~卑劣! 再びあそこへ~

 深淵世界を覗き見ることなく、転移は終了し。

 俺たちの体は空中に出現した。


「ほっ」


 転移後の浮遊感と着地にも慣れたもの。俺とパルは難なく積み上げられた本の上に着地し、ルビーは運良く床が見えている場所だったので、そこに着地した。

 学園都市。

 それも何度も何度も実験で転移をした学園校舎の中央樹の根本。薄暗い部屋は本と紙束だらけの空間であるのは知っていたが……

 転移の腕輪を実験する際にそれなりに片付けたはずなのに、再び足の踏み場がほとんどない状態に戻っていた。


「あれ、学園長いないのかな?」


 パルが周囲をキョロキョロと見渡しながら言う。

 学園都市の主とも言えるハイ・エルフの姿はパッと見たところ姿が見当たらない。どこにいても分かるような、嫌でも目立つ真っ白な姿は、果たして見える場所には無かった。

 だがしかし――


「パル、気配を読め」

「あ、はい」


 むむむ、とパルは目を閉じて眉根を寄せた。

 気配とは、すなわち経験値の積み重ねでもある。音であり、空気の流れであり、わずかな呼吸音や、衣擦れの音。それに加えて、勘、という物も必要になってくる。

 それらを総合した結果、『気配』というものを読み取れるわけだ。

 路地裏で生きてきたパルには、そられの経験値は盗賊になる前から積み上げられているわけで。

 特に苦労もなく、これくらいの気配は読み取れるはず。


「あ、そこだ」


 パルは後ろを振り返って本の山を指差した。


「正解」


 良く出来ました、と俺はパルの頭を撫でながら積み上げられた本の上を歩いていく。その後ろをパルが付いてくるが、ルビーは面白そうな本を見つけたのか、すでに読書状態だった。

 さすが退屈から逃げるようにして、魔王領から真っ直ぐここに向かって来ただけはある。

 ルビーにしてみれば、暇つぶしにはもってこいの場所なんだろうな。


「おーい、学園長~。来たよ~、起きて起きて~」

「ん? ん~……んぅ」


 学園長は本の山の中で眠っていた。どうにも眠っている間に本が崩れてしまったようだ。本を布団代わりにするという人間種としては末期的な状態でなくて良かった。


「くあ~ぁ~。あふ……ん~」


 パルの呼びかけに学園長は目を覚ます。ネコのようなあくびをしながら、周囲を確認した。

 どろりと濁った真っ白な瞳は明らかに睡眠不足を示しているが、ハイ・エルフの種族特性なのか、美しさに遜色は無い。

 逆に言うと、誰にも健康状態を指摘してもらえない悲しさがそこにはあるのかもしれない。

 もっとも。

 この学園都市でそんなことを指摘するヒマがある人間種がいるとは思えないが。みんながみんな利己的に動いてるようなものだ。他人の健康など二の次どころか、自分の健康でさえも後回し。

 是非とも『健康』を研究する者の登場を願うばかりだ。筋肉研究会は、除外するとして。


「ん。やぁおはよう、パルヴァスくん。あれから三日ほどしか経ってないというのに、もう戻ってきたのかい? ははーん、さては盗賊クンとケンカしたかな。大丈夫、私の見立てだと彼はとても優しいので、ちょっと甘えてあげるとすぐに許してくれると思うよ。それでもダメだった場合は、魔法の言葉を言うといい。お兄ちゃん大好き、と」

「ぜんぜん違うよ」

「あれ?」


 相変わらず時間経過の感覚が狂ってるハイ・エルフだった。というか、俺もいるというのに寝ぼけているせいで気付いてないのか。


「あぁ、そっちにいたのか盗賊クン。結婚の報告かい?」

「違う」

「ならば子どもを仕込みに来てくれたのか。約束を守るとは律儀な男だ。三人でいいなんて少なく見積もり過ぎてたようだ。このペースだと十五人はいけるな。ふっふっふ、さすが盗賊クンだ。それがモテる秘訣かな?」

「そんな約束をした覚えは無い」

「くあ~」


 俺への返事をする代わりに大口を開けてあくびをする学園長。

 その姿ですら可愛いように見えてくるので、つくづくハイ・エルフという種族が学園長だけになってくれて良かったと思う。

 いや、逆か。

 ハイ・エルフがもっともっと大勢いたら、ロリコンは後ろ指をさされることなく、大手を振って街を歩けたんじゃないかなぁ。

 なんて思った。

 思いたかった。


「それで、何の用事かな? 転移の腕輪に不具合でもあったのかね。深淵の研究はまだまだ基礎研究すら始められていない状況だ。それよりも新しく利用したメッセージの巻物を改造中なんだが、これがまた難しい。難しいが楽しいよ。転移とメッセージの中間を目指しているのだが、魂の転写に行きつきそうで個人的には恐れおののいた。まだ踏み込んではいけない領域だ。物事には順番があるからね。その方向は一旦保留にしておいて、素直に光を利用する方向で動いている。知ってたかい、盗賊クン。鏡って、ガラスに色を塗ってあるだけのようなものでさ、水とは何の関係もないんだ。それには光を利用した反射というものを利用してあるだけで……え? 知ってる? あ、そう」


