~卑劣! いつの間にか地元住民になっていた~
翌日。
「これより新居の掃除を行う。俺はこの大きな部屋をやるからパルは適当に好きなところから掃除してくれ」
「師匠、命令が適当過ぎます」
朝食を終えた俺たちは、さっそく購入した家の掃除に取り掛かることにした。
黄金の鐘亭のすぐ後ろということもあって、昨日のうちに中の見学も済ませてある。ついでに二階の部屋の割り当ても決まったので、パルは自分の部屋を掃除したいだろうな、と思ってそんな命令を出したのだが……気に入らなかったようだ。
「いや、真っ先に自分の部屋を掃除したいだろうなって思ったんだが。違ったか?」
「それはそうなんですけど……でも、部屋の掃除をしちゃうと部屋から出てこなくなりそうで怖い」
なるほど。
自分のことが良く分かってるな。
というか気持ちは良く分かるので、納得するしかない。やっぱり自分の部屋は一番丁寧に掃除したいところだし、こう、いろいろと家具の置き場所とか、そういうのをじっくり考えたいものだ。
しばらく部屋から出てこなくなるのは、俺もそうかもしれない。
「だったら、各自の部屋は一番最後にするか」
俺は苦笑しつつ肩をすくめた。
「では……最初は、この店だった場所から始めよう。その後、キッチンに取り掛かり、奥へと進んで行く。一階から攻める感じでいいか?」
「オッケーです!」
決まりだな、と俺はリンリー嬢から預かった雑巾をパルに手渡す。
よくよく考えれば持ち家が無かったので、雑巾とかホウキとかチリトリとか、そういう掃除道具を一切持っていなかった。
意外と盲点かもしれない。
必要ないもんなぁ、冒険者生活には。
もちろん、勇者生活にも必要ないわけで。
掃除できる場所があるのは、それはそれでしあわせと言えるかもしれない。
「師匠さん、わたしは何をしましょうか?」
「ルビーはトイレ掃除を頼む」
そう俺が言った瞬間――ルビーの表情がぐしゃっとなった。
苦虫を噛み潰した表情というべきなのだが、それでも美少女なので、つくづく『美しい』と形容できる生き物は特をするんだなぁ、と思う。
「ついにわたしへの陰湿なイジメが始まりましたか。えぇ、分かっています。分かっていますとも。しょせんは魔物の吸血鬼。それでなくともお姫様生活を満喫していましたので、掃除なんかしたことないだろう、という当て付けも含まれていますわよね。だったら一番最初に一番の汚れ仕事をさせておけば、後は奴隷のごとく扱うつもりでしょう。えぇ、えぇ、大丈夫ですとも。このルゥブルム・イノセンティア、人呼んで紅き清廉潔白の名に賭けておトイレは舐めても平気なほど綺麗に掃除させて頂きます」
「妄想が長い」
「ハイ・エルフを参考にしてみました」
参考先を間違ってるし、なんならひとつも参考になってなかった気がする。むしろ学園長を参考にしたのなら、その意味を曲解せずに答えを導き出して欲しいものだ。
というか、トイレに対して、舐めても大丈夫、という表現は想像してしまうのでやめてほしい。場合によっては、なんかこう、ゾクゾクしてしまう。開いちゃいけない扉を開きそうになってしまうので、絶対に近づいてはいけない概念だ。
「ルビーにトイレ掃除をしてもらうのは嫌がらせじゃなくて、魔導書の魔法があるからだ」
「マニピュレータ・アクアムですか?」
それ、と俺はうなづいた。
「どうやらここのトイレには水洗のシステムがあるらしい。でもちょっと構造が分からんので、いっそのこと魔法で綺麗に洗い流せば楽だと思ってな。雨を取り込む構造になってるから、たぶんどこかで落ち葉とかゴミが詰まってそうだし」
「なるほど。それを早く言ってくださいまし」
「言う前に顔がしわくちゃになったのだが?」
「やだ、師匠さん。わたしがおばあちゃんになるまでいっしょに居たいだなんて」
一言もそんなことを言っていないのだが?
