~卑劣! それはまるで嫁入りのようだった~

 うららかな午後。

 午前中の訓練を終えて、昼食を取り、俺たちは家の中でのんびり自由に過ごしていたところ――


「たたたた、大変ですー!」


 ジックス街一番の宿屋『黄金の鐘亭』の看板娘、リンリー・アウレウムが自慢の巨乳をバインバインと揺らしながらウチへとやってきた。

 いつも重そうだなぁ、と思っていたが走っている姿は余計に重そうだ。むしろ痛そうにも見えるので、しっかりとしたブラを付けて頂きたい。

 場合によっては鎧を装備するのもいいんじゃないだろうか。

 女性の冒険者で前衛を務める者は大抵、自分のサイズにピッタリとあった鎧を仕立てる。サイズを合わせるという意味ではもちろんなのだが、胸の大きい物はしっかりと支える感じもあって楽になるとか、なんとか。

 そういうのを聞いたことがある。

 まぁ、アレだ。

 神官も賢者も大きかったので、その手の話は自然と聞こえてきた。

 戦士はセクハラまがいの雰囲気でその話を聞いていたが、俺にはまったくの不愉快な話題であり、逆に胸が小さな女の子がいかに谷間を作るかで話し合っていた姿こそが至高である。

 ちなみに勇者も『小さいよりは大きい派』派閥に所属しているので、周囲は全員敵だった。

 もっとも。

 味方になってくれる人間がいても、それはそれでアウトな性的志向なので自己主張するわけがないのだが。

 まぁ、ハーフリングなんか種族特性でみんな小さい子ばっかりなので、彼らが同族の胸が好きと主張するのは何ら問題ないんだけどね。

 うらやましい。

 俺も心の底から大声で主張したいものだ。

 小さいほうが好きだ!

 だって可愛いじゃん!

 と。

 なんて思いつつ、家の中に飛び込んできたリンリー嬢を迎え入れる。

 えっと、なんだったっけ?

 大変なことが起こった?

 はぁはぁ、と言いながらリンリー嬢は顔を覗かせたパルに訴えた。


「どうしよう、パルちゃん! どうしたらいいかな!?」

「なになに? どうしたのリンリーさん?」


 まぁまぁとなだめているパルも珍しいが、ここまで混乱しているリンリー嬢も珍しい。


「ん?」


 そんなリンリーの言葉を待つ前に――俺は、どうにも奇妙な視線を感じた。

 廊下の窓からほんのわずかに感じた視線。

 ウチの家は、基本的に黄金の鐘亭の庭に隣接している。つまり、表通りからは全く見えない位置にあり、通行人が覗いてくるとは思えない位置に建っていた。

 その状況で視線が通る場所といえば、黄金の鐘亭からしか有り得ない。


「――……」


 だが、現在。

 黄金の鐘亭の窓からこちらへ向かう視線は――無い。


「パル。窓から離れろ」

「え? え? え?」


 俺は壁に背を付けるようにして周囲の気配を読む。雑多な外の感覚に複数人の気配があるように感じた。

 なんだ?

 どういうことだ?

 いつの間にか取り囲まれている!?

 ここまで接近を許してしまうなんて不覚――いや、俺のミスというより相手の実力を褒めるべきか!

 相当な手練れの集団だ!


「状況が掴めん。屋上へ上がるぞ。リンリーも来い!」

「は、はい!」


 ひとまずリンリーの『たいへん』は置いておいて、こちらの状況を処理しないと。隣の娘さんに何かあったら、申し訳なくてご近所付き合いがギクシャクしてしまう。

 それでなくとも井戸やお風呂を無償で貸してもらっている間柄だ。

 リンリーを守ることを最優先にして、俺とパルは二階へと上がり、そのまま奥の部屋から屋上へと上がった。


「頭を下げろ。下から射線を通すなよ。周囲の建物は俺が見張る。パルは黄金の鐘亭の二階を監視しててくれ」

「分かりました!」

「あ、あの、私はどうすれば……?」

「リンリーは俺の後ろに。離れないでくれ」


 は、はい~、と背中にくっ付いてくるリンリー嬢。その柔らかい感覚に思わず悲鳴をあげそうになったけど、なんとか我慢した。

 なんという不意打ち。

 なんだこの柔らかさ。

 殺されるかと思った……

 いやいや、そんなことよりもだ。

 とにかく周囲の建物や、陰から見張られていないか確認しないと。

 まずリンリー嬢を一番安全な屋上の中心にまで身を低くした状態で移動させる。

 この場所でしゃがんでおけば、下から攻撃を受けることはまず無い。警戒するべきは黄金の鐘亭からの攻撃だけとなり、そちらはパルが見張っててくれる。


「この場所から動くな」

「は、はい」


 リンリーの安全を確保したら、俺は床を這いずるように移動して家の裏手を見た。


「……」


 なにか居る。

 だが、こちらに注意を払っているようには思えない。うまく視線を避けているのか、それとも俺以上の盗賊スキルを持つ者か。

 なんにしても何者かが周囲に潜んでいるのは確かだった。

 ひとり……ふたり……

 少なくともふたりの希薄な気配が家の周囲にある。


「……?」


 それだけじゃない。

 どうにもチラチラと家の裏手側にある建物の陰に盗賊らしき人物が移動しているのが見えた。

 こちらを監視しているわけではなく、むしろこの裏手を監視しているような動きにも思える。

 なんだ?

 俺たちを見張っているんじゃないのか?

 盗賊ギルドで俺たちの情報を仕入れている者がいると聞いていたが……それとはまた無関係なのだろうか?

 そんな偶然があるとは思えんが。

 だが、違ったとしても状況的に『それ』が動き出してもおかしくはない。これを機会と捉えて同時に動き出しても不思議ではない。


「……」


 何が起こっているのか把握できず、状況はかなり悪い。

 もしかして、邪魔が入らないように考えているのだろうか?

 目撃者をゼロにして、周囲に知られない間に俺たちを消し去る。そういう暗殺者集団が動いている?

 確かに、かなりの手際の良さだ。

 ここまで近づかれないと気付けなかった上に、周囲を観測している者たちの姿すらおぼろげにしか視認できない。

 むしろ、ワザと姿を見せているようにも思えた。

 盗賊ギルドの中でも上位の連中を集めたかのような連携だ。

 ここまで恐ろしい連中を雇えるような恨みを抱えた覚えはひとつも無いはずなのだが……?

 そういえばお城の貴族会議でパルが貴族のお坊っちゃんに毒をくらわせたっけ。あれはお坊っちゃんが悪いのは確実だが、それの報復に来たとも考えられる。

 それにしては大がかりに思えるが……有力な貴族であったようだし、考えられるのはそれか。


「仕方ない……逃げるぞ、パル!」


 ここはリンリーの安全を最優先して、転移してしまおう。学園都市に逃げ込み、情報を集め、状況と安全をしっかり確認してから戻ってくるのが最善だ。

 ルビーを置いていくことになってしまうが、まぁ殺そうと思っても殺せないような存在なので、我慢してもらうしかない。

 むしろ夜まで待てばルビーが全滅させてくれている可能性もある。

 なので、ここは逃げの一手だ。


「し、ししし、師匠!」


 俺の言葉を掻き消すようにパルが慌てた様子で叫んだ。同時に、金属鎧のガシャガシャという音が周囲に響き渡る。

 なんだ!?

 何の集団だ!?

 どうなってるんだ!?

 ひとりやふたりの音じゃない。複数人の金属鎧を装備した人間が動くような音が黄金の鐘亭から聞こえる。

 慌ててそちらを確認に行くようにリンリーのいる屋上の中央部まで来たところで――

 一気に状況が変わった。


「なっ!?」


 ザッザッザッと駆け足をするような音が聞こえ、声を一切と発することなく俺たちの家が取り囲まれていくのが分かる。

 ちくしょう!

 完全に包囲された!

 音から判断して騎士甲冑か。それも集団となると、騎士団が動いている可能性が高い。ひとりやふたりの騎士なら余裕で倒せるが、それが限界だ。防御力に重点を置いているような連中を瞬殺するのは難しい。どうやっても途中で動きを止められてしまうし、そうなったら終わりだ。足が止まったが最期、盾や鎧でボコボコに殴り殺されるだろう。

 と、とにかくリンリーを連れて避難しないと。


「立てるか、リンリー」

「は、はい!」


 後ろから抱きかかえるようにしてリンリーを立たせると、彼女はあわあわと口を動かして俺が触れているのを気にしている。

 そんな場合じゃないっていうのに!

 これだから巨乳は!

 なんて思いつつ、パルの元まで移動すると――


「な……」


 その異様な光景に愕然とした。

 俺が見ていないほんの僅かな間に、黄金の鐘亭は完全に金属鎧を身に纏った集団に占拠されていた。

 ここから見える位置の全ての窓には漏れなく金属鎧が立っており、こちらを監視するように見ている。

 その反対側――中央広場側の窓にも立っている者が見え、大通りも監視しているようだ。

 更には屋根の上にも数人の気配を感じる。

 そこはさすがに金属鎧を装備した者ではなく盗賊だろう。

 こちらを伺うような視線が、ようやく俺へと届いたが――それらはすぐに消えてしまう。

 つまり。

 俺は関係者ではあるが、監視対象ではない、ということだ。

 まるで俺たち意外の全てを監視するように。

 ここら一帯は完全に掌握されている!


「……くっ」


 いったいこれはどうなってるんだ……!?

 何が起こってる!?

 そう思っていた矢先に、トントントン、と下界からノックをする音が聞こえた。


「こんにちは~!」


 場違いなほどに。

 なんとも穏やかな少女の挨拶が聞こえた。

 殺しに来たのではなく、まるで遊びに来たかのようなニュアンスの声色だ。

 もしもこれが暗殺者ならば。

 なるほど、俺のことを良く調べ上げている。

 可愛らしい少女の声に反応して、まぬけにも顔を出してしまったが最期。一瞬にして喉を掻き切られて人生が終わっただろう。

 エクス・ポーションが完成していたとしても間に合わない。

 即死の運命が待っている。

 だが――そんなマヌケは身内にいた。


「は~い。どなたですの~?」


 ルゥブルム・イノセンティア。

 その真名を『知恵のサピエンチェ』という。

 そして今、正式に改名することになった。

 阿保のサピエンチェへと!


「――!」


 なにやってんだ、ルビー!

 と、叫びたい衝動を抑えて、俺は屋上から身を乗り出すように下界を見た。


「――ん?」


 あれ?

 どこかで見たような……パルとよく似た背格好の金髪の少女……


「あら、お姫様ではございませんか。こんな大勢でどうしましたの?」

「ふふふふ。驚きました? 遊びに来ました!」


 金髪少女――

 パーロナ国の末っ子姫ことヴェルス・パーロナ姫が嬉しそうに両手を合わせてルビーに挨拶をした。


「ベルちゃんだ! おぉ~い、ベルちゃん~!」

「あ、パルちゃん! わわ、屋根の上にいるんですか? 楽しそう!」

「えへへ~」


 パルはそのまま屋上から飛び降りて、お姫様と再会を喜び合っている。


「……リンリー嬢」

「嬢って呼ばないでください」

「リンリー。たいへんって言ってたのって……もしかして、これ?」

「はい。王都からお姫様がやってきて、ウチに泊まるっていうし、パルちゃんとかエラントさんと知り合いって仰るから、大変だ~って」

「……」

「エラントさんが急に警戒するから、私てっきりお姫様を狙って暗殺者が来たのかもと思ってびっくりしちゃった……良かった、エラントさんの勘違いなんですよね?」

「……それ、早く言ってよぉ~」


 俺はがっくりと肩を落として。

 その勢いで、そのまま屋上から落ちました。

 無駄に疲れた。

 今日はもう休みたい。

 うぅ。

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