~卑劣! 弟子はふにゃふにゃ、吸血姫はぴかぴか~

 しばらくぶりに味わう黄金の鐘亭のベッドの心地良さ。

 どこまでも沈んでいくようなふわふわなベッドだが、しかし反発する感覚はしっかりとあり、ただただ柔らかいだけのベッドとか違う。

 絶妙な柔らかさと絶妙な反発力。

 しばらく普通のベッドにお世話になっていただけに、余計に素晴らしさが分かるな。


「ニュウ・セントラルでのベッドも気持ちよかったが」


 こっちの黄金の鐘亭のベッドのほうが心地いいな。

 そんな風に寝心地を楽しみつつゴロゴロしていると、パルとルビーが部屋に入ってきた。

 リンリー嬢との会話を切り上げたのか。

 はたまたリンリー嬢に仕事が入ったのか。


「リンリーさん、お土産よろこんでくれました」


 どちらにせよリンリー嬢が嬉しそうでなによりだ。

 宿の従業員に嫌われていては、本拠地もなにもあったもんじゃないしな。


「えへへ~」


 パルは嬉しそうに隣にベッドに飛び込む。

 むにゅむにゅと心地良さそうな表情で枕に頬ずりしだ。


「立派な部屋ですわね。わたしのお城とそう変わらないのではないでしょうか」

「それは言い過ぎじゃないのか」

「いえいえ、正直な感想ですわ」


 ルビーは部屋の中を見渡して、奥の扉を開ける。


「わ、お風呂までありますの!?」


 宿屋で部屋に個別のお風呂があるなんて、相当な贅沢とも言える。

 しかも、毎日ちゃんと掃除してもらえるし、お湯は常に継ぎ足されている状態。朝だろうが昼だろうが夜だろうが、いつでも入ることができる。

 贅沢ここに極まれり。

 街一番の宿であり、その宿の一番良い部屋というのは、なにも誇張された情報ではない。

 しかし――これに慣れてしまうと、相当な矯正が必要になってくるだろうな。

 あまり長居しないようにして、サバイバル訓練でもしていようか。

 キャンプしてくると言えばリンリー嬢も納得してくれそうだ。


「師匠さん師匠さん! お風呂に入ってもいいですか?」


 ルビーの瞳がキラキラと輝いていた。

 贅沢に目がくらんだのではなく、単純に好奇心のようなものだろう。


「別に俺の許可なんか取らなくてもいい。自由に入っていいぞ」

「いえ、師匠さんが覗きやすくするためです」

「覗かない。覗くぐらいなら一緒に入るさ」

「では、ご一緒に」

「断る」


 あ~ん、とルビーは困ったように笑いながら――それでも楽しそうに浴室へと入って行った。


「パルはいいのか?」

「んむにゅ~」


 なんだその返事、と思ってパルを見たら。

 ふかふかベッドでとろけていた。


「あたしは、後でいいです~。あと、リンリーさんがもうすぐ休憩なので、いっしょにお菓子を食べま~す」

「なるほど。そのまま寝てしまわないようにな」


 学園都市では普通の宿だったので、ベッドの質も普通だった。

 その『普通』に慣れてしまった場合、やっぱり黄金の鐘亭のベッドの良さに屈服してしまうのも無理はない。

 盗賊としては失格だけどな。

 貴族の屋敷に忍び込んだ盗賊が、ベッドのあまりにも心地良さに思わず寝ころんでしまい、そのまま朝を迎えて捕まってしまった。

 そんな伝説を残してしまいかねないので、パルには是非とも高級ベッドに慣れる訓練が必要だな。

 まぁ、毎日このベッドで寝るだけの訓練だが。

 野営での野宿の訓練と高級ベッド慣らし。その両方をやると、人間ってどうなってしまうんだろう?

 ちょっと気になる。

 ――どこでも寝れる人間が誕生するだけか。

 つまらん結果になりそうだったので、俺はベッドから跳ね起きた。


「よし。俺は盗賊ギルドに報告に行ってくる。リンリー嬢によろしくな」

「ほえ、あたしも行きますよ~?」

「ひとりで充分だ。リンリー嬢と約束があるんだろ。ゆっくりしとけ」

「ふあ~い」


 一応、ルビーにも声をかけておくか。


「おーい、ルビー」


 覗くわけにもいかないので、扉の前から声をかけた。


「は、はは、はい、師匠さん! ちょ、ちょっと待ってくださいまし! こ、っここここ、心の準備が!」


 なんの準備だ!?


