~流麗! 吸血鬼は母乳でも満足するかもしれない~

 朝、わたしは窓から差し込んできた日光を浴びる。


「あぁ」


 これでわたしはまた吸血鬼から人間になりました。師匠さんに近づくことを許されているような気分なので、この体中から力が抜けていく感覚が逆に気持ちいい。


「ルビーは変態」

「甘んじて受け入れましょう」

「受け入れられちゃった!?」


 なんてパルと話している間に師匠さんは朝ごはんを買ってきてくださいました。

 屋台で売られているパンと、ゆで卵がたっぷり乗ったサラダ。飲み物は牛乳でした。

 パンは、まだ焼いた時の熱がほんのり残っていて美味しく、サラダに入っていたきゅうりも新鮮で歯ごたえがありました。

 魔物領で食べていた朝食も美味しかったですが、師匠さんが買ってくる素朴なごはんも美味しいですね。


「そういえば、ルビー。血を吸わなくても大丈夫なのか?」


 食べ終わった時、師匠さんが聞いてきました。

 わたしは、問題ありません、と答える。


「人間にとってのコーヒーや紅茶のようなものです。嗜好品、というべきでしょうか。別に血液を飲まなくても死にませんわ」

「そういうものなのか。てっきり血液しか飲めないのかと思った」

「母乳は血液と聞いたことがあります。牛乳もそうなのかもしれませんが……仮に血液でのみ栄養補給や魔力補給をしなければならない、という種族でしたら……たぶんですけど、一日に三人くらいは吸い殺さないと足りない、ということになってしまいます。それこそゴブリンが人を食べるのと同じくらいの醜悪さですわ」

「言わんとしていることは分かる」


 自分の身体がどうなっているのかは分かりませんが、それでも人間種を食べようとは思えないし、美味しそうにも見えない。

 あくまで血液だけ。

 それでも――


「師匠さんの血は、わたしにとって特別に見えました」


 言葉にするには難しいのですが、どんなに血筋の素晴らしい皇族でも勝てないほどの輝きと表現すればいいでしょうか。

 そもそも貴族の血はあまり美味しそうにないんですよね。

 かといって平民の血が美味しいかと言われれば違うのですが。

 どうして師匠さんの血があんなにも美味しそうに見えたのか? 魅力的な理由はどこにあるのか? そしてなにより、好きになったから美味しそうに見えるのか、それとも血が美味しそうだから好きになったのか。

