~神威! 偉大なる大神生活・完結編~

 ぐしぐしと涙をぬぐう。

 泥にはまったく汚れない体だったけど、普通に涙は出るんだ。って、自分の腕についた涙を見て思った。

 吹っ飛んでいった泥神たちは意識を失って倒れたままだった。なんなら、もう一生目を覚まさなくてもいいのに。


「大丈夫?」


 私は茫然としている天使の女の子に近づいて、手を差し伸べた。


「あ、先に服か」


 天使が私の手を見て戸惑っているのに気付いて、彼女が裸になってしまっていることを思い出した。

 周囲には泥に混じって天使の服と下着だったものが散らばっている。

 それを身につけるのは不可能だし、泥に染まってしまった物を再び着る気にはなれない。私だったら絶対にお断りだ。

 でも。

 さすがに天使と言えども、裸になってしまった女の子をそのままにしておくのは、神さまとしてイカガなものか。

 さてどうしようか、と悩んでいると、ようやく天使は冷静さを取り戻した。裸を隠すように縮こまりながらも私に頭を下げる。


「あ、あの……ありがとうございました」

「いいよ。私があいつらにムカついてただけだし、復讐のキッカケができただけ。積年の恨みを晴らす、ってヤツよね。ま、あんなミノタウルスより劣る下半身バカのことは放っておいて。あんたは大丈夫? 怪我してない?」


 泥だらけになっている天使は、大丈夫です、と力無く答えた。汚れているけど、怪我をしていたりはなさそう。

 心の傷はさておき、体の傷は大丈夫そう。うん。ホント、いろいろと大丈夫そう。間に合って良かった。


「それよりも服ね……う~ん、まぁいっか」


 私は自分の茶色く染まったワンピースを遠慮なく脱ぐと天使の子に渡した。


「そ、そそそ、そんな! 神さまの、そ、それも大神さまの服なんか着れませんよ! そ、それに大神さまが、その、下着姿に……」


 黒く長い髪をぶんぶんと振り回す勢いで天使の子は拒絶した。


「いいのよ。私なんて、大神の一番端っこだもん。自分の家すら持ってないザコよ、ザコ。それに、こんなに茶色くなってるんだから誰も大神の服だって分からないわ」

「で、ですけど」


 意外と頑固な天使ね。


「だったら命令するわ、天使。えっと、名前は?」

「正式な名前はありません。神さまに戴く名前が、天使の正式な名前になります」

「……そうだった」


 みんな普通に名前を呼んでいるから、普通に名前があるものと思ってたけど。

 そういえばそうだった。


「今はなんて呼ばれてるの?」

「カピルム・ニィグルムです」

「カピルム・ニィグルム(黒髪)ね。じゃぁ、カピって呼ぶわ」

「へ、あ、あああ、ひゃ、ひゃい!」


 カピは驚いたような表情をしたけど、そのまま立ち上がりピシっと背筋を伸ばした。

 私が手を伸ばしたのは何だったのか……

 というか、裸でも堂々と身体を隠すことなく立つのね……

 私と同じちんちくりんなくせに、堂々としてうらやましい限りだわ。

 おっと。


「命令よ、カピ。これを着なさい」

「わ、分かりました」


 いそいそとワンピースを着たカピは、再び姿勢を正した。

 私と同じくらいの背丈だし、出るとこは出てないし、ひっこんでないところは引っ込んでいない、いわゆるちんちくりんな体なので、ぴったりだ。

 これで胸がきつかったり腰回りがスカスカだったりしたら、ミジメな思いをするところだったけど、大丈夫だ。

 私の名誉は守られた。


「着ました!」

「うん」

「……」

「……」


 ん?


「どうしたの、もう帰っていいよ?」

「そ、そんなー!?」


 カピの表情が急に崩れてしまって、さっき乱暴されたよりも悲壮感のただようものになってしまった。

 え~っと?

 私、なにかしちゃった?


