~流麗! ニアミス~
切り立った崖。
谷底、と表現するよりも断層と言ったほうがいいでしょうか。大きく大地がズレたかのような場所であり、この先にも変わらず森があるようです。
周囲に散らばる魔物の石は、落下死した物が大半なのかと思っていましたが……
それが特に集中していたのは、洞窟でした。
崖に縦方向にひび割れるようにして開いた穴は、ちょうど人がふたりぐらい入れる幅が開いていて、中の様子は入り組んでいるのか、見て取れない。
雰囲気的には崖の高さも相まって大きく奥まで広がっていそうですが……
「あら」
そこから警戒するような視線が飛んできました。
まぁ、飛んできたといっても、視線で攻撃するタイプの魔物ではありませんので、あくまで比喩表現ですが。
もしも石化の視線でしたら、今のでわたしはアウトです。まぁ、すぐに復活するので大丈夫でしょうけど。
「あんたは……」
視線の主は、どうやらわたしに見覚えがあるようですわね。
わたしにも見覚えがありました。
顔見知り、というわけで安堵したのか、周囲を警戒しつつも洞窟から彼は出てくる。
「――いえ、あなたは知恵のサピエンチェさまですね」
横柄な言葉遣いを訂正するように言ってから、姿を見せた魔物種は丁寧に頭を下げました。
緊張するかのように頭の上の耳がへにょりと折りたたまれているように見える。いえ、実際に折れているようですわね。
かわいらしいワンちゃんの耳です。
「はい、知恵のサピエンチェです。そういうあなたは……確か『将軍』でしたっけ」
おぼろげな記憶でしたが、これほど特徴的な魔物を忘れるわけがありません。
名前は忘れてしまっておりますが、この方の二つ名はしっかりと覚えております。二つ名というか、通称というか愛称ですけど。
乱暴のアスオェイローの部下。
通称『コボルト将軍』。
そう。
魔物種最弱と言われたコボルトから、努力と根性だけで幹部まで這い上がってきた不屈の武人……武犬? まぁ、とにかく、魔王領の歴史書には確実に名を残すであろう者です。
コボルトといえば人間みたいな身体に犬の顔。
ですが、毛並みは皆さんバラバラ。短毛種もいれば長毛種もいますし、耳の形も千差万別。
そんな中で将軍さんはキリリとした凛々しい顔付きに、赤色というかワイン色の深い色合いの毛並み。しっぽはざんばらな感じで、切りそろえれば立派に見えますが、そこは将軍さんのこだわりなのか適当な感じです。
ワンちゃんらしい白いヒゲが左右で三本づつ飛び出していますが、こちらは丁寧に切りそろえられている様子。
コボルトという種族柄、身長は十歳の人間種とそう変わらない大きさ。筋肉もあまり付かない肉体なので、随分と小柄に見えますが……将軍はワイン色の毛並みをより栄わせる黒色の鎧を着込んでいた。
背中にはナナメに剣を装備しており、見るからに立派な武器。
将軍と呼ばれるにふさわしい出で立ちをしておいでです。
「これは挨拶が遅れました。乱暴のアスオェイローさまに仕えております、雷のトニトルゥムと申します」
イカヅチのトニトルゥム。
そうそう、そうでしたわ。
確かそんな名前をアスオくんが与えたと聞いたことがあります。
「ご丁寧な挨拶、ありがとうございます。将軍トニトルゥムちゃん」
わたしがにこやかにそう言うと、トニトルゥムちゃんは顔をあげた。
なにやらシブい顔。
コボルトちゃんの顔って、表情豊かで分かりやすいですわよね。同じ獣顔型で言いますと、ミノタウルスよりは分かりやすいです。
ミノちゃんは人間種の女の子が大好きなので、あんまりわたしと相性が良く無いんですよね~。愚劣のストルティーチァとは話が合いそうですので、ストル領に行ってもらいたいです。全員。漏れなく。
うんうん。
「あ、あの……で、できれば、ちゃん、はやめて欲しいかと……部下の手前ですので」
どうやら洞窟の中に将軍率いる部隊がいるようですわね。
魔物の群れから逃げてきたのでしょうか?
