~卑劣! 勇者よりも遥か先へ~

 ちょっとした浮遊感。

 目の前がフッと暗転すると、景色が一転する。

 宿の中から、屋外へ。

 薄暗く太陽の光が届かないほど分厚い雲が空を覆い、どこか色素が薄い灰色のような世界が目の前に広がった。

 途端に冷たい風を感じる。

 まるで冬の空気のように、気温が人間領とはまるで違った。


「――!」

「――ッ!」


 俺とパルは、思わず背中合わせになり……周囲を警戒してしまった。無意識に手には投げナイフを構えていたし、聖骸布まで使用していた。

 正直に言うと――

 怖かった。

 恐ろしかった。

 ここが魔王領であるという事実が、どこまでも俺を臆病にしてしまう。

 それはパルも同じだったのだろうか。

 背中に感じるパルの気配は弱弱しく震えていた。

 無理もない。

 当たり前だ。

 ここは――

 この場所は、人類種が未だに取り戻せていない魔王領の奥深くなのだから。


「安心してくださいまし。誰も見ていませんわ」


 俺とパルが周囲を警戒心の塊となって見まわしている中で。

 唯一、ルビーだけが平気な顔をして周囲を見渡していた。


「やっぱり魔王領はいいですわね。昼間でも平気で外に出られるのですから」


 ルビーはそう言うと、自分の影をせりあげさせ、頭からバケツで水をこぼすようにして被る。影って液体だったのか。そう思えるほどドロリと黒い影は流れ落ち、残されたルビーの服装は出会った時と同じ、貴族的な黒いゴシックドレスを着ていた。

