~可憐! そよかぜのような清涼感のある息になりました~
師匠はなにやら夜に確認作業があるらしく。その準備ということで、お外に出掛けていた。ちょっと危ないということでお手伝いもできないみたい。
というわけで残されたあたしは――
「はい、いち、にぃ、さん、しぃ……くるっとまわって、ターン、たん、たんたん」
相変わらずダンスの練習でした。
しかもお相手はルーシュカさま!
ルビー相手だったらぜんぜん平気なんだけど、相手がルーシュカさまってことになったら、緊張してどうしても体がこわばってしまう。
「これだけ一緒に過ごしても、まだダメなの?」
「うぅ、すいません」
ルーシュカさまはイイ人っていうか、怖くない人っていうのは分かってるんだけど。でも、やっぱり貴族で偉い人なので、足なんか踏んじゃったらすぐさま首をはねられるんじゃないのか、って思ってしまう。
「絵本の見過ぎじゃないかしら。その程度で領民を殺してしまう領主とか今どきいないわよ。というか、そんな内容の絵本も無いと思うけど」
基本的には絵本みたいなのは子ども向けっていうか一般的な平民向けの物なので、貴族さまとか大商人が悪役になっていることは多い。
不正をしていた貴族が子どもの正しい言葉で改心して謝ったり、勇気ある少女の行動で悪いお姫様がつかまっちゃったり、魔法使いが大商人の不正をあばいたり……みたいな。
それを甘んじて受け入れるのが貴族の心の広さ、みたいなのかどうかは知らないけど。絵本を描いた人が怒られた、みたいな話は聞いたことがない。
最近の新しい絵本だと、処刑される貴族の話は減っているのかなぁ。
あたしが孤児院にいたころは――あぁ、そんな記憶は無かったことになっているので、忘れちゃったや。うん。
まぁ、大昔から伝わってる物語に、そういう内容が多いのかも?
学園長に聞いたら何か教えてくれるかもしれない。でも、ぜったい話が長くなるし、きっと現在の絵本作家さんと過去の絵本作家の違いを教えたくて仕方がないと思うので、やっぱり話を聞くのをやめておこう。
と、思った。
「はい、よろしい。ちょっと休憩ね」
一通りのダンスを無難に踊り切れたので、休憩となった。
「ふへぇ~」
あたしは大きくため息をつく。
「むっ」
そんなあたしに対してルーシュカさまはちょっぴり眉根を寄せる。
えっ、なにか失敗しました?
ため息をつくなんて貴族らしくない、とか!?
そんなの無理ぃ!
「ちょっとパルヴァス――」
サティスじゃなくてパルヴァス!?
もしかして、相当なことをしちゃった!?
なにやらルーシュカさまが腰に手を当ててあたしを怒ろうとした時、コンコンコン、とドアがノックされた。
助かった!
怒られずに済むっ!
「どうぞ」
ルーシュカさまの声に、失礼します、と入ってきたのはメイドさんのルーシャだった。猫耳をペタンと折りたたむようにして入ってきたので、もしかしたら部屋の中の雰囲気を察したのかもしれない。
大丈夫ですルーシャ。
ナイスタイミング!
心の中でルーシャに感謝しつつ、あたしはこっそりと後ろへ下がった。ヒールにも慣れてきたので足音と気配を殺して、窓際まで下がる。
これですぐには怒られないぞ~。
いざとなったら逃げよう。
うん。
逃走ルートは後ろの窓からだ。今の内に魔力糸を仕込んでおいて――
「ルーシュカさま、お客様がいらっしゃいました。えっと、デファルス家の方々です」
あれ?
今まではお客様が来たことは伝えていたけど、わざわざ誰が来たとか、そういうのは一切ルーシャは伝えてこなかった。
でも、珍しく名前が告げられた。
デファルス家?
貴族の人なんだろうけど……もしかして、すっごく偉い人なのかな? 超重要人物だから、気を付けろ、みたいな?
デファルスっていう名前は聞いたことないので王族じゃないと思うけど。それでも、王族に関係する人かもしれない。分家とか?