「コボルトちゃんは総じて、ちゃん、です」
「う」
「例外は認めません」
「そ、その、威厳とかが……」
「はぁ~。仕方がありませんわね、将軍さま。では、ふたりっきり時だけトニトルゥムちゃんと呼びます。どうぞわたしのことはサッピーと呼んでくださいな」
「……」
「冗談です。やっぱりアスオくんの部下らしいですわね」
将軍さんだからではなく、こう、なんというかビッシリとしています。アスオくんらしい教育といえばそうなのですが、やっぱりなんか余裕がなくて面白味に欠けますわね。
もっとノビノビと生きていけばいいですのに。
上司であろうと部下であろうとも、信頼を前程にしてもっと楽しく付き合っていくのが理想だとわたしは思うんですけどねぇ~。
まぁ、その結果。
わたしがこんなところに派遣されて、ひとりで対応するハメになっていますけど。
アンドロちゃんとわたし、どっちが上司なのかもう分かんなくなってきてますけど。
「しょ、精進します」
「良い心掛けです。アスオくんにもお伝えください」
「……そ、それなんですが」
あら?
なにやら困っている様子。
「ここで出会ったことは口外無用でお願いしたいのです」
「はい? えっと……それは独断でここにいる、ということでしょうか?」
ごまかすことなく、ハイ、と将軍さんはうなづいた。
「部下がいる、と発言なさっていましたね。状況によっては裏切りや革命とも捉えかねませんが」
「決してそのようなことはありません」
将軍は再び、深く深く頭を下げた。
「どうか、どうかお願いします、知恵のサピエンチェさま」
ん~。
別に黙っておくのはイイんですけど、どうにも理由を隠したがっている気がします。そうなると、むしろそこが気になるので聞いてみたいんですが。
その前に――
「ひとつ整理をさせてください」
「はい、なんでしょうか」
「あなた方……えっと、将軍さまの部隊? グループ? は、魔物の群れに襲われて逃げ込んだ、ということでよろしいかしら?」
状況的に、そう見えるのですが。
はっきりと確かめておかないといけませんからね。
「……そ、そのとおりです」
将軍は視線をそらすように、うなづいた。まぁ、視線をそらすっていっても、コボルトちゃんの目は人間と場所が同じようでちょっと違いますので、なんとも言い難い表現ですけど。
でも、なるほど。
はは~ん。そういうことですのね。
「コボルト将軍ともあろうものが、たかだか魔物の群れ程度に遅れを取った。それを恥じているのですわね」
「え?」
「え?」
あれ、違いました?
「あ、いや、その通りですサピエンチェさま」
「嘘おっしゃい!」
「はい、嘘でした!」
素直でいいワンコですこと!
