~勇気! あたらしい仲間は半透明!?~
魔王領にも雨が降るのか……
朽ちかけた小屋の中で、そんなことを思った。
なんとなく魔王領には雨は降らないものだと思っていた。いつも空は分厚い雲で覆われているだけで、天候の変化は乏しい。
もしかしたら、僅かだが季節の変化があるのかもしれない。
雪が降ることもあるのだろうか。
もしも雪が積もったら――
色の乏しい魔王領は、余計に寂しいことになりそうだ。
「いつつつ……」
魔王直属の四天王のひとり、『乱暴のアスオエィロー』との戦いで、僕の体はボロボロになってしまった。
致命傷はひとつもなかったものの、限界以上に動いてしまったせいで体のあちこちが悲鳴を通り越して絶叫をあげている。
しばらくは歩くことはおろか、立ち上がるのにも苦労してしまうほどのダメージとなってしまった。
「はぁ……」
体を起こすにも一苦労。
まるでお爺ちゃんになってしまった気分だ。
それでなくとも、おんぶされて魔王領を逃げ惑うのは、なんというか非常に情けない気分だった。
まぁ、見捨てずに運んでくれる仲間には感謝しかないけれど。
しかし――
「勇者っていうのも、楽じゃないなぁ~」
仲間には見捨ててもらえず、だからといって甘えるわけにもいかず。
なにより、生にしがみついている自分がいることに気付いてしまった。
そう。
僕は、生きようとしてしまったのだ。
あの戦いで。
アスオエィローの戦いで。
もう一歩、踏み込めたら――
あそこでもう少し、力を込められたら――
そんな反省ばかりが思い浮かんで、嫌になってくる。
いっそのこと、相打ちで良かったんじゃないか。
次の勇者に、残り三人となった四天王と魔王を倒してもらえれば……
僕としての役目は立派に果たせたんじゃないのか。
そんなことを思ってしまう。
「いや、四天王は残りふたりだったか」
思い出して、くつくつと笑ってしまう。
でも腹筋の引きつるような傷みにもだえるように、体を『く』の字に曲げた。
「ぐぅ……!」
歯を食いしばって傷みが引くのを待つ。
あぁ、なんて情けないんだ。
体力と魔力、精神力を使い果たしたまま戦い続けただけだというのに、この体たらく。
無理やり周囲の魔力とか取り込んで動き続けたツケが、まるまる自分の体に跳ね返っていた。
体の中というよりも、魂に直接ダメージが入っているような感じか。
僕という存在そのものに傷が入っているのだから、肉体が痛むのも無理はない。
あぁ、まったく。
伝説の勇者と謳われる英雄になるには、すでに年を取り過ぎたものだ。
「『僕』じゃなくて、『ワシ』とか使ってみようか」
そんな冗談に応えてくれる仲間もいず、僕は朽ちかけたベッドの上で盛大にため息をこぼした。
「――あたしは『僕』のほうがいいと思うなぁ」
突然に聞こえてきた声。
ぞくり、と背中が震える感覚に、僕は思わず布団をはねのけて立ち上がった。
だが――
「ぐぅ……ッ!」
そこで全身に傷みが走り、立っていられなくなった。
ベッドに倒れ込む衝撃で目の前がクラクラする。
ダメだ。
マジで情けない話だけど、俺の体はもうマトモに動かせないのかもしれない。
体がヒヤリと冷たく空気を感じた。
まるで死神に背中をさすってもらっている気分だ。
「大丈夫、お兄ちゃん?」
どこから聞こえてくる声に、俺は苦笑した。
「ぼ、僕はもう、お兄ちゃんと呼ばれるような年齢じゃない……よ」
幻聴だろうか。
まさか僕は、この期に及んで妹なんかを欲しがっているのだろうか。
まったく。
あいつじゃあるまいし。
まぁ、でも――ギラギラした瞳でこちらを見て来ない年下の安心できる女の子、という条件では今の状況では嬉しいのかもしれない。
なにせ賢者と神官ときたら。
どっちが僕の体をお世話をするのかでケンカしてるぐらいだ。ひたすらねっとりと体を拭かれるのは、精神的に非常に疲れるのでやめてもらいたい。
おじさんになってしまったとは言え、僕も男だ。
必死に我慢するこっちの身にもなってくれ。
蛇の生殺し状態になってしまう。
もっとも――
なにせ、体はボロボロなわけだから……動こうにも動けないし、反応もしない。残念ながら間違いは起こりようがないので、安心といえば安心なのだが。
でも恥ずかしいし、ドキドキしてしまうので、ヤバイ。
うん。
いやいや。
まったくもって余裕があるのか無いのか、さっぱりと分からない状況だ。
いっそのこと、ふたりとも僕の女にする、と宣言したほうが平和に過ごせるだろうか。
「……いや、どっちが第一夫人になるのかで揉めそうだな」
一番目と二番目にそう違い無いだろうけど、あのふたりのことだ。
ぜったいに揉める。
よし、この案は却下だ。
やめておこう。
「結婚するの?」
「いや、しないよ」
「ふ~ん。お嫁さんを見れるかと思ったけど、残念だわ」
……幻聴だよな?
