~流麗! ばーさすマニューサピス~ 1

 巨大な羽音を立てて。

 地面に落ちている葉や枯れ枝を吹き飛ばすように。

 その蜂は、浮かぶようにして飛んできました。

 見るからに巨大な身体は、パルと同じほどの大きさがあるでしょうか。それに加えて、見えないほどに激しく加速させて羽ばたく背中の羽が更に巨大さを引き立てています。

 オレンジ色に近い黄色と、黒。

 鋭利に尖るような複眼は緑色に近い黒。いえ、それとも虹色と表現するべきでしょうか。角度によって色が変わるように見えました。

 ぷっくりと膨らむような黒い腹に、お尻の先端には凶悪な針が威嚇するように顔を覗かせている。恐らく、毒液がお腹の中にあるんでしょう。

 針と共に毒を挿し込むのか、それとも……?

 そんな針と同じくらい凶悪に見えるのは顔の先端にある大顎でしょうか。

 昆虫特有の、ギチギチとした硬そうなハサミみたいな顎が絶妙に開いて、口の中を見せていた。

 牙は無く、そのまま空洞になっているような口の中。

 いったいどうやって食事をしているのか。

 想像もしたくないですわね。


「……」


 ごくり、とフリルお嬢様が唾液を嚥下したのが分かりました。ガイスもチューズも同じような気分でしょう。


「ふぅ」


 パルは、冷静に息をついている様子。

 さすがにこの程度の虫にビビるような経験は積んでおりませんわね。すぐにでも動けるように、少しだけ腰を浮かせています。えらいえらい。

 ふむふむ。

 ようやく気持ち悪さに慣れてきました。

 ギチギチと動く足とか、もぞもぞと動く大顎とか、なんか柔らかそうな腹と、出ては引っ込むを繰り返している針。

 それれは見慣れてきました。

 さて、問題は――


「どうします、お嬢様」


 静かな声でメイドが言いました。下手をすれば蜂の羽音に消されそうなぐらいですが、確かな感じでハッキリと耳に届く。

 盗賊スキル『妖精の歌声』ですわね。

 このメイド、盗賊スキルを習得しているということは盗賊職なのでしょうか?

 足運びもスカートで隠していますし、盗賊っぽさを感じますが果たして……?

 いえいえ。

 ちょっぴり興味深いですが、いまはメイドに集中している場合ではありませんわね。

 フリルお嬢様の答えによっては、今すぐにでも飛び出さないといけません。

 今回の依頼内容は――


「マニューサピスの調査、でしたわね。ガイス、チューズに問います。勝てますか?」

「正直、四人だったら逃げたかったです」

「オ、オレも……」


 赤毛の魔法と戦士の斧では届かない、と。

 遠方から魔法を撃つだけで倒せそうかと思っていましたが、実物を見てみると難しいことが分かります。

 速い。

 巨体なので的は大きいから余裕と思っていましたが、繁栄しているだけはあります。

 想像以上にマニューサピスの動きは速いということが分かりました。

 もちろん、吸血鬼状態のわたしよりは遅いですし、パルならば余裕で対処できる速さでしょう。羽ばたく背中の透明な羽も目で追えているのかもしれません。

 だからといって魔法が当てられるかどうか、と聞かれれば難しいと思います。避けられる可能性が高いので、あまり無茶は出来ない。

 と、赤毛は判断したようですわね。

 ですが……


「四人ならば、ですか」


 フリルお嬢様の言葉にチューズとガイスはうなづき、わたしとパルを見ました。


「前衛が増えた今なら、いけます」

「よろしい」


 どうやら方針は決定したようですわね。


「パルヴァス、ルゥブルム、あまり無茶はしないように。なにかあったら逃げてもかまいません。よろしいですか?」

「分かった」

「了解ですわ。ですが、ひとつ質問があります」


 わたしはお嬢様ではなくメイドを見ました。


「なんでしょう?」

「もしかして、マニューサピスは針を飛ばしたりしてこないでしょうか?」

「……そのような話は資料にはありませんでしたが」

「あ、それあたしも思った」


 どういうことでしょうか、とメイドは眉根を寄せた。


「パルヴァス、説明してくださる?」


 む。

 フリルお嬢様はわたしではなくパルヴァスのほうに信頼を寄せているのですわね。まぁ、今までの活躍を比べたらそうなるのも仕方がないのですけど。

 それでも進言したのはわたしなんですから、わたしに聞いてもらっても良さそうですのに。

 むぅ~。


「あのおしりの針ってさ、やけに新しくない?」

「新しい……?」


 轟音にも似た音を立てながら飛行するマニューサピス。今のところ、かなり距離がありますので、向こう側から認識されていないのですが、それでもこれ以上近寄れば確実に見つかりそうな距離。

