~卑劣! 神降臨~

 俺が飲まされた物。

 それは、あくまで失敗作でありエクス・ポーションでもエリクサーでもない物。

 若返りの薬。

 時間遡行薬。


「世の中には失敗と結論付けて置いたほうが良いものがいっぱいある。不都合な真実というものだ。知ってしまったら最期、普通に生活ができなくなる真実など必要ないのだから」


 学園長の言わんとしていることは理解できた。

 そのひとつが、魔物は共通語で会話をしている、というもの。

 魔物は人の気配が少ない闇の中から生まれてきて、死ねば消滅する。蛮族語とも呼ばれているギャギャギャという特徴的な言語でわめくように喋るだけで、意思の疎通は不可能だと思っていた。

 だが、しかし――

 魔王領で。

 ルビーの支配する街で。

 魔物たちは人間のように暮らしていた。仕事をしている様子もあったし、人間の子どもと魔物の子どもがいっしょに遊んでいた。

 それは、言ってしまえば不都合な真実だ。

 知らないほうがいい。

 知ってしまえば、剣が鈍る。

 振り上げた拳を、降ろせなくなってしまう。

 そういった類の知識は、この学園都市には数多く存在するのだろう。

 エクス・ポーションでもエリクサーでもない。

 時間遡行薬。

 若返りの薬。

 それは、封印すべき知識――


「え?」


 サチが急に驚いたような声をあげる。

 なにか、わたわたと慌てるように周囲に視線を送ると、ひとしきり悩んでからルビーに視線を定めた。


「……あ、あの、ルゥブルムさん」

「遠慮なくルビーと呼んでくださいませ、サチ。あなたは師匠の命を救ってくださったひとりです。靴を舐めろとおっしゃるのなら、喜んで舐めますわ」

「……いえ、舐めなくていいので、その……影で人形を作ってくれませんか?」

「人形?」


 こくん、とサチは深くうなづいた。


「その程度のこと、靴を舐めるよりも簡単ですわ。大きさはどれくらいにします? 手のひらサイズから巨大なオーガサイズまで、いくらでも作れますが」

「……じゃぁ、えっと、これくらい?」


 サチが指し示したのは、サチの身長よりも少し低い程度。パルと同じくらいの高さだろうか。

 それは人形にしては巨大なサイズとも言えた。

 もちろん、オーガよりは遥かに小さいが。


「了解ですわ」


 ルビーの影からずぶずぶと真っ黒な人形が頭から出てくる。頭は丸い形で、特に特徴もないノッペリとした影人形。

 やわらかそうなのだが、魔力で出来ているのか影で出来ているのか良く分からない。生物らしさと無機物が融合しているような不気味な感じではあった。


「おぉ~、こんなのも作れるんだ」


 ルビーの影から出てきた途端、くにゃんと倒れる影人形をパルが抱き起こす。やはり、パルと同じくらいの背の高さで、体格も似ていた。


「……パルヴァス、危ないから離れて」

「へ? うん」


 なにをするつもりか、と思ったらサチの足元に魔法陣が展開される。

 光が溢れ、魔力の流れがサチの服と髪をはためかせた。


「……デウス・アドヴェントゥス」


 聞きなれない神官魔法。

 その効果が発動し、影人形の周囲にも魔法陣が展開される。

 もちろん、大神ナーの聖印が描かれており、それが魔力の流れと共に輝き、そして収束する。


「なんの魔法なんだ?」


 果たして俺の質問にサチが答える前に――

 影人形はむくりと自分で立ち上がった。

 目もないのにキョロキョロと周囲を見渡したかと思うと、影人形から一気に黒い髪が伸びて、リボンも結っていないのにツインテールの形になる。

 のっぺりと寸胴だった身体はみるみる少女の形を取り、真っ黒だった影は白に近い肌の色へと変化した。

 以前、ジックス街で見たことがある。

 サチが記した聖印の近くで出会った半透明のツインテール少女。

 あの頃は小神だった。

 でも、今は大神となっている。

 つまり――


「……ナーさま降臨の魔法です」

「ぷはぁ!」


 影人形だったはずの面影は一切なくなり、人間の普通の全裸少女にしか見えないが……

 大神ナーさまが、影人形を依り代として降臨なされた。

 口を大きく開けて息を吸い込むナーさま。

 らしい。

 うん。

 なんというか、こう、びっくりし過ぎて声も出せない。

 あと全裸だし。

 パルよりちょっと胸は大きいんだな……へ~。


「む」


 そんなナーさまと視線があった。


「おまえ! おまえのせいでこんな事になったぞ盗賊!」

「へ!?」


 ナーさまは俺へ向かってくると遠慮なく拳を振り上げてポコポコと殴ってきた。

 ……痛くない。

