~卑劣! 長距離移動の証拠は君に決めた~
その後も転移の腕輪の実験は、慎重ながらも着実に進んでいった。
複数での転移できることが分かったので、次は実際の人間との転移。これはパルが背中にしがみつき、無事に完了する。
「なんか深淵って怖い」
パルの発言から、俺が感じている『無』の空間もパルも知覚していることが分かった。その言葉を元にルビーとも転移してみたところ、やはり『無』を感じたらしい。
「影の中とは違いました。同じ闇でも、闇であるのと無であるのとでは、やはり違いますわね。言葉にするのは難しいですが」
影と無についての違いを学園長は多いに気になったようで、ルビーに問いただしていたが……残念ながら、影の中を体験できないのでルビーにしか分からないものだった。
次は人数を増やしての実験。
パル、ルビー、学園長の三人を連れて地下室から転移する。全員をロープでしばり、三人は手をつないで、パルとルビーが空いているほうの手で俺の服をしっかりと掴んだ。
「ふひ、ふひひひひひ」
地下室に響く不気味な笑い声。
もちろん学園長である。
今まで実験の観測者側にいなければならないので、ようやく体験できるとあってか、楽しみが抑えきれないらしい。
「わたしが魔王さまでしたら、一番に滅ぼしておきそうな笑い声ですわね」
「あたしが魔王でもそうしてる」
「私が魔王だったら、今すぐ魔物の叡智と人類種の叡智を統合させて、もっと面白い世の中にしているよ」
イカれた笑い声を発する人間種が、一番まともなことを言うのはやめてほしい。
「あぁ、人類に幸あれ! ふはははは! はーっはっはっはっは!」
という、学園長の不気味な笑い声と共に俺たちは転移した。
もちろん、無事に成功――したものの、着地はうまくいかなくて、本の山をいくつか崩してしまった。
あまり空中の高い位置に転移するのも考え物だな。
「いたたたた……いや、実に興味深い! あれが『無』か! あれが『深淵』か! うひょー!」
盛大に尻もちを付いたものの、無事に転移を終えた学園長は研究者たるドワーフたちの元へすっ飛んで行った。
転移の腕輪の研究から、深淵へと興味がうつったのかもしれない。
複数人での転移も可能と分かったので、次は地下室ではない場所からの転移となった。つまり、魔力で満たされていない場所で無事に転移の腕輪が発動するかどうか。
中央樹の空間の端っこ――誰も近づかないように距離を置き、周囲に何も無いのを確認してから、中央樹の根本付近へと転移した。
さっきよりも距離が近いせいか、いわゆる『深淵』にいる無の時間が少しばかり伸びた気がする。まぁ、本当にわずかな差ではあるし、意識していないと分からない程度ではあるが。
「やはり距離のせいか。なるほどなるほど……となると、ゼロ距離転移だと、深淵を長く味わえることに……ふむふむ」
学園長の興味はすっかりと深淵にうつってしまっていた。
他の研究者たちが俺の転移前の場所で魔力関連を調べているというのに、この学園長が他にうつつを抜かすのは酷くないか?
「師匠が頑張ってるのにひどい」
「新しいことに夢中になるのは当然ではないでしょうか」
パルは俺の味方だったが、ルビーは学園長の肩を持った。
ロリババァ同士、馬が合うのかもしれない。
「……どっちでもいい」
そして中立の意見がひとり。
しばらく中央樹に滞在しているのでサチが遊びに来てた。
段々と俺たちの居住スペースが中央樹の空間にできていき、今ではサチの冒険者セットを使って簡易テントまで張ってある。
もう少し経てばクララスもやってきて、料理を作り始めるかもしれない。
本と紙束ばかりの空間なので、火を熾すのだけは注意しないとな。