 学園長はがっくりと肩を落とした。

 相変わらず話が長いので、失礼ながら途中で口を挟まないと永遠に説明が続いてしまう。


「それで、何の用だい?」

「そういえば、師匠。何の用なんです?」

「いや、学園都市に用事はあったが……学園長に用事は無かったな」

「えー!?」


 パルが学園長の姿が見えないって言ったので、つい探してしまったが。特に学園長に用事が無いのは事実。

 起こしてしまったのは申し訳ない。

 ハイ・エルフはぱったりと倒れてしまった。


「すまない、睡眠を邪魔してしまったな」

「そんなことはどうでもいいよ、盗賊クン。それ以上に私に用事が無いというほうがショックだよ。子どもを仕込むのは無理でも挨拶くらいはしておくれよぉ。冷たいなぁ。そんなだから賢者に嫌われるんだ。まったくぅ。転移の腕輪が手に入ったらもう相手もしてくれないんだ。はぁ~ぁ~、みんな私の知識だけが目当てで、私自身には興味ないんだ。悲しい! 私は悲しいよ盗賊クぅン!」


 否定したいところだが……

 ホントに用事が無かったので、フォローもできない。


「体だけが目当てだった。ってやつですよね、師匠」

「おまえ、そういうのってどこで聞いてくるんだ?」

「路地裏で生きてる時、宿屋とかで良く聞こえてきました。商人っていっぱい悪い事してるみたいです」

「マジか」

「マジです」


 なんだろう……

 俺もあんまり聞きたくなかった事実だ。


「で、学園都市にはどんな用事があったんだい、盗賊くん。場合によっては私が手助けしようじゃないか。君たちのおかげで色々と楽しめたからね。研究会の紹介から夜のお供まで。なんでも言っておくれよ」

「いや、マジな話として時間つぶしに来ただけだ。あんまり早く帰ってしまうと転移の腕輪の存在が露見しかねないしな。それでなくとも遺跡の中でルーキーたちを前に使ってしまった。できれば超高速に動いた、と誤魔化せていればいいのだが」


 ウォーター・ゴーレム戦でノーマやレーイは俺が転移したところを見ているはず。その後に何も言われなかったところを考えると、まぁあまり疑問を持たれていなかったのだとは思うが。

 大ダメージをくらった後だったし、仲間やルシェード殿がおぼれそうになっていたので、もしかすると見ている余裕もなかったのかもしれないが。

 なんにしても、他人の視線を気にする余裕もなかったので俺もまだまだだな~。


「ひまつぶしに来たのかい? だったら私の――」

「いや、新しく神さまの遺骸を見つけたりしたので、サチに会って話を聞いてみようとか思ってたのだが?」

「ほほう!」


 あ、やべぇ。

 こっちの話に食いついてしまった。


「どんな神だったのかね? ちょっと私も付いていっていいかな? 邪魔はしないので。どうだろう。ダメ? ダメかな~。な、なんだったらお金とか払いますので、是非ともお願いしたい所存ではあります」


 急に下手に出始めたぞ、このハイ・エルフ。

 すぐに威厳とか尊厳を投げ捨てるのは、なんか申し訳ないのでやめてほしい。誰にも相手されなくなってしまったので、そのあたりの精神性がガバガバになっているのかもしれない。


「いいよ~、いっしょに行こう」

「さすがだよパルヴァスくん! 君は話が分かる盗賊だなぁ。もしも君が男の子だったら、私は君に求愛してたところさ。いや、この際だ。盗賊クンが相手してくれないので、パルヴァスくんと子どもが作れないかどうか試してみるのもいいかもしれないな」