「違う。盗賊ギルドに行ってくるんで、ゆっくりしといてくれと言いたかっただけだ」

「あはは、ルビーのへたれ~」

「う、うるさいですわ! 油断していただけですぅ!」


 パルは積極的にいっしょにお風呂に入ろうとしてくるが……

 ルビーは恥ずかしいらしい。

 もしかして、意外とルビーは押しに弱かったりするんだろうか。押せばなんとかなっちゃう系ロリババァなんだろうか。

 まぁ、確かめるわけにもいかないけど。

 なにをやったところで、最後に負けるのは俺だろうし。夜に仕返しをされたら、どうしようもなくなるし。

 俺にはメリットが無い。

 うん。


「じゃぁ、行ってきます」

「いってらっしゃい、師匠~」


 ふにゃんととろけたまま、パルは手を振った。

 部屋から出て廊下を歩いていると、セカセカと掃除を進めるリンリー嬢がいた。ちょっと楽しそうな表情は、パルとルビーとの休憩を楽しみにしているから、なのかもしれない。


「あれ、もうお出かけですか?」

「ちょっと用事を済ませてくる。パルのために急かしてしまっているようで悪いな」


 というわけで、リンリー嬢にチップとして中級銀貨を一枚渡しておいた。


「ちょ、こんなに!?」

「美味しい物でもいっしょに食べてくれ」


 断ろうとするリンリー嬢に手を振って、俺はそそくさと宿を出た。

 さてとりあえず――

 黄金の鐘亭の真ん前にある中央広場。

 そこにある屋台のひとつ、ジュース屋に立ち寄る。


「いらっしゃいまー」


 相変わらず『せ』を言わないのだな、このジュース屋。


「リンゴジュースをひとつ」

「はーい」


 素焼きのコップにトクトクとリンゴジュースを注いで、お姉さんは差し出した。俺はそれを受け取ると、ちびりと飲む。甘酸っぱいリンゴジュースだった。


「仕事は終わったのですー?」


 のほほんとした感じでお姉さんが聞いてくるので、俺はうなづいた。


「あぁ、特に問題なく。今から報告に行くところだ」


 俺は周囲を見渡しながら、世間話をするように話しかけた。


「なにか変わったことはあったか?」

「ん~?」


 お姉さんは首を傾げる。

 なんとも言いたげな指が、すりすりと親指と人差し指を重ねてこすらせていた。

 お金をよこせ、という動きにしか見えない。

 まったく。

 世間話くらい普通にしたいものだが?


「はぁ~」


 ため息をつきつつ、お姉さんに上級銅貨を二枚渡した。

 ジュース代と情報料だ。


「ケチ」


 のほほんとした雰囲気がお姉さんから消えた。

 細くにこやかに笑う目から、盗賊特有の鋭い目つきに変わる。


「情報収集じゃなくて、ただの挨拶に来ただけだからな」

「なにか欲しい情報があるのかと期待しちゃったじゃないか」

「俺はそんな働き者じゃない。まだ前の仕事の報告も終えてないし」

「ふ~ん。まぁ、ここ最近は特に変わったこともないよ。無事に橋も完成して、にぎやかになってきたところだ。ちょっと前まで開通式でお祭りもやってたよ」

「そうなのか」


 豪雨で手痛い失敗した橋の工事。

 死者まで出してしまった大きな案件は、ジックス街のイヒト領主の威信に大きくヒビを入れていた。

 下手をすれば領主の地位を剥奪されかねない自体だったが、なんとか持ち直せたようだ。


「良かった良かった。故郷が荒廃してしまうのは嫌だからな。これで平和になる」

「多額の寄付により完成した、と領主が泣きそうな声で語っていたよ。さて、どこの誰が寄付したのやら」

「さぁ、知らないね」


 俺はクイっとコップをあおって、残りのジュースを飲み干した。


「ありがとうございまー」


 ジュースを飲んでいる間に、お姉さんの雰囲気は盗賊のそれからほんわかした物に戻っていた。


「ありがとう、美味しかった」

「はいー。またいつでもどーぞー」


 俺は軽く手をあげて、屋台を後にする。

 特にこれといった事件は無し、ということか。

 むしろ、橋が完成して良いことがあった、という状況だ。

 街に活気が戻ってきた、というよりは、新しく活気が生まれてきた、と表現するほうが正しいのかもしれない。

 俺はそのまま街の雰囲気が明るくなったのを感じつつ、商業区へと向かった。

 人通りも多く、賑わっている店もある。

 さすがにニュウ・セントラルを訪れたすぐ後ということもあって、どうしても見劣りしてしまうが。それでも以前に比べれば充分な賑わいだろう。

 そんな商業区をぐるりと回るように歩いていき、酒問屋『酒の踊り子』に到着した。


「よう、いらっしゃい」


 筋骨隆々の店員が、俺を見てにっかりと笑う。


「珍しい物が欲しいんだが?」

「いろいろそろってるぜ」

「試飲させて欲しい。そうだな……ノティッチアかフラントールを」

「それなら奥にあるな。悪いがいま手が離せない。自分で探してきてくれ」

「仕方ない。勝手に視させてもらうよ」


 俺は肩をすくめながら奥の部屋へ移動する。酒樽が積まれた部屋の中には机がひとつ。その下に隠されるようにある地下への階段に、体を滑り込ませた。

 そのまま階段を下りていく。

 すぐにろうそくの明かりに照らされたフロアに到着したが、こちらはフェイク。

 幻の壁の向こう側がホンモノの盗賊ギルドだ。

 というわけで、壁をすり抜けると――


「ひひ、ふひひひひ、ひは、ははははは、あはははは、はははははははは!」


 ゲラゲラエルフがすでに死にそうなくらいに笑っていたのだった。

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