その後、周囲の魔力消費も問題ないことが確認されて、ふたり、三人、四人での転移を試し、学園の外から中央樹への転移する実験も無事に終了した。
今のところ問題無く、実験は順調に進んでいく。
「よし、ではいよいよもって長距離移動をしてもらうぞ盗賊クン。場所は盗賊クンにお任せするが、きっちりと飛べたという証拠を持って帰ってきて欲しい。あと、残念ながら転移の腕輪のチャージ時間を短くする方法は現状では不可能だと結論付けている。根本的な問題であることから、これを解決するにはゼロから作り直すレベルと思ってもらいたい。つまり、転移の腕輪の連続使用は不可能だ。そういうわけなので、移動先でしばらく滞在してもらうことになる。そのつもりで行き先を決定してもらいたい」
「ふむ」
しばらく滞在できて、それでいて滞在先が分かる証拠を持ち帰る。
その条件で転移するとなると……
「では、ドワーフ国に転移する。戻ってくる前に証拠品も用意できるだろう。ルビー、ひとつ頼みがあるんだが、いいだろうか?」
「確認するまでもありません。ひとつと言わず、師匠さんのお願いでしたら全てを叶える所存ですわ」
物凄い甘言に、苦笑してしまうな。
傾国の美女と謳われる存在の伝説は、もしかしたらルビーのような共通語を話せる人間のような魔物が正体だったのかもしれない。
「では――」
と、俺はルビーにいろいろと注文をつけた。
その後、パルとサチと学園長も加わって、ここはこうがいい、こっちはこんな感じで、ついでだからこうしよう。みたいな改良を適当に加えて完成したものを適当なズタ袋に押し込んだ。
「それじゃぁ行ってくる。パル、ルビーに適当に訓練してもらっとけ。サチ、パルをよろしく頼む」
「はい、分かりました! いってらっしゃい、師匠」
「いってらっしゃいませ、師匠さん」
「……いってらっしゃい」
ズタ袋を背負って、俺は転移の腕輪にマグを触れさせた。問題なく青く輝く腕輪とマグ。それを確認してから、ドワーフ国の門前をイメージした。
ふぅ、と息を吐き――俺は発動キーを唱える。
「アクティヴァーテ」
その瞬間、身体は浮遊感を感じて目の前の景色が入れ替わる。暗い中央樹の空間から、明るい太陽の下に一瞬で転移した。
中央樹に長くいたので時間の感覚が麻痺していたが、どうやら今は昼間らしい。
本日の天気は晴れ。
突き出した丘が山のように高く、崖のようになった側面をくり抜いたような場所にそびえたつ美しい城が見えた。
豪奢で細部に渡るまで意匠をこらした城は、間違いなくドワーフの手によるもの。
「ふぅ」
どうやら無事にドワーフ国の王都『ピードット』に転移できたようだ。
これで確信を持って『転移の腕輪』は問題なく長距離転移も可能、と言っていいだろう。あとはドワーフ国に来たという証拠を持ち帰ればいいだけ。
俺は手早くドワーフ国に入国すると、かつて知ったる場所を訪れた。
そう。
宮廷彫刻家、ララ・スペークラの工房だ。
「失礼する」
ノックしても無駄だろうから、俺は遠慮なく扉を開けて中に入った。まぁ、予想通り鍵はかかっていない。
本当に有名な宮廷彫刻家なのだろうか。
不安になってしまうな。
相変わらず作品が通路に雑多に置かれており、それらを見ながら奥へ進むと――
「あ、あぁ、あ……ふ、筆……筆を……」
天才ドワーフ芸術家が死にかけていた。
また飲まず食わずで作品を作り続けていたのだろう。それも仕事の彫刻ではなく、趣味の少女画のほうで。
「筆の前にポーションだ」
震える手にポーション瓶を持たせてやる。
ハイ・エルフといいドワーフ少女といい、スタミナ・ポーションの消費が激しすぎないか?
