~可憐! まるっとお見通しだ!~

 ラディオス・デファルスという男の子の視線は、路地裏であたしを見てきた何人かの男と同じものだった。

 害意が含まれた好意の視線。

 それは、粘つくドロっとした視線で、ゾゾゾゾと背筋が震えるようなもの。

 好意は好意でも、やっぱり何か嫌な視線だ。

 だからあたしは。

 路地裏で生きていくために泥水に飛び込んだ。

 髪から顔から、手から足から、全身に泥を付けて汚れてしまえば、見るからに不衛生で、早々と好意なんて向けられないし狙われない。

 女だったら何でもいいって考えの男たちは、それであたしへ視線を向けなくなった。

 汚くて小さい女になれば、魅力も何にも無いただただ骨と皮だけの小さい生き物になってしまうわけで。そうなると、そんな粘っこい視線は誰もあたしに向けてこなくなった。

 まぁ、つまり。

 ラディオスくんは、あたしにえっちなことがしたいらしい。

 粘つくような嫌な視線で、頭から足の先まで見てきた。

 師匠の視線とはぜんぜん違う。

 なんていうか、師匠の視線はもっとサラサラしてる感じ。そりゃえっちな感じで見られることもあるんだけど、そういう時は師匠から視線を外してくる。できるだけあたしを見ないようにしてる。

 そういうところが、ちょっと可愛いとか思っちゃう。師匠はあたしを好きにしてもいいっていうのに。意気地なし。でもそういうところが好き。

 でもラディオスくんは、そういうのを隠そうともしないであたしを見てる。

 バレバレで隠そうともしてないのは何でなんだろう?

 まぁ、いっか。

 それにしても――

 学園都市でスライム退治に余ったお酒を飲んでおいて良かった。

 ラディオスくんから渡されたジュースに、お酒の味――酒精って言うんだっけ?――が混じってるのが分かった。

 もしもあの時、サチといっしょにワインを飲んでなかったら気づけなかったかもしれない。

 危ない危ない。

 あたし、結構お酒には弱いっぽいのでフラフラになっちゃうところだった。


「ぷは。美味しい~」


 とりあえず、気づかないフリをしておく。

 でも困ったなぁ。

 ラディオスくんは『敵』じゃないよね。アルゲー・ギギと繋がってるわけじゃなさそうだし、なんといっても偉い貴族さまっていうのは間違いないわけで。

 やめてください、とか、なにするんだ、とか言うと問題になっちゃいそう。ちゃんと対応しないとイヒト領主さまに迷惑がかかっちゃう……とか?

 う~ん?

 とりあえずラディオスくんの目論み通りに動いてみよう。上手くいったと思わせておいて、対応すればイヒト領主さまにも迷惑がかからないはず。

 貴族の世界って難しい。

 穏便に対応しないといけないよね。


「ん~ふふ。今日は楽しいね、ラディオスくん」

「あぁ、そうだねサティス。ほら、もっと飲んで」


 むぅ。

 やっぱりジュースに入ったお酒を飲ませようとしてくるし、狙いは酔わせることで間違いなさそう。

 仕方がない。


「うん。……ん、ふぅ。あれ? なんだか暑い」


 酔ったフリをしておこう。

 確か、酔っ払ったときって身体が熱かったので、パタパタと手で顔をあおった。自由に顔を赤くできればいいんだけど……今のあたしにはまだ無理!

 いわゆる『詐欺』で使う技術として、顔色を自由に変えるスキルがあるらしい。

 だけど、師匠は使えないみたい。

 師匠が覚えてないスキルの習得は難しそう。盗賊ギルドに頼んだら教えてもらえたりするのかも?


「大丈夫かい? あぁ、暑いのであればこっちの冷たいジュースはどうだい?」

「うん、ありがとう」


 とりあえず冷たいコップで顔を冷やす演技をしておいてから、受け取ったジュースを飲む。

 うん、予想通り!

 これめっちゃお酒じゃん!

 もう隠すつもりがぜんっぜん無いってくらいにお酒の味じゃん!


「ん……ふぅ……はぁ~……あ、あれ?」


 もう勝負を決められに来たので、あたしはフラフラ~っとよろけるフリをしてラディオスくんに背中を向けるようにしてうずくまった。

 確かに酔ってしまう量のお酒だ。

 でも、デロデロに泥酔するレベルじゃないので、まだ大丈夫。

 あたしはうずくまったまま、素早くスカートの中のツールボックスから特別に仕込んでおいた針を取り出し――自分の太ももに刺した。

 まさか。

 まさか自分に使うなんて思っても見なかった……!

