~流麗! 夜明け近し、覗けや乙女吸血姫~

 師匠さんが作った新しいギルド。

 ディスペクトゥス。

 卑劣という旧き言葉に則って、大神ナーまでギルドメンバーにしてしまうとは。


「さすが師匠さんですわ」


 と、わたしは早朝の……まだ太陽が顔を出さない瑠璃色に染まった空を見ながらひとりでつぶやいた。

 マグ『常闇のヴェール』のおかげで太陽は平気になりましたが、それでも夜という時間はわたしにとっては大事なもの。

 日中に受けた太陽の光が全て無効化されて。

 通常の吸血鬼に戻れるのは気分がとても晴れやかです。

 曇りが好きなわたしも、晴れやかという言葉を使うことができるなんて。

 退屈殺しに魔王領から飛び出て正解でしたわ。


「んふふ~」


 睡眠を取る必要が無いので、たまには一晩中かけて師匠さんの寝顔を眺めるのも悪くありません。


「かわいい~」


 どうやら師匠さん。

 大怪我の後遺症で、眠りがとても深くなっているようです。

 警戒することなく眠っている師匠さんの頭を撫でたり、うすく開いているくちびるに触れたり、キスしたり、舌を絡めたちゅーをしたい欲望に駆られますが……

 そんなことをすると、さすがに師匠さんが目を覚ましてしまうでしょうし。

 今のわたしに出来るのは、気配を完全に遮断して師匠さんの顔をジ~っと眺めるのみ。息が師匠さんの顔に触れない程度に近づくのが精一杯。


「あぁ、残念ですわ。今なら何でもできるっていうのに。見てるだけだなんて」


 ジリジリと身を焦がす気分ですが……


「むしろ、この感情がたまらなくいい!」


 抑えきれない感情を抑え込むように、わたしはほっぺに両手をあてた。

 わたし、自分がこんなにも恋愛に飢えているとは思いませんでした。恋愛に飢えているって表現すると、なんだか行き遅れのババアみたいな感じですから、ちょっと違いますけど。