というわけで、なでなでしてあげましょう。
わしゃわしゃと頭を撫でてあげました。
「サピエンチェさま……ぶ、部下が見ておりますので……」
洞窟からひょっこりと顔を出すボガート。
なにやらうらやましそうに見ていますわね。
「というか、ボガートを連れて逃げましたの? 凄いですわね、あなた」
戦闘狂、ここに極まれり。
なんてくらいに死ぬまで戦うボガートを、ちゃんと統率して逃げるなんて。なかなか出来ることではありませんわ。
「ま、まぁ、我が部隊は特殊でして」
「どういうことですの?」
「言ってしまえば、爪弾き者の集まりです。オレも、いえ、私もそのひとりでした」
「言葉遣いは適当でいいですわ。アスオくんの教えならば仕方がありませんけど」
「アスオェイローさまの教えです」
わたしは肩をすくめました。
まったくもって、遊びのない教育ですこと。
「それで、将軍ちゃん」
「はい」
「魔物の群れから逃げてきたのは本当ですのね?」
「はい」
「よろしい。では、それを恥と思っているわけではない?」
「はい」
「ふ~ん。では、別の理由がありますのね」
「……」
「じ~~~」
「そ、その程度では口を割りませんよ?」
「そうですか。ウチのアンドロちゃんなんかは結構しゃべってくれるんですけどね」
「アスオェイローさまも割りと」
似たようなタイプですのね、アンドロちゃんとアスオくん。
「まぁいいですわ。話したくないことを無理やり聞き出すのは面白くありません。なにより、アスオくんに秘密を抱えることになりますもの。聞かないほうがいいのでしょう」
わたしがそういうと、トニトルゥムちゃんはホッと息を吐きました。
「というわけで、自分で調べます。洞窟の奥に何か隠しておりますわね!」
「なっ!?」
待ってください、という将軍さまの言葉を聞かず、わたしは自分の影の中にとっぷんと入りました。
このまま影を伝って洞窟の中に入ってしまえばこっちのモノ――
「え!?」
なぜか影の中にいるわたしの身体を掴む者がいて、わたしは強制的に影の外に引っ張り出されてしまいました。
「すとーっぷ、お姉ちゃん!」
「アビィ!?」
なんと、陰気のアビエクトゥスではありませんか!?
どういう手を使ったのか分かりませんが、影の中にいるわたしを強制的に引っ張り出すなんて、凄いですわね。
いえ、だからこその四天王、と言えるのかもしれません。
いえいえ、それよりも――
「どうしてアビィがここにいますの?」
影の外に出た瞬間、アビィの手がわたしの身体をすり抜けてしまったので、わたしは地面にべちゃりと寝ころぶことになってしまいました。
もうちょっとで洞窟の中でしたのに。
惜しい。
ボガートがちょっと照れるように視線をそらしたのは……スカートがめくれあがってるからでした。紳士なボガート。新しい。オーガくんは嬉しそうに見てましたのに。ミノタウルスがいなかったのが幸いです。
「ダメだよ、サピエンチェお姉ちゃん。人の秘密を暴こうだなんて」
「人ではありません。ワンコです」
「ダメだよ、サピエンチェお姉ちゃん。ワンちゃんの秘密を暴こうだなんて」
「ちゃんと言い直して偉いですわね、アビィ。でもごまかせませんわよ。どうしてここにいるのか、わたしの質問が先ですので」
「うっ……」
アビィは喉に何かが詰まったような声を出して、表情を険しいものにした。
相当に都合の悪い様子。
これは……もしや!
「分かりました」
「え?」
「どうしてアビィがここにいて、将軍ちゃんがうろたえているのか。理解しました」
「さ、さすが知恵のサピエンチェ。推測だけで真相にいきついちゃうなんて。うぅ、秘密にしておいて、お姉ちゃん」
「分かりました。と言っても、人の恋路を邪魔するものは馬に蹴られて死んでおしまい、とも言いますので秘密は守りますわ」
「え、なんて?」
「人の恋路……この場合は幽霊と犬の恋路を邪魔する者ですわね。吸血鬼ですので馬に蹴られても死にませんので、ミノタウルスに犯されてきます。社会的な死!」
吸血鬼でもミノタウルスの子を孕んでしまうのでしょうか?
良い機会です。
実験としましょう。
でも、二人目の子は師匠さんの子どもがいいです。きっとミノタウルスにいろいろされちゃったのを慰めてくれるはずです。
だって師匠さん、とっても優しいんですもの。
「ミノタウルスを忘れさせてください、エラント」
「分かった。おまえの身体が忘れたくても忘れないくらいに、むちゃくちゃに抱いてやる!」
って言ってくれちゃったりなんかして!
「楽しみですわ~!」
「……お姉ちゃんはときどき、名前以上にアホになるよね? 変態のサピエンチェ」
「えー!?」
アビィから辛辣なお言葉を頂きました。
わたし、ちょっと泣いちゃいそうですワン。
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