~勇気! 全力全開勇者バトル~

 ――いったいどれだけの間、僕は戦っているのだろう。

 夜が二度訪れて、朝が三度来たような気がする。

 でも、まだ五分しか経っていないような気もした。


「はぁ――はぁ――」


 息が苦しい。

 剣が重い。

 盾など、もう気休め程度の強度しか残っていない。あぁ、そういえば持っているだけ無駄だったので隙を作るのに投げたのだったか。

 そうか。

 今は剣を両手に持っているのだった。


「――はぁ、――はぁ」


 目を開けているのも疲れてきた。

 知らなかったな。目を開いて、物を見るだけのことに、こんなにも力を使っていたなんて。

 馬車に気分良く揺られて、眠くてまぶたが重い。

 なんて思ったことがあるけれど。

 ははは。今なら分かる。

 あんなもの、重い内にも入らなかったってことが。

 気付けば左目が空いていなかった。

 汗のせいか、それとも血が混じっているのか。それとも僕には、もともと左目なんて開いてなかったのか。

 片目で見ていたことを思い出し、左目を開けた。

 なるほど。

 もう色を判別できなくなっている。

 ただでさえ薄暗い魔王領で、ただでさえ沈んだ色の多い岩だらけの場所で。

 僕の両目は、すでに色を放棄していた。

 白と黒だけの世界で、僕は戦っている。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」


 息を吸っているのか吐いているのか。呼吸ができているのか、できていないのか。まるで喉に穴が開いてしまっているかのようだった。

 苦しい。

 つらい。

 疲れた。

 今すぐ――今すぐ座って、後ろに倒れて、なにもかも忘れて、眼を閉じて。

 そして、死んでしまいたい。

 終わらせてしまいたい。

 楽になれるのなら、いっそのこと――

 ゾッとするほどの欲求が背中から這い上ってくる。

 まるで自殺願望があるかのように、目の前の状況からなにもかも逃げ出したくなっていた。


「はぁ――はぁ――、冗談、じゃぁ……ない……!」


 腕が重い。

 筋肉が全て断裂して、骨だけで体を動かしている気分だ。

 それでも。

 それでも僕は剣を右肩に担ぐようにして、持ち上げた。


「まだ、まだ終われないよなぁ!」


 体力も尽きた。気力も尽きた。

 だから、死力で叫ぶ。

 わずかに残った、ほんのちょっとの力を使って、剣に力を伝える。何度も何度も冗談のように練習して、あいつといっしょに笑いながら作り上げた、僕が最初に使えるようになった技。

 正真正銘、僕の最初にできるようになった技。

 そして、いま。

 最後になるかもしれない技。

 フラフラになりつつ、剣に力を――光の精霊女王ラビアンさまの加護を、勇者としての力の全てを、剣に宿した。


「な、なめるなよ……勇者が……」


 敵が。

 オーガが。

 魔王直属の四天王のひとり、『乱暴のアスオエィロー』が顔をあげる。

 巨体をギシギシと軋ませるように起こし、ヒビの入った戦斧を持ち上げた。震える腕には血管が浮き出ており、とうの昔に限界を越えていることを主張するかのように脈打っていた。

 オーガ種。

 人間種よりも巨大な肉体を持ち、額から角が生えている魔物。なによりも好戦的であり、一度始めた戦闘は、決着がつくまで決して逃げない。

 どちらかが死ぬまで、戦いは続く。

 それは、四天王とて同じことだった。

 一騎打ち。

 アスオエィローが提案してきた。

 それは、僕たちにしてみれば願っても無い提案だった。

 なにせ周囲はすっかり魔物たちに囲まれていて、逃げるにも逃げられない状況におちいっていたのだ。

 あいつがいなかったばっかりに。

 周囲の探索が不十分であり、警戒が行き届かないうちに、気が付けば手遅れだった。

 なにが『乱暴』のアスオエィローだ。

 どう考えても名前に冠する意味合いが適合していない。

 知略に富んだ暴虐性など、もはや無敵じゃないか。

 そんな悪態をつきたくとも、ゲラゲラと笑う魔物たちに取り囲まれては、余裕もなかった。

 あいつをパーティから追放したのは、失敗だったかもしれないけれど……逆に考えれば正解だったとも言えた。

 いっしょに死んでくれ、なんて。

 僕から提案できるわけないんだから。


「おまえが勇者か。ひとつ俺から提案があるのだが、いいだろうか」


 魔物のくせに、四天王のくせに。

 恐ろしくも筋骨隆々で敗北など知らないような肉体をしているくせに。

 アスオエィローは紳士的に笑った。


「提案? 世界の半分をくれるのなら考えなくもないよ」


 だから僕は、代わりに皮肉めいた答えをした。


「俺の領地で良ければ半分など言わず全部くれてやってもいい。どうだ、俺と一騎打ちをしないか? もしもお前が勝ったら、部下を下げさせる。この場は見逃す。俺が勝ったら、おまえ達はここで死ぬ。どうだ?」

「是非もなし」


 俺は即答した。

 戦士が止めるのを、賢者が考えを巡らせるのを、魔法使いが補助魔法を、神官が祈りを捧げるのを前に。

 俺は即答した。


「ならば尋常に」

「勝負!」


 ワァー、と盛り上がる魔物の包囲網の中で、仲間たちが後ろで見守る中で。

 俺とアスオエィローの一騎打ちは始まった。

 アスオエィローは恐ろしく強く、恐ろしくしたたかで、恐ろしく戦いが上手い。そしてなにより、好戦的というオーガ種そのものを体現したかのように、楽しそうに戦っていた。

 それが。

 それが僕には、なんだかうらやましくて。

 まるで人間と魔物が正反対のようにも思えた。

 僕にとって戦いとは、人間種を助け、魔王を倒すためだけのものだったから。

 それは人類にとっての希望であり。

 平和を望む神さま達の悲願でもある。

 だから。

 僕は戦わなくちゃいけなかった。

 あいつといっしょに旅立って、あいつといっしょに強くなって、仲間がたくさんできて。

 そして、あいつを追放した。

 友達を裏切ってしまった。

 だから。

 僕は。

 戦いを――

 戦うのを――

 あぁ。

 どうして。

 どうしてだ!

