~可憐! ばーさすスライム~

 洞窟に入ってすぐに悲鳴。

 それは神さまであるナーさまの声。

 振り返ればナーさまの顔をすっぽり覆うように、透明の膜のようなものが引っ付いていた。水の中の泡がそのまま出てきたような感じで、ナーさまはそれを剥がそうと手で触っているけど、くちゅくちゅ、ぴちゃぴちゃって音がするだけで上手くつかめていない。

 その間も、透明な膜はむにょむにょって奇妙に動いてる。

 スライム。

 目もなくて口もなくて、ホントにただの水の塊みたいな魔物!

 これがスライムなんだ!

 あたし達が倒すべき魔物が、洞窟の入口で早くも襲い掛かってきた。


「がぼがぼごぼごぼ――んごご!?」


 ナーさまが何か言ったみたいだけど、良く分からなかった。というか、あの状態でなにか喋れるって凄いなぁ。さすが神さま!

 と、思ったらびっくりした顔で口を大きく開けている。苦しそうではないけど、なんかノドを押さえてる。

 たぶんだけど……スライムが口の中に入って行こうとしてるってことかな?

 ナーさまは、それを必死で阻止してるっぽい。


「どうやって助けたらいいんですか、師匠?」


 魔物辞典には対処方法なんて乗っていないので、助け方が分からなかった。スライムって触って大丈夫なのかな? なんか触るだけで手が溶けそうで怖い。

 サチもそう思っているのか、オロオロするだけで手が出せないでいた。


「これがスライムの恐ろしいところだ。残念ながら、こうなってしまうと魔法でない限り助ける方法がない。しかも遅れれば遅れるほど皮膚が溶かされていくし、呼吸もできない。鼻とか口から侵入されると内臓も損傷する。きわめて凶悪な魔物だ」

「魔法で対処……」


 あたし達のパーティはサチが神官魔法を使えるだけで、普通の魔法使いはいない。

 あぁ、こんな時にチューズがいてくれたら、きっと火の魔法でナーさまの頭を燃やしてくれたんだろうなぁ。

 って思ったけど……それはそれで、怖い。

 仲間の頭を燃やすっていうのも、なかなか勇気がいると思う。

 スライムが恐ろしい魔物だっていうのが、ホントの意味で理解できた。


「誰も魔法が使えない場合はどうしてますの?」

「手遅れなので諦めるか……イチかバチかでぶん殴ってみるぐらいか」


 了解しましたわ、とルビーが悪そうな顔で笑った。


「動かないでくださいませ、大神ナー。安心してください。これはあなたを助けるための一撃です。決して神に逆らうわけではないので、誤解なきようお願いしますわ」


 それがちゃんと聞こえていたのか、ナーさまは手をぶんぶんと振り回した。スライム汁が飛んでくるので止めて欲しい……


「……えっと、信用できない、だそうです」


 あ、この状態でもサチと会話できるんだ。

 すごいね、ナーさま。

 大口をあけて、スライムに襲われてて、ぬちゃぬちゃになった手を振り回してる、めちゃくちゃ情けない姿だけど。


「そんなこと言ってる場合ですか、まったく。ほら、いきますよ」

「がごぼぼぼぼぼぼ!」


 ナーさまが何かを叫んだっぽいけど、ルビーは有無を言わさずラークスくんが作ってくれた新しい武器を振り下ろした。

 バチャン、と奇妙な音が響いたと同時に、ナーさまがびっくりしたように両手を広げて固まった。それと同時にスライムも、びくりと体を広げて……でろん、と粘着力を失ったようにナーさまの顔から剥がれ落ちる。


「あぁ……びっくりしたぁ……」

「……無事ですか、ナーさま?」

「ネチャネチャしてるけど大丈夫。ありがと、サチ。そこの人間とか吸血鬼と違って、サチだけは優しいなぁ。好き」

「……私も好きです」


 神と神官がお互いの愛を確かめ合っている間に、あたし達は岩場に剥がれ落ちたスライムを観察する。


「地面に落ちたら水たまりにしか見えない……これ、なんで生きてるの? というか、魔物って生きてるの?」

「生命体であるかどうか、ですか? どうなんでしょうね。魔王さまの呪いですから、わたしも良く分かりませんわ。さすがに同僚にスライムはいませんし、しゃべるスライムも見たことがありませんもの」


 そもそもスライムには口も無さそうだし、話せるはずないか。


「魔王の呪い? どういうことだ、ルビー?」


 あたしとは別のところを師匠は気になったらしい。

 魔王の呪い。

 魔物のことだと思ってたけど、そうじゃないのかな?


