~卑劣! 吸血姫の支配する街~

「それでは行きましょう。パルヴァスとエ、エエ、エ、エラントは、付いてきてくださいね」


 赤くなったほっぺたを押さえながらルビーはくるりと反転し、歩いていく。

 その足取りは軽く、スキップしてしまいそうな勢いだ。

 名前を呼ぶだけで上機嫌になるとは、吸血鬼のお姫様は安上がりな優良貴族に違いない。

 俺とパルの体は、ルビーを自動的に追うように一定の距離を置いて付いていった。

 視線すら自由に動かすことができないが、意識はこうして保てている。心、というか、魂までは縛られていないのは、やはり不思議な感覚だ。

 ルビーは手加減してくれているらしい。

 彼女と出会った時、あの中央樹の場所で。不意に血を吸われてしまったあの時に一度、俺は体験している。

 まるでルビーに心がとかされるほど心酔してしまうのを。

 好きだ、愛している、なんて言葉では収まらない気持ちを強制的に掻き立てられたのを記憶している。

 甘く甘美な感情だった。

 そのままでいられれば、しあわせなのを自覚できるほどに。

 凶悪な能力だった。

 もしかしたら、ルビーが本気になると心まで凍結させられる可能性もある。こんな曖昧で中途半端な状態ではなく、何も思考させないことだって出来るはずだ。

 言ってしまえば、現在のこれは『傀儡化』だ。単なる操り人形のようなもの。心は自由になっているので、さっきのパルのように動こうと思えば動ける可能性は残されている。

 眷属化の本分はやはり『催眠』に似たような領分だと思う。

 いま、こうして自由に思考しているが、それすらも消え失せて、ホンモノの眷属と成り果てるだろう。

 心の底からルビーに忠誠を誓ってしまう。

 いや、忠誠どころではない。

 知恵のサピエンチェの道具と成り果てる。

 それこそ武器や防具に、感情など無いのだから。

 だからこそ、吸血鬼は物語性のある魔物として描かれるのだろう。


「んふふ~」


 ご機嫌な足取りで前を歩くルビー。

 ここは魔王領であり、その四天王たる彼女は……少しイビツな存在なのだろうか。

 知恵のサピエンチェ。

 魔王が『知恵』と名付けた意味は……まだ見い出せないでいた。

 そんなことを考えながらも、体は自動的に歩き続け、街に近づいてきた。白黒で、どこか寂しい雰囲気のある場所に、俺の身長ほどの外壁が見えてくる。

 人間領では魔物や野生動物の侵入を防ぐために分厚く背の高い外壁が大きな街にはあるものだが、魔王領の街では必要ないようだ。

 当たり前だが、魔物の街に魔物が襲ってくる心配など無く、外敵の侵入に備えなくても良いのだろう。

 門に衛兵や見張りなんかもいない。というよりも、外壁の一部が入口の部分だけ開いており、誰の侵入も拒んでいなかった。

 なんとも皮肉なものだ。

 物々しく他者を拒むような造りが多い人間領の街と、誰でも受け入れるような造りの魔王領の街。

 どちらが平和と言えるのか、どちらが安全と言えるのか。

 勇者の意見と神さまの意見を聞いてみたいものだ。

 あいつなら、笑いながら言いそうだけど。


「魔王領のほうがいいに決まってるじゃん」


 って。

 門番すらいない、門すらもない、ましてや何者かとチェックされることも無く、まるで村とか集落に入るようにルビーは街の中へと入った。

 岩肌だった道がきちんと舗装された道になり、色素の薄い街へと入る。

 薄ら寒いものを想像していたが、活気はあるようだ。

 人の気配がする。

 店があり、なにかを売っていた。

 しかし、店主は人間ではなく魔物だった。

 人間領と同じく、屋台で食べ物が売られていて、それを買いに来ているのも魔物だった。頭がカエルのような男が肉を売り、手が異様に長い男がそれを受け取っている。


「……」


 雑踏。

 ノイズのように聞こえてくる言葉は、やはり人間領で使われている共通語だった。やはり魔物は会話ができる。意思の疎通ができている。

 それでは。

 俺たちがいつも戦っていたあの魔物たちは、どうして謎の言語を話しているのだろうか?

 闇から湧いて出てくる魔物は、どうして共通語を話さないんだ?

 疑問が生まれるが、質問はできない。

 ルビーに聞いたところで、きっと答えは返ってこないだろう。


「あら」


 大通りを歩いていたのはオーガ種が荷物を運んでいた。大きな木箱が前をふさいでいたので、ルビーは足を止める。


「歩道に荷物を置くなんて、横着にも程がありますわよ」

「あぁ、すまねぇ。もう少し待って――サピエンチェさま!?」

「はい。そのサピエンチェです。ほら、さっさと片付けて」

「わ、分かりましたぁ!」


 さすがオーガ種。恐ろしいほどの怪力で俺なんか持ち上げられそうにない木箱をひょいひょいと片付けていく。

 中身は何なんだろうな?

