~姫様! 穢れなき乙女を捧げよ~
荷車を引く役を交代しながら進むので休憩要らず。
「この行軍方法、実はとても便利なのでは?」
後ろを付いてくるマルカが考えながら言いました。
何か物凄いことを思いついたような顔をしていますが……
「マルカ。この荷車が自動で動くのが馬ですよ」
「――そうでした!」
歩兵の方がいらっしゃるので一概には言えませんが。
荷車が馬車になれば、もっともっと楽に速く進めるでしょう。
お馬さんの餌と休憩を考えなければいけないですけど、人が引っ張るよりよっぽど効率的なはずです。
「やはり私には学というか教養はありませんか」
はぁ、と落ち込むマルカ。
そんなことはないです、と否定しようと思ったところ、師匠さまが先に口を開きました。
「気付けるだけ素晴らしいですよ、マルカさん。本当に教養がなれけば、『気付き』は発生しません。逆に、知識だけを持っていても使いこなせなければ意味がない」
「そういうものですか?」
「応用、という言葉がそれですよ」
「なるほど」
ありがとうございます、とマルカは笑う。
いえいえ、と師匠さまも笑う。
なんでしょう。
これが大人の余裕というものなんでしょうか……
むぅ~!
なんか師匠さまとマルカが仲良しです。お似合いに見えます。
うぅ~!
「マルカ」
「はい、なんでしょうか姫様」
「あなたも休みなさい。ほら、乗って乗って」
「いえ、これぐらいの歩行速度でしたら三日くらいは平気です」
「三日?」
「はい、三日です」
本当に、という視線を師匠さまに向けたら答えてくださいました。
「そのあと、泥のように眠っていいのであれば行けます」
「ダメじゃないですかマルカ。余裕がなければできるとは言いません。二日半のところでモンスターに襲われたら負けるでしょう、それ?」
「負けません……と、言いたいところですが、負けますね……」
「やっぱり。無理は許しませんからね、私」
「ありがとうございます、ヴェルス姫」
いいえ、と私がうなづいたところで荷車を引いてるパルちゃんとルビーちゃんが声をあげました。
「ぶどう畑だ!」
「見えてきましたわね」
なになに、と前方を見ると――一面のぶどう畑が見えました。
緑の葉が一列に並んでいる様子が、何筋も何筋もあって、壮大な風景となっています。
葉っぱの間から見えている黒い粒がぶどうなのでしょう。
「凄いです! 綺麗です!」
壮大な風名に、荷車の上で思わず立ってしまいました。
「危ないです、姫様」
「これくらい平気です。それよりも見てください、マルカ。こんな風景、パーロナ王都では見ることができませんよ!」
王都周辺はお城の窓から見渡すことができますが、広大な畑は外へ行かなければ見ることができません。
野菜の畑なら見たことがあるのですが、ぶどう畑は初めてです。
しかも、こんな広大で見渡す限りの畑なんて見ようと思ってもなかなか見れる風景ではありません。
「これぞ冒険者の醍醐味、ですわベル姫。どうです、『本物』を見た感想は?」
ルビーの言葉に、私は何度もうなづきました。
「素晴らしいです。英雄譚や小説で思い浮かべる風景とは比べ物になりません。あぁ、本物には風があり、においがあり、音がある。きっと、本の中では主人公たちはこんな体験をしていたんでしょうね。でも、その体験を実際に経験しなければ、それは想像だけに終わり、知らないままだったに違いありません」
英雄や主人公が、ぶどう畑を見て感動した、と文字として書かれていたとしても。
それを真の意味で感じ取ることはできていなかった。
いいえ。
きっとどんなに精巧な絵であったとしても。
この『本物』の体験には遠く及ばないのでしょうね。
それは、どこか悲しく思えました。
たぶん私が『お姫様』だから、なのかもしれません。
「もっと外に出るべきですわ、ベル」
ルビーちゃんが『姫』という言葉を抜いて、私に語りかけた。
「知見を広めなさい、と言っているのではありませんよ? あなたが生きているこの世界は劇的だ、と言っているのです」
上から目線の言葉。
でも。
ルビーちゃんの表情は、まるでイタズラっ子のようでした。
美人なのに、幼い。
そんなステキな女の子に見えます。
「はい、理解していますわルビーちゃん」
それに対して、私は返事をすることしかできませんでした。
はい、という言葉を言うだけです。
誰でも簡単にできることですが、実行に移すことは困難なのは明白です。
私が絵本作家になりたいと言っても、画家になりたいと言っても、それは叶わないのですから。
外に出たい。
それは、あらゆる意味での『外』という意味になってしまうから。
私には叶わない言葉です。
ですが。
ハイ、という言葉を使うことはできます。
それが私の、精一杯の行動ですね。
「……」
もちろんマルカは良い顔をしませんでした。
いえ。
何も言わなかったことが、抵抗の表れでもあるんでしょうけど。
「あ、こんにちは~。集落はこの先ですか?」
ぶどう畑で働いている人がいたのでパルちゃんが挨拶した。
遅れて私たちも挨拶をする。
「おやおや、カワイイ冒険者さん達だね」
ぶどう畑で働くおばさまは笑顔でこちらに近づてきた。
その手には大きなぶどうの房がひとつ。
「おひとつどうぞ。このまま行くとワインの醸造所があるから、そこを左に進むといいよ」
「ありがとうございます、おばさま」
ぶどうの房を受け取ると、私は丁寧に頭を下げた。
「あはは、気にしないで食べてね」
みんなで、ありがとうございます、とお礼を言ってから進む。
さっそくぶどうを食べようとすると、マルカが待ったをかけた。
「姫様、毒見を――」
「このタイミングで私に毒を盛るような人がいるとは思えませんが?」
「しかし……」
「では、シュユが先に食べるでござる」
ひょい、とぶどうをひとつ取ると、シュユちゃんは大きなぶどうをぱっくんと一口で食べた。
「シュユちゃんは皮ごと食べる派だ。あたしもいっしょだよ」
「わたしは皮は剥く派ですわ。皮は剥く派ですので」
なんでルビーちゃんは二回言ったのでしょう?
