~姫様! すがるのは、たった一本の小さな針~
目隠しをされて、声が出せないように口に布をまかれて。
あまつさえ、頭の上から袋のような物をかぶせられて。
わたしは、どうやら男の人に肩に担がれて運ばれているようです。
「……」
ジクジクと切られた足が痛い。
いったいどれくらいの傷なのか、血は止まっているのか、不安で不安で仕方がなかった。ちょっと血が出ているくらいか、それともポタポタと血が流れ続けているのか。
確認しようにもわたしの手はぎゅっと強く握られたままで。
目隠しや口を覆う布を外すこともできませんでした。
「ぐ……くっ」
油断すると嗚咽を漏らしそうになる。
恐怖に押しつぶされて、泣きわめきたくなってくる。
どうしようもないくらいに。
わたしは弱い人間でした。
「おら、泣くなよ。泣いたら傷が増えるぜ」
太ももの後ろあたりに冷たい感触でペチペチと金属が当てられる。きっとナイフだと思う。また足を切られると思うと、怖くて怖くて、声を押し殺すしかなかった。
泣くことすら許されず。
わたしは歯を喰いしばって、耐えることしかできませんでした。
何が起こっているのか。
どうなっているのか。
まったく分かりませんでした。
自分がどこへ連れられて行くのか分からない。
どうしてマルカは助けてくれないのか、分からない。
どうしてメイドも助けてくれないのか、分からない。
どうしてわたしが狙われているのかも、分からない。
分からない。
「立派なドレスだね。ふふ、綺麗な物はいいよ。肌ざわりも素晴らしい。君はそう思わないかい?」
「はん。オレには関係ない話だ。脱がせるのは好きだが、ガキに興味はないね。まぁ、どんな綺麗な姉ちゃんだろうと、お手付きをしたら契約違反。こっちが殺されちまう」
「ふーん。意外と律儀なんだねぇ。ちょっとくらい楽しんでもいいと思うけど。でも、他人が傷つけたものはいらないかなぁ。君が傷物にしなければ、舐めたいくらいに美しい足だったのに」
袋の外からくぐもった男の声が聞こえてくる。
まるで他人同士みたいな会話。
わ、わたしを誘拐するのに、どうしてそんなにチグハグな会話をしているんでしょうか?
「――いっ!?」
突然、足に激痛が走り、思わず声をあげてしまう。
なにが起こったのか分からなかったけど、どうやら担いでいないほうの男がわたしの傷を触ったみたい。
「おら、暴れんな!」
「ひっ!」
そんなこと言われても、痛かったら声をあげてしまいますし、身体も動いてしまいます。
「ふふ。いい悲鳴をあげてくれそうじゃないか」
その言葉にゾッとした。
わたしを誘拐するということは――パーロナ国の姫を誘拐するということは、莫大な身代金を目的としていると考えられました。
ですので、命の保障はある。
そう考えていたのですが……目的が、違ったようです。
「おまえ変態だな」
「サディストと呼んで欲しいな。女の子の悲鳴はどんなものでも美しいと思うよ。こんな僕でも少女の悲鳴は聞いたことがなかったのでね……ふふ、楽しみだなぁ~。いったいどんな声で泣くんだろう。いっぱい懇願して欲しいね。許してくださいと僕に願うのが楽しみでしょうがないよ」
「やっぱり変態じゃねーか」
呆れるような男の声を聞きながら、わたしはガタガタと震えました。
まさか、と思いました。
だって。
だってわたしのような女としての魅力もない人間に、そんな劣情を抱くなんて。そんなはずはない、と思っていました。
わたしを狙うよりも、お姉さまや……それこそマトリチブス・ホックの皆さんのほうがよっぽど魅力的じゃないですか。
どうして。
どうしてわたしなんでしょう……
「とりあえずオレが先に捕まえたんだから、ぼっちゃんに渡すのが先だからな」
「分かってますよ。だからこうして大人しく付いて行ってるんじゃないですか。争って奪い合いをするなんてナンセンス。女の子はみんなの物ですから。君のいう『ぼっちゃん』が楽しんだあと、僕はほんの少しおこぼれをもらう程度でいいよ」
「まともなこと言ってるようで、狂ってるなぁ」
「誘拐犯に言われたくはありません」
「違いない」
ゲハハ、と男が笑う。
わたしはもう、身を縮こませることしか出来なかった。聞こえてくる内容が、およそ人間が話してる言葉には聞こえない。むしろ、魔物が共通語を話していると考えたほうが理解できました。
そのまま連れられてどれくらい歩いたことか。
どうやら階段を降りているらしい振動があった。見えてませんし、怖さと痛さで震えてもいましたので、あまり確かではありませんが。
もしかして――
お城から出る階段でしょうか。
そうしたらぜったい衛兵が止めてくださるはず!
見回りの衛兵さまにはちゃんと挨拶していますし、ときどき門番の方にも会ってお話をしたりしていますもの。
だから、わたしは嫌われているはずありません。
ぜったいに助けてくださるはず!
