~卑劣! ここはどこ?~
転移の腕輪。
発動させるためにキーを設定しておくのは、なるほど暴発を防ぐためには必要不可欠だというのが分かる。
場所を想像しただけで転移させられたのではたまったものじゃない。
イメージしたのなら魔王領ならまだマシだ。
仮に。
仮に、だ。
女風呂を想像してみろ。もしも行ったことのある女風呂があったとして、たとえばパルがお風呂に入っている際に場所を聞かれたとして。
その場所を想像した瞬間――俺はそこに転移されてしまうのだ。
どう言い訳をしても、どう言いつくろったとしても、俺の人生は終わる。
そう。
終わってしまうのだ。
「……いかんいかん」
そんなバカな考えが脳内によぎりそうになるのを拒絶して、しっかりと転移先を脳内にイメージする。
中央樹。
その近くの、誰とも何とも重ならない空間をイメージした。
最後の鍵は口頭での呪文のような言葉。
「アクティヴァーテ」
旧き言葉で『発動』を意味する。
その言葉を発した瞬間――
フッ、という身体が浮くような感覚と共に目の前が真っ暗になった。いや、元より真っ暗な部屋の中にいたのだから、真っ暗なのは当たり前。
だが、その暗さの種類が違った。
無。
なにも無い。
そんな真っ暗な空間に放り出されたような、感覚。
目を開けているのに、なにも見えない。
光さえも無い、そんな空間。
ここは――どこだ――!?
と、思った瞬間には、また別の空間に出た。浮遊感と共に、足元に高く積まれた本と紙束。そして中央樹の幹と、床を割るように這い出した中央樹の根。
そして、突然現れた俺の姿に驚く学園長たちとドワーフ。
「師匠!」
「師匠さん!」
パルとルビーの声を受けて、俺は少しばかりバランスを崩しながらも無事に本の上に着地することができた。
あぁ、申し訳ない。
転移する場所が悪く、本の上にしか着地できなかった。
著者には申し訳ないと頭を下げたい気分だ。何となくだが、ごはんを残す時と同じような罪悪感があるな。
物を大切にしましょう。
孤児院の先生が良く言ってた言葉を思い出した。
「諸君、地下室のチェックと転移の腕輪のチェックだ!」
「がってん!」
研究者と言えど、体力勝負。
そう言わんばかりに学園長の号令でドワーフたちがワァっと動く。慌てて地下室へ向かって駆けだしていくグループと俺の周囲に集まってくるグループ。あれよあれよという間に行動は開始された。
素晴らしい統率力にも思えるが、全員が全員、知識欲みたいなものに突き動かされているので学園長が素晴らしいのではない。
全員が素晴らしい状態だった。
「ふむふむ。見た目では無事に転生できたようだね。片腕だけ忘れてきた、なんてことは無かったようでなによりだ。皮膚だけ転生してきた、なんて日にはしばらく眠りにつくことはできなかっただろう。まずは無事に転移してくれたことを喜ばしく思うよ、盗賊クン。とりあえず座ってくれ。我々は身長が低いんだ。エルフは高身長という種族特性は、どうやらハイ・エルフには適応されていないらしいんでね。いったいどこで誰と交わってそうなったのやら。同胞に問いただしたいくらいさ」
実験が成功してか、学園長が怖いくらいに饒舌になっている。
冗談の方向性が酷いが、身長に関しては思うところが無いわけでは、ない。
どうして学園長はこんなに可愛い幼女みたいな姿なんだろう。もっと普通のエルフみたいな姿だったら、俺の印象に残らず、ここまで頼りにしなかったかもしれないのになぁ。
というか純潔にして純粋なハイ・エルフという存在は、みんな可愛い種族だったのかもしれない。
そう考えると、神話時代に地上にいた神さまたちが非常にうらやましく思う。
今でこそロリババァな学園長だが、ホンモノのロリロリな時代もあったわけだ。百歳くらいの学園長はもっと可愛げがあったのではないだろうか。
「盗賊クン、なにか失礼なこと考えてない?」
「いえ、ぜんぜんまったく?」
半眼でにらまれた。
嘘にはほんの少しの真実を混ぜるといい。
うん。
真実を混ぜるのを忘れました。
「見ろ、青だった紋様が黒くなっておる。恐らく魔力消費を表しているんじゃないか」
「なるほど、ではこの腕輪が黒くなった時に再び転移できるようになる。そう考えて良さそうですね」
