~卑劣! 生理的嫌悪~

 知恵のサピエンチェが支配する街。

 その大通りを歩き、さまざまな物を目にした。魔物が普通に街中を歩き、人間とドワーフが働いていて、種族を問わず子どもが遊び、そして人の形をした食材が売られている。

 どこか平和で。

 どこか醜悪で。

 どこか正しい。

 善悪の判断が――できなかった。

 牛や豚、動物を食べていいのに、有翼種や小人族を食べてはいけない。

 その基準はなんだ?

 なにをもって、食べて良いものと食べてはダメと判断すればいいんだ?

 言語だろうか?

 意思疎通ができるモノは食べてはいけない。

 ならば、会話ができる魔物は殺すべき存在ではない、ということに繋がってしまう。

 分からない。

 判断ができなかった。


「……パルヴァス、大丈夫ですか?」


 街を縦断していくと、段々と坂道になっていた。肉体の感覚は希薄ながらも残っているので、疲れはしないものの傾斜が上がっていくのが分かった。

 完全に街を抜けたところで、ルビーが足を止めた。

 カチリ、と何かが噛み合うような感覚がして、意識と肉体が結び付く。

 それと同時に、パルの表情が一変した。


「大丈夫か、パル」


 どうやら先ほどの『売り物』に相当な精神的負荷を覚えたらしい。眷属の精神的状況が分かるのだろうか、足を止めてくれたルビーに目配せして感謝を伝える。


「し、師匠……」

「分かってる。ここは魔王領だ。覚悟はしておくべきだったし、それを伝えておくべきだった。俺のミスだ」

「あたしは……あたし、なんでも食べてきました。生ゴミも平気で食べたし、虫だって食べました。泥水も飲んできたんです。でも、でも」

「あぁ、分かってる」


 パルの体をそっと抱きしめてやった。

 震えている。

 無理もない。俺だって、今すぐにでも吐き出したい気分だ。それは物理的でもあるし、精神的でもある。

 だからパルに言わせる。

 胸の内を、全て吐き出させてやる。


「あたし、どんなにお腹が空いててもアレは、アレだけはきっと食べられません。なんでも食べれるって思ってました。どんなにマズイ物でも食べていけるって思ってました。でも、アレは……アレは食べられません……」

「あぁ、べつに問題ない。パルがおかしいわけじゃない。俺も食べられないよ。それが普通だ。だから大丈夫だ。おまえは何も悪くないし、ルビーも悪いわけじゃない。たぶん、魔王も悪くない……かもしれん。すまん。俺にも、どういっていいのか分からないんだ」


 ひとつだけ分かったのは。

 生理的嫌悪。

 同族を食べるという行為には、それが付きまとうのだろう。

 だからこそ。

 人間と魔物は、相容れないのかもしれない。


「パル、しばらくあなたの心を掌握します。落ち着いた頃に戻しますので、今は眠るように世界を見ていてください」


 震える体で、パルはうなづいた。

 そして、ルビーの瞳に金色の輪が浮かび、俺とパルの体は再び眷属化される。どことなく、パルの表情が和らいだように見えた。


「では、行きましょう」


 そう言って、ルビーは歩き始め、俺たちはそれに従った。


「見えましたわ。あれがわたしの城です」


 坂道を登るように進んできたところでルビーが努めて明るく示してくれた。

 本来なら必要のないことだが、パルのためでもあるのだろう。ルビーはわざわざ指をさして視線を誘導してくれる。

 まぁ、そうじゃないとずっとルビーの後ろ姿を追っているので、全体像など見えないのだが。


「おー、素晴らしいです」


 と、パルが声をあげた。

 眷属化の影響を深めた結果だろうか。パルの声にはルビーへの信望がうかがえた。

 俺の肉体はなにを思っているのか分からないが、とりあえず感心しているのは確かかな。

 ルビーの示した先にはお城があった。

 街の風景に重なるように、背景として大きな岩山になっている。切り立った、およそ人や魔物が踏み入れるような山ではなく、空を飛ぶ鳥だけが先端に停まれるような岩だらけの山。

 そこに一本、岩山を沿うようにして道があり、それが左へと曲がっていた。その先に、まるで空に浮かぶような切り立った崖に、立派なお城が建っていた。

 おあつらえむけ、と表現するしかないような、夜空に月と重なったシルエットとなったのが容易に想像できるほどに、まさに『それっぽい!』と言ってしまいそうなほど、吸血鬼の城だった。


「なにか言いたげですわね、エラント。発言を許します」

「絵本で見ました」


 言っちゃったよ、俺の体!?


「む。いいじゃないですか、べつに。それっぽい場所を見つけたので、ドワーフたちに造ってもらいました。そうしましたらホントにそれっぽくなってしまったので、お気に入りですのよ。でも住んでみて気付きました。外から離れてみないとお城って自分で見えませんのよね……」


 吸血鬼のお城っぽくなる、と喜び勇んで造らせたものの。

 自分では確認できない、としょんぼりするルビー。

 魔王直属の四天王、知恵のサピエンチェ。

 うん。

 実は魔王って、そんなに強くないんじゃね!?

 バカなんじゃね!?