 少し気になったが、首も視線もルビーに固定されているので確認できなかった。


「ぜぇぜぇ、い、いつお帰りになられたんで?」

「たった今です。はい、今後は通行の邪魔にならないように仕事してください。他人に迷惑をかけてはダメですからね」

「わ、分かりました!」


 オーガ種は直立不動で返事した。そこでようやく俺の体がオーガ種を見てくれる。どういう考えで向いたのかは分からないがオーガ種と目が有った。


「――」


 あ、やべぇ。

 分かった。

 理解できた。

 どうして俺がこいつを見たのか、理由が分かった。

 こいつめちゃくちゃ強い。

 本能が、俺の肉体に残っている本能が、オーガ種の実力を確認しておきたかったのだろう。

 おまえは敵なのか味方なのか、と。


「おぉ」


 そんなオーガは俺を見て、なぜか感心するような視線を送ってきた。なんというか、羨望のような、憧れのような? なんかそんな視線。

 パルにも同じような視線だった。

 だからなのかな、俺とパルの体はオーガに静かに頭を下げる。オーガもそれを返すように、少しだけ頭を下げた。

 どういう意味なのか、良く分からないが……とりあえず、いきなり襲われることもなかったし、批判されることもなかった。

 人間は例外なくブチ殺されるもの。

 魔物にとっては食べ物であり、牛や豚と変わらない。

 みたいな想像をしていたのだが……

 どうやら違うらしい。

 というか、なんだろう……めちゃくちゃ普通に魔物が生活しているんだな。ゴブリンとか洞窟に潜んでいることが多いし、自分たちで砦を作ったとしても適当な丸太小屋ばかり。

 こんな立派な街で生活しているとは想像もできなかった。

 平和そのもの、という感じがする。

 歩いていくと、子どもの声が聞こえてきた。はしゃぐように走りまわっている足音。それらは角を曲がって俺たちとすれ違っていく。

 ルビーはにこやかに子ども達を見送る。それは、人間の子どもだった。いや、人間だけじゃなくて、魔物っぽい子どもも混じっている。

 オーガ種の子ども?

 ゴブリンっぽいけど、ゴブリンには無い知性を感じる。あと、明らかに顔が人間ではなく、鳥だったりする子もいたので、魔物のはず。

 人間と魔物が仲良く遊んでいた。


「……」


 これは……なんというかな。

 なんだろうな。

 理想の世界に思えた。

 思えてしまった。

 もしかして。

 人間と魔物は話し合いさえできれば。

 魔王と勇者が対話さえしてくれれば。

 仲良く暮らしていけるのでは?

 もう殺し合いの必要もなく、単純に種族の違いというだけで。

 人間と魔物というものに分けて考えなくてもいいんじゃないだろうか。

 なんて。

 そんな風に思えたけど――


「――」


 俺の体が絶句した。

 眷属化されている状態だというのに、一瞬だけ体が硬直したのが分かった。

 視線はルビーに固定されている。

 でも、見えてしまった。

 見えてしまったのだ。

 ルビーの歩いていく先にある店。

 まるで人間領の店のように、頭が豚に似た魔物がにこにこと楽しく食材を売っているのが見えた。豚みたいな顔をしているのが、なんともお似合いにも思えた。

 思えてしまった。

 皮肉にも程があるだろう。

 なにせ、そこに並んでいたのは『人間種』なのだから。

 解体された人間種の肉が――店頭に並んでいた。

 やっぱり。

 あぁ、やっぱり。

 魔物と人間は――相容れない生き物なのか。


「大丈夫ですか、エラント、パルヴァス」


 なにも言っていないのに。

 なにも無かったはずなのに。

 ルビーは店を通り過ぎたところで立ち止まり、振り返って聞いてきた。

 問題ないと、俺の体はうなづいた。

 大丈夫だと、パルの体もうなづいている。

 楽しそうに子ども達が遊んでいたのが、ギャップとなった。

 もしかしたら、分かりあえるんじゃないかと思ってしまったのが、逆に重く響いている。

 やっぱり魔物は人間を喰う。

 人間が豚を食べるように。

 牛や鳥を、他の生物の命を頂くように。

 魔物も、人間を喰う。

 そうか。

 分かりあえないか。

 分かりあえそうにもないか。

 でもこれは。

 魔王を倒した程度で、果たして終わりがくるんだろうか?

 まだ姿も知らない、魔王と名乗る何者かを倒すだけで終われる話なんだろうか?

 人間種の平和を考えるのならば。

 それは魔物を殲滅させるしか、方法が無いのでは……


「では、行きます。問題があれば遠慮なく言ってくださいね。もちろん、疲れたでもかまいませんわ。人間は弱いですから、ちゃんと守ってあげないといけませんので」


 ルビーが吸血鬼で良かったと思う。

 人間を食べ物として見ていなくて助かった。

 いや、どうなんだろう。

 ルビーこそが、正しい視点で魔物と人間の関係を見れているのかもしれない。

 彼女こそ、第三者の視点で、その関係性を語る権利があるのかもしれない。

 神さまにもっとも近い、傍観者。

 それが、吸血鬼なのかもしれない。

 知恵のサピエンチェ。

 魔王がどうしてこの名前をルビーに与えたのか、その真意は分からないけど。

 その理由も。

 いつか本人から聞いてみたいものだ。

 でも、きっと。

 たとえ勇者パーティの一員だったとしても。

 それは叶わないんだろうな。

 魔王との対話。

 それも、対等に話をすることなんて。

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