 幼児がジャレてきたくらいに威力しかなかった。


「あれ? おい吸血鬼、どうなってるのよこれ。ぜんぜん威力が出ないんだけど?」

「わ、わたしに言われても困ります。人形というリクエストでしたので、やわらかいイメージで作りました。そのせいじゃありませんか?」

「なるほど。あ、服作って」

「全裸がお似合いですよ、大神ナー。可愛らしいおっぱいですこと」

「よし分かった、天罰決定」

「冗談です、麗しき大神ナーさま。すぐに極上のドレスを用意いたしますわ」


 分かればいい、とナーさまは満足そうにうなづいた。

 え~っと。

 凄いですね、ルビー。

 神さま相手に冗談が言えるなんて。

 俺にはとても出来ない……


「え、いや、というか全然理解が追いつかないのだが?」


 それはこの場にいる全員が思っていることであり、呼び出した本人であるサチもいまいち状況が掴めている様子はない。

 まぁ、唯一ミーニャ教授だけは、なんとなく険しい表情をしているが。本当に神さまを嫌っているようで、その神さまが手の届く範囲に現れたので尚更か。

 同じ部屋の空気ですら吸いたくない気分。

 俺も、今さら賢者や神官といっしょにごはんを食べられるか、と言われれば首を横に振る。

 大人げないと笑ってくれてもいい。

 イヤなものはイヤだ。


「無駄に豪華すぎないか、このドレス」


 ルビーが新しく影で作り出したのは、フリルをたっぷりあしらった真っ黒なドレスであり、長い黒髪のナーさまには良く似合っていた。


「似合っておられますわよ、大神ナーさま」

「ま、いっか。サチ」

「は、はい!」

「抱っこ」

「……はい」


 サチは嬉しそうにナーさまを抱きしめた。

 白い神官服と真っ黒なドレスの対比が美しい。

 きっとララ・スペークラがこの場にいれば、よだれを垂らす勢いで絵を描き始めるだろう。

 神官と神。

 どう考えても描き残してはダメな類の宗教画が完成すると思う。

 何故なら――


「ナーさま嬉しそう」


 パルの言うとおり、神さまのほうが嬉しそうなのだから。

 しばらく抱き合ったふたりは、サチが座ってその上にナーさまが座る。後ろから抱きしめるような形でサチがナーさまのお腹に手をまわした。

 ララ・スペークラがよだれがまき散らしそうな光景だった。

 美しい。

 もちろん宗教画としては残せない。

 せめて神官と神の立場と姿が入れ替われば、とても良い物になるはずなのだが……現実は至って厳しい。


「お初にお目にかかる、大神ナー。名を失したことをこれほど後悔する日が来ることは思わなかった。申し訳ないが自己紹介ができないので許して欲しい。私はハイ・エルフ。学園長と呼ばれている者だが、ひとつ質問をしていいだろうか?」

「許すわ」

「ありがとう。して、大神ナー。なにしに来たの?」

「いきなりフランクね、ハイ・エルフ」


 フン、と鼻を鳴らすようにナーさまは答える。

 そして、顎で指し示した。


「ただのカモフラージュにされたわ。私がここに降りてきたことによって、私しか降りてないように見せかける。ミッテシェーレの件は感謝してるわ。だからそのお礼。だから後で怒られてあげる。サチのお友達のためだから、仕方なくよ、仕方なく。王様も右往左往っていうか、私ひとり騒ぎの蚊帳の外だったから良いように使われた気分だわ、まったく」


 いまいち大神ナーが何を言っているのか理解できなかった。

 カモフラージュ?

 私しか降りていないように見せかける?

 ということは、もうひとり……いや、もう一柱、神さまが降りてくるっていうことなのか?

 でも、どうやって――

 そう思った瞬間。

 薄暗いはずの空間がほのかに明るくなった。

 それはランタンの火が明るくなったのでもなく、ましてや外の明かりが届いてきたわけでもない。

 中央樹が光っていた。

 淡く――

 優しく――

 まるで気持ちの良い晴れ渡った日に、午後をのんびり日向ぼっこで過ごしたかのような。

 そんな温かい光を感じる。


「あ……」


 パルが小さく声をあげた。

 その変わり、ルビーが悲鳴をあげて俺の影に入ろうとして、夜じゃなかったので能力が半減しているらしく、頭を打って二度目の悲鳴をあげた。

 そう。

 俺の影が消えるほど、その光は美しく周囲を染めあげた。まぶしいはずなのに、まるで目が痛くない。

 真っ白に染まる中央樹の光。

 そこへ。

 本当の意味で。

 神が降臨したのだった。

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