~卑劣! それは狂っているからこそ知っている事実~

 いま孤児院に子ども達はいない。

 という知識神殿のおばあちゃん神官の言葉に、俺は首を傾げた。


「部屋の改装中か何かですか?」


 孤児が多くなってきたので、孤児院を大きくしているとか?


「いえ、ただ遊びに行っているだけですよ」

「あ、なるほど」


 至極真っ当な答えに俺は素直に納得した。

 しかし、孤児たちが自由に外に出て遊べる、という状況は好ましい。

 普通であれば、孤児は毛嫌いされる。

 常にお腹をすかせているのが孤児というもの。店の商品を盗まれたりする可能性は多いし、なにより『捨てられた子』という視線が、子ども達の心を傷つけてしまう。

 少なからずとも、俺にもそういった視線にさらされた記憶はある。

 残念ながら、孤児が物を盗むっていうのは正解であり、一度も露見しなかったからこそ、一度も捕まっていないからこそ、俺は今、こうやって生きているわけだが。

 盗みがバレて捕まった孤児の命運など、想像に難くない。

 路地裏に捨てられた子どもの死体など、あまり見たくはないものだ。

 そういう意味では、孤児が自由に外へ遊びに出られる、出ても問題ないと捉えられている学園都市は、安全であり平和であり豊かである、と言い切れるだろうか。


「一応、見せてもらえますか? なにか協力できることがあるかもしれない」

「あまり旅人さんの負担にはならないようにしたいところですがね。どうぞ、こちらです」


 おばあちゃんはゆっくりと歩き出したので、俺はそれに従う。

 孤児院の位置は、ジックス街と同じように神殿の奥にあるようだ。

 大きな知識神の彫像を見上げながら横を通り、奥の扉へ進む。

 扉の先はやはり神官たちの私室になっており、なんというか、扉が開けっ放しになっていたり、扉の先までごちゃごちゃと荷物が置かれていた。

 その大半が分厚い本だ。

 さすが知識神の神殿。

 神官もまた、知識欲に溺れた者ばかり、というわけか。

 そんな神官たちの私室が並ぶ廊下の最奥に扉があり、その先は神殿の裏につながっていた。

中庭のような作りになっているらしく、周囲はちょっとした囲いで覆われており、植樹されたであろう木々が目隠しの役目を担っている。

 そこに神殿よりも小規模な建物が建っていた。

 孤児院だ。

 清潔感のある建物といった感じで、わりと資金状況は良さそうに思える。絶え間ない寄付のおかげだろうか、建物の修繕にまでお金をまわせるのは、なにより街一番の神殿の強みだ。


「立派な孤児院ですね。俺が居たところとは段違いだ」

「あなたのような人が寄付をしてくれるおかげですよ。子ども達も喜んでくれるでしょう」


 俺の思惑はさておいて。

 孤児たちが喜んでくれるなら本望だ。

 はてさて。

 あの孤児院にナーさまのエンブレムを置いてもらうにはどうしたらいいか。

 それともこっそりと屋根裏にでも仕掛けようか。

 その場合の侵入経路は――


「おや?」


 孤児院の周囲を見渡していると動きがあった。

 子ども達はいないと聞いていたのだが……ひとりの少女が通りがかる。どうやらひとりでいるらしく、他に子どもの姿は無い。

 少女は大きな壺らしき物――水瓶だろうか。その中に手を入れてこするような動きを見せた。

 恐らく手を洗っているのだろう。


「……」


 外から帰ったら手を洗いましょう。とは、良く聞いた言葉だ。冒険中にはなかなか実行できないものだが、魔法使いがいると劇的に状況は改善する。神官がいるのなら尚更だ。

 衛生観をしっかりと身につけた、しっかりとした少女だ――と、思ったのだが。

 どうにも様子がおかしい気がする。

 長い。

 子どもは、存外に適当になっていくものだ。

 手を洗わないと不衛生だ、と言われても泥や汚れが落ちる程度で問題ないと判断してしまう。下手をすれば、水で濡らす程度で終わらせてしまうこともしばしば。

 それに対して、少女の手の洗い方は少々『しつこい』。

 よほど汚れてしまったのだろうか。しきりに手を石鹸で泡立てて両手をこすりつけるように洗っている。


「彼女は?」


 少女にバレないようにおばあちゃんに聞いてみたのだが……どうやら敏感にも俺の声が少女に聞こえてしまったらしい。

 ギョっと驚いた表情を浮かべて俺を見たあと、そそくさと逃げるように孤児院の中に入っていってしまった。


「あぁ、ごめんなさいね挨拶も無しで。あの子は最近、恥ずかしがり屋になっちゃったみたいでねぇ。得に男の人が恥ずかしいみたいで、すぐに逃げてしまうのよ」


 恥ずかしがり屋……

 男……

 ふむ。

 これはもしや――


「……彼女は、その、よくお風呂に入りたがってませんか?」


 そう聞いてみた俺に、果たしておばあちゃん神官は驚くように目を丸くした。


「どうしてわかったんだい、旅人さん。綺麗好きなのかねぇ、さっきみたいに手を良く洗うし、身体を洗いたいからってお風呂にも長く入っているよ。一番最後まで入っていて、怒られることもあるくらいだからねぇ。旅人になると、そういうのが分かるのかい?」


