようです。

 身長は私より低いのに、力持ちですごい。


「ベルちゃん、挨拶あいさつ」

「え、私ですの?」

「今日のリーダーはベルちゃんなので」

「聞いてませんけど!?」


 いつの間にやらパーティのリーダーになっていました。


「身分で考えると当然でござるな」

「あら。無能が上に立つ常套句ではありませんか。義の倭の国では、それが当然ですの?」

「当然でござるが、無能と決めつけるのは愚かでござる。無論、主人が愚かであると後ろから刺されるでござるけど」


 さ、さすが義の倭の国です。

 義に厚いのはもちろんなのですが……その義に報いない限り、どんな報復でも許されてしまうというか、報復するのが当たり前となっているので、怖い。

 いえ、怖いという感想は間違いでしょうか。

 相手の文化を否定することになりますものね。

 そういうもの、と受け入れておきましょう。


「シュ、シュユ殿……姫様は初めての経験なので、その、お手柔らかに……」

「マ、マルカ殿、頭をあげるでござる! だいじょうぶ、大丈夫でござるよ!? シュユはそのあたりの常識は持ってるでござるから!」


 さすがに友達を後ろから刺さないでくれるみたいなので助かりました。

 というわけで、私を先頭にしてみんなでお店の中に入って行きます。


「ほわ~」


 中にはワインがたくさん並べられていました。

 ワイン屋さんなんだから当たり前なんですけど、こんなふうに売られているお店に入るのは初めてなので、なんだか新鮮です。

 どうやらいろいろと試飲できるみたいで、商談中の商人が何人かいらっしゃる様子。

 さすがに酔っ払っている人はいませんが……でもなんだか酔っちゃいそうな雰囲気がありますね。

 まぁ、酔ったことなんてないんですけど。


「え~っと……あ、店員さんがいらっしゃいますね。すいません、よろしいでしょうか」

「はい、どのような品をお探しでしょうか」


 声をかけたのはお若い店員さん。

 もしも小説に登場するなら『好青年』、と描写されそうな雰囲気のある店員さんです。

 女性冒険者が主役の物語でしたら、きっとこの店員さんと恋に落ちる展開があります。

 しかし、残念。

 私には師匠さまがいますので!


「学園都市から依頼を受けて参りました。え~っと、あ、これが依頼書です」


 サっちゃんが持ってた依頼書を受け取って店員さんに渡す。


「あ、学園都市の。はい、うかがっております。こちらへどうぞ」


 店員さんに案内されて移動したのは、店舗の奥から入れる倉庫。お店に併設されているようで、店舗よりも大きく感じます。

 そこにはたくさんの樽や瓶が並んでいて、いろんな種類ごとに保管されている様子でした。


「依頼されているのは、こちらのワイン樽を5つです」

「おぉ~」


 みんなで見上げたのは、ワイン樽の山。

 それなりに古いのか、樽に年季が入っているように思えます。

 大きさは、ひとつひとつが私と同じくらい。横幅に至っては私の二人分はあるでしょうか。

 どう考えてもひとりでは運べそうにない大きさの樽です。


「これ、転がしちゃダメ?」


 パルちゃんが容赦なく禁断の質問をしました。


「ダメです」


 店員さんが即断で答えました。

 ですよね。

 商品ですもの。

 破損して、こぼれてしまったら大変です。


「どうやって学園都市まで運ばれますか?」

「表に荷車を停めています。それで運ぶつもりですが、よろしいでしょうか」

「はい、分かりました。しかし、申し訳ありませんが店の者の手が空いてないので……積み込みはそちらでやってもらってもよろしいでしょうか?」


 私はちらりとみんなを見ました。

 これだけでも一仕事です。

 ですが――

 うん、とルビーちゃんがうなづきました。

 自信があるのでしょう。


「分かりました。では、積み込んだ後のチェックをお願いします」

「はい、よろしくお願いします」


 店員さんは頭を下げてから、少し小走りで店舗の方へ戻られました。

 本当に忙しいようですね。


「では、みんなで運びましょう」


 私のかけ声に、おー、と答えてくださるのがちょっと嬉しかったです。


「では」


 私は一番近いところにある樽を持ち上げようとしましたが――


「んんんんん!」


 ビクともしません。

 持ち上げるどころか、傾けることすらできないんですけど!?


「非力ですわね、さすがお姫様」

「はぁ、はぁ、はぁ、そ、そういうルビーちゃんはも、持ち上げられるんですの?」

「ふふふ、こんなもの軽いものですわ」


 ルビーちゃんは樽に手をかけて、ん~~~、と可愛らしい声をあげました。

 ですが、樽はびくともしません。


「ダメじゃないですか」

「あ~ん、思った以上に重たい。師匠さん、手伝ってくださいまし~」


 フラフラとルビーちゃんは師匠さまに持たれかかろうとしました。

 その手がありましたか!

 と、私は思ったのですが――


「イヤだ」


 師匠さまはルビーちゃんを避けました。


「んべら」


 ルビーちゃんは、マジで頭から床に転んでしまって、ごっちん、と見事な音がした。


「あははは、ルビーってばマヌケぇ~」

「くっ。笑ってられるのも今のうちですわ、小娘。さぁひとりで持ち上げてごらんなさい」

「いや、無理だし」

「――ですわね」


 ケンカが始まるかと思ったら始まらない。

 冷静なルビーちゃんに感心してしまいました。


「……パル、ルビー。遊んでないで、ちゃんと働いて」


 そんなふたりにサっちゃんが冷静な一言。


「「あ、はい」」


 パルちゃんとルビーちゃんは慌てて手伝うのでした。

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