参考先はハイ・エルフではなく、ルビーそのままだろ。
「あとでリンリーも手伝いに来てくれるそうだから、まぁのんびりやろう」
特に急ぐ話でもないので、ゆっくりやっていけばいい。今日中に終わらせたところで家具がゼロだし、ベッドも無いのですぐ住めるわけではないからな。
借りてきたバケツに宿の井戸から水を汲んできて、借りてきた雑巾で床を拭く。
なんというか自分たちの道具どころか水でさえも借り物な気がしてくるので、申し訳なさを感じてしまう。
「師匠は気にしすぎですよぅ」
「そうか? そうかなぁ」
雑巾をしぼりながらパルに言うと、弟子はあっけらかんと笑った。
「あはは。ねぇねぇ師匠、競走しましょう! あっちに先に付いたほうが勝ち」
「よーいどん!」
「あ、ズルい!」
という感じで愛すべき弟子といっしょに床を雑巾がけしたりする。ちなみにパルの雑巾がけするところを後ろから見てドキドキしちゃったことは秘密です。
「むちゃくちゃ汚れてましたわ」
俺たちが雑巾がけをしている間に、ルビーは井戸から水の塊を持ってくる。バケツに汲むんじゃなくて、直接水を運べるのは便利な魔法だ。掃除屋を開業すれば、そこそこ儲かるんじゃないだろうか、この魔法。
ルビーは、それをトイレの水洗システムから天井へ向かうように逆方向へ流した。勢い良く水を送り込んだらしく、どっぱーんと空へと水を放出する。
それを何度か繰り返すと、水は真っ黒と言って良いぐらいになった。水といっしょに落ち葉も混ざってるところをみるに、やっぱり詰まってたんじゃないだろうか。
「紐を引っ張ってみましたら、問題なく水は出ましたわ。ちゃんと下水に流れていきましたので、そっちも大丈夫そうでしょう」
まぁ、地下の下水は冒険者ルーキー御用達の冒険場。ルーキー達がいる限り、魔物で溢れたり不衛生な動物たちの巣窟となって逆流することは、まず無いだろう。
そうなったらベテラン冒険者の出番となるしな。
誰もやりたがらないだろうけど。
「こ、こんにちは! お昼のささ、サンドイッチを持ってきました!」
しばらく三人で掃除をしていると――緊張感をアリアリと滲ませた声が聞こえた。
ガチガチの挨拶をしてきたのは商業ギルドの新人、セーラス・ルクトリアだ。心無しか、大きて太い三つ編みまで緊張しているように見える。
「まだ緊張してるのか?」
そろそろ慣れてもいいと思うんだが、一度でも顔を合わせない時間があると元に戻ってしまうのだろうか。
「きょ、今日はギルドマスターもいないので……は、初めてなんで、す。う、うぅ、優しくしてください……エラントさん……」
うん。
言葉のチョイスが最悪です。
「どこに生娘がいまして!?」
ほら、やっぱり吸血鬼がきた~。
「師匠の浮気相手が増えた!?」
なんか弟子まで悪ノリしてきたんですけど~?
「い、いえ! ワタシはエラントさんは趣味じゃないので! も、もも、もっと年が上のほうが好みです!」
へ~、そうなんだ。
いわゆる老け専といか枯れ専っていうやつか。
いいよなぁ、そっちは。同じような年齢差のはずなのに、こっちはロリコンだ異常性癖だって言われるのに、そっちはなんか普通よりちょっとだけ違う趣味、みたいな捉え方をされる。
いいよなぁ、うらやましい。
「師匠も立派なおじさんだよ!」
「そうですわ! イケてるおじさまですわよ!」
「あ、ワタシはちょっと特殊でして。白髪が混ざってるくらいがちょうどイイ感じで……」
「どうしよう、ルビー。この子、めっちゃ強い」
「わたしも初めてのタイプですわ。いま、ちょっとわくわくしております。初めてこのわたしが敗北を覚えるかもしれません」
少女三人がきゃっきゃと盛り上がり始めるのだが……
いや、セーラスの言葉が本当だと信じるなら、どう考えても商業ギルドのギルドマスターであるムジーク氏が狙いだったのでは!?
え、あの商業ギルドの二階でふたりっきりの研修は、もしかして怪しい雰囲気だったの!?
ムジーク氏って奥さんいるんですか!?
場合によっては、とっても危険なんじゃないんですか!?
なんていう疑惑が生まれてしまうので、あんまり聞きたくなかった。
いや、実はムジーク氏が自分の娘よりも年下に手を出す極悪非道なロリコンだというのなら、俺は諸手をあげて感動しつつ、非難するけどね。
イエス・ロリー、ノー・タッチ。
ウチのパルとルビーに近づかないでください。
と、平然と言ってのける自信がある。
視線はそらしながら。
「こんにちは~。掃除やってます? フライドポテトを持ってきたからみんなで食べませんか~?」
そんなセーラスも加わって掃除していると、続いてやってきたのはリンリー嬢だった。
「うわ、すご!」
セーラスが驚いていたのは、フライドポテトがバスケットいっぱいに入れられているところか、それともバルンバルンと揺れる巨乳を見たからか。
恐らく後者だと思う。
なにせその後、自分の胸元を見下ろしていたし。
「あれ、初めて見る女の子……エラントさんの新しい弟子? 女の子ばっかりイヤらしい!」
勝手に俺の評価が下がった。
さすが巨乳女。
ひどい。
「い、いえ! ワタシは商業ギルドの職員のセーラス・ルクトリアです。エラントさんの家を担当しましたので、書類の確認作業とか、掃除のお手伝いです」
「あ、そうなんだ。私はそこの宿のリンリー・アウレウム。よろしくねセーラスちゃん」
