~姫様! 強きを挫き弱きを助け、夢と希望を与える者~

 部屋のすみっこで。

 わたしは、震えながらソレを見続けました。

 恐ろしくて怖くて。

 目をそらしたかったけど……でも、目をそらした瞬間にソレが襲い掛かってくるんじゃないかと思って。

 わたしは、ソレを見続けました。

 人間が、頭から食べられていく様子を。

 震えながら。

 涙を流しながら。

 見続けることしかできませんでした。


「――……」


 音ひとつ立てるのも怖くて。嗚咽で空気が揺れることすら恐ろしくて。声ひとつあげられないまま。

 わたしは、たった一本の小さな針を両手で痛いほど握りしめたまま。

 レッサーデーモンの『食事』を。

 見続けることしか、できませんでした。


「……っ、……ッ、……、……」


 ホントは叫びたいほど怖かった。

 今すぐ泣きわめきながら、命乞いをしたかった。

 そんなわたしを意に返さず。

 骨なんて関係ないとでも言わんばかりに、レッサーデーモンは人間を食べていく。

 魔物は、人間の柔らかい部分から食べていくものだと思っていました。お腹から食べられていくのが普通だと思っていました。

 でも、真実は違いました。

 力が強く、倫理観が違う者にとって、柔らかいとか硬いとか、そんな物は些細なことでしかなく。骨まで食べ尽くすのですから。柔らかい部位も硬いところも、関係なく歯で噛み砕いてしまう。

 バキバキ、と。

 およそ、食事に聞く音ではありません。

 レッサーデーモンは骨を砕く音を立てて、人間を食べていきました。


「……」


 息をするのが怖い。

 わたしの呼吸音が聞こえた瞬間、レッサーデーモンの興味がわたしに向くような気がして。ひとつも動けなかった。

 足元に、血が流れてくる。

 それは、食べられている人の血なのか。それとも顔を引き裂かれて倒れている金髪の人の血なのか。

 もう分かりませんでした。

 むせかえるような金属のようなにおいが部屋の中に充満していき、あまりの濃い空気に咳き込みそうになってくる。

 それを懸命にこらえて。

 わたしは、震える手で針を持ち続けた。

 きっとナイフを持っていても、同じだったと思う。この針が剣でも同じだった。どんなに素晴らしい剣でも、たとえ勇者が持つにふさわしい神話級の剣だったとしても。

 わたしには、震える手で持つことしかできなかったと思う。

 訓練をしていないからじゃない。

 レベルとか、経験とか、そういうのとはぜんぜん違う。

 単純に、勇気がないだけ。

 怖くて恐ろしくて。

 戦うだけの気力なんて、ぜんぜん湧いてこない。

 今だって逃げようと思えば逃げられるはず。食事に夢中になっているレッサーデーモンの隙を付いてゆっくり静かに外に出れば、逃げられる。かもしれない。

 でも。

 わたしの身体は、動いてくれない。ちっとも動こうとしない。

 ただただ縮こまって、この場所で針を持つことだけ。


「……っ……っ……」


 息が出来ているのかどうかも分からくなってきた。


「ぅくっ」


 苦しくなって、思わず声が出てしまった瞬間――


「ひっ!?」


 レッサーデーモンがこっちを見た。血まみれになった顔で、不気味な黄色い瞳をこちらに向けて、ひび割れたかのような顔で……笑った。


「や、やだ、やだ、こない、で、こないで……!」


 もう後ろなんて下がれないのに、わたしは壁に背中を付けたまま後ずさりをするように足を動かした。

 逃げないと、隠れないといけない。

 壁の、壁の後ろに隠れられれば!