「あ、ここから青くなってますよ。恐らくそうですよ」
俺の左腕をもぎ取る勢いでドワーフたちは転移の腕輪を観察している。なるほど、確かに青かった腕輪が黒くなっていた。
右手のマグのほうは……変化は無し。
「盗賊クン。体調に問題は? なにか変化があったりするかい? 内臓は全てそろっているかな? 歯が一本無くなっていることはないかい?」
「いや、どこにも問題はない。体調は良好だ。ただひとつ気になることがあったんだが」
「ほう。なんだい?」
俺は転移した時に見た『無』とも言える空間のことを、上手く説明できないもどかしさと共に学園長に語った。
「ふむふむ。盗賊クンは、それを『無』と感じたわけか。ふ~む……なるほど……うん。それは、もしかしたら『深淵』かもしれないね」
「しんえん?」
話を聞いていたパルが首を傾げる。ルビーも似たような表情だが、それは俺も同じ気分だった。
「深淵魔法の深淵だ。詳しいことを説明すると三日くらい必要になるが、どうする?」
「もちろん遠慮する。分かりやすく例えてくれ」
ちぇ、と学園長はくちびるを尖らせた。
この『教えたがり』め。
そんなんだから、誰も話を聞きに来てくれなくなるんじゃないか。
加減をしろ、加減を。
「深淵とはこの世界でも天界でもない、深き暗き場所。エルフに伝わるもうひとつの世界であり、深淵魔法の源でもある。転移の巻物もメッセージの巻物も、一度深淵に移動してから、こちらの世界に戻る。そんな処理が行われている。と、私は予想している」
ふむ。
良く分からん。
「分かんないよぅ、学園長。もっと分かりやすく教えて」
「そうですわ。いまいち理解が及びません。教え方の改善を求めます」
そんなパルとルビーの抗議を受けて、えぇ~、と学園長は腕を組んで頭を傾ける。
はっはっは。
こんな説明に困っている学園長は初めて見た。
だが、学園長はすぐに説明を思いついたらしく、足元の本を一冊拾い上げた。その本をぺらりとめくると、俺たちに向かって中身を見せる。
本の内容はなにかの研究資料なのか。複雑な線が引かれた挿絵が載っているが、それが何かは判別できなかった。
「例えば、この本を私たちがいる世界だとしよう。私たちは本の中で生きている。このページが私たちが今いる場所で、隣のページはお隣の国。最後のほうのページは魔王領。と、そんな感じをイメージしてもらいたい。そんな本の外側が深淵だ。つまり、私たちが今いる空間が深淵と仮定した場合、本の中が普通の世界となる。そうだね、君たちは本の中に登場する一文字一文字だと思ってくれたまえ。そんな文字列な君たちが転移の巻物を使用した。すると――」
パン、と学園長は本を閉じた。
「君たちは一度、本の外側に飛び出る。そして――」
学園長は再び本を開く。もちろんさっきとはぜんぜん違うページで、挿絵も何も無い文字だけのページだった。
「再び本の中に現れる。普通なら、1ページ1ページをめくりながら……つまり、歩いたり馬車であったり船だったりで移動していくところを、本の外側に飛び出すことによって、一気にページを飛ばすことができる。分かりやすく言うと、こんなイメージだ」
なるほど、分かりやすい。
どうやっているのか、それは分からないものの、イメージとしては分かりやすかった。
「おぉ~」
「理解できましたわ」
パルとルビーも納得したようだ。
「さて、盗賊クンが見たというか感じたその『無』を『深淵』だと仮定した場合だが……転移の巻物では、この深淵にいる時間が短くてスムーズに移動している。と、思われる。まだ確証は得られていないが、腕輪の精度が悪いのか、それとも別の問題があるのか。盗賊クンが深淵を感じ取れる程度には移動に時間差があったんだろう。それは初回だからこその状況なのか、それとも毎回起こるのか。もしくは距離が近すぎたからなのか。実験を進めてみないことには推測するのも難しいね」
たった一度の実験で全てが把握できるほど学園長も万能ではないか。
まぁ、それは当たり前の話か。
全知全能の万能者というのならば、今ごろは魔王を倒しているはずだ。
こんなところで日々知識をむさぼり喰っているはずがない。
「近すぎるとなにか問題があるの?」
パルの疑問に学園長は嬉しそうに答える。