大事なことなんでしょうね、きっと。
はい。
というわけで乗っかります。
「私も皮は剥く派でしたが、今日は皮ごと食べちゃう気分です。ですよね、師匠さま」
「どうして俺に……マルカさんに聞いてくれ」
「うふふ」
というわけで、ぶどうを皮ごと口の中に入れて――少し歯を立てると、ぷちゅ、と皮がやぶれて中の果汁が出てきました。
「皮が分厚いですね……んっ……種もおっきい~……普段食べる物とぜんぜん違う……でも、美味しい~……でも、あ、あれ……すっぱ! すっぱーい!」
甘い、って思ったら酸っぱかったです!
「甘いの最初だけだ!」
「騙されましたわ」
「……すっぱ」
「これはすっぱいでござる!」
みんなで、すっぱー、と声をあげると、後ろでおばさまの笑い声が聞こえました。
ちょっとしたイタズラです!
「ひ、姫様、だいじょうぶですか? お水、お水を」
「これくらい大丈夫です。ほら、マルカも食べなさい。いっしょに酸っぱい顔をしましょう」
「は、はぁ……ん。あ、あれ、甘いではないで――すっぱ!?」
あははは、とみんなで笑う。
「師匠さまもどうぞ。あ~ん」
「いや、渡してくれたらそれで……」
「パーロナ国の末っ子姫、ヴェルス・パーロナのあ~んが受け入れられないと?」
卑怯だ、とパルちゃんとルビーちゃんが声をあげましたが、聞こえません。
な~んにも聞こえません。
「分かりました。あ~ん」
「うふ」
師匠さまがお口をあーんと開けているので、その中にぶどうを入れました。
「ふむ……そこまですっぱくは……ん!? あ、すっぱ……!」
さすがの師匠さまも、このすっぱさには勝てないみたいで。
顔を、きゅ~、とすぼめていました。
あはは、かわいい。
師匠さまのいつもと違う表情を見れたので、おばさまのイタズラには目をつぶりましょう。
それこそ、目をつぶってしまうほどすっぱかったので。
「……あれ何かしら」
みんなで、すっぱいすっぱいと笑いつつ、ぶどうを食べながら進んでいくと醸造所が見えてきました。
大きなレンガで作られた建物ですが、その近くで女の子たちがキャッキャと騒いでいるのが見えました。
皆さん、なにやら大きな桶のような物に入って楽しそうにしてらっしゃいます。
近くに大人の男性はいるのですが……サっちゃんが気になったように、私も気になりました。
「何やってるんだろう? 行ってみよ」
「あ、こらパル。わたしひとりに任せるなんてひど――行ってしまいましたわね。まったくもう! 仕方がありませんので、わたしも見に行きましょう。これはパルが悪いんですから。まったくまったく」
ルビーちゃんが荷車を引くのをやめたので、もちろん荷車は停止します。
これはもう、私たちも見に行くしかありませんね。
「仕方がないでござるなぁ」
「……うん、仕方がない」
シュユちゃんもサっちゃんも仕方がないと言っているので、これはもうホントに仕方がないですよね。
「はぁ~」
「まぁまぁ。俺たちも行きましょう」
マルカがため息をついてますが、師匠さまは笑っていらっしゃいました。
「こんにちは、おじさん。これって何してるの?」
「ん? おやおや、冒険者さん。こんにちは」
おじさん、というよりお爺さんというぐらいの年齢の方がにこやかに挨拶をされましたので、私たちも挨拶を返します。
「これはワインの仕込みです。今は道具を使ってやる作業なのですが、こうして昔ながらの方法を使って『酒』を司る神リーベロ・チルクイレさまに捧げるワインを毎年作っているんですよ」
そうなんだ~、と私たちは桶に近づいてみる。
その中には布に包まれたであろうぶどうが、女の子たちによって踏みつぶされていました。
裸足になって、踏むたびに布から果汁が溢れだしています。
「こんにちは、冒険者さん!」
ぶどうを踏んでいるのは、ちょうど私たちと同じくらいか、少し下の年齢くらいの女の子たちばかり。
楽しそうではありますが、割と重労働っぽいですよね。
女性の仕事、にしては変です。
こういうのは体重の重い男性の仕事っぽいのですが?
どうして子どもの女の子ばかりなのでしょう?
「神に捧げるワインですから、穢れなき乙女の足でつぶされたワインでなくてはいけません」
「なるほど!」
なぜか師匠さまが物凄く納得されました。
「はいはいはい、あたし乙女です!」
パルちゃんが堂々と処女宣言されました。
「はっはっは、そうなのかいお嬢ちゃん」
「うんうん! あたしもやっていい?」
「もちろんだとも。よろしければ他の方もやっていかれますかな? あぁ、もちろん実際に調べたりはしませんので」
それだったら――
「私もやってみたいです。もちろん乙女です」
「シュユも、まだでござる」
「……私も」
「では、わたしも参加しましょうか。もちろん、わたしも処女ですわ。鉄壁の守りでございますので」
「ルビーは誰も攻めてくれなかっただけでしょ? ぷー、くすくす」
「――今すぐ穢れた乙女にしてさしあげましょうか、小娘。ワインに破瓜の鮮血を混ぜてさしあげてもよろしくってよ」
お爺さまが、やめて、と叫びました。
「邪神が誕生しそうだ……」
師匠さまが呆れながらそう言ったので、私は思わず笑ってしまいました。
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