 ちくり、と軽い痛みがあって、あたしの身体はぐにゃりと力が抜けていく。

 マニューサピスの毒。

 まるで酔っ払ってしまったみたいになっちゃうので、演技が下手っぴなあたしには丁度いい毒だ。

 ほんとはラディオスくんに刺すのがいいんだろうけど、こんなところでラディオスくんが倒れたら大騒ぎになるし、きっとあたし捕まっちゃうので。

 ぐにゃりと力の入らないあたしを見て、ラディオスくんはすっかり酔ってしまったと判断して、なにやら執事さんと会話をした後にあたしをおんぶした。他にも何人かラディオスくんに味方をしてくれている人もいるっぽい。

 なにせ、ジュースにお酒が混じってたので。このジュースを用意したあのウェイターさんもグルに違いない。

 おんぶされたままパーティ会場の外へ出て行くみたい。

 ヤバイ……

 このままじゃちょっと毒が効き過ぎてるので、普通に襲われちゃう!

 ちょっと時間を潰さないとマズイかも。

 え~っと、どうしよう?

 そう考えている間にも会場の外に出た。

 ん――?


「……?」


 なんか、ちょっと騒がしい感じがする。

 いや、雰囲気的には人気がなくて静かなんだけど、どうにも空気がピリピリしていた。人の気配は遠いのに、まるで周囲が見張られている感じ。

 なんだろう?

 とっても偉い貴族さまが来てるから?

 おっと。

 そんなことより、あたしの身を守らないと。


「おひっこ」


 とりあえず時間を稼がないといけない。


「トイレに行きたいのか。それなら部屋にもあるから――」

「もへふ~。ここでひへいい?」

「だ、ダメだめ。汚いからちゃんとトイレでしてくれ。じい、近くのトイレはどこだ?」


 毒で口がまわらないけど、なんとか伝わったらしい。

 ラディオスくんにトイレの個室に連れてってもらった。


「脱げるかい? 手伝おうか」

「ひゃいひょーぶ。でてってー」


 平気で女子トイレに入ってくるラディオスくん。

 実は相当な大物では?

 でも師匠も女子トイレに侵入してたことがあるし、男の子的には平気なのかも?

 まぁとりあえず、なんとか時間を潰すことに成功しそう。


「……?」


 ん?

 誰か女子トイレに入ってきたっぽい。まさかラディオスくんが覗きに!? とか思ったけど違った。普通に誰かが入ってきただけな感じ。

 う~。

 なんか知らない人のおトイレの音をじ~っと聞いてるってなんか申し訳ない感じがする。


「――、そこ――メイド――」


 と、なんだか慌てるような声が聞こえてきた。

 メイド、という単語は聞き取れたけど、それ以外は分からなかった。そうこうしていると、さっき入ってきた人が出ていく音が聞こえてきた。

 それと同時になんだかバタバタした音が聞こえてきて、再びしーんとした空気になる。


「?」


 なんだったんだろう?

 まぁ料理人とかメイドさんとか忙しそうだしなぁ。慌てておトイレに来たメイドさんだったのかもしれない。


「よし」


 だいぶ毒が抜けているのが分かった。

 これくらいなら、多少はフラフラでも動けそう。

 まだ上手く足が動かないので、フラフラとしながらトイレを出るとラディオスくんがイライラしながら遠くから歩いてきた。

 待たせ過ぎてどこか歩き回っていたのかもしれない。


「ごめんね、待っててくれてぇ~」

「これくらい問題ない。さぁ、おんぶするから」

「はーい」


 背中を向けるラディオスくんに、わざとどーんとぶつかるように乗っかった。

 ちらりと執事さん――ラディオスくんは『じい』と呼んでたっけ――を見ると、ちょっと難しい顔をしている。

 ラディオスくんからは見えないので、執事さんと視線を合わせてパチパチとまばたきをした。

 大丈夫ですよ、問題ありません。

 そんな視線に意味を込めてみたんだけど……伝わったかな?


「さぁ、ゆっくり休める場所に連れていってあげるから。大人しくしているんだぞ、サティス」

「はーい」


 むにむにとお尻を触ってくるラディオスくん。

 むぅ。

 さっきは毒で麻痺してたから分かんなかったけど、エッチだなぁ。

 あとで覚えてろよー。

 ラディオスくんはあたしをおんぶしたままズンズンと早足で進んで行く。やっぱりお城には人の気配が無くなってるっていうか、貴族さまが集まってるだけあってみんなは大人しくしてるような印象かな。