「考えてもみたまえパルヴァスくん。普通、こんな距離で転移の巻物を使う者はいないだろう? そんなもったいない事を試してみる愚か者もいない。もとより長距離移動を想定した便利アイテムなのだから、近距離移動に適合していないと思ったのさ。ちょっとした想定外が起こるのも無理はない。と、私は考えるよ」
それもまた、なるほど確かに、と俺はうなづいた。
「さて盗賊クン。魔力はどうかな? 枯渇しているような感覚や消費している感覚はあるだろうか?」
「いや、それもない。俺自身の魔力消費は、ほぼゼロじゃないか。断言できるわけではないが、腕輪に充填された魔力だけが消費されている感じだろうか」
試しに魔力糸を顕現させてみるが、やはり魔力糸ほどの消費すら感じ取れなかった。
「ふむ。魔力の指輪を外してもらえるかい?」
「あぁ」
学園長に渡された四つの指輪を外してみるが……やはりどこにも影響は無く、魔力の消費も無さそうだ。
「と、なると……」
そう学園長がつぶやいた時、地下室へ赴いたグループのひとりが足早に戻ってきた。
「お、どうだったかな? 私の予想では、地下室の部屋内の魔力がごっそり無くなっていると推測を立てたばかりだが……?」
「えぇ、そのとおりです学園長。全てなくなっていた訳ではありませんが、噴霧していたマインド・ポーションは全て消失。足元をひたしていたマインド・ポーションも半分近くが消失していました」
なるほど、と学園長はうなづいた。
「どういうことだ?」
「転移の腕輪が足りない魔力を補ったのは、持ち主の盗賊クンからではなく周囲から根こそぎ奪っていった、というわけだ」
「む。もしかして、それは危険なのか?」
「いや、問題は無いだろう。魔力とは体内ばかりではなく私たちの周囲にも存在している。街中よりも森や山の中といった自然環境のほうが濃く存在するけどね。例えば盗賊クンが森の中で転移の腕輪を使用して、その周囲から根こそぎ魔力を奪っていったとしても何も問題はないよ。あえていうなら、その直後にその場所で魔法を使うと、効果が弱まるくらいかな」
ふむ。
だったら――
「例えば学園長。ゴーレムは魔力で動いていると言われているよな。あれの近くで転移した場合、ゴーレムは停止してしまう、もしくは動きが鈍くなる。ということか?」
「妙なところに気が付くな盗賊クン。面白い。やはり結婚する価値があるという男は、こういう人間を言うんだろうな」
学園長がにこにこ顔でとんでもないことを言っているが……理解できるらしいのか、周囲のドワーフたちもうなづいている。
ロリドワーフがいれば嬉しいのだが、そこにいるのはヒゲをたらふく蓄えたドワーフ歴の長いドワーフの男たちである。
ありがた迷惑とはこのことか。
「試してみないことには分からないが、答えはハイと言えるだろう。周囲の魔力を取り込めなくなったゴーレムは停止すると思われる。よし、盗賊クン。次はマインド・ポーションを飲んでみてくれ」
地下室から持ってきたであろうポーション瓶を研究員が渡してくれる。
俺はそれを一気に飲み干した。
しかし、残念ながら魔力消費はゼロの状態なので、なにも回復した気分もなく、ただただノドが潤っただけ。
「腕輪の紋様はどうだい?」
「変化なしです。魔力充填が加速したような動きはありません」
「なるほど。強制的に回復することはできない……と。ふむふむ。感覚的にはどうだい、盗賊クン。転移の腕輪に魔力を過剰に吸われているような感じはあるだろうか?」
「いや、まったく無いな」
「了解だ。となると、次の実験は腕輪の魔力が回復してから、となる。魔力が充填される時間も見ておきたいのでしばらくここで過ごしてもらえるかな?」
「運動してもいいのか?」
「もちろんだとも。ただし、本を踏んだり紙束を蹴っ飛ばすのはやめてくれよ。掃除するというより、元の位置に戻すのが大変だ」
雑多に置いているようで、その全ての位置を把握しているのがハイ・エルフのハイ・エルフたる所以なんだろう。
まぁとにかく。
転移の腕輪は無事に発動し、無事に転移できた。
勇者支援の第一段階。
見事に達成である!
先は長いなぁ、まったく。
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