 その上で針の状態を見極めるのは、少々難度が高いわけですけど。


「ホントですわね」

「はい、そのようです」


 フリルお嬢様とメイドは確認できたようだ。


「ガイス、分かるか?」

「なんとなく……」

「オレも、言われたから分かる程度だ。で、新しいとどうなんだパルヴァス?」

「生え変わるみたいな? それこそルビーが言ったように、針を飛ばしてくるのかも」


 それは有り得るのか、という視線をみんなでメイドに向けた。

 メイドは一瞬だけ考えると、すぐに意見を述べる。


「虫や蛇の中には毒液を飛ばす種族もいます。もしも、あの大きさの蜂が毒液を飛ばせると考えるなら、針が勢い良く射出されてもおかしくはありません。普通は針を通じて毒を注入するはずですけど、警戒して損は無いでしょう」


 メイドの言葉に全員でうなづいた。

 かもしれない戦闘、ですわね。

 初見の敵と戦う際には充分に気を付けましょう。なにをしてくるのか分からないので。切り札を最後まで取っておくとは限りませんよ。

 という基本中の基本。

 ですが、それを再確認するのは有益です。

 慣れた頃が一番危ない、と言いますからね。


「それらを踏まえて、それでも尚、わたくし達は勝利できます。いいですわね?」


 フリルお嬢様の言葉にそれぞれうなづき、立ち上がる。

 同時にマニューサピスに気付かれましたが……どうやらマニューサピスは逃げる様子はありません。警戒するように、その場でホバリングしながらブブブブと不快な音を立て続ける。

 虫の頭でどう解釈したのでしょうか。

 その思考回路を予想するのは難しいですが、結論から言えば、この人数を相手に勝てると見込んでしまったらしい。

 大顎をガチンガチンと弾きながら、こちらへ向かって飛んできました!


「距離を取ります!」


 お嬢様がそう言う前にパルが動いていた。大きく逃げるように森を左側へ移動していく。

 それを視界の端で捉えながらわたしは腰のホルダーから大きい方のアンブレランスを引き抜いた。

 ガイスは斧を手に取り、お嬢様はスラリと細身の剣を鞘から抜きました。


「アペーリ・スクートゥムアルジェンテム!」


 え、なに?

 フリルお嬢様ってば魔法が使えますの!?

 と思ったら違いました。

 お嬢様のキラキラ輝く銀鎧。その左腕に光が集まったかと思うと、大きな盾が顕現したではありませんか!

 どうやらマジックアイテムか、もしくは古代遺産・アーティファクトの鎧だったみたいです。

 どおりでキラキラと輝いてるわけですわ。

 ですが――


「しまった!?」


 わたしは叫びました。

 それに反応したのはメイドです。


「どうされました」

「いえ、お嬢様がそんな物を予告なく使われたので――」

「うっはー! かっこいいいいい!」


 せっかく距離を取ったはずのパルが戻ってきてしまうではありませんか。キラキラとした瞳でパルは合流しました。


「なにそれなにそれ! カッコいいフリルさま!」

「ちょ! パルヴァス!?」


 顕現した銀色の盾にパルヴァスがべったりとくっ付く。どうやら銀盾は幻というわけではなく、しっかりとマテリアライズされているようですわね。

 それを考慮するに、銀鎧はマジックアイテムではなくアーティファクトの領域。

 かなり貴重な物と考えられますが……


「サイズが意味不明ですわね」


 どう考えても女の子用の鎧です。

 無理をすれば少年も装備できなくはないですが、胸の部分の造形が少しアレなことになってしまいますので、やはり女の子用ですわよね。

 いったいどういうつもりで古代人はこの銀鎧を作ったのでしょうか?

 少女用の鎧。

 それも追加効果付き!

 純を司る大神アルマイネのように甘やかされていた神さまでもいらっしゃるのでしょうか?

 非常に気になります。

 鎧を司る神がいるのなら、聞いてみたいところですわね。


「ちょっとちょっと何をやってますの!? 戦闘中ですのよ、パルヴァス! あとルゥブルムもボ~っとしてるんじゃありません!」

「「ハッ」」

「ハ、じゃありませんことよ!」


 お嬢様の言葉と共にパルは再びパーティから離れる。今度は左斜め後方へ下がったので、ちょっと逃げ出したように見えますわね。


「では、わたしは前へ――」

「危ないからあなたは下がってなさい!」


 あら?