 とか、思ったりした。

 眷属化されてて、ホントに良かったと思う。

 うん。


「なんですか、なにか言ってくださいまし」


 はい、とパルの肉体が右手をあげた。


「心中お察しします」

「やかましいですわ!」


 ぺしん、とルビーがパルの頭を叩いた。

 いや、普通のセリフのはずなんだけど、普段のパルを知っているだけに、煽っている風にしか聞こえなかった。きっとパルは心の中で抗議の声をあげているだろう。

 というか、まぁ、さっきまでの暗く沈んだ雰囲気は一変してなごやかなものになった気がする。

 あえて楽しそうな空気を演出してくれたのだろうか。

 そのあたり、さすがは領主というだけはあるのかもしれない。


「あぁ、ごめんなさい。つい」


 よしよし、とルビーはパルの頭を撫でた。

 こんな風に部下を思いやる行動は、どうにも魔物的ではない気がするのだが……普段からルビーはそのような振る舞いをしていたらしい。

 街中で、ルビーは挨拶したりされたりしているが、人間領の貴族や領主のように恐れられているような感じではなく、どちらかというと『村長』っぽさを感じた。

 言ってしまえば、親しみがある。

 恐怖や暴力で人間や魔物を支配しているわけではなく、住民のひとりとして接しているような感じか。

 普通に考えれば、それは悪手だ。

 舐められたら終わり、なんて言葉がある。そんな柔和な態度では、人間や魔物が言う事を聞かなくなってしまう。

 だって優しいから。

 話を聞いてくれるし、殺されもしないから。

 なぜ貴族や王族があんなにも平民から恐れられているのか。

 いわゆる『政治』をやる上では、必要不可欠だからだ。みんなが普通に話や言う事を聞いてくれるなら、なにも恐怖や暴力を使う必要がない。

 しかし、人間はそんなに素直で賢い生き物ではない。いつだって利権や恩恵が欲しく、欲が深い。

 だから『見せしめ』が必要となってくる。

 逆らうとどうなるか、住民たちに見せておく必要がある。

 その変わり、ちゃんと言う事を聞いていると、こんな恩恵があり、街に住んでいて税を払っている限りには安全だよ。

 という、いわゆる『飴の鞭』というやつだ。

 でも。

 ルビーは鞭は使っていない。

 それは……単純明快な話で、暴力を見せる必要がないくらいに、吸血鬼が強い、ということでもあるのかもしれない。

 ましてや恐ろしく強い魔物に囲まれて生きている人間たちだ。そんな魔物たちが一目置いている吸血鬼という存在に、逆らおうという意識さえも働かないのかもしれない。

 それに――

 一見して平和なのだ。

 魔物が襲って来ないということは、人間領よりも平和になってしまっている。子ども達は笑顔で遊べるくらいに、危険の無い街になっている。

 わざわざ逆らう必要がない。

 もちろん。

 食べられない種族であれば……の話だが。

 豚や牛と同じく、あの人間たちも育てられているのだろうか……牧場のように、家畜のように、繁殖させられているのだろうか……

 あぁ――

 ――嫌なものを、想像してしまった。


「到着しましたわ」


 俺の考えを遮断するように、ルビーの声が聞こえた。助かった。いつの間にやら、岩山を登り切り、お城の前にある門までやってきたようだ。

 切り立った崖に作ってあるので、それこそ城は空中に浮いているようにさえ感じられる。

 古ぼけているが、頑丈な造りであるらしく、丁寧に掃除も行き届いていた。

 そんなお城の前には入口を挟むようにして二本の門柱が立っており、その上には翼の生えたケモノのような石像が俺たちを見下ろしていた。


「ただいま、ガーゴイル」


 ルビーは右側の門柱の上に立っていた石像に手を伸ばす。

 すると――


「ガガ」


 という鳴き声と共に石像が動き出し、バサバサと翼を動かしながら降りてきた。

 すげぇ、ホンモノのガーゴイルだ……


「こちらわたしの眷属であるエラントとパルヴァスです。間違って襲わないように」

「ガァ!」


 ガーゴイルは嬉しそうに鳴くと、俺とパルヴァスに近寄ってくる。

 それほど大きくない個体らしく、パルと同じくらいの大きさか。石像のような生物だけに、強さはまったく把握できない。

 しかし、ルビーの城を守る門番をしているくらいだ。

 おそらく、相当な強さだと思われた。


「ガガ、ガガガ」


 細かく鳴きながらガーゴイルは俺の足に頭をこすりつけた。なにをやってるんだろう、と思っていたら、パルの胸の辺りにも頭をこすりつけている。うらやまし――いや、なんでもない。

 なんというか、どうにも犬っぽいな。いや、ネコっぽいのか?

 なんにしても、普通の動物っぽい反応なのは面白い。

 ガーゴイルとは魔物ではなく、動物なのかもしれない。


「よろしくな」


 驚いたことに、俺の体が勝手にガーゴイルの頭を撫でて、そんなことを言った。びっくりした。

 肉体ではなく心の俺が警戒心を解いたから、なのかもしれない。

 一応は、精神が肉体と連携することもあるのか。

 すこし注意しないといけないのかもしれない。


「ガァ!」


 まぁ、おかげでガーゴイルからの信用度は上がった気がする。言ってしまえば、お互いにルビーの忠実な部下のようなものだ。

 仲間意識が生まれて当然か。


「さぁ、わたしのお城に案内しますわ」


 俺とパルの肉体は、こくん、とうなづく。

 魔王領は知恵のサピエンチェの本拠地。

 吸血鬼の城。

 勇者より先に、攻略させてもらうことにしよう。

 もっとも。


「うふふ」


 お城の主による超安全な攻略だけど。

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