~卑劣! 姫襲来~

 お姫様がやってきた。

 そんな言葉は絵本や英雄譚、もしくは荒唐無稽な小説や妄想だけにおけるものだと思っていたが……

 何故かお姫様がウチの二階にいて。

 みんなで仲良くテーブルを囲んで座っている。

 テーブルの上には豪華なおやつが並んでいて、いれたてのロイヤルミルクティがほのかに良い香りを周囲に振る舞いていた。

 なんともまぁ絵本的というか牧歌的ともいうのか、それとも夢なのか。

 美少女たちが楽しそうに午後のティータイムを楽しんでいる。


「いや、意味不明なんだが」

「何か言いました、師匠さま?」


 なんでもないです、と俺はぶんぶんぶんと余計に首を横に振った。そんな俺を見て、くすくすとお姫様は笑う。

 パーロナ国の末っ子姫。

 ヴェルス・パーロナ


「ベルちゃんこれ美味しい!」


 通称、『ベルちゃん』。

 んなわけがない。

 通称なんてあってたまるか。

 ましてや愛称でもない。

 どこに一国の王族の姫君をあだ名や、ちゃん付け、で呼べる一般民がいるっていうのだ。

 いや、いるんだけどさ。

 俺の隣に。

 しかもそれが愛すべき弟子というか身内というか、将来は絶対に結婚しようって固く誓っている大切な少女でもあるので。

 なにか不敬なことでもやらかして、一族もろとも滅ばされないだろうか?

 いや、パルは孤児だったわ。

 安心だな。

 死ぬのは俺だけでいい。

 良かった。

 世界の平穏は保たれる。


「違う違う違う」

「なにが違いますの、師匠さま? 私はホンモノですよ。ほら、触れてください。ゴーストでも幻でもありませんわ」


 ヴェルス姫が俺の手を取り、ほっぺたに当てる。

 なんてスベスベで柔らかい頬だろう……


「あ、ベルちゃんズルい! 師匠、あたしもあたしも触ってください」


 反対側の手をパルが取って、ほっぺたに当てた。

 ……すまん弟子よ。

 やはり王族にはスベスベ度は敵わないようだ。だが、安心しろ愛すべき弟子よ。ぷにぷに度はおまえのほうが上だ!

 ――好き!

 もっと触りたい!

 両方!

 たぎる!


「……が……ぐ……ぐぬぅ……!」


 だが、それは不可能だ。

 周囲にはヴェルス姫の近衛騎士団『マトリチブス・ホック』の皆様方が取り囲んでいる。

 いや、ほんとマジで。

 なんか殺意が込められたような視線があちこちから俺を貫いているんですけど!?

 怖い!

 マジじゃん。マジで狙ってるじゃん……

 ほら、そっちの人なんて剣の柄に手が掛かってるし!

 なんか窓の外からも狙われてない!? これが噂に聞く長距離暗殺ってやつ!? 超長距離からの魔法を駆使した投擲で相手を殺すとかなんとか……

 マジで怖いんですけど……!?

 生きてティータイムを終われるだろうか!?


「……」


 でもまぁ、そりゃそうだよな。

 だってホンモノのお姫様ですよ? 影武者とかオトリとかそういうんじゃなく、正真正銘のホンモノの姫。

 そんな人が一般的な家に訪れることになったら、そりゃもう護衛は大げさなほどに固められるに決まっている。

 まず周辺の調査から始まるだろうし、念入りな身辺調査もされるだろう。加えて、盗賊ギルドへも要請が入り、なんなら冒険者を雇って護衛を強化する。

 ――ゲラゲラエルフから何者かが俺たちの情報を買ったと聞いていたが……これのことだったのか。

 いや、もう、できれば事前に伝えてくれませんか?

 リンリー嬢なんか、同じテーブルに座るのも恐ろしいと黄金の鐘亭に逃げていったのに。

 正直、うらやましい。

 俺も逃げたい。


「あら? 師匠さま? 師匠さま~」

「返事しなくなっちゃったね」

「師匠さんが壊れました。しばらくそっとしてあげてくださいな。ところで姫が持ってきたこのお菓子、本当に美味しいですわね」

「あ、ルビーちゃんも気に入りました?」


 えぇ、とルビーは微笑みながら輪切りにされたオレンジを食べる。

 お姫様からのお土産は、乾燥させたドライフルーツの類。しかも贅沢に大きな結晶の砂糖をまぶしてあるので、より一層と甘さが際立っている。カリッと砂糖の結晶を噛み砕く食感も面白く、美味しい。

 上品な甘さが紅茶と良く合っていた。

 まぁ、この紅茶もお土産でリンリー嬢がガクガクと震える手で入れてくれたもの。お姫様専属のメイドさんもいたのだが、現地の住民に華を持たせる、という意味でリンリー嬢が選ばれたらしい。