 ぜったい無理だと思うけど、ちょっと見てみたいって気持ちが溢れてきてしまって、俺は何も言えなかった。


「じ~」

「じろ~」


 美少女と美老女が俺を下から見上げるように覗き込んでいた。


「師匠も混ざりましょう」

「断る」

「そんなこと言うなよ盗賊クン。君と君たちと私の仲じゃないか~」

「断る」


 ちぇ~、とパルと学園長は諦めてくれた。

 良かった。

 俺の名誉は守られた。

 たぶん。


「それで何の神と会ったんだい?」

「純を司る神さまです」


 俺たちは移動を始めながら学園長に説明をする。その際にルビーに声をかけたのだが、どうやら読み始めた本が気に入ったらしく――


「これ持ち出してもよろしくて、ハイ・エルフ?」

「別にいいが、無くさないようにしてくれよルゥブルムくん」


 ――というような会話があった。

 中央樹の部屋を抜けて、木の幹を避けながら進むのだが。ルビーは器用に読みながら歩いてくる。


「転んでもしらないぞ、ルビー」

「その時は起こしてくださいな」

「自分では起きないつもりか……」

「抱き起こして頂けるのを期待しておりますわ」


 生返事なのか本音なのか。ルビーは本を読みながらそう返事をした。ちなみにパルが足を引っかけようとしたけど、ルビーはしっかり避ける。


「師匠に抱き起こして欲しいんじゃないの?」

「ハッ!」

「あはは、やっぱりアホのサピエンチェだ」

「ぐうの音も出ませんわね」


 ときどき素直に悪評を受け入れるのが、ルビーのいいところなのかもしれない。それはそれでアホっぽいので、なんとも言えないのも事実ではあるが。


「それで、純を司る神はどんな神だったんだい?」

「どうやら大神ではあるらしいのだが、地上にいるときから信仰は篤いようだった。遺跡というよりも祭壇というべきか。そこに神さまの遺骸が納められていたのだが、驚くべきことにまるで損傷しておらず、生前のままの姿があった」

「ほう、それは興味深い。触ってみたのかい? その感想は? ふむ、柔らかかったと。死体はどうにも固いイメージがあるからな。眠っている状態そのものが神にとっては死と同義なのかもしれない。つまり、神は眠らないのかもしれないが……いや、待てよ。サチアルドーティスくんは、大神ナーが寝坊してると嘆いていたこともあるな。やはり神は眠るのか。となると、寝ていることと死は同義ではないと言える。だが、地上ではそうではない。ふむ、もう少し詳しく聞かせてもらえるかい?」

「結論を急ぎ過ぎだ学園長。大神アルマイネは『純』を司る神だった。つまり不純物を排除しているというか、『それそのもの』を維持する能力みたいなものと言える。神官魔法にある保存の魔法『セールヴァ』を開発したのが彼女だと言っていた」

「なるほど、アレの開発者か!」


 学園長の瞳がパッと輝いた。


「神の奇跡を代行するのが『神官魔法』だが、神が地上にいる頃は『白魔法』だの『補助魔法』だの『効果魔法』だのと呼ばれていた。神話時代が終わりを迎え、地上にいた者たちが天界へ登ったあと、それらは神官魔法へと姿を変えた。つまり、使用や開発、習得技術が失われてしまったんだ。だから神たちは奇跡を起こす代替品として魔法を人間種に与えた。いや、君たちの話やルゥブルムくんの話を統合すると、人間種だけでなく、魔物種にも魔法を与えているはず」


 そういえば、そうなるか。

 人間種に神官がいるように、魔物にも神官がいることは予想できる。

 もっとも。

 それは共通語を話す魔物であって、いわゆるモンスターである魔物には使えないだろうが。 加えて、魔王領では光の精霊女王の力が弱まっていた。つまり、神の力が届きにくくなっていると考えられる。

 そんな土地で信仰している神はなんだ、と言われれば……人間種にとっては『邪神』と呼ばれている神たちのような気がしてならない。

 なんにしても、だ。

 魔王領において魔物と戦う場合。

 相手に神官がいて、神官魔法が飛んでくる可能性も考えないといけないってことだ。盗賊としては回復魔法を真っ先に警戒し、潰しておく役目もある。


「はぁ」


 ため息が思わずこぼれてしまう。

 パルにはまだまだ教えないといけないことばかりだ。

 盗賊ギルドも上手い具合に立ち上げられ、名声を得られたと思っていたが。真の目的である勇者支援への道は、まだまだゴールの見えない状態。

 地道に進むしかないな、こりゃ。

 肩をすくめつつ、俺は近くにあった階段を登ろうとする。相変わらず階段で寝ていたり、荷物が放置してあったり、どこかで爆発音と魔力の光が部屋かれ漏れだしている賑やかな学園校舎。魔物とは無縁で平和な土地なのが、どこかうらやましくなってくるが。

 そんな俺を否定するかのように学園長は足を止めた。


「どこへ行くつもりだ、盗賊クン」

「ん? サチのいる神秘学研究会だが……?」

「おっと、そうか。君たちはまだ知らないんだった。これは失礼したよ」


 ん?

 どういうことだ?


「彼女たちは今、学園校舎にいない。付いてきたまえ、案内しよう」


 意気揚々と歩き出す学園長。

 どういうことだろう、と俺とパルは顔を見合わせた。

 ルビーは相変わらず本に夢中で、俺たちの話を聞いているのかいないのか。


「そうですわね」


 と、虚空に返事をしているのだった。

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