「こういった暗い場所なんかに生まれてくる魔物は、魔王さまが世界にかけた呪いなのです。人を襲うように、と魔王さまの願いが込められていますので、人を襲うのでしょう。わたしの予想でしかありませんが」

「なるほど……じゃぁ根本的に魔王領にいた共通語を話していた魔物とは別、ということか?」

「そうですわね。人間種に対して魔物種と呼べば分かりやすいかと。呪いによって発生する魔物は、モンスターとでも呼びましょうか。魔物種とモンスターは完全に別物ですわ。魔物種は死んでも消えませんし、魔物の石も落とすことはありません」


 ルビーが言ったように、岩場に落ちたスライムは消滅して魔物の石である『スライムの石』が残った。

 液体みたいなスライムから石が残るって、めちゃくちゃ不思議なんだけど……


「死ねば死体が消えて石が残るのがモンスター。そうじゃないのは、共通語を話す魔物種、というわけか」


 師匠が難しい顔でうなっている。

 魔王領に行ったからこそ、魔物とモンスターの違いが分かったからこそ、なのかな。

 ちょっとお世話になったアンドロさんとは戦いたくないし。


「とりあえずワインで洗わないといけませんね。パル、お願いできますか?」

「あ、はーい」


 バックパックからワインの瓶を取り出して、布に染み込ませた。それをルビーとナーさまに手渡す。


「ふむ……へっこんでいますわね。やはり強度の問題がありそうです」


 布で拭きながらルビーは武器を確認している。


「ねぇ、ルビー。それに名前を付けないの?」

「名前ですか。う~ん、なにか良いアイデアはありますか?」

「えっと……シールドランスとかどう?」


 盾にもなるランスだからシールドランス。


「ぴったりの名前ですわ。ですが、却下です」


 え~、なんで!?


「師匠さん、名付けてくださいまし」

「俺が? シールドランスがダメなんだったら……アンブレラ・ランスとか?」


 傘みたいなランスだから、アンブレラ・ランス。


「ではアンブレラ・ランスにしましょう。うふふ」

「ちょっとぉ! 師匠に名前を付けて欲しかっただけじゃないのさぁ」

「さすが師匠さんですわ。素晴らしいネーミングセンスです」

「むぅ。だったらアンブレランスでいいよ、アンブレあんぶれ」

「待って待って、変な略し方をしないでくださいます?」

「吸血鬼にはそんなので充分だよ」

「言ってくれますわね、小娘が」


 むきぃ、とあたし達がにらみ合ったところで師匠が頭をポンと叩いた。


「冒険中にケンカしない。ほら、あえて言わなかったが忘れていることを指摘するぞ。まず装備点検、装備確認。あと洞窟に入る前に明かりの準備。冒険の基本だぞ、まったく。油断していた結果、ナーさまの頭が犠牲になったんだ。気を付けるように」


 そういえば忘れてた!

 水路で海の水が反射して、ちょっと奥まで明るく見えていたから、ついついそのまま進んじゃった……


「うぅ……は~い」

「気を付けますわ……」


 失敗しちゃった。

 余裕があるからと思って、師匠がいっしょだからと思って、どこか気が緩んでいたのかもしれない。

 あたしは、ぱんぱん、とほっぺたを叩く。


「やりなおし! よぉし、ナーさまの頭の敵討ちだ!」

「待て待て! 私の頭は犠牲になってないぞ!」


 そんなナーさまの声が、洞窟の中に響き渡るのでした。

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