 ちらほらとメイドさんは見かける。料理を運んでいる料理人の姿も見かけるけど、やっぱり少ない。

 そんな静かなお城の中をラディオスくんは進んで行き――地下への階段を下りていった。

 なるほど。

 あの奥にあった部屋を使うつもりだな。

 さすがに夜ともなると、地下で働いていた人たちはいない。シン、と静まりかえっていた。

 なんか地下が不気味に感じられるのは気のせいかな。

 不気味っていうか、なんか不穏な感じ。

 まるで魔物が潜んでいる洞窟の奥へ向かって歩いて行くような……なんかそんな雰囲気を感じた。

 まぁ、言ってしまえば今のあたしって誘拐されてる最中っていう感じなので。到着した先で犯されちゃうからそう感じてるだけかもしれないけど。


「着いたよ、サティス」


 ラディオスくんが立ち止まったのは、アルゲー・ギギのいる一番奥の部屋より手前側。

 扉に刻まれていた動物はツノの付いた鹿っぽい生き物。鹿でいいのか、それとも別の動物だったのかは、ちょっと分かんない。

 部屋の規模は中級かな。

 中に入ったラディオスくんはあたしをベッドにおろす。

 まだ酔っ払ったフリをしていたほうが良さそうなので、あたしは素直にベッドに寝ころんだ。

 ふわっふわのベッドで、物凄く寝心地がいい。


「す、ふにゃ~」


 思わず、すごい、と言ってしまいそうになるのを適当な言葉でごまかしておいた。


「ふふ、可愛いなぁサティス。もうすぐ君の願いが叶うからね」


 あたしの願い?

 え? なんのこと? なんかして欲しいとかラディオスくんに言ったっけ?

「じい」

「はい、なんでございましょう」

「なんでございましょう、な訳があるか。おまえは誰も来ないように見張りをしているんだ。もちろん誰が来ても中に入ることは許さん。ここからは僕とサティスだけの愛の時間が始まるんだからな」

「承知いたしました。ぼっちゃん、くれぐれも……」

「なんだ?」

「くれぐれも、女性の扱いは優しく。それが基本ですぞ」

「ふん。言われるまでもない。この僕がいつ女の扱いを間違ったというんだ。みんな喜んで僕の言う事を聞くぞ。サティスもそうなるんだからな。ふひひひ」


 嫌らしい笑い声をあげるラディオスくん。

 まるで悪い大人みたいな笑い方だなぁ。


「見張りを頼むぞ、じい。誰にも邪魔はさせないでくれ」

「分かりました」


 ちらり、とあたしに視線を向けてくるじいさん。じいさんって呼ぶとお爺ちゃんみたいな雰囲気になっちゃうので、なんか呼び方が難しい。

 大丈夫です、安心してください。

 ぼっちゃんは無事に倒しますので!

 パタン、とドアがしまると同時にラディオスくんはくるりとあたしに振り返る。なんだかまるでケモノになったみたいな目で、あたしを見た。

 はっきり言って、怖い。

 魔物と戦う時とは違った、なんていうのかな、なんか嫌な感じの怖さ。同じ人間種のはずなのに、まるで別の生き物のように見えた。

 灯りの乏しい部屋の中。

 ラディオスくんがベッドに乗ってくる。

 ギシリ、と重さを示すようにベッドが軋む音を立てた。

 四つん這いのまま、ラディオスくんは舐めるようにしてあたしを足先から顔までを見てくる。さっきまで浮かべていた笑みが消えていた。

 かわりに、はぁはぁ、と荒い息が聞こえる。

 震える手があたしの顔に触れた。ねっちょりと手汗を感じる。そのまま顔から首、首から肩へと手がおりていき、身体をなぞるようにして腰に触れ、そのまま足へと下りていく。

 スカートの上から足を触って行き、ようやく肌に触れた手を、また上へと戻していく。


「はぁ、はぁ……もうすぐ、もうすぐ触ってあげるからね。ふひ、ひひひひひ」


 ラディオスくんの手がスカートの中に入り、脛から膝へ、そのまま太ももへと触れてくる。


「あぁ、なんてスベスベな肌なんだ……サティス、サティス。かわいい僕のサティス。さぁ、いっしょに大人になろうね」


 ラディオスくんは、あたしに覆いかぶさるように顔を近づけてきた。

 だからあたしは――


「やだ」


 と、正直に答えた。

 え?

 と、ラディオスくんの驚いた顔を浮かべる。

 にへら、と笑ってから――あたしは手にず~っと持っていた毒の付いた針をぷすっとラディオスくんの首へと刺した。


「いたっ!? な、なにを――あへ」


 と、そんなマヌケな声をあげてラディオスくんはぐにゃりとあたしの上へと倒れてきた。


「……重い」


 太ってるラディオスくんに潰されてしまったあたしは、そこから抜け出すと、ツールボックスからマニューサピスの毒の入った瓶を取り出した。もうちょっとだけ針に毒を付着させてラディオスくんに刺しておいた。


「よし、これでしばらく動けないからね」

「あわわやあわああわあ」

「あはは、なに言ってるのか全然わかんない。でもラディオスくん。女の子を無理やり襲うなんてダメだからね」

「はひほひっへふんは。ひひはほふをもほへへひははふは」

「いや、マジで何言ってんのか分かんない」


 呼吸も大丈夫そうだし、このまま放っておいても大丈夫そう。あとは執事さんにお任せして、あたしはイヒト領主さまの護衛に戻らないと。

 というわけで部屋の外に出たんだけど――


「あれ?」


 見張りをしているはずの執事さんの姿が、どこにも無かった。

 誰もいない、ただただ不気味な地下通路。

 シン――と静かで真っ直ぐな通路が、なぜか嫌な予感を増長させている気がした。

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