 可哀想なほど震えていたリンリー嬢。あとでたっぷりとお礼をしておこうと思う。


「はい、師匠。あ~ん」

「あ~ん」


 甘い……でも、美味しい。上品な甘さ。これきっと、めちゃくちゃ高いんだろうなぁ……

 いいのか、パル。そんなパクパク食べて。

 ルビーも遠慮なく食べてるなぁ。そういやフルーツの盛り合わせとか注文してたし、わりとルビーは果物や甘い物が好きなのかもしれない。


「はい、師匠さま。あ~ん」

「あ~ん」


 差し出されたまま食べたが――ちょっと指がくちびるに触れた瞬間に殺気が一割くらい増えたのですが?

 誰かが一歩でも俺に向かって進めば、すぐさま逃げてたぞ。

 お姫様の手前、動かなかったけどさ。

 やめてください。

 物理的ではなく精神的に死んでしまいます。


「うふふ。夢が叶いました」

「夢?」


 パルの言葉にお姫様は、えぇ、とほほ笑む。

 後ろ姿はパルにそっくりだけど、やっぱり前から見ると違いは歴然としているなぁ。

 お姫様なのでお上品。最上級にお上品。

 でも、だからといって気品あふれるわけでもなく、どこか親しみやすい雰囲気がある。

 これが貴族との違いなのかもしれない。

 見栄とか色々なしがらみのある貴族に対して、王族はやはり余裕がある。加えて、末っ子の姫ともなれば、そりゃもう周囲も『姫』という存在にも慣れがあって、大層愛されて育ったのだろう。

 余裕というものが溢れているというか、おおらかというべきか。

 なんにしても、可愛い。

 恐ろしく可愛い。

 とにかくカワイイ。

 さすがお姫様。

 強い……!


「師匠さまにあ~んする夢です」

「そうなんですのね、ベル姫。逆にあ~んしてもらうのはどうなんでしょう?」

「ぜひぜひ。お願いします、師匠さま」


 この吸血鬼。

 あとで殺す。

 いや、殺せないので世間体を殺す。

 全裸にして、玄関前に縛り付けて転がして辱めてやる――いや、ダメだ。ぜったいに喜んで受け入れやがる。無敵か、この吸血鬼。ちくしょう。


「師匠ししょう。練習です。まずあたしにあ~んしてください」

「あ~ん」

「あ~ん……んぐ、もぐもぐ……うへへ~」


 パルが嬉しそうでなによりだ。

 俺の癒しだよ、パル。

 好き。

 今すぐ結婚したい。


「あ、ズルいですよパルちゃん。師匠さま、私も私も」

「あ~ん」

「あ~ん……ちゅぷ……んっ」


 お姫様が俺の指ごと口を閉じて、ちゅぷんと口を引き抜いた。


「美味しいです。んふふ」


 おい。

 どうするんだ、この姫様の唾液がついた指ぃ!


「こちらを」


 すぐさま全身鎧を着込んだマトリチブス・ホップのひとりが綺麗で真っ白なハンカチを取り出した。どこから取り出したのか、ものすごく気になる。盗賊的な意味で。カバンとか持ってないのにすげぇ……


「ありがとう――いっ!?」


 自分で拭こうと思ったが、女性騎士はそのまま俺の指を握るようにしてハンカチをかぶせて握った。

 折れる、折れるぅ!?

 痛い痛い痛い!

 やめてぇ!


「失礼しました」

「……あ、ありがとう」


 何事もなかったかのように折れるギリギリで指を離す女性騎士。

 み、見極めてやがる……人の指が折れる寸前を分かってやがる……!


「もう。師匠さまがそのまま舐めとってくださっても良かったのにぃ」

「そ、そんなわけにはいきませんよ、ヴェルス姫」

「不潔、ということですか。汚いですよね、私の唾液なんて。そうですよね……」


 がっくり、とお姫様は肩を落とす。

 その瞬間に、また周囲の近衛騎士団の皆さまの殺意的なものが上がったのですが!?

 なんで!?

 今の仕方ないじゃん!

 どうしろっていうの!?

 ちくしょう!

 分かったよ、慰めるよ!


「いえ、ヴェルス姫のは綺麗ですよ。それを俺が汚してしまうというのが心苦しくて。ついつい遠慮してしまいました」

「まぁ! あはは、お上手ですね師匠さま。私だって分かってますよ。拗ねたフリをしちゃいました」


 分かってるよ、俺も!

 でも、周囲の大人たちが分かってくれないんです!

 助けてください!