 剣を振り下ろし、盾で防御し、避けて、防いで、攻撃するたびに。

 楽しかった。

 楽しかったんだ。

 楽しくなってしまったんだよ!


「あああああああああああああああああああああ!」


 もう、残す物はなにもいらない。

 剣に捧げるものがあるのなら、血の一滴までも注ごう。

 魔力を全て、体力も全て、涙を流す力すらも剣に捧げて。

 僕は。

 走った。

 走れているのかどうか、もう分からない。でも、段々とアスオエィローが近づいてくる。

 あぁ、そうか。

 アスオエィローもこちらに向かって、戦斧を引きずるようにして向かってきていた。


「おおおおおおおおおお!」


 吠えるオーガ。

 これが最後だと、これで最期だと言わんばかりに。

 その一歩一歩を踏みしめてくる。


「ひっ……さぁー……つ――!」


 張り付く喉を破るようにして、僕は唱える。

 僕とあいつで、最初に作った必殺技。

 もう、僕に残っているのは、これしかなかった。


「あああああ――速斬(セーレル・スラッシュ)!」


 肩に担ぐようにして構えていた剣を、地面に叩きつけるようにして思い切り振り下ろした。

 正真正銘、ありったけの力を込めた最期の一撃。

 残った力で繰り出せる剣技スキルは、もうこれだけ。あいつといっしょに笑いながら練習して、ホントにできるようになって、それをスキルまで昇華させた技。


「おおおおおおおおおおおおお!」


 対して、アスオエィローは戦斧を下から振り上げた。

 それは果たして、俺に対してだったのだろうか。

 それとも、俺が振り下ろす剣に対してだったのだろうか。

 何度も何度も打ち付けてきた剣と戦斧が重なりあい、攻撃とも防御つかない僕とアスオエィローの最期の攻撃は、果たして――


「……くっ」

「……がっ」


 相打ちでもなく。

 ましてや勝負が決したわけでもなく。

 武器を持ち続けることができなくなった僕は、剣と戦斧が弾かれ合い、その衝撃に耐えられず、剣を手放してしまった。

 ガラン、と武器が地面に落ちたのを横目で確認すると――

 もう立っていられなくなった。

 ごめん。

 どうやら僕は――ここまでみたいだ。


「…………」


 倒れた。

 倒れてしまった。

 負けた。

 負けたのか、僕。

 あぁ、ごめん。

 ごめんよ、みんな……


「……ぐ。くぅ」


 アスオエィローの声がして、右目だけをなんとか開いた。そうすると、目が合った。どうやらアスオエィローも倒れているらしい。

 満身創痍だった。

 ようやく体を巡る血液が目にも行くようになったのか、世界に色が戻り始めた。アスオエィローの体は傷だらけで、ぴくりとも動かない。

 いや。

 それは僕も同じか。

 満身創痍なんてもんじゃない。

 もう、死んでないだけの死体みたいなものだ。

 なんだかそれが滑稽にも思えた。

 だから。

 片目だけ、なんとか開いたアスオエィローと視線が合って。

 そして――


「はは、ははは。あはははは……」

「くく、くはは。ふははははは……!」


 僕たちは笑った。


「楽しかったよ、アスオエィロー。こんなに楽しかったのは、久しぶりだ」

「俺もだ、勇者。全力で戦ったのはいつぶりだろうか。楽しかった。おまえがそう思ってくれているのが嬉しい」


 そうか。

 そうだよな。

 おまえもそう思ってくれているのなら、僕だけが楽しんでいたことより、なんというか、救われる気がする。


「トドメを刺してくれ、アスオエィロー。僕の負けだ」

「それはこちらのセリフだ、勇者。俺の負けなのは明らかだろう。トドメを刺してくれ」

「あっはっは。それは聞けない願いだな、アスオエィロー。もう体が、小指すらも動かせないんだ。君を殺すのは、無理だ」

「それはこちらとて同じこと。話すので精一杯だ。立ち上がることすらできない体で、どうやって勇者を殺せようか」


 僕は笑った。

 アスオエィローも笑った。


「失敗したな、アスオエィロー。引き分けの時のことを考えていなかった」

「くはは、引き分けなど有り得ないと思っていたが。そうか、これが引き分けか」

「どうする?」

「ひとつ提案がある、勇者よ」

「なんだい、乱暴のアスオエィロー」

「また戦ってくれ。次は決着をつけよう」

「分かった。次は負けない」

「俺もだ。次は勝つ」


 そして。

 俺とアスオエィローはまた笑った。

 魔物と楽しそうに笑うことなど、有り得ないと思っていた。

 でも、そうか。

 会話ができるのであれば、こういうことも起こり得るんだな。


「またな、アスオエィロー」

「おう、勇者」


 お互いに仲間に支えられて立ち上がりながら。

 ボッロボロになっている姿に、また笑い合いながら。

 初めての四天王戦。

 結果は、引き分けに終わったのだった。

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