 そんな意味の無い考えが頭の中を支配して、意味不明なまま壁の後ろ行くために必至に足を動かした。

 もうマトモな思考はわたしには残されていませんでした。

 ただただ、死にたくないという一心だけで意識を保つのが精一杯。泣きわめき叫ぶのを必死にこらえ続けるだけしかできなかった。

 そんなわたしをあざ笑うようにレッサーデーモンは口を歪める。

 くちびるの無い、顔の裂け目のような口を三日月の形に歪めて、レッサーデーモンは笑った。

 あざけりだ。

 嘲笑だ。

 馬鹿にしている笑い方だった。

 この魔物は、感情があって、意思があって――知恵がある。

 あぁ。

 だからこそ、今まで誰にも見つからずにこんな場所で潜みながら人間を食べていられたんだ。


「×××××」


 何かを言った。

 ぐちゃぐちゃと人間の肉片が詰まった口で、何か言葉を発したが聞き取れなかった。

 分かったのは、共通語でないということ。ましてや旧き言葉でもなく、エルフ語でもドワーフ語でもなかった。

 聞き覚えすらない未知の言語を話して、レッサーデーモンは立ち上がった。

 メイド服を着た滑稽な姿の魔物。

 その身体がボコボコと膨らんだりへこんだりして……人間の姿になった。

 醜悪。

 その一言でした。

 真四角の長方形だった顔は人間の顔になり、身体も縮んで、棒のような手足も人間らしい膨らみを持ちました。

 バケモノが人間のフリをする。

 それが、どんなに醜悪なのかを理解させられました。


「××××」


 何かを言って、レッサーデーモンはメイドの姿のままわたしに近づく。


「ひッ!?」


 悲鳴をあげることしかできなかったわたしは、レッサーデーモンに近づかれても、手に持っていた針を使うことができなかった。

 殺される、という不安よりも。

 不気味さのほうが増していた。

 人間の形をした……しかも、女の子の形をした物に、針を刺すなんてことが、できなかった。

 醜悪でした。

 この生き物は、本当に醜悪でした。


「××××」


 レッサーデーモンはまた何かを言って、ぐるん、と顔だけを回転させるように後ろを向いた。その後、身体もそれを追うように後ろを向いて、ドアを開けて出ていった。


「な、なに……?」


 助かった?

 よ、良く分かんないけど、と、とにかく、ここから出て……


「あ、あれ?」


 足に力が入らなくて、立てなかった。

 まるで自分の身体じゃないみたいに、いうことを聞いてくれない。血だまりの中に手を付いて、それでもなんとか四つん這いでドアへと向かう。


「はぁ、はぁ、はぁ……!」


 逃げなきゃ。

 逃げないと、逃げないと、殺されちゃう。はやく、誰かに助けを求めて、レッサーデーモンを倒してもらって、それで、それで、それで――


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」


 息が苦しい。指が痛い。足が冷たい。涙が止まらない。

 生きた心地がしないまま、ドアを開けて外へ出ようとしたところで――


「あ」


 戻ってきたメイドに頭をつかまれた。


「や、やだやだやだ! た、すけて! ひぃいいぃい!? いたいいいいいいい!」


 頭が割れそうなほどの強さで掴まれて、わたしは悲鳴をあげた。そのまま放り投げられると壁にぶつかって、床へと落ちる。


「……ぅ」


 痛い。

 何で、何が、どうして、戻って、なにをしてきたのか、どうなって……


「……」


 痛みと涙で視界が揺れる中、部屋の中に新しい犠牲者が増えたのが分かった。

 初老の執事服を着た男の人だった。


「う、ぅ……ぐぅ……」


 執事さんには腕とおなかに傷があり、まだ息があった。でも意識はなくて、うめくように倒れたまま。腕の傷は酷くて、血がどくどくと流れている。服が血の色に染まっていくのが分かった。