 なんと表現すればいいのでしょうか。

 言葉って難しいですわ。

 恋に焦がれていたわけではなく、むしろ自分の願いが叶わないからこその喜びというべきでしょうか。

 なんにしても、わたし――


「相当に捻じれてしまいましたわねぇ」


 魔王さま直属の四天王から、ただの人間を好きになったダメな魔物。


「くか~……むにゅむにゅ……」


 しかも、恋のライバル付き。

 ノンキに師匠さんの腕に絡みつく小娘。

 先に師匠さんに出会ったからといって、優位になっているつもりでしたら足元をすくわれますわよ、パル。

 いつだって、師匠さんはわたしの物にできるんですから。


「でも……この状況が楽しいんですもの。パルを排除してしまったら、無理やり師匠さんの心を眷属化で奪ってしまっては、きっと楽しくありませんわ」


 わたしはパルを師匠さんの腕から引き剥がそうとしたが……やめておきました。

 パルより先に師匠さんが起きてしまいます。


「でしたら」


 同じ師匠さんの目を覚まさせてしまうのであれば、パルにちょっかいを出すより、直接師匠さんにちょっかいを出すほうがいい。


「ん~」


 というわけで、師匠さんのくちびるに、ちゅ~、っとわたしのくちびるを重ねようとしたら――


「んぐ」


 寸前で師匠さんの手がわたしの顔を鷲掴みにしてしまった。

 ちょっと顔がブサイクになっているかもしれない。


「……おはよう吸血鬼。夜這いの時間には遅いようだが?」

「おはようございます、人間。この世には視姦というものがあるそうなので、そういったスキルを取得してみようかと」

「いや、マジで勘弁してください」


 師匠さんの目覚めが最悪になってしまったところで、わたしはクスクスと笑った。


「そんなスキルを手に入れなくても、ルビーは魔眼を持っているじゃないか。俺のスキルが強制的に解除されたりしたぞ」

「あぁ、これですか?」


 わたしは視線に少しだけ力を込めた。


「そう、それ」

「魅了の魔力が込められていますが……あまり効果は高くありません。ホンモノであれば、視ただけで誘惑できるでしょうが。残念ながら、わたしの魔眼は気を引く程度です」

「充分な威力だと思うが……昼間は使えなくなるのか」

「そうですわね。あまり意識していませんでしたが」


 窓から朝の光が差し込んでくる。

 どうやら、夜の時間が終わって一日が始まったようだ。残念、わたしの能力はすぐに下限まで減っていき、ただの人間になってしまいました。

 うとましくも気持ちの良い朝日を眺めていると師匠さんはゆっくりとパルの拘束を逃れ、ベッドから音もなく立ち上がる。

 布団が少しも揺れないのは、さすがです。


「では、お寝坊さんには罰を与えましょう」


 わたしは師匠さんが寝ていた位置まで移動すると、パルの手を掴んでわたしの体に乗せる。


「んん~」


 自然とパルはわたしに抱き着いてきた。


「ん? んぅ~……ふあ~、おはようございます、師匠――んぅ? なんかやわらかい……」

「あん。パルにそんな趣味があったなんて」

「んぇ……? んぎゃー!?」


 驚いたパルは慌てて立ち上がるけど、そのままベッドの下へとひっくり返りながら落ちた。と、思ったらすぐに立ち上がって部屋のすみっこまで逃げる。

 驚いて体勢を崩しても見事に距離を取ってみせるのはさすがですわね。


「はぁ、びっくりした。師匠が女の子になったのかと思った」

「どんな勘違いだ、それ」


 師匠さんは朝の柔軟体操をしながら笑いながら言った。


「だって師匠が若返っちゃうくらいだから、女の子になる薬ができても不思議じゃないと思って」

「……確かに。性別反転の薬か。パルは男の子になりたいか?」

「あたしは師匠に愛してもらえるのなら、男でも女でもどっちでもいいです」


 美少年になったパルと、若返った師匠さんの情事……


「イイですわ!」

「やめろ吸血鬼」

「スケベ吸血鬼ぃ」


 あれぇ?

 わたしだけ悪いんですの?

 なんとも納得できない状況ですが、絵空事の薬に思いを馳せるより、今日の朝食です。

 師匠さんが買いに行っている間にわたしとパルは身支度を整えます。


「はい、パル。髪を梳きますわよ」

「は~い」


 綺麗な金髪を整えていくのはちょっと楽しい。

 高価なお人形遊びというのでしょうか。ポニーテールが多いパルの髪型ですが、たまにはツインテールもいいのかも。

 というわけで、にっくき聖骸布を右側のリボンにして、反対側は別の黒リボンで結っておきました。


「かわいいですわ、パル」

「にへへ~、ありがとう。次はルビーね。どんな髪型にする? やってあげるよ」

「わたしはストレートが一番似合うと思いますが……ツインテールにしてみます?」

「きっと可愛いよ」


 というわけでパルがツインテールに結ってくれたところで師匠さんが帰ってきた。


「ふむ……イイ!」

「すけべ師匠」

「えっち師匠さん」

「なんで!?」


 という楽しいやり取りをして朝食を食べ終わる頃――


「――」


 師匠さんの視線がパルとわたしを見ました。

 理由は分かります。

 外の気配。

 どうにも不確かな足取りと言いましょうか、もしくはこちらを探るような感じ。まるで探索中の冒険者のような、不安と期待とが入り交じっているような足取り。

 敵対心は感じられませんし、気配もひとりだけ。

 問題は無さそうにも思えますが、それでも状況が状況です。

 なにせわたし達。

 恐ろしいほどの『情報』を抱えておりますので。

 どこからか漏れたとも思えませんが、ひとつだけ分かりやすい危険がありました。

 エルフです。

 確か『深淵魔法』でしたっけ。

 エルフたちが秘匿している深淵魔法の情報がわたし達に漏れたことを、エルフたちは知っているはず。

 それに対して、なんらかのアクションがあってもおかしくはありませんので……

 用心しておいて損は無いでしょう。


「――」


 師匠さんの視線にわたしとパルは、静かにコクンとうなづいて部屋の奥へと下がった。

 わたし達が配置に付くと、師匠さんはゆっくり静かに立ち上がり、ドアの横に立った。そのまま壁に背を付けるようにして外の気配をうかがうようです。

 と――

 ゴツ、という大きな音がドアから聞こえた。

 なにか、ドアに衝撃があったらしい。ノックのようにも思えましたが、それは一度だけ。鈍い音が一度だけ響きました。

 罠?

 それとも攻撃準備でしょうか?

 それにしてはお粗末過ぎますし……なんの音だったのでしょう?


「ふぅ」


 考えを巡らせていると師匠さんが息を吐いた。聞き耳による結果でしょうか。安堵の息に近い感じです。


「問題ないぞ」


 と、わたし達に声をかけた師匠さんは、ドアを開いた。

 その隙間から転がり込むように――棒状の巨大な金属の塊が倒れてきた。


「うお!?」


 ガシャーン、と衝撃音はすさまじく、思わず師匠さんが飛びのいてしまうほど。


「あっ、うわ、ご、ごめんなさい!」


 そんな金属塊といっしょに部屋に入ってきたのは――


「あら」


 リンゴ少年、改め――


「ラークスくんではありませんか」


 鍛冶研究会の小さな男の子。

 ラークスくんが、会いに来てくれたようです。

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