 のんきに笑うおばあちゃんに、俺は首を横にふった。


「いえ……あの、おばあちゃん。今から俺の言うことを落ち着いて聞いてください。もし、間違いだったらそれでいい。俺の勘違いだったで済む話です」

「は、はぁ。なんだい改まって」

「……彼女に、男からイタズラをされていないかどうか。聞いてもらえませんか?」

「なんですって!?」


 おばあちゃんの目が、更に大きく見開かれた。

 落ち着いて、という俺の言葉は見事に無視されたことになるが……無理もない話か。なんにしても、俺が伝えたことはただの推測に過ぎない。

 まったくもって残念ながら、俺はロリコンだ。

 だから、知っている。

 理解している。

 分かっている。

 実際に少女に手を出したあと、その被害者がどうなるのか、どうなってしまうのか。

 俺は知っている。

 被害者は自分を『汚い物』と捉えてしまうらしく、しきりに身体を洗いたがるそうだ。得にお風呂に入りたがるという行為は被害者に共通していると思う。

 あの少女にそれが……

 それが顕著にあらわれている。

 その上、他の子ども達と行動を共にしていないこと。ひとりきりを選んでいること。

 加えて――

 なにより――


「俺の顔を見て……いえ、男から逃げるようになったのは、やはりそういう事があったのではないか、と思えてならないんです」

「ほ、本当なのかい?」


 おばあちゃんは俺の腕にしがみつくようにして聞いてきた。


「落ち着いてください。なにもそう決まったわけではないのです。勘違いだったらそれでいい。俺を頭のおかしいヤツだと笑ってくれていいので。ですが、その可能性がある限り、聞いてみてもらえないでしょうか。彼女を傷つけないように、聞いてきてもらえますか? 残念ながら、俺では役に立てそうにないので」

「わ、分かりました」


 俺はおばあちゃん神官を支えるようにして孤児院の入口まで移動した。

 中に入るのはやめておこう。

 だが、せめて入口から分かる程度には中の様子をうかがう。

 孤児院の中は、まず広い部屋になっていてテーブルと椅子が並んでいた。おそらく食堂として使われている部屋なのだろう。両側に扉があり、どちらかが子ども達の部屋に繋がっていると思われる。

 壁には知識神の肖像画のようなものが飾られてあり、エンブレムもあった。


「ここで待ってておくれ、旅人さん」

「はい……」


 おばあちゃんが向かったのは左の扉だ。そっちが子ども達の部屋ということだろう。

 しかし――

 エンブレムを置いてもらえるかどうか、それを確認しに来ただけのはずが。どうにも厄介な問題を目撃してしまったものだ。

 もちろん無視をしても良かった。

 知らないフリをしても良かった。

 それでも――


「はぁ……」


 重いため息が出る。

 俺は小さい子が好きだ。

 無邪気に笑う女の子が好きなんだ。

 ロリコンであることは、もう、疑いようがないし、否定する意味もないし、賢者や神官の打算的な笑みを思い浮かべただけで虫唾が爆走する。

 重度の頭がおかしくなった人間として。

 性癖が壊れてしまった人間として。

 やっぱり好きな対象には、平和で楽しく明かるくしあわせに笑っていてもらいのだ。

 手を出したら、どうなるか?

 もしも対象に触れてしまったらどうなるのか?


「……こうなってしまうかもしれないから、パルには」


 抱いて欲しいと言われても。

 躊躇してしまう理由がここにはあった。

 もう一度、俺は大きくため息をついておばあちゃん神官を待った。

 孤児院の中に気配は他に無い。

 いまはおばあちゃんとあの女の子だけだろう。

 そういう意味では、タイミングが良かったのかもしれない。

 充分に時間を取れるからね。

 しかし――


「戻ってこないな……」


 おばあちゃんが扉の奥に消えて、一言二言の会話を交わす時間にしては――経過し過ぎている。

 これは、もう……答えが出たようなものだ。

 もしもすんなりおばあちゃんが戻ってきたのなら、それは俺の勘違いで、笑って済ませられるミスだったはず。

 だが、戻ってこない。

 女の子から話を聞いたおばあちゃんは戻ってこない。

 つまりは――そういうことなんだろう。

 はぁ、と大きく息を吐いた。

 胸の奥にある、ドス黒いモヤを吐き出してしまいたい気分だった。


「長丁場になりそうだ。あとでパルとルビーに怒られるかな」


 俺は孤児院の入口で待たせてもらうことにする。

 少女の心を癒してやる方法は俺には無い。

 だが、ひとつだけ出来ることがある。

 俺にも、できることがひとつだけあった。

 犯人を捕まえること。

 そのためには情報を集めないといけない。

 そういう意味ではパルに協力してもらってもいいし、夜になったらルビーにも協力があおげるかもしれない。

 まぁ、それはともかくとして。


「今は待とう」


 俺は肩の力を抜くようにして、孤児院の入口近くの壁にもたれかかり、同族嫌悪の息をドラゴンのブレスのように吐き出すのだった。

 この世全ての少女に幸あれ。

 そして、この世全てのロリコンの風上にも置けない下衆野郎に呪いあれ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る