 それもまだ、わたしの中では咀嚼できてないような気がしている。

 もちろん。

 どんな結果が出ようとも、わたしは師匠さんが好き、という事実はひっくり返りませんが。


「ふ~む。舐めるか?」


 いいぞ、と師匠さんはナイフで指先を切り、わたしの前に出した。指先にぷっくりと溢れてくる赤色の液体。

 それを見た瞬間、わたしは胸が高鳴るのを自覚する。


「あぁ……やっぱり。師匠さんの血液は、こうもわたしを虜にするみたいです」


 そう言いながらわたしはおずおずと舌を伸ばし……師匠さんの指先に丸くこぼれそうな血液を舐めとった。

 極上でした。

 とてもとても美味しい。

 もう単純に、どんな言葉で彩るよりもシンプルに――

 ただただ美味しい。


「ん……ちゅぶ、れろれろ、ちゅ、ちゅぶ……ん……ふあ……」


 こんなの我慢するなというほうが無理です。

 わたしは師匠さんの指に舌をはわし、ゆっくりと流れ出てくる血を夢中で舐めて――


「じ~~~」


 めちゃくちゃパルに見られてました。

 なんでしょう……

 途端に恥ずかしくなってきたこの感情は……


「なんかえっち」

「そ、そんなことありませんわ。ただ、血を舐めているだけです」

「舐め方がエロい」

「ち、違いますわよね、師匠さ――師匠さん?」


 なぜか視線をそらされた。


「むぅ。これからは師匠さんとふたりっきりの時に血をもらいます。パルは肉でも食べててください」

「え~、あたしも見てたっていいでしょ」

「ダメです」

「なんでよぅ」


 そんな会話をしつつ、朝食を終えたわたしとパルは冒険者として活動を開始することになりました。

 宿の外に出ると、今日は絶好の冒険日和と言える天気の良さ。

 以前なら気持ち悪い空でしたが、今ではギリギリで気持ちいい天気、と言えるかもしれません。

 ……嘘です。

 まだちょっと慣れてません。


「まずはサチを誘いに行こう」


 パルも加重に苦労しているようですが、苦痛は表情に出してなかった。

 やっぱり強い子ですわね。

 先に師匠さんに出会っているのが、なんともうらやましい。


「頑張りましょう。おー」


 と、わたしは右手をあげた。ちょっと楽しい。

 なにせ今まで魔王領や人間領では、恐れる物は太陽の光でした。

 さすがに魔王さまには勝てる気がしませんでしたが、部下である魔物たちがわたしの能力以上になることもなく、ひとつも退屈をまぎらわせる材料にはならなかった。

 でも。

 今は油断するとゴブリンにも負けてしまう。コボルトに取り囲まれただけで、死を覚悟しないといけない。

 野生動物すら、わたしを捕食しようと襲い掛かってくるはず。

 だからこそ。

 だからこそ、楽しい。

 何においても心が動かなかったわたしの感情が、いろいろと目まぐるしく変化していく。

 この何でもない程いつも通りの日常が。

 こんなにも楽しくなるなんて。


「それじゃぁ、俺は自分の修行をするよ」

「あら。師匠さんはいっしょじゃないんですか?」

「厳密にはいっしょに行く。ただし、俺はおまえ達に見つからないように尾行する。盗賊スキルの感覚も鈍ってるだろうからな。俺の存在に勘付いたら容赦なく視線を送ってくれ」

「あたし達の訓練でもあるわけですね」

「その通りだ」


 と、師匠さんはパルの頭を撫でた。

 なるほど。

 尾行に気付く訓練でもあるし、尾行する訓練でもある、と。


「師匠さんを見つけたら、なにかご褒美はありますか?」

「あぁ、そのほうが本気になるよな。なにがいい?」

「はいはいはい!」


 パルが元気良く手をあげた。


「抱っこしてください」

「……なんだそれ」

「師匠を一回見つけるたびに五秒抱っこ。ダメですか?」

「まぁ、いいけど。ルビーもそんなんでいいか?」

「では、わたしは師匠さんを一度見つけると5か所から血を吸える、ということで」

「却下だ」

「冗談です。では、わたしは師匠さんを五秒間ハグします」

「俺がされるのか……」

「えぇ、大通りの真ん中でやりましょう」


 わたしと師匠さんの愛を周囲に見せつけてあげましょう。


「――よし分かった。全力で挑むとしよう」


 師匠さんはそう言って、目の前にいるのにも関わらず存在感が希薄になった。

 そのままスっと宿の角を曲がると、もう物理的にも感覚的にも追うことが不可能になる。


「もう師匠がどこか分かんないや。ルビーは分かる?」

「いえ。わたしの能力が下がっていなくても、もしかしたら無理だったかもしれませんわ」

「師匠ってば、自分を過小評価し過ぎ」

「パルもそう思います?」

「思う思う。師匠だったら魔王も倒せるんじゃない? こう、不意打ちで」

「ひとりでは難しいと思いますが……仲間がいれば可能でしょう。それこそ、わたしが手引きをすれば確率は跳ね上がりますわ」

「おぉ~。さすが師匠! でもどうして師匠は勇者じゃないんだろう? 勇者って魔王を倒せるくらいに強い人がなるんだよね?」

「さぁ? 天界に住む神の考えは良く分かりませんわね。それこそ、サチやミーニャに聞いてみてはいかがでしょう? ナー神に勇者の加護がもらえるかもしれませんよ」

「お~、それいいかも。師匠が勇者で、あたし達が仲間! で、魔王を倒す。そしたらいっぱい褒められて美味しいお肉も食べ放題!」

「でも勇者は魔王を倒したあと、お姫様と結婚するのが良くあるおとぎ話の結末ですわよ?」


 大体が出身地の王様に成って終わりますよね。

 あれって、いわゆる婿入りってことでしょうか。ゼロから貴族や王族になると、周囲からの反発は大きそうで苦労しそうですわね。


「……師匠が勇者になんか成れるわけないじゃない。うんうん。盗賊だし? 師匠ってば、悪いこといっぱいしてるし? ロリコンだし。うんうん。勇者とか無理だよね」

「わたし、人が手のひらを返すところを見たの初めてです。手首、痛くありません?」

「痛くなーい!」


 ふふ。

 なんでしょうね。

 他愛もない、本当になんの意味もない会話がこんなにも楽しいなんて。

 こんな日がくるなんて。

 まったくもって、予想もしていませんでした。

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