どうにもはっきりと聞こえてきているような……?
「え~っと、君はどこにいるんだ?」
「ここだよ」
そういって、ベッドの下から現れたのは――ゴーストだった。ベッドの下から這い出てきたのではなく、ベッドを貫通して立ち上がったとも言うべきか。
長いウェーブがかったピンク色の髪に、フリルがたっぷりあしらわれたパジャマ。手にはクマのぬいぐるみを持っていて、大きく眠そうな瞳もピンク色だった。
ただし、その全てが半透明で向こう側が透けて見える。
そのせいで、髪も瞳も紫色に見えた。
「えへへ」
可愛らしい女の子のゴースト種だった。
――そうか。そうだよな。
魔王領に来るまで、魔物が共通語を喋るなんて知らなかった。ギャギャギャと騒ぐように話す魔物はいたが、それが言語には思えなかったわけで、魔物とは意思疎通が計れない存在だと思っていた。
ゴーストにしたって、そうだ。
今まで見てきたゴーストは、白くて骸骨のようなおぼろげな姿をしていた。
だけど、ここは魔王領。
共通語を話す、意思疎通ができるゴースト種がいても不思議ではない。
「こんにちは。えっと、君の名前を教えてくれるかな?」
「いいよ、お兄ちゃん。あたしは陰き――アビィ・インキーだよ」
「インキーさん」
「ぶぅ。アビィって呼んでよ、お兄ちゃん。アビィちゃんって呼んでくれたら、嬉しいな。お兄ちゃんはなんていう名前なの?」
「僕かい?」
えぇ、とアビィは無邪気にうなづいた。
もしかして、この朽ちた家に住んでた少女なんだろうか。僕を殺しに来たとか、そういう雰囲気はない。
ここは僕が勇者だということを伏せて置いたほうがいいだろう。彼女の目的は分からないが、それでも用心しておいたほうがいい。
僕はアビィに自分の名前を名乗った。
悪魔には本名を知られてはいけない、なんて話があるけれど。ゴーストに対してはそういう話も聞いたことがないので大丈夫だろう。
たぶん。
不用心な、とあいつに怒られるかもしれないな。
いや、でもアビィは可愛い女の子だからな。あいつの好みにピッタリだし、ホイホイと名前を名乗るかもしれない。
イエス・ロリィ、ノー・タッチだっけ。
アビィなら、その原則を必ず守れる。
なにせ、こちらから触ることが不可能なのだから。
「ところでアビィ。どうやってここに入ってきたんだい?」
小屋の周囲には神官が魔物を退ける結界を張っているはず。それに加えて、賢者が防護の結界と感知の結界を貼っていて、更には戦士が周囲を見張っていた。
本当ならこれに加えてあいつが離れた場所から監視している状況が、いつもの野営だったのだが……無い者をねだっても仕方がない。
一応は、世界を駆け巡ってきた僕たちだ。
おいそれと魔物に出し抜かれる覚えはない。
いったいどうやってアビィはこの三つの結界と見張りを越えてきたんだろう?