「あと師匠さまにもベルちゃんと呼んで頂きたいです」

「いえいえ、そういうわけには……」

「そうですか……では、ヴェルスと呼び捨てでかまいません」

「無理です」

「否定が早い。パルちゃん、師匠さまを説得してください」

「無理です」

「パルちゃんまで!?」


 驚く声をあげるヴェルス姫だが、そのあとでパルといっしょにクスクスと笑った。

 ほんとに友達同士みたいな関係だけど。

 だ、大丈夫なのだろうか。

 あとでパル、消されたりしない?

 心配だ。

 というわけで、チラチラとルビーに視線を送っておく。

 頼む。パルを守ってくれよ、と。


「……ふふ」


 了解ですわ、任せてください。という視線が返ってきた。

 ありがとう、ルビー。好き。ルビーとも結婚しよ。


「では、わたしならオッケーですわね。はい、ヴェルス。あ~ん」


 違うちがう!

 なに一国の姫を呼び捨てにしてんの、この吸血鬼ぃ! って思ったけど、一国の姫を呼び捨てにできる立場と実力があったわ、この魔物種!

 ややこしいのでやめてもらえません!?


「あはは、ルビーちゃんに呼ばれても嬉しいですけど。ほんとは師匠さまに呼んでもらいたいんですよ? あ~ん……もごもご? ちゅぷん」


 ルビーはわざとらしくヴェルス姫の口の中で指を動かすと、唾液のついた指を引き抜いた。俺の時と同じように女性騎士が動くが――それより早く自分の口の中に突っ込んだ。


「――!?」


 周囲からザワザワとした雰囲気が伝わってくる。

 この行為をどう受け止めたらいいのか、近衛騎士団は判断できなかったらしい。

 まぁ、俺がやったら問答無用で殺されてるんだろうけど。

 女の子同士の場合、許されちゃうのかもしれない。


「うふ。間接キスです。甘くて美味しいですわね」

「ルビーちゃん、女の子が好きなの? てっきり師匠さまが好きだと思ってたんですけど」

「わたしは全ての人間種が好きです。男女関係なく、ですわ。ベル姫も好きですし、パルも好き。その中で特別師匠さんが好きなだけです。おススメの生き方ですわよ」

「博愛主義というやつでしょうか」


 たぶん違うと思う……

 この吸血鬼の場合、退屈を殺す理由を人間種に求めているだけではないだろうか。娯楽の一種と捉えている可能性もある。

 なんにしても。

 そのおかげで俺は生きているし、勇者も生きている。

 恋愛感情を利用した、と言葉にするとめちゃくちゃ卑劣漢のイメージとなってしまうが。それをそれとして理解して利用されてくれているので、ルビーには頭が上がらない。

 もっとも。

 本当に感謝して、支配者さまの願うとおりに、と頭を下げたりなんかしたら――きっと、ルビーに嫌われると思う。

 今まで通りが良さそうなので、今まで通りにしている。もしも彼女が望むのなら、一方的に眷属にされても文句は言えない立場ではあるが……眷属にされては文句も言えなくなるので、それはそれで同じことかとも思った。

 なんにしても、この『日常』をルビーは楽しんでいるのだ。

 それにわざわざケチをつける必要はあるまい。


「……ヴェルス姫。そろそろいいでしょうか?」

「なんでしょうか、師匠さま」


 俺に呼ばれてにっこりと笑うお姫様。


「そろそろ本題に入ってもらっていいだろうか……いえ、いいでしょうか?」

「砕けた言葉でかまいませんよ、師匠さま。ここは非公式な場ですから」


 ふむ。

 少しだけヴェルス姫が表情を真面目な物へと変える。

 非公式な場か。

 まぁ、公式な場として俺に話や用件、用事があるのならば、それこそ俺が王都へ呼ばれるはずだ。

 そうではなく、ましてや事前の連絡もなくお姫様がやってきたとなれば。

 それは確実に『非公式』と考えられる。

 もっとも。

 こんな大掛かりな警備や警護、護衛をしておいて非公式もなにもあったもんじゃないけど。「師匠さま。あなたにお手紙を預かって参りました」

 そう言ってヴェルス姫は近衛騎士団の女性から一枚の封筒を預かる。

 シンプルな封筒で、宛先も何も書いてなかった。


「どうぞ」

「はい」


 俺はそれを受け取り、確認する。


「誰から~?」

「なんの手紙でしょう?」


 パルとルビーも覗き込んできた。

 テーブルの上で、封筒を裏返すと封蝋がしてあるのが分かる。もちろん外された形跡はなく、ちゃんと密封してある証明だ。

 そして、その蜜蝋には大抵、封をした者が分かるように紋章が入っているのだが……


「これは――」


 蛇と薔薇の紋章。

 それは砂漠国・デザェルトゥム王家の紋章だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る