「×××」


 メイドの姿をしたレッサーデーモンがまた何かを言って、わたしと執事さんを無視して食べかけだった男の食事を再開した。

 メイドの姿のまま、顔だけがレッサーデーモンに戻って、ガツガツと人を食べていく。

 もう、胴体は残っていない。内臓まで綺麗に食べているので、人の足だけが残されていた。

 人間一体がまるごと食べられていく。

 服だけが残って、その人は血だけを残して消えていく。

 わたしは執事さんの手当も出来ないまま、部屋のすみっこでそれを見ているしかなかった。

 もう。

 ダメかもしれない。

 こんな場所、誰もわざわざ見に来ないもの。

 順番待ちです。

 きっと、今この男が食べられてしまった後は、すでに死んでいる金髪の男が食べられるのでしょう。そうなると、次はきっとわたしの番だ。

 せめて。

 そうなったら、せめて。


「……」


 わたしはずっと持っていた針を再び持ち上げました。すでに指が真っ白になっていて、手をどうやって広げるのかも分からなくなっていた。

 どうせ食べられてしまうのなら、せめて。

 この針はぜったいに離さないでおこう。

 死んでも持ち続けてやる。

 パルヴァスちゃんにもらったこの針が、少しでもレッサーデーモンの食べる邪魔になれば。

 そうしたら、わたしの勝ち。

 たとえレッサーデーモンがわたしの姿に化けたとしたら。もうぜったいにお城で働く人たちは騙されることはなくなる。

 そうなったら、わたしの勝ち。

 ざまぁみろ、です。


「……うぅ」


 でも。

 さめざめと涙がこぼれてきた。死ぬのは怖い。恐ろしい。ちょっと前まで楽しかったのが嘘のように感じられて、身体が再びガタガタ震えてきた。

 助けて欲しい。

 嘘であって欲しい。

 夢であって欲しい。

 そう願いながら、針を向けていると――メイドは、またレッサーデーモンに姿に変わった。

 残った二本の足を床に置くと、そのまま扉まで移動する。

 さっきと同じだ。

 また――

 また犠牲者が増えちゃう。


「――」


 来ちゃダメ!

 って叫びたかった。

 でも、声が出ない。もしも叫んでしまったら、あの恐ろしい爪がわたしに向かって振り下ろされるかと思うと、声が出なかった。

 おねがい、と願うと同時に、ごめんなさい、という言葉が浮かぶ。

 でも。

 それを吹き飛ばすように扉は開いた。


「――!」


 同時にレッサーデーモンが爪を振り下ろし――その子は、攻撃を――避けた。

 金色の髪を揺らして、真っ白なドレスを着て。

 まるで、わたしと同じような――お姫様みたいな女の子が、威風堂々とレッサーデーモンと対峙していた。

 オーガの牙を模したような仮面を付けた少女。


「お控えなすって!」


 堂々とレッサーデーモンに宣言するように、少女は、少女は、少女は、少女は!


「パルヴァス……!」


 その少女は――

 わたしの、友達でした!


「うあ、あああああああ……!」


 だからわたしは。

 もう我慢ができなくなって。

 声をあげて、泣き叫びました。

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を見られても、大丈夫。だってだって、パルヴァスは友達だから。わたしの顔がブサイクだって笑われても大丈夫。だってだってだって、友達ですもの。