「はは、はい! よろしくお願いしますリンリーさん!」
ふたりが挨拶をしている間にパルがこっそりとフライドポテトをつまみ食いしていたのには目をつぶるとして。
冷めないうちにお昼ごはんにした。
フライドポテトとサンドイッチ。
合うようで、なんかちょっと合わない気がしないでもない。でもまぁ、美味しいから問題ないか。
午後からはリンリーとセーラスも手伝ってくれて、掃除を進める。特にキッチンはリンリーがいてくれたおかげでスムーズに掃除できた。
さすが本職である宿屋の看板娘。
ありがたい。
「失礼します。こちらにパルヴァスとルゥブルムがいるとうかがったのですが」
またしてもお客さんがやってきたようだ。
聞きなれない声だが、キッチンから顔を出して誰か分かった。
昨日、蜂退治にパルとルビーといっしょのパーティだったフリュール・エルリアント・なんとかお嬢様だ。
フリルお嬢様と覚えてしまったので、ちょっと肝心のファミリーネームを忘れてしまった……貴族の社交会だったら一発アウトだったな。
後ろにはメイドのファリスも控えている。
今日は銀鎧ではなく普通の服だ。といっても貴族らしい豪奢な服で、ふんわりとしたスカートにはフリルがたっぷりあしらわれているが。
さすがフリルお嬢様、といった服装ではある。
名前負けはしていない。
でも冒険者らしく細身の剣は帯刀している。それはそれで似合っているので、なんだかんだいってしっかりとした冒険者なのは間違いない。
「あ、フリルさま! どうしたの? なんか用事ですか?」
「昨日の報酬を持ってくると言ったではないですか。あと約束のお肉です。宿の従業員にこちらとうかがいましたので。いまは倉庫掃除のお手伝いをしていらっしゃるの?」
「ここ、あたしの家だよ」
まぁ! とお嬢様は口をおさえて驚いた表情を浮かべる。
「失礼しました。倉庫だなんて失礼なことを」
「いいよ、大丈夫。フリルさまから見れば、黄金の鐘亭も犬小屋みたいなもんなんでしょ?」
「さすがにそこまでは言いませんわよ。お爺様のお屋敷は何倍も大きかったですが」
いやいや、一言多いなお嬢様。
しっかり宿の看板娘が聞いていますよ!
「せっかくですので手伝いましょう。ファリスもいいですわよね?」
「えぇ、もちろんです」
さっそくメイドのファリスはバケツにあった雑巾を絞って掃除を始める。無表情に近いクールな印象を受けていたが、ちょっと楽しそうなので掃除が好きなのかもしれない。
それと同じようにフリルお嬢様も雑巾を手に取って、汚いバケツの水の中に躊躇なく手を突っ込んで、雑巾を絞っていた。
意外だな。
そう思ったのは俺だけでなくパルもそうだったので、素直に聞いていた。
「フリルさまってお掃除したことあるの?」
「当たり前ですわ。わたくし、自分の部屋は自分で掃除しておりましたの。ファリスには手伝ってもらってましたけど」
「ほへ~。偉いね」
「普通です」
本当か、と思ってメイドを見ると満足するようにうなづいていた。
嘘ではないようだ。
「ん? あれ!? フリルお嬢様がいらっしゃるではないですか!? つ、つつ、ついにわたしとの結婚を承諾してくださいましたのね!」
「うわ!? ちょ、またですのあなた! 離しなさい! ちょっと! その雑巾を持った手で抱き着いてくるのはおやめなさいってば! 結婚ってなんの話ですの!? わたくし、絶対にまだ結婚しませんからね!」
「まだというからには考えてくださるのですね、やったー!」
「お断りの方向で考えてさしあげますわ!」
わぁわぁ、ぎゃぁぎゃぁ。
騒がしい掃除になってきているが……まぁ、嫌いではない雰囲気だ。
勇者パーティにいたころは――年上の女が勇者を取り合ってケンカしていて、勇者が苦笑して、戦士が呆れて肩をすくめていた。
それを遠くから眺めている俺は、なんとも言えない気持ちだったわけで。
年上のみっともない男の取り合いと比べたら。
なんと平和な光景だろうか。
「いいですねぇ、エラントさん」
「うん? なにがだリンリー嬢?」
「嬢って呼ばないでください。女の子ばっかりのハーレムですよ、ハーレム。しかも年下の可愛い女の子ばっかり」
「そこにはリンリーも含まれているのか?」
「私は例外です」
「ご都合主義だなぁ。一生、嬢って呼んでやる」
「ひど!? 私、娼婦じゃないですからね!」
……まぁ、そういうことだろうと思ってたけど。
娼婦はだいたい名前プラス嬢で呼ばれる。
アリスという名前の娼婦は、アリス嬢という感じで。
リンリーは、この見た目で巨乳だからなぁ。
モテる方向が、ちょっと違うせいでそう言われることが多々あったのだろう。宿の娘ということもあってか、娼館との繋がりもあるだろうし、勧誘もあったのかもしれない。
「ま、役得と思っておくよ」
「む……もっと鼻の下を伸ばして気持ち悪く笑うと思ったのに」
「ひでぇ言いがかり」
「お互い様です」
リンリー嬢は苦笑しつつフリルお嬢様に自己紹介していた。これもまた看板娘の仕事なのだろうか、貴族に名を売るのは悪くない。特に街一番の宿なので、そういったことにも縁があるのだろう。
さて。
「思った以上に掃除が進むなぁ」
一週間くらいは掃除に費やすつもりだったが。
意外と三日くらいで終わりそうだ。
まぁ、それはそれでいいか。
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