「え? 地面の下からもぐってきたけど?」
「……そうかぁ」
壁を抜けたり、天井から降りてくるもんなぁゴーストって。
それができるんだったら、地面の下から入ってくるのも簡単だろうね!
結界魔法も地上だけしか作用してないだろうし、地面の中まで見張れるわけもない。
油断していないだろうけど。
アビィに敵意があったら、僕は今ごろ殺されているわけか。
魔王領……
舐めてたわけじゃないけど、おいそれと休める場所はどこにも無いのかもしれない。
「あれ、ダメだった? なんか痛そうな魔法があったし、ジロジロと見まわしてるおばさんとおじさんがいたから、もぐってきちゃった」
「おばさんって……あはは! いつつつつつ――!?」
笑ってしまったら、また腹筋に傷みが走ったので、僕はお腹をおさえてうずくまる。
「あらら、大丈夫? お腹が痛いときは、さすってあげるのがいいのよ」
アビィはそう言って僕のお腹に手を添えた。
添えたっていうよりは、体の中に手を挿し込んできたっていうほうが正解かもしれない。
でも――
不思議と気持ちよかった。
熱を持っていた体に対して、ヒヤリと冷たいアビィの手が気持ちいい。まるで、暴走して暴れまわっている僕の体を静めてくれているような感じだった。
「ありがとう、アビィ。とても心地良いよ」
「ホント! んふふ~……さすがお兄ちゃん、あたしの良さを分かってくれるなんて嬉しいわ。みんな体に手を入れるなって怒る人ばっかりなの」
まぁ、確かに。
普通だったらゾワゾワして奇妙で不気味な気分かもしれない。
ヒヤっとするし。
でも、今はアビィの冷たい体が気持ちよかった。
夏の暑い日に、小川で水浴びをしているような心地良さを感じる。
そういう意味では、僕の体は相当に熱を持っているのかもしれない。
「アビィは、いつもは何をしてるんだい?」
「ん~、好きなことをしてるよ。ふらふら飛びまわったり、魔物をやっつけたり、人を驚かせたり」
「魔物をやっつける?」
ゴーストが魔物を倒してるって、どういうことだ?
「ん~とね、人間は減らしちゃダメだから。魔物に襲われてる村とかを見回っているの。で、その途中に魔物を見つけたら、えい、ってやっつけるの。そういうことやってるよ~」
人間は減らしてはいけない?
どういうことだ?
魔王領における人間の扱いは、見てきた限りは悪い。奴隷とまではいかないが、あまり自由を与えられている感じではなかった。
それに――食料として売られているところも見た。
家畜として扱われている種族もあり……思い出したくもないが、『牧場』もあった。
人間種は減らしてはいけないというのは、そういう管理めいた話なんだろうか。
良く分からないな……
「アビィ。君は、強いのかい?」
「ん~……どれくらい強いのかは分かんないけど、魔法は得意だよ。危なくなったら地面の中に逃げればいいし」
なるほど!
「頭いいな、アビィ。僕たちとは大違いだ」
「そうなの?」
あぁ、と僕はうなづきながら苦笑した。
「アスオエィローって知ってるかい?」
「うん、アスオく――アスオエィローっていう四天王だよね」
アスオク?
アスオエィローの別名だろうか?