「ベルちゃん!?」


 パルヴァスちゃんは、わたしに気づいてくれた。


「おまえぇ! あたしの友達に何をしてんだあああ!」


 そう叫んで。

 レッサーデーモンに立ち向かっていく。

 わたしには速過ぎて、なにが起こっているのか目で追うのも大変でした。とにかくパルヴァスちゃんが助けに来てくれた。

 その真実が嬉しい。

 でも、レッサーデーモンは強くて、パルヴァスちゃんは苦戦してる。

 今のうちに助けを呼びに行きたい。

 でも、相変わらずわたしの身体は鈍く動くことしかできない。今ごろになって、足の痛みを思い出した。

 そういえば、足を切られたのでした。

 切った本人たちは、ひとりはもう足しか残っていなくて、もうひとりは死んでいます。

 今さら文句を言うこともできないですが、悪態を付きたくなりました。

 おまえ達のせいで、パルヴァスちゃんが作ってくれたチャンスが活かせないじゃないか。

 と――


「ぐえ」


 パルヴァスちゃんが投げ飛ばされるように部屋へ戻ってきた。苦しそうにもだえるパルヴァスちゃん。でも、それを追ってきてレッサーデーモンも部屋の中に入ってきた。


「あ、ああああ! パルヴァス、起きて!」


 パルヴァスちゃんに向かって腕を振り下ろすレッサーデーモン。

 それを受け止めるように――

 立ち上がったパルヴァスちゃんは、両手をあげた。

 ロープみたいなのを持ってて、それで防御するつもりだけど――

 一瞬の引っかかりのあと、ロープは切れて、爪がパルヴァスちゃんの身体に食い込んで、引き裂いた。


「パルヴァス!」


 真っ白なドレスが破れ、血が線を引くように床にこぼれた。


「ご、ごめ……」


 パルヴァスちゃんは謝りながらも倒れ、傷をおさえるように身体をうずくませた。


「や、やだ……やだやだやだパルヴァス! パルヴァス!?」


 致命傷じゃない。

 服を破られただけだ。恥ずかしいから身体を隠してるだけ。

 そう思っても、現実が邪魔をしました。

 みるみる白いドレスが赤く染まっていく。切り裂かれたドレスが、どんどん赤く染まっていくのが、うずくまった状態でも分かってしまった。

 苦しそうにパルヴァスが息をしている。

 それを見て。

 レッサーデーモンは、笑っていた。


「なにが――なにがそんなに面白いのです」


 友達が。

 わたしの友達が。

 パルヴァスちゃんが苦しそうにしているのが!

 そんなに面白いというのですか!


「う、ううう、ううううううう!」


 ようやく動いてくれたわたしの身体。

 ぶるぶる震える手で、わたしは針をかまえました。

 これ以上――

 これ以上、パルヴァスちゃんに手は出させない。

 これ以上、わたしの友達に手を出させるものですか!


「ふー! ふー!」


 息が苦しい。

 でも、それ以上に。

 パルヴァスちゃんが殺されそうになったことが、苦しい!


「××××」


 にちゃぁ、と笑いながら。

 レッサーデーモンが何かを言った。

 言葉が通じなくても、意味は分かりました。

 きっとこう言っているのでしょう。


「弱いくせに」


 と。

 知っています。

 重々承知しています。

 ですが。

 ですが!

 わたし、これでも姫ですので。

 パーロナ国の末っ子姫、ヴェルス・パーロナです!

 友の危機に部屋のすみっこで泣いて命乞いをするなど、一族の恥。たとえ殺されたとしても、神さまに褒めてもらえるのなら本望です!


「さ、さぁ、こ、ころ、殺すなら。殺すならわたしからにしなさい下郎!」


 がくがくと震える手で。

 わなわなと震える口で。

 わたしはそう宣言しました。

 パルヴァスちゃんを守って死にましょう。

 ホントはめちゃくちゃ怖いですけど。

 ホントは少しも死にたくないですけど。

 でも、友達を守って死んだとあれば、お父さまもお母さまもお兄さまもお姉さまも、きっと神さまだって褒めてくださいます。

 歴代のパーロナ国を統治したご先祖さまも褒めてくださいますでしょう。


「×××」


 その言葉が通じたのか。

 それとも気まぐれだったのか。

 レッサーデーモンはその凶悪で不気味な三本の爪を振り上げました。


「う、ううううあああああああ!」


 それに対して、わたしは小さな針を向けることしかできませんでした。


「ぎゃぎゃぎゃ」


 笑い声。

 振り下ろされる爪。

 わたしは覚悟を決めて目を閉じ――


「君の勇気に敬意を評する」


 その声に。

 目を開けました。

 振り下ろされるはずの爪は、その人に受け止められていました。


「え?」


 そこに立っていたのは、執事服を着ていた男の人。

 まるで。

 まるで英雄譚に出てくる勇者みたいに。

 その人はわたしを助けてくださいました。


「あとは任せろ」


 その人は――

 わたしにとっての『勇者さま』だったのです。

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