「……」
そう思っていても、一向に男たちに声はかけられませんでした。誰ともすれ違うことなく、誰にも出会うことなく、歩いていく。
つまり、降りた階段はお城から外へ出る階段ではなかったということ。
そうだとすると……いったいどこの階段なのでしょうか。それなりに下りていく段数が多くて、静かで誰もいない場所……
地下、でしょうか。
「っ」
それを思いついた瞬間、わたしはびくりと震えました。
今日、初めて存在を知った場所。
わたしには今まで誰も教えてくれなかった場所。
危険だからといって、存在を秘密にされていた場所。
そこでは……夜な夜な『接待』が行われていて。その接待っていうのは、それこそ娼婦の役目であって。
もしかして――貴族の誰かが、わたしを目的として拉致したのでしょうか。
お父さまに恨みがあって。
それを娘のわたしにぶつける……
「……っ」
より恐怖が具体的になった気がして。
わたしは目を硬く閉じました。
もともと目隠しをされていて、何も見えない。それでも、現実が怖くて。いま起こっている事実が恐ろして。
なにもかも嘘であって欲しい。
夢だ。
いま起こっているのは夢の中で、ホントのわたしはベッドの中でスヤスヤ眠ってるに違いない。
そんな願いを込めて、わたしは目をギュっと閉じました。
男たちの歩く靴音が変わり、階段を下りていくような感じで伝わる衝撃が終わりました。また真っ直ぐに歩く感じにかわり、いよいよ地下に降りたことが分かります。
昼間は。
パルヴァスちゃんといっしょに降りた昼間は、あんなにも賑やかだったのに。大勢の人々で溢れていたっていうのに。
夜になると、皆さんは家に帰ってしまったのでしょうか。
シン、と静まり返っています。
もしかしたら。
貴族のパーティが開催されているから、でしょうか。貴族の方々に迷惑にならないよう、職人やメイドを家へと帰したのかもしれません。
騎士のひとりも歩いていないなんて、衛兵すら見回っていないなんて、おかしいですもの。
狙われたのでしょうか。
このタイミングを待たれていたのでしょうか。
でも。
わたしのお誕生日会は秘密のはずでした。
もともとお父さまが気まぐれで提案しただけの、ちょっとしたお遊びみたいな話で。それを知っているのはお城の関係者だけ。
それこそ城の衛兵は知っていても貴族たちは知らない。
なので……わたしの行動は、貴族には知られていないはず……なんて考えるのは、ムシの良すぎる話ですよね。
お誕生日会くらいの情報。
簡単に流出してしまうことくらい、わたしにだって分かります。
だって、狙っているのがわたしでしたら、わたしに関わる情報はなんとしても手に入れようと思いますし、それこそお誕生日会くらいの情報でしたら、命に関わる秘密でもなんでもないですから、衛兵の方々も普通に喋ってしまうのではないでしょうか。
「……」
そう思うと。
どうして、こんなにも自分はマヌケだったのか、と思ってしまう。
ちょっとした嫌がらせみたいにジュースをいっぱい飲んで、わざとおトイレに行きたくなったりして。
そんな子ども染みた反抗心を抱くなんて、馬鹿でした。大馬鹿でした。パーロナ国設立以来の愚か者でした。
もう11歳だというのに。
もうすぐ大人という年齢になったというのに。
マルカも呆れて、助けてくれないのも分かります。
わたしが同じ立場だったら、一度くらい痛い目を見ればいい、と突き放してみるでしょう。
そして、助けてあげてからこう言うのです。
「分かったでしょう?」
と。
その一言で痛いほど理解できますし、身に沁みます。
それが分からないのであれば、もう手遅れ。
娼婦でも奴隷でも、なんにでも成り下がってしまえばいいのです。いいえ、娼婦などという立派に仕事をしている人に失礼ですよね、こんな考え方。
奴隷なんていう制度はありませんので、わたしが世界唯一の奴隷になりましょう。
「……」
また目隠しにジワリと涙が滲んでいく。
覚悟を決めたい。
でも、その覚悟が決められなくて、ガタガタと震える身体は一向に止まる気配もなくて。
静かに地獄へ向かっている様が――
「ガッ!?」
え?
突然に音がした。なにか大きな音と共に男の人の声が聞こえた。
「なんだ!?」
わたしを担いでいる男も驚いたみたいで、声をあげる。やけに、その声がウワンと周囲に響くような気がした。
もう、地下の部屋の中なんでしょうか。
昼間はトンテンカンと鉄を打つ音も響いてましたし、人々の騒がしい声も聞こえていたので分かりませんでしたが。
「ひっ!?」
そんな声が聞こえたかと思うと、わたしは一瞬の浮遊感を覚えました。
悲鳴をあげる間もなくわたしの身体は通路に落ちて、ガチンと身体を打ち付ける。痛さとショックで悲鳴をあげそうになりましたが、懸命にこらえました。
「××××」
なにか声が聞こえました。
わたしを誘拐した男たちとは違う声。
もしかして、助けてくれたのでしょうか!