それはともかく、そうそう、と僕はうなづいた。
「乱暴という名の彼に、僕たちは見事に策略にハマってしまって。逃げることもできなくなって、この有様さ。もしも君が仲間にいたら、そうなる前に逃げられたかもしれないし、ここまでダメージを負うこともなかったのかもしれない」
もちろん、無いモノねだりだけど。
僕はそう言って、笑った。
アビィがいたら……あいつの代わりになったかもしれない。スキルマスターの盗賊の代わりに、周囲を警戒し、監視し、状況を把握し、的確に対処してくれた……かもしれない。
なんてことは、まったくもって荒唐無稽な話なわけで。
やっぱり、無い物ねだりでしかないか。
「ふ~ん。お兄ちゃんはこれからどうするの? ここでず~っと眠ってる?」
「そういうわけにもいかない。僕たちは『知恵のサピエンチェ』という四天王がいる城まで行かないといけないんだ」
ピクリ、とアビィが反応した。
そりゃ四天王の名前を魔王領で生きるゴーストが知っていて当然か。
「どうしてお城に行くの? サピエンチェのお城までここから遠いよ?」
「仲間が待っている」
詳細は分からない。
でも、あいつからそうメッセージが届いた。
四天王のひとり、知恵のサピエンチェをどうしたのかは分からない。
が、しかし。
とにかくその四天王がいる城を目指すしか、今の僕にできることはない。
もっとも――
「僕の傷がまったく癒えないから、動けないでいるんだけどね」
神官の回復魔法は、あくまで傷が回復するだけだ。
ポーションの類も同じ。
切断された腕や足が元に戻るわけではない。
限界以上に動いてしまった僕の体……いや、僕の魂は、それこそ破壊されてしまった状態なんだろう。
神さまの加護が届かない魔王領においては、おいそれと回復できるダメージではなかった。
だからこそ、この朽ちかけた家で足止めされている。
もうとっくに、僕の全盛期は過ぎ去っているのに……こんなところで寝ている場合じゃないっていうのに……
どうしようもないもどかしさを感じてしまっていた。
「案内してあげようか?」
「え?」
「知恵のサピエンチェがいるお城だったら知ってるよ。魔物がいない安全なルートは空から見たら分かるから、あたしが案内してあげるよ」
「いいのかい?」
「うんうん、もっちろん! 魔物が出たら、あたしがやっつけてあげるよ!」
「そ、それは頼もしい!」
あいつがいなくなった今、周囲を安全に探索できる方法が乏しくなっていた。
本来ならこんな少女に頼める役割ではない。
でも。
彼女はゴーストであり、普通の攻撃は一切きかない。魔法にだけは気を付けないといけないけど、それはアビィが重々承知しているはずだ。
むしろ、安心して探索を任せることができる!
「お願いするよ、アビィ。是非、是非とも僕の仲間になって欲しい!」
「んふふ~。いいよ~。この陰き――アビィ・インキーに任せて、お兄ちゃん」
わーい、と嬉しそうにアビィは両手をあげた。
偶然にも、こんなところで新しい仲間が増えるなんて思ってもみなかった。
無邪気ながら、人間のために魔物を倒して旅をしているような女の子。
アビィ・インキー。
女の子だけど、きっと神官と賢者も認めてくれるはず。幼いし、なによりゴーストだから、そうそう彼女たちは警戒しないだろう。
まぁ、僕がハッキリと彼女たちを断ればいいんだけど。もしくは、神官か賢者、どちらかと選べばいいんだけど。
パーティの恋愛問題って難しいので、のらりくらりとかわし続けるしかない。
それでも――
あぁ!
やっと魔法使いが仲間になってくれた!
後方支援がひとり増えたから、グッと楽になれるはず!
これで。
これでもしもあいつもいたら、完璧だったのに――!
「いや、それこそ無いモノねだりか」
僕は頭を振った。
あいつはあいつで、俺をバックアップし続けている。なぜか反応がひとつ増えてるけど。
聖骸布でお互いの位置が分かる能力がおかしくなってしまったかと思ったけど、あいつは確実に魔王領にいた。
それがきっと知恵のサピエンチェの城なんだろう。
パーティではなくなったけど。
あいつは仲間でいつづけてくれる。
「どうしたの?」
「いや、なんでもないさ。これからよろしく、アビィ」
「うん! よろしくね、お兄ちゃん」
にっこりと笑うゴーストの少女。
もうしばらくは、僕は戦えないかもしれないけど。
でも、無駄な戦闘はアビィのおかげで避けられるようになる。
これでようやく、進めるかもしれない。
勇者として、魔王を倒すために。
一歩一歩を着実に。
この魔王領を進んでいきたいと思う。
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