~卑劣! 名前とは記号であり、命名は所有権でもある~
「新しい名前をください」
と、吸血鬼は言った。
知恵のサピエンチェ。
それは魔王からもらった名前だという。
俺からしてみれば、彼女に『知恵』というイメージは無い。知恵とは知識とは違い、臨機応変に物事に対処する能力と認識しているが……
いまのところ、吸血鬼はそんな要領の良さというか、賢い行動、みたいなものは見れていない。
まぁ、そういう俺も自分が賢く立ち回れているか、と問われれば首を傾げるしかないけど。
マヌケなところしか見せてない気がする。吸血鬼を感知したところまでは良かったけど、戦闘ではまるで敵わなかったし、なにより夢魔と勘違いして自分の太ももにナイフを刺した。
はてさて。
そんな俺のどこがいいのやら。
女心を『みやぶる』ことができる日は、果たしてくるのだろうか。
「ぶぅ。名前まであげちゃったら、あたしに勝ち目ないじゃん……」
パルはご機嫌ナナメのようで。
すっかりへそをまげて、俺たちに背中を向けて座っている。
そんな様子も学園長からすれば楽しいイベントのひとつなのか、パルを含めてニヤニヤと俺たちを見ていた。
「名前をあげるっていうのか、付けるというのかは別に構わないのだが……あまりセンスの良い方ではないぞ、俺は」
「わたしは構いません」
紅い瞳が、信頼という意味を有する視線で俺を見ている。
さっきまでは恐ろしい瞳だと思っていたが……この期待を込められた視線もまた、恐ろしい。
信頼の先、信用の果て、信望の次。
そこを裏切ってしまった時に待っているのは、失望だ。
怒りを有していた場合、それは憎悪に変わる。
好きの反対は無関心、なんてシャレの効いたことを言う者が多いが……
俺は知っている。
愛の反対は『憎悪』であることを、俺は知っている。
魔王の四天王だという吸血鬼。
その信頼を、信用を、信望を保ち続けることが……果たして、俺にできるだろうか。
たかが賢者ひとり。
たかが神官ひとり。
俺ではなく、勇者に惚れていたはずの女性に嫌われてパーティを追放されてしまうような俺だ。
空気が読めてないんだろうなぁ。
なんて思う。
この吸血鬼の少女……少女なのかどうかは分からないが。サピエンチェもまた、俺のことを途中で見限ったりするのだろうか。
そう思うと、なんとなく怖い。
見限ってくれる程度ならいいんだ。何も言うことなく、しれっと立ち去ってくれるのならば、それでいい。
だが、サピエンチェは吸血鬼だ。
魔王の部下である。
俺を簡単に殺せてしまうのだ。
それを考えると、彼女の失望が、そのまま俺の死に直結していることになる。
おかしいなぁ……普通、こういう場面ってドキドキするような、こう、恋愛的な雰囲気になるんじゃないのか?
別の意味でドキドキしてるのだが?
というか、本当にこの吸血鬼、なんで俺に惚れてる風なの?
やっぱり魔王の罠か、なにかなんじゃないの!?
「ど、どうされました師匠さん……?」
あまりに俺が黙り込んでいるため、気になった吸血鬼が声をかけてきた。
「すまない。正直に話すのだが、俺はまだ君のことが信用できていない。学園長が信頼しているらしいという情報だけでは、まだ足りないんだ」
「では、どうすれば信用して頂けますか?」
少し困ったような表情で、黒少女は俺を見上げてくる。それは、俺の信頼を得られなくて不安です、という感情をありありと表していた。
これが演技だというのなら、俺はぜったいに見抜けない。
いや、そもそも女性の感情を完璧に見抜ける男なんて、この世に存在するのだろうか?
たとえ魔物でも。
それが少女である限り、不可能に違いない。
「無理だ。なにをどうしたって、俺は君を信用できない。まさか魔王の首を差し出せ、と言うわけにもいくまい」
「それでいいのですか?」
「……ん?」
え、いいの?
「魔王さまの首程度の物で信頼を得られるのなら、安いものです」
「いやいや、待て。待ってくれ。君は魔王よりも、その、強いのかい?」
「いいえ。真正面から戦えば勝てません。瞬殺されることは無いと思いますが、勝てる見込みはないでしょう。ですが、これでも吸血鬼です。大量の部下を作り、物量で攻め込めばなんとかなるはず」
「部下を作る……そんなことができるのかい?」
「はい。人間の血を吸えば意のままに操ることができますわ!」
「却下だ!」
危ない。
俺のせいで人類種が大幅――どころではなく、絶滅する可能性もあった。それができるんだったら、とっくの昔に魔王を倒してるよ。その代わり、人類種も減り過ぎたせいでