~愚息! 人はそれを――と呼ぶ~
じいは。
僕が赤ん坊の頃からお世話をしてくれた教育係のような存在だった。いつも後ろに控えているのが当たり前で、口がうるさくて、おせっかい。どこへ行くのもいっしょだった。
そんなじいが――
レッサーデーモンとかいう魔物に襲われて、かなりの大怪我だったらしい。服には血がいっぱい付いていて、じいの顔色も見たことがないようなくらいに白かった。
ポーションやハイ・ポーションでとりあえず怪我は治せた。運が良かったとみんなは言っている。殺されてても不思議じゃなかった、と。
傷は治った。でも、まだまだ痛みは残っているみたいなので神殿で治療してもらっていた。
お金を払えば魔法で治療してもらえることを知っていた。
だから。
「これで頼む!」
気づけば――僕は、神殿長だったか、神官長だったか。それを確認もせずに、ありったけのお金を渡していた。
「…………」
怖かった。
怖かったんだ。
いつも僕のお世話をしてくれるじいが、突然いなくなったら。
その事実を想像したことがなくて。
想像してしまった瞬間から怖くなってしまって。
耐えきれなくなりそうで。
僕は、お願いします、と神官にすがりついていた。
「問題ありません。あなたの大切な人は無事ですから、どうぞ心穏やかに」
そう言われたところで、穏やかな気持ちになんかなれるはずもなく。僕は膝をつくようにして自分の手を見た。
未だ痺れている指。
体は動くようになったけど、指は痺れたままだった。
「オルディネイショネム」
「え?」
聞きなれない言葉に顔をあげると、神官の足元に聖印が浮かんでいた。魔法を使ったのだと分かった瞬間、指先が温かくなった。
冬に冷たくなった手をお湯につけた時のようなチリチリとした感覚。それが収まると、指先に感覚が戻っていた。
「あ、ありがとうございます」
僕は一言も指が痺れているなんて言わなかったのに。
この神官には、それが分かったようだ。
「さぁ、どうぞお立ちください。彼のことは任せて、あなたはぐっすりとお休みください」
「……はい」
その日は――もう真夜中も過ぎていた。朝のほうが近かったと思う。
「……」
気づけばメイドも誰もいない状態だった。城からどうやってこの神殿に来たのか、まるで記憶にない。
僕はひとりぼっちになっていた。
僕は馬車に揺られてひとりで帰り、誰とも話をせず、メイドの世話も受けず、ベッドに倒れ込むように眠った。
翌日。
父上といっしょに城へと呼び出された。
もちろん、じいはいない。メイドに促されるまま着替えをし、朝食は食べる気にもなれず、ただただ連れられるままに城に到着した。
なにがなんだか分からないまま、父上とは別の部屋へ連れていかれ、聞かれるがままに答えていた。
僕はそのまま答える。
何も隠さず、全てを答えた。
姫さまがどうの、レッサーデーモンがなんだの、といろいろと聞かれた。
知っている限りのことは答えたし、聞かれたこと以上のことを答えておいた。なにをするつもりだったのか、どうするつもりだったのか、何を考えていたのか、どう思っていたのか、全てを答えた。
僕は。
悪いことをしたんだ。
それは分かっている。自覚している。言い訳するつもりもない。
「……人が死んだ」
僕がお金で雇った男のひとりが死んだ。
レッサーデーモンにやられて、食べられて……足しか残っていない。そう聞かされて、僕はあの人の名前すら覚えていないことを自覚した。
「人が死のうが生きようが、なにも関係ないと思っていた」
でも。
「僕が雇わなければ、あの人は死ななかったのか」
そうつぶやいて――
僕は、前を見た。
大人たちは、そんな僕を見て……笑うでもなく、悲しむでもなく、普通の顔をしていた。
僕の言葉に誰も答えてはくれない。
なにも答えをくれない。
誰も正解を教えてくれない。
せめて誰かが怒ったり、悲しんだり、嘲笑してくれたりしたほうが分かりやすかったのに。
誰も。
誰も僕に答えをくれなかった。
でも。
それがなによりの答えのような気がした……
「ありがとう。参考になったよ」
最後にそう言って、僕は肩を叩かれた。
触れられた手は。
少し温かった気がする。
牢屋にでも入れられるかと思ったが、そんなことは一切なく解放された。拍子抜けのような気もしたし、どこか安堵もしているような気もした。
ふわふわした気分のまま城を歩き、外へと向かう。
「よう、ラディオス」
城から出ると、父上が僕を待っていた。
城門から出ないで、僕を立ったまま待っていたらしい。
その手にはタバコがあり、煙が空へと登っていた。父上がタバコを吸っているところなんて初めて見た。
「タバコ……」
「これか?」
赤く火が灯っているタバコを見て、父上は苦笑する。
「おまえもやってみるか」
タバコを渡された。
子どもには推奨されていない物で、劣悪な商品を吸ってしまうと息ができなくなると聞いたことがある。
だから、タバコは大人の物であり――子どもは吸ってはいけないもの。
そう教えられた。
「ふふ」
父上が渡してくるのを、僕は受け取る。
大人の物であるタバコを。
父上から、渡された。
「口にくわえて、吸っておけよ」
「はい……?」
火がついていない状態でくわえさせられた。あくまでフリをする、ということか。と思ったら、父上が自分のタバコを近づける。
赤く火が灯り、僕のくわえたタバコに火が移った。
「――うっ!? えほ、げほ! ごほ、ごほ!」
タバコの煙を吸った瞬間、激しく咳き込んでしまった。吸った煙を全部吐き出し、口の中に広がる苦い味に、うえ、と僕は口を開く。
なんだか口の中がイガイガする。
とてもじゃないが、美味しいとは思えなかった。
「ははははは」
そんな僕を見て父上は笑った。
門を守る衛兵も、そんな僕を見て笑っていた。
不思議と――腹は立たなかった。
以前の僕だったら。
こんな風に他人から笑われたら、いくら父上でも許さなかった。きっとタバコを投げつけ、怒りのままに踏みつけていただろう。
笑うな、と怒りをあらわにして暴れていたかもしれない。
でも。
タバコの煙に咳き込んでしまって、苦さに顔をしかめたことを笑われた程度で。
僕の人生は悪くならない。
それを笑ったヤツらを倒したところで、良くもならない。
この程度で怒る意味は。
無い。
「よし、帰るか」
タバコの煙を空に向かって吐き出した父上はそう言った。吸い殻を衛兵に渡して、馬車に向かって歩き始める。
そんな父上の背中を見ながら、僕はもう一度タバコを吸ってみた。
「――げほ!」
やっぱりダメだった。
カッコ付けられないまま、僕は火がついたままのタバコを衛兵に渡して、馬車へと向かう。
「私は帰るが、ラディオスはどうする?」
「じいを迎えに行きたいと思います」
「そうか。では、先に帰ってるぞ」
「はい、父上」
馬車を見送って。
僕は城を見上げた。
話を聞かれただけで、何も無かった。許されたのか、許されなかったのか。それとも父上が地位を利用してもみ消してくれたのか。
それは分からなかった。
トボトボと歩いて、神殿へと向かった。王都は人々で溢れていて、大通りを歩くには人が多すぎて邪魔だった。
誰も僕に道を譲らない。
そんな当たり前のことを、なぜか改めて実感しながら。歩いて神殿へと向かった。
「迎えに来ていただけるとは、恐悦にございます」
じいはすっかり元気になって、普通に立って歩けるようになっていて。
僕を見て、嬉しそうに笑ってくれた。
「ありがとうございます」
僕は改めて、神官に頭を下げた。
感謝しきれないほど、ありがたいと思った。
そんな僕を見てじいは驚いていたけど、にっこりと微笑んで同じように頭を下げた。
それから数日後――
王都から領地へと帰る日となった。
僕は父上とは別の馬車に乗り、王都の街を窓から眺めなていた。未だに貴族たちの姿もあるようで、街中の活気は多い。
「あ」
そんな中で――
彼女の姿を見つけてしまった。
サティス。
本当の名前はパルヴァスというらしい。イヒト・ジックスが雇った護衛で、盗賊だった。
綺麗な金髪を黒いリボンでポニーテールにして、冒険者みたいな服を着て。
僕より遥かに年上の男と、仲良く歩いていた。
手を繋いでいた。
そして、彼女の笑顔は――僕に向けていた笑顔とは全然違っていて……
あぁ、そうか。
そうなんだ。
と、僕は自然と服の胸のあたりを握りしめていた。くしゃくしゃにシワが寄ってしまう服を見下ろしながら、僕は自然とつぶやいた。
「じい」
「なんでございましょう」
「苦しいな」
その言葉に、じいは少し遅れてハイと答えた。
「なんなんだろうな、これは」
「……人はそれを失恋と呼んでおりますよ」
「そうか。これが……」
人間種が。
感情に名前を付けた理由が分かった。
わざわざ喜怒哀楽なんてものを名付けた意味が分かった。
この気持ちが『失恋』だと分かった瞬間に、少しだけ楽になれた。
そうか。
僕は、彼女を欲しかったんじゃなかったんだ。
単純に好きだったんだ。
あぁ。
失敗したなぁ。
「じい。僕はどうしたらいい? あの子みたいなステキな女性に振り向いてもらうには、どうすればいいだろうか?」
「簡単ですよ」
僕は窓から彼女の姿を追うのをやめて、じいを見た。
いつもは厳格な顔をしているじいが、ニヒルに笑っている。
「良い女性の隣にはイイ男が立っているものです。イイ男になれば、自然とステキな女性と出会えますぞ、ぼっちゃん」
じいはお茶目にウィンクしてみせた。
なるほど。
普通の人には簡単だけど、僕にとっては難しそうだ。
じゃぁ、まず最初にやることがある。
「じい。命令だ」
「はい、なんでございましょう?」
「これからは僕のことを名前で呼んでくれ。もう『ぼっちゃん』でいるのはおしまいだ」
「かしこまりました、『ラディオス』さま」
馬車に揺られる中で。
じいのイイ男講座を聞きながら。
僕は領地に向かって、『進む』のだった。
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