「あいふぁほ――へ!?」
お礼を言おうと布を巻かれたまま喋りましたが――足を持たれて体が引っ張られていく。
なんで?
そう思う暇もなく、ましてや遠慮もされることなくズルズルと引っ張られていく。
「え? え? え?」
なにが起こってるのか、分かりません。
それでも、なにか状況が変わったんだと思って、手を動かしました。震える手をなんとか動かしてみる。
足を引っ張られている状態ですので、ズルズルとかぶせられていた袋が外れそうな気がした。
と思った瞬間――
「いっ――ひゃ!?」
足が痛いほど握られたかと思うと、身体が投げられるように飛ばされた。
一瞬の浮遊感と衝撃。
なにか柔らかい物にぶつかったおかげでそこまで痛くありませんでしたが、もう何がなんだか分からなくて、またしても涙が出てきました。
「×××××」
またしても聞こえてきた声。
上手く聞き取れないし、男とも女とも分からない声でした。
それこそ、人間ではないような――
「……っ!」
嫌な予感がして、わたしはバタバタと手を動かした。頭からかぶせられている袋が外れたみたいで、息苦しさが減る。
慌てて口に巻かれていた布を外し、息を吐きつつ、目隠しを外した。
そこは――どうやら部屋の中でした。
地下に並んでいた、あの接待に使われている部屋のひとつ。通路の中間あたりで見た、ベッドのある部屋と同じ構造で、そこそこ大きな部屋。
それなりに人が使ってたみたいで、いろいろ服が散らばっていた。
見たところ、メイド服が多いけど……男性用の服もわずかに混ざっている。
洗濯物を置いておく部屋かと思いましたが――
「あっ」
わたしの近くに倒れていた男。
線の細い男性のようで、使用人のような服装をしていました。金髪の長い髪。それでもがっしりとした雰囲気があるので男性と分かりました。
うつ伏せで倒れているのですが、そこからドクドクと血が流れ出ていた。まるで水たまりのような血だまりが、今まさにできていっている最中だった。
つまり……今まさに怪我をしたということ。
たいへんだ!
慌ててその男の人を助け起こそうと仰向けにしたのですが――
「ひっ!?」
顔が。
顔が、4つに……まるで三本の線を縦に引いたように……裂けていた。
「あ、わ、あ、え」
何を言っていいのか、いえ、どうなって、え、いえ、なにが、なにが起こって――
「じゅぶ、ぺちゃ、ぴちゃり」
そんな音が聞こえて、わたしは顔をあげた。
いえ、思い返せば初めから聞こえていた気がする。混乱しっぱなして、目の前に見えていたものしか対処できていなかった。
最初から、それは、そこにいた。
メイド服を着た、ソレ。
赤黒い肌に、細い手足。爪は異様なほど長くて、後頭部が突き出したような形をしている。
およそ、人間種ではない。
ソレは。
まさに。
「悪魔……」
レッサーデーモン。
小さな悪魔。
それが。
それが美味しそうに……人間を、さっきまで人間だった物を、その頭を、まるで、まるで果物をかじるように――食べていた。
もう、その人がどんな顔をしていたのか分からない。
だって頭がもう無くなってしまっていたから。
でも、その人がどんな顔をしていたのか、分かってしまった。
ボコボコと悪魔の顔が形を変え、人間の顔になっていく。体型まで変わっていき、メイド服がパツパツになっていった。
まるで冗談のような女装した姿になって。
レッサーデーモンは、人間の男の顔をしたまま。
笑った。
「――」
わたしは。
わたしは恐ろしくて、怖くて。
泣きそうになりながら、手に取ったのは……ドレスの胸元に隠していた、小さな小さな針でした。
レッサーデーモンは、そんなわたしを気にも留めず食事を続けた。
あぁ、そうか。
そういうことだったのですね。
道理で最初の犠牲者以外、見つかっていないはずだ。
だって。
顔を食べるってことは、全身も食べられるっていうことだ。
きっと、一番最初のひとりは運が良かったのでしょう。
誰かに見つかりそうになったので、レッサーデーモンは慌てて顔だけ食べて逃げたのだ。
その後、レッサーデーモンは人間のフリをしてメイドに近づき、食べた。遺体が残らないようにその全てを食べ尽くしたんだ。
メイドならば会話をしなくても怪しまれないし、それこそ城の中には大量のメイドがいる。いちいち顔なんて覚えられてないでしょうし、ウロウロしていても不思議じゃない。
食べたメイドの知り合いにさえ出会わなければ。
きっと、永遠に食事を続けられる。
レッサーデーモンにとって、運が良かったのでしょう。
逆に。
お城にとっては運が悪かったのかもしれない。
タイミングが最悪でした。
きっと、貴族パーティなんて無かったら。もっと早くに正体が明らかになって、対処されていたはず。
ガチガチと歯が鳴るのを懸命にこらえながら。
わたしは針をかまえた。
小さな小さな、わたしの武器。
友達にもらった、わたしの最大の武器をかまえながら。
「助けて」
わたしは。
小さくそうつぶやくのが精一杯でした。
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