趣味に没頭する者は、漏れなくスタミナ・ポーションを常備するべきである。
神さまもきっと推奨してるはず。
死ぬ前に飲め、と。
「んく……んく……ふはぁ」
弱り切っていたララの表情が多少はやわらいだ。ような気がする。
まったく。
いったいどれくらいの時間、絵を描き続けていたのだろうか。
聞くのも恐ろしい。
「ララ。君は結婚するべきだと思う」
じゃないと作品と引き換えに命を失うのではないだろうか。
そんな心配しつつ、ララに工房の中にあった干し肉を手渡した。多少は回復したのか、しっかりとした動きで干し肉を口に運ぶ。
「硬い……って、同志エラント。いつ来たの?」
「たった今だ。本来なら干し肉を噛みほぐして口移ししてやるところだが……パルも連れてくれば良かったか」
「美少女の口移しなら死んでもいい」
「死ぬな」
とりあえず、ポーションと干し肉でララを強制的に復活させておく。後で食料品を買い込んで渡しておこう。
じゃないと、いつかホントに死んでしまいそうで怖い。
「で、なんの用? 助けに来てくれたの?」
「商売に来た」
指紋だらけのスペークラ(メガネ)をかけなおしつつ、ララは首を傾げた。サチのメガネは綺麗だけど、ララのメガネは汚い。
やはり結婚するべきだと思う。俺以外のヤツと。
「商売? わたしを奴隷商人に売るより、わたしの絵を売るべきだと思う」
「おまえは自意識過剰なのか、それとも自信家なのか、さっぱり分からんな」
俺はそう言いつつ、ズタ袋を閉じていた紐を解放して、中身を取り出した。
もちろん、それはルビーが作り出した影人形。
それもハイ・エルフも凌駕するんじゃないかってくらいの超絶美少女であり、これが神さまだと言っても信じられるほどの神々しさをサチが演出して、パルの要望でほんのちょっと胸が小さくなって、学園長の仕上げで細部に渡ってリアルに作りあげられて、ルビーの意向で黒髪ロングとなった等身大少女人形だった。
もう限界ギリギリの危うさだ。
あまりにもリアルなために、人形であるのに生きてるような錯覚を覚え、呼吸をしていないというのに、違和感を覚えない。
これこそ、神さまの依り代にピッタリという感じの影人形だった。
なので――
「あ、あば、あばばばばばば! あばばばばばばばばばばばば!」
一目見てララが壊れた。
無理もない。
気持ちは分かる。
分かるけど、よだれを垂らしながら近寄ってくるのは、やめてもらいたい。
「止まれ、止まるんだ、ララ・スペークラ。それ以上近寄ったら、この取引は無かったことにする!」
「わ、わわわ、分かった。分かったよ、同志エラント。止まる、止まるから。ふふ、ひひ、ひひひひひ! はぁ、はぁはぁはぁ、はぁはぁはぁはぁ――!」
ふぅ、ふぅ、と鼻息荒くララはその場に座る。今にも飛びかかってきそうなほどの臨戦態勢にも思えたが、気のせいだ。気のせいと思いたい。
おかしい。さっきまで死にかけてたとは思えないほどの生命力だ。
「こいつは俺が手に入れた最高級の人形だ。このように……自由に手足を動かせる。目も開くぞ。口も開くし、舌も取り出せる」
「おほ、おほほほほ!」
なぜかララが拍手した。
気持ちは分かる。分かるが怖い。反応が怖い。
「つまり、自由にポーズを取れるってことだ。まぁ立たせるのは難しいが」
さすがに自立させるのは難しい。
「同志エラントの下半身を立たせ――」
「いわせねーよ!?」
「あ、はい」
「……こほん。というわけで、ララ・スペークラ。取引といこう。この人形をくれてやるので、一枚だけ絵を描いてくれないか」
「二枚描こう。いや、五枚くらい描かせてください」
だから反応が怖いって。
「一枚でいいです……取引成立だ――うわぁ!?」
ララが飛びかかってきたので、俺は影人形を慌てて彼女に引き渡した。
「う、うひょー! すごいすごいすごい! やわらかい! やわらかいよ同志エラント! あぁ、なんて美少女! なんて禁忌感! 死体でもなく、無機物でもなく、ましてや有機物でもない! 彫刻では絶対に出せない味だ。味!? 味か! あ、同志エラント。この子にキスした?」
「してない」
「ファーストキッス!」
ララは遠慮なく影人形のくちびるを奪った。
怖い。
気持ちが分かるのが怖い。
同志と呼ばれている事実が、俺を苦しめてくる。
ごめんなさい。
そりゃロリコンって人々から嫌われるわ。
しょうがないわ。
ごめんなさい。
実は俺も触りたいとか思ってて、ごめんなさい。
「今から!? 今から描いていいですか!? この子を描きたい! 描きたいんです、同志エラント! お、お願いしますぅ、わたしの身体は好きにしていいから描かせてくださいぃ!」
「ババァには興味がねぇ」
「そうだった」
スン――と、同志ララの表情がリセットされた。
どうやら冷静になってくれたようだ。
良かった。
「俺はなにか食料を買い込んでくる。その間に一枚少女画を描いてくれ。仕上げもいらない。適当なラフでいいから」
「分かった」
そう返事したきり、ララの顔つきが変わった。
ロリコンから芸術家へ。
そのあたり、やはり俺の同志とは言えないくらいの凄さがあるので、なんともうらやましくもある。
俺も芸術家ならば、好きに少女を愛でても何も言われなかったのになぁ。
残念。
後でパルの絵も見せてもらおう。きっと可愛くて美しいんだろうなぁ。
なんて思いつつ。
食料の買い出しに出掛けるのだった。
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