「名前を付けてくれたじゃないですか! 大神さまに名前をもらうってことは、その大神さまに仕える証ですから。も、もしかしてこの服を着せるためだけに名前を付けたってことですか!? そんな、せっかく夢が叶ったと思ったのにー!」

「ちょ、ちょっと待って。カピって呼んだだけなのに名前を付けたことになっちゃうの?」

「なりますぅ!」


 なるのか……


「というか、カピの夢って?」

「大神さまにお仕えすることです……せっかく、せっかく会えましたのにぃ……」


 うぐぐ、とうめいてカピは四つん這いになってしまった。

 感情表現の大きい天使ね。

 こんなだから、悪目立ちして泥神とかに狙われるのよ……


「顔を上げてカピ」

「うぅ……はい、大神さま……」

「動物みたいね。犬みたい。首輪が似合いそう。あぁ、そうじゃないわ。普通に座って座って」


 余計なことを言ったせいでカピの表情が余計にくもってしまった。

 失敗した。

 私は大きく息を吐いてから、ゆっくりと告げる。


「丁度良かった。今日は、私に仕えてくれる天使を探していたの。カピルム・ニィグルム、あなたは今、誰にも仕えてないのね?」

「は、はい!」

「そして、大神に仕えることが夢だった。間違いない?」

「はい、間違いないです!」


 私の目的を知った瞬間に、キラキラと瞳が輝きだすカピ。

 彼女と私の目的は合致している。

 でも。

 伝えておかないといけないことがある。


「私の名前はナー。『無垢』と『無邪気』を司る神」

「し、ししし、知ってます! 小神から一気に大神に成ったと、大慌てで大神さま達がやってきて、大騒ぎになったのを知っています! あ、あなたがナーさまだったのですね!」


 無駄に有名になっていたので、説明が省略できて良かった。


「ぜ、是非、ぜひ、わたしに仕えさせてください、ナーさま!」

「その前に言っておくことがあるわ」

「な、なんでしょう?」


 一呼吸。

 私は少しだけ息を吸って、吐いて、それからカピに伝えた。


「私の神官はひとりしかいないわ」

「えっ」

「それから、はっきりした信者もいない。ただ無垢に無邪気に笑ってくれてる人間種がいるだけ。分かる? カピルム・ニィグルム。わたしは、普通の大神じゃない。もしかしたら、すぐに大神から落ちてしまうかもしれない。詳しくは話せないけれど、そういう事情があると思って。それでもいい? それでも私に仕える気がある? カピルム・ニィグルム。あなたは大神ナーに、不自然な大神に、性格が悪くて意地の悪い、ひねくれものな神さまに仕えることができる?」


 私は伝えた。

 正直に、伝えた。

 嘘を司る神に笑われるかもしれない。

 正直を司る神にも笑われるかもしれない。

 だって、大事なところはボカしているんだもの。

 ズルをしたってところを――ホントは人間のアイデアひとつで祈りが形になり、笑顔が信仰となってしまったせいで大神になれたってところを、伝えられなかった。

 でも。

 それでも。


「はい、なります」


 カピルム・ニィグルムは、真剣な顔でうなづいた。


「わたし、カピルム・ニィグルムは、大神ナーに仕えます。ナーさまにどんな事情があろうとも、どんな神さまであろうとも。大神ナーさまは、わたしを助けてくれた神であり、わたしの心の恩神です。だから、誠心誠意お仕えすることを誓います」


 そう言って、おねがいします、と頭を下げた。


「そう。分かった」

「ありがとうございます! やったぁ!」


 カピは立ち上がって飛び上がるように両手をあげた。

 やっぱり見た目によらず、感情の激しい天使のようね。大人しい落ち着いた顔をしているのに。だから悪目立ちしてたんだと思う。

 まったく。

 どこかの人間とは正反対。眼鏡をかければ、というアドバイスは必要なさそうだけど。


「決めた」

「なにをですか?」

「あなたの名前。新しい名前をあげる」

「は、はい! なんでしょうか!」

「ミッテシェーレ」

「ミッテシェーレ(落ち着く)ですか……」


 なんだか良く分かっていないようなので、私は意地悪な顔をしながら言った。


「あなたを呼ぶと同時にミッテシェーレ(落ち着け)と命令できる。こういうのを一石二鳥って言うんだったっけ。人間って便利な言葉を作りだすよね」

「えー!?」

「行くよ、ミッテシェーレ。大神のお城を案内してあげる。ついでに私の部屋も教えてあげる。せいぜい騒がしくして『静寂』を司る神と『夜』の神に怒られるといいわ」


 一度、大神が怒るところを見ておきたいし。

 ミッテシェーレが怒られるんだったら、私は悪くないので安心あんしん。

 なんて考えつつ歩き始めたら――


「ま、待ってくださいナーさま」


 とミッテシェーレが声をかけてくる。

 なに? と私が振り返ると、そこには妖精がいた。

 小さな体で引っ張るように持ってきたのは、草花とツタを編み込んだ簡易的な服。といっても、首を通す穴と腕を通す穴があるだけの四角い袋みたいなもの。

 スキマはあるけれど、まぁ下着くらいは隠せる密度はあった。


「ありがとう。ありがたく着させてもらうね」


 妖精にお礼を言うと、にっこり笑って大樹へと帰って行った。

 大神になると、無条件で妖精に愛されるのかしら?

 それとも、妖精は『無邪気』の側面を持つことも多いから、相性が良かったのかも。でもそれだったら小神の頃に助けてくれても良かったじゃない。

 ……って思ったけど、私は陰気オーラが全開だったので、妖精も近づけなかったのかもしれない。

 まぁ、いま助けてくれたからいっか。

 そのうちお礼しに来よう。妖精ってなにが好きなんだろう? あとで誰かに教えてもらおう。


「じゃぁ、帰るわよ」

「はい!」

「帰ったら衣服の神に頼んであなたの服も作ってもらうね」

「えー!? そんな畏れ多い!」

「ミッテシェーレ(落ち着け)!」

「それわたしを呼んでいるんですか!? それとも叱ってるんですか!?」

「あはははは!」


 ケラケラと私は笑って。

 天使の女の子をひきつれて、大神の城へ帰るのだった。

 もちろん私は奇妙な植物の服を着てるし、新しく連れてきた天使は泥だらけ。目立つなというほうが無理だし、門番には止められてしまった。

 なので――


「小神『泥』を司る神に襲われていた天使を助けただけ。いやしくも、泥神はこの子を凌辱しようとしていた。神の王の裁きを求める」

「は、はい! すぐに報告を!」


 チクってやった。

 以前なら報復を恐れて出来なかったけど、今や恐れる必要はない。

 というわけで、盛大にチクってやった。

 これでしばらくは大人しくなるだろう。

 ならなかったら、何度だってぶん殴ってやる。


「はぁ……」

「ナーさま?」

「なんでもない。とりあえずお風呂に案内するから、いっしょに入ろう」

「そ、そんな自分で洗えますので!」

「あなたが私の体を洗うのよ」

「えー!?」

「ミッテシェーレ(落ち着け)!」

「は、はいぃ!」


 便利な名前だ。

 私って天才かな?

 ちなみに今日の事件をサチに報告すると――


『……そうですか』


 と、そっけない返事。

 イジメてた小神どもに復讐できたのは喜ばしいことだけど、天使と仲良くするのはサチ的にはちょっと不満っぽい。


「大丈夫だよ。私はずっとサチといっしょにいる。サチが大人になっても、誰かと恋愛して結婚して子どもを産んでも、そしてお婆ちゃんになっても。ずっと見守ってるからね」

『……はい』

「あはは、照れなくてもいいのに」

『照れてませんっ』


 あはは、可愛いヤツめ。


『……ナーさまのほうが可愛いです』

「むっ。言うようになったじゃないか、サチ。いいや、サチア・ドーテイル」

『……本名で呼ばないでください。わたしはいつだって、サチアルドーティスです。大神ナーのサチアルドーティス(神官)です』

「そういうことにしておくよ」


 私は自室で、きしし、と笑った。


「ポーションできましたよ、ナーさま! 次はなにをすればいいですか!」

「うるさい、ミッテシェーレ!」

「だから、それ名前か怒ってるか分かんないんですってばぁ!」


 とりあえず、私こと大神ナーは。

 騒がしい天使といっしょに、それなりに楽しく毎日を過ごしている。

 人間世界の子どもたちの無垢で無邪気な笑顔のために。

 今日も楽しく、普通に生きていくことにした。

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