「そう、分かったわ」
あたしを怒ることをすっかり忘れたようにルーシュカさまは、ふぅ、と強めの息を吐いて対応するため部屋の外へ向かった。
でも、その前に――
「パルヴァス」
「ひゃい!」
いきなりクルっと振り返るもんだから、めちゃくちゃ油断してて変な返事になっちゃった。
「あなたお昼ごはんに何を食べました?」
「お、お肉です」
「にんにく食べたでしょ」
「あ、はい。たっぷりのにんにくを揚げた、あのカリっとした食感が美味しくて、それがアクセントになるっていうか、お肉の味をひきあげてくれて、めちゃくちゃ美味しかったです。夕飯も同じのがいいなぁ~。あ、いいと思いますです」
「言葉遣いはどうでもいいけど、あなた」
「はい」
「口がくさいわよ」
「……ふえぇ!?」
なんとかしなさい、と言ってルーシュカさまはスタスタと部屋を出ていった。
残されたあたしはガックリと膝をつく。
「せめて……息がくさいと言って欲しかった……」
口がくさいのと息がくさいのとでは、なんかちょっと違う気がするし、口がくさいってのよりマシな気がする。
「あはは……」
崩れ落ちたあたしを見てルーシャは苦笑した。
「うぅ~、ルーシャぁ~」
「ボクも――私も耳がくさいって言われましたから」
まぁまぁ、とルーシャはなぐさめてくれる。
「うぅ。獣耳種って大変そうだよね」
頭がくさいって言われたら落ち込むけど、耳がくさいっていうのはまだマシな気がする。たぶん。いや、でもくさいって言われるのってイヤだ。
師匠がいなくて良かった。
もう一生キスしてくれなくなっちゃうところだ。
「歯磨きしましょう、サティスお嬢様」
「今はパルヴァスって呼んで欲しい。お口のくさいお嬢様って、なんか嫌だ」
「パルちゃんならお口がくさくてもいいんだ……」
「サティスお嬢様って呼んで」
「あはは」
やっぱりどっちもイヤだ、なんて言ったあとため息をついてしまって。その息がくさいのかと思うと、あたしは自分の口をおさえた。
う~ん。
あんまり分からないんだけどなぁ~、自分の息のにおいって。普通にしゃべってる時は大丈夫だったけど、ため息みたいに大きく息を吐いた時が危ないのかもしれない。
「ハーブを食べるとにおいがマシになるそうですよ」
「それだ。助けてルーシャさま、あたしはハーブを所望しますぅ」
「お任せを、パルヴァスお嬢様」
あたしとルーシャはいっしょに部屋を出た。
ルーシャは師匠が助けた路地裏出身者……物乞いをやってたみたいで、師匠のほっぺにキスをした恋のライバルでもある。でも、あたしのほうが断然に有利なのでまったく負けた気がしないので余裕よゆー。
あたしは普通にキスしたもんね!
はっはっはー!
まぁ、ルーシャはしあわせになったみたいだし、ルーシュカさまに助けてもらった恩義のほうが大きくなっているみたいで、師匠への恋心はどっかいっちゃったらしい。
むしろ命の恩人っていう感じなので、親みたいに思っているって言ってた。
あたしも師匠も親がいないので、その感覚があってるのかどうかは分かんないんだけど。でもルーシャとケンカしなくて済んだので良かったと思う。
お屋敷の廊下を歩いていると、なんだかいつもと雰囲気が違った。
ちょっと緊張しているっていうか、なにかみんな息を潜ませている感じ。なにか、部屋の中から廊下をうかがっているみたいな状態だった。
デファルス家の人たちが来ているからかな。
ということは、めちゃくちゃ怖い人たちで何か粗相があると、すぐに首を切られちゃうとか?
それでみんな出来るだけ部屋の中に引きこもっているのかもしれない。
あぁ、失敗したかも。
こんなことなら部屋の中に引きこもってたほうが良かったかなぁ。
でも息がにおうのもイヤだし、ルーシュカさまになんとかしろって言われたから、仕方がない。
心無しかちょっと早歩きのルーシャに付いていくと、そのまま裏口から外に案内された。洗濯物はすでに取り込んであるようで、広々とした裏庭になっている。
そこの井戸まで来ると――
「水を汲んでてください。歯ブラシとハーブを取ってきますので」
「はーい」
と、ルーシャはお屋敷の中に戻って行った。
「お嬢様って自分で井戸の水を汲むのかなぁ~。絶対にしないよね~」
なんて言いつつ井戸の滑車に取りつけられたロープを引っ張る。取りつけられた? なんて表現したらいいのか分かんないけど、とにかくロープの先に桶があるので、ぐいぐいと引っ張ると水が入った桶が上がってくる。
それを井戸のふちに置くと、両手ですくってぐちゅぐちゅと口をゆすいだ。
ぺっ、と吐き出して水をクンクンと嗅いでみるけど……
「くさい?」
う~ん、やっぱり分かんないなぁ。
特ににおいはしていないはず。
「持ってきましたよ、お嬢様」
「ありがとう、ルーシャ。って、わざわざ新品じゃなくても……」
あたしが使ってるヤツを持ってきてくれたら良かったのに。
「中古の歯ブラシなんてイヤですよ。使うのも使われるのも最悪です。きっちり磨いてくださいお嬢様。じゃないとルーシュカさまに叱られてしまいます」
「はーい」
さすが貴族さまが使う歯ブラシ。なんか綺麗な毛で、ちょっと柔らかくて磨き心地が良さそう。ごわごわの硬いだけの毛じゃないので、馬のたてがみとか? いや、分かんないけど。
持つところも何故か彫刻がほどかされてるし。
この歯ブラシだけで一年間食べていける、とかだったらあたし一生歯なんて磨かない。ってなっちゃいそうで怖い。
むぅ。
使うのが怖い歯ブラシって初めて見た……
「こちら歯磨き粉です」
「なにからなにまで……お世話になります」
歯ブラシを水に濡らして粉をちょんちょんと付ける。ちょっぴり勇気をふりしぼって、えいやぁ、とそのまま口に入れた。
そして、歯をシャコシャコと磨くと……
「あわわわばばばば」
「あはは、泡だらけじゃないですかサティスお嬢様」
思った以上に泡立つっていうか、まるで質の良い石鹸みたいに口の中が歯磨き粉の泡だらけになってしまった。
たぶん粉を付け過ぎたんだと思う。
やわらかい毛だったから、ちょっと押し込み過ぎた感じ?