 フリルお嬢様がわたしの襟首を引っ張って、わたしと入れ替わるように前へ出ました。

 まぁ、騎士という役割でしょうからお嬢様が一番前へ出るのは分かりますが。

 アンブレランスを試したかったので、少し残念ですわね。


「仕方がありません。メイドさんを守ることにしましょう」


 前へ出るフリルお嬢様とガイス。

 ちょっぴりお嬢様の腰が引けてるのは、蜂のギチギチとした足のせいでしょうか。それとも微妙に脈動しているお腹のせいでしょうか。

 背中は硬そうですのに、お腹が柔らかそうなので尚更気持ち悪い……


「ほっ!」


 とか思っている間に後方からパルが投げナイフを投擲しました。

 素早く動く蜂の羽に投擲しましたが……カツン、という音を立ててナイフが跳ね飛ばされる。


「硬いの!?」


 羽を一枚でも破壊できれば楽勝になる相手。

 そう思いましたが、どうやらそう簡単にはいかないようですわね。

 薄くて硬く、高速に動く羽。

 それもまたマニューサピスの武器かもしれません。

 羽ばたいてる状態でそこに触れれば、相当なダメージを負ってしまうはず。そもそも物凄い風となっていますし、近づくだけでも大変かもしれませんね。

 逆に考えると、大蜂が近づいてくるだけで体勢が崩されるかも。

 パルの一撃は牽制にはなったようで、マニューサピスは警戒するようにカクカクと空中で位置を変えながらこちらをうかがっている。

 逃げる気配はなく、やはり襲い掛かってくるみたいですわね。


「よし、だったら――」


 フ、と後方でパルの気配が消えました。

 なにをするのかは分かりませんが、お任せしましょう。中衛の仕事を立派にこなしてくれるでしょうし、危なくなったら助けてあげれば良いのです。

 それよりも、とわたしはアンブレランス大を花が咲くように開けた。今回のバージョンは角ばっていますので、花と呼ぶにはちょっと武骨ですが。

 バサ、とわざとらしく広げてみると――やはり大蜂は警戒を強めましたわね。

 動物や虫は、対象の大きさで危険度を判断しますので、マニューサピスにも効果があるようです。ただし、相手も大きいのでそれほど効果はありませんが。

 ですが時間は稼げました。


「フランマ・ブレット!」


 チューズの魔法が発動し、炎の弾がマニューサピスへと飛ぶ。頭を狙ったその魔法は残念ながら避けられました。

 しかし、それはチューズの狙い通り。

 地面に降りるように避けた先には、フリルお嬢様とガイスがいます。


「やあああ!」

「うおおお!」


 ふたりは剣と斧で切りかかった。

 しかし、それよりも速く大蜂は羽ばたきを強くしてスライドするように移動して避ける。


「はっ!」


 ですが、それを予想していたかのように動いたのは――メイドです。

 盗賊職ではなく、やはり闘士でした。

 空中から叩き落すように足を蹴り落とす。ロングスカートの中に見えたのは、がっちりと太ももまで覆ってしまうほどの足鎧。

 まるで鋼の足のようです。

 闘士は闘士でも足を主体にして戦う蹴闘士のようですわね。

 メイドの足は見事にマニューサピスの頭を捉えました。それなりの一撃が入ったようですが、そこはさすがの虫。人間ならば頭の中がぐらぐらに揺らされているはずですが、ビクともしていません。

 複眼にすらダメージは入っていないようです。


「相当に硬いようです」


 メイドを捕まえて毒針を挿し込もうとするマニューサピスはギチギチと足を広げておしりを突き出してくる。

 それを逃れるようにメイドは下がり、そのサポートにフリルお嬢様が盾を前へ出して体当たり気味に大蜂の前へ出た。

 騎士スキル『シールドバッシュ』とまではいきませんが、それなりに効果は出たようで。マニューサピスの狙いはメイドからフリルお嬢様に代わりました。

 足を広げ、抱きかかえるようにお嬢様の盾を狙うと、毒液の突いたおしりの針を突き出す。ガチン、という音。

 盾に針が挿し込まれましたが、貫通はしていない様子。


「おおおお!」


 その隙を狙ってガイスが斧を振り下ろした。メイドの足よりも強力な一撃は複眼を狙ったものですが、残念ながら羽に当たってしまったようです。

 もちろんガイスが狙いを外したのではなく、マニューサピスの防御行動と考えたほうが良いでしょう。

 どうやら自分の羽が硬いことを理解している様子。

 少しだけフラリと空中でよろけましたが、マニューサピスは飛び上がってフリルお嬢様の剣を避ける。そこを狙ったチューズの炎弾も避けられ、距離を取られました。


「う~ん」


 虫だと思っていましたが、なかなかどうして頑丈ですわね。複眼なんて一撃で破壊できると思っていましたが、思った以上に硬いみたいです。

 でも、よくよく考えればそれもそうですわよね。

 複眼の下には、もう頭の中身が詰まっているのですから。人間種で言うと頭蓋骨の役目も担っているはずなので、そう簡単に割れるはずがないですわよね~。


「大丈夫ですか、ルゥブルムさま。怖いのであれば下がっていてくださっても問題ありませんが」


 戦闘領域のど真ん中で傘をさすようにぼ~っと立っているだけのわたしに、メイドは声をかけてくださいました。

 フリルお嬢様と違って余裕がありますわね。

 闘士の役割は前衛ですが、メイドは中衛的な役割を担っているようです。


「大丈夫ですわ、メイドさん。攻撃するべき場所を考えておりました。一見して大きな複眼が弱点にも見えますが、狙うべきは柔らかそうなお腹が良さそうですわね」

「そのようです。いけますか?」

「もちろん」


 わたしはうなづき、アンブレランスを閉じる。角ばった鈍器、イビツなハンマーと化したアンブレランスを肩に担いで前に出ました。

 と言っても、お嬢様より後ろですけど。

 前に出ると叱られてしまいますからね~。


「さて、まずは動きを封じますか」


 わたしにとってはまさに『奥の手』。

 いえ、文字通りの意味で奥の手でしょうか。

 影の中にひそませた、アレを使ってみましょう。

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