 顔色が青白く不健康に思えるのだが、吸血鬼にしてみれば人間とは逆に絶好調ということなんだろうか。

 少し赤色に染まった頬が、なによりの証明かもしれない。


「……マズイな」


 るんるん気分のルビーと、おっかなびっくり周囲をキョロキョロと見渡しているパルとは別にして、俺は装備していた聖骸布を外す。

 黒から赤へと変わる光の精霊女王ラビアンさまの古代遺物だが……その効果が半減していた。

 能力を最大限まで引き上げてくれる効果が薄い。

 それは、太陽を覆い隠すほどの雲が分厚いから……では説明がつかないよな。なんなら、聖骸布は夜にだって普段通りに発動していたのだから。


「極端に太陽と光の力が弱くなっている――もしかして、信仰が阻害されているのか」


 祈りが無ければ、恩恵は弱い。

 誰も神に祈らなければ、誰もその奇跡を受けることはできない。

 ナーさまがそうであったように。

 この魔王領では、光への信仰がほとんど無いのかもしれない。

 なるほど。

 これが魔王の力。

 人類に敵対する魔王の領土。

 自然を司る精霊女王が『勇者』を選び、導き、加護と恩恵をもたらす理由が分かった。

 この状況。

 つまり、吸血鬼が真昼間から外を歩けるほど太陽の力が弱い、なんて。

 どう考えても『不自然』だ。

 自然を司る九曜の精霊女王が魔王討伐に力を貸してくれる真の理由が理解できた。

 加えて、もうひとつ理解できたことがある。

 先代勇者……闇の精霊女王の加護を受けた勇者は最短で魔王領に突入して殺されたという。

 それを聞いた時、闇の精霊女王は勇者を使い捨てにしたのかと思った。さっさと役目を終えたかったのではないか、と思っていた。

 でも、違う。

 闇の加護は、この場所でこそ活きる。

 悪い言い方をすれば、魔王領こそ闇の精霊女王の力が発揮できる。

 人間領で力を付けるより、魔王領で戦うことこそ、最大効率と最上の結果をもたらしてくれたはずだ。

 でも、上手くいかなかった。

 先代勇者はあえなく散った。

 だからこそ、今回の勇者は有り得ないほど時間を費やし、有り得ないほど遠回りをして、有り得ないほどの力を付けさせ、ようやく魔王領に辿り着いたのだろう。

 正直、遅すぎたと思っている。

 もう全盛期は越えて、肉体は衰え始めているはずだ。

 いや。

 もしかしたら、肉体の衰え以上に経験値が重なって、今が最上とも言えるかもしれない。

 でも。

 光の精霊女王ラビアンさまの加護は、ここでは薄くなる。半分になる。聖骸布が能力を発揮しきれていない。


「……」


 聖骸布を通じて、勇者の反応が遥かに近くなったのを感じる。

 あいつは――

 この場所よりも南にいる。

 人間領により近い場所に、あいつはいる。

 やっぱり俺は――あいつより先に、魔王領の奥に来てしまったようだ……


「どうしました、師匠さん。問題でもありました?」


 ルビーの声に我に返る。


「いや、聖骸布が上手く機能していないのでな」

「あぁ~、その布ですわね」


 ルビーが嫌そうに俺の聖骸布とパルのリボンを見た。もちろんパルのリボンも聖骸布であり、常に発動させている結果、黒を保っているのだが……

 その命令がアダとなったようで、ルビーにバレてしまったようだ。隠しても良いのだが、ルビーの場合は影響が無いと判断したので正直な情報を伝えた。


「面白そうですわね。わたしの能力もあがるんでしょうか?」


 俺としても、それは興味があった。

 もしもルビーの能力があがるのであれば、本気で魔王を倒すことも可能になってくるかもしれない。

 そうでなくても、魔王に匹敵するぐらいの能力アップができれば、俺の肉体も精神も命も全て差し出すので勇者に協力して欲しい、と頼む覚悟くらいはできる。

 というわけで、パルのリボンにしていた聖骸布をルビーに付けてもらったのだが……


「あっ」


 という間に、燃えた。


「うわあああああああああ!?」

「るびいいいいいいいいい!?」


 俺とパルは慌ててルビーの髪から聖骸布を外し、燃えている彼女の体を全力で消火した。

 あとに残ったのは、まっくろこげになったルビーの肉体。

 正直、死んだかと思った。


「よ、よく考えたら光は吸血鬼の弱点でしたわ……パワーアップするわけがありません……がくっ」


 割と余裕っぽくルビーは倒れたけど、夜までマジで黒こげの死体状態で動けなくなっていた。

 たぶん、これ。

 ルビーを殺す具体的な方法を発見してしまったんだろうな……


「もうその布には触りませんわ。あ、でも師匠さんが付けろというのなら、付けます。命令してくだされば、いつだって」

「冗談にしても愛が重い」

「そのまま燃え尽きればいいのに」

「む。パルが酷いことを言う。口の悪い小娘は、こうです」

「あ……」


 ルビーの紅い瞳に金色の輪が浮かび上がる。ドクン、と心臓が跳ねるような気がしたが……それも一瞬のこと。

 気付けば、パルは直立不動でルビーの命令を待つ待機状態になっていた。

 眷属化。

 隷属化。

 どう表現すればいいか分からないが、吸血鬼が持つ凶悪なスキルのひとつだ。

 もっとも――


「魔王領では安心感がでるなぁ」


 俺の言葉に一切反応しないパルの姿を見て、俺はなんとも言えない息を吐く。

 ため息でもなく、安堵の息でもない。

 言語を司る神さまに新しく造語を作って欲しい。そんな息を吐いた。


「ふふ。師匠さんも眷属化しますけど、そ、そのぉ……いいですか?」

「なんだ? 変な命令はしないでくれよ」

「しませんよぅ。名前です、名前」

「エラントだが?」

「そ、その、名前を呼び捨てにしてもいいでしょうか? わ、わたしのこと嫌いになりません?」


 乙女か!?

 いや、ロリババァのはずなんだがなぁ……

 ちょっと『名前』に関してはピュア過ぎない?

 固有名を持たない魔物だからこその文化というか、感情なのかなぁ。


「問題ない。その程度で嫌うのであれば俺はルビーのことをルゥブルム・イノセンティアなんて名前は付けてないさ。清廉潔白さが呼び捨て程度で汚れるわけがない。エラントと遠慮なく呼んでくれ」

「で、では……エラント」

「おう」

「あ、あぁ~、なんだか照れますわ――って、びっくりしたぁ!?」


 気付けばパルがルビーの真横にいた。

 すげぇ。

 こいつ、眷属化されてる中で自分の意思で動きやがった。


「ルビーさま、命令を」

「分かってます、分かってますから離れてくださいまし。はい、パルヴァスはそこで待機。あと魔王領では知恵のサピエンチェと呼んでくださいまし。間違ってもルビーと呼ばないように。分かりましたか、パルヴァス」

「はい」


 パルはうやうやしく頭を下げた。


「見上げた精神力ですわね。それでは師匠さんも眷属化させます。なにも危ないことは起こらないと思いますが、もしもなにかあれば全力で助けますので安心していてください。もちろんパルヴァスも助けますので。自由はありませんが、楽にしていてくださいね」


 俺はうなづく。

 それでは、とルビーの瞳が怪しく輝いた瞬間――

 俺の意識は、体から剥離されたのだった。

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