貴族って難しい!
吐き出すのももったいないので、そのまま歯を磨き続けた。ルーシュカさまやルーシャにくさいって言われるのはいいけど、師匠にだけは絶対に言われたくないし、思われたくもない。
ので。
師匠が帰ってくるまえにしっかりと磨かないと。
「ん?」
そんな風に歯を磨いていると、誰か近づいてくる気配があった。ふたり分の気配があり、あたしが歯を磨きながらそちらを見ると――
知らない小太りの少年と執事っぽいお爺さんのふたりがお屋敷の角から姿を見せた。
少年とお爺さんの服は、かなりきっちりとした物で、高価だということが分かる。あと、子どもなのに太っている時点で、もうお金持ちってことは決定だ。
茶色い髪をパッツンと切ったキノコみたいな頭をした少年は、つまらなそうな表情で歩いてきたのだけど……
「うわ」
あたしを見て、そんな声をあげた。
人を見て、うわ、と言っちゃうなんて失礼な……って思ったけど、今のあたしは口から泡をボトボトとこぼす変な女になっちゃってるので、仕方がないと思う。
この少年は悪くない。
口がくさいあたしが悪い。
うん。
なんてことを思っている内にルーシャは緊張するような足取りであたしの後ろに控えるように動き、うつむくように目を伏せた。
おっと?
つまり、この少年が『ファディス家』ってことか。
じゃぁちゃんと挨拶しないと。
「ふぁふぃふぇふぁふぃへ、ふぁふぁふぃは――」
「サティスお嬢様、口を、口をゆすいでください」
「ふぁい」
慌てて進言してくるルーシャに言われて、あたしは桶に顔を突っ込む勢いで口の中をゆすいだ。
「ぷはぁ。失礼しました」
改めて、あたしは挨拶する。
「初めまして。サティス・フィクトス・ジックスと申します」
スカートを持ち上げて、膝をちょこんと曲げて、カーテシーで挨拶する。
対して、少年は――
「だ、わ、あ、あ……!」
なにか意味不明なことをつぶやいた。
「お、おお、おまえ」
怒ってるっていうよりは、なんだか恐れてるみたいな感じで少年はあたしを見る。
ほっぺたがたぷんたぷんっていう感じに太っているので、美味しい物をいっぱい食べてるんだろうなぁ~。
うらやましい。
「サティス、というのか」
「はい。サティスです」
あたしはもう一度名乗ろうかと思ったけど、やめておいた。
二度、自己紹介するのは逆に失礼になるのかもしれないって思ったので。名前を聞き取れているので大丈夫だろう。
「サ、サティス」
「あっ、待ってくださいストップすとっぷ」
近づいてこようとする少年に、あたしは待ったをかけた。
「な、なんで――?」
「お昼ににんにくを食べたので、今のあたしは臭いです。なので、近づかないでください」
「……くさいのか」
「はい」
むぅ。
失礼な少年だなぁ。
女の子がくさいって言ってるんだから、そっと離れるべきじゃないの?
いや、息がくさいあたしが悪いのかもしれないけど。
「そ、そうか。あ、そ、その、おま、おまえはパーティに出るか?」
「え? はい。出ますけど……でもダンスは練習中なので期待しないでくださいね」
あっはっは、と笑ってごまかしておく。
最初からダメって言っておけば、きっと期待されないので大丈夫なはず。
「だ、だだダンス!?」
「え、あ、はい。ダンス」
「わか、分かった」
良く分かんないけど、少年は顔が真っ赤になって汗が額から流れていくのが分かった。
「……大丈夫?」
風邪?
神殿で見てもらったほうがいいんじゃない?
と、思ってあたしが近づいたら――
「うわぁああああ!?」
なぜか少年が走って逃げていった。
「えぇ……?」
なんで!?
そんなにくさいのが嫌い!?
「失礼しました、サティスさま。あの方の名前はラディオス。自己紹介もせずに立ち去った無礼を許して頂きたい。失礼します」
お爺さんは神妙に頭を下げて少年を追うように歩みさっていった。
……なんだったの?
「なんだったんでしょう?」
あ、ルーシャも分かんないのね。
え~っと、考えられるのは――
「ハッ!」
「何か心当たりでも?」
「この歯ブラシがめちゃくちゃ高そうだったからうらやましかったとか?」
「まさか!?」
真実はどうあれ。
あたしはもう一度しっかり歯磨きして、ハーブを食べてお腹の中を爽やかにした。たぶん。で、帰ってきた師匠に息をかいでもらいました。
「ふぅ~。どうですか、師匠。あたしの息、くさいですか?」
「好き」
「え?」
「え?」
と、とりあえず、師匠に好きって言ってもらったからオッケーです!
ところで、あの男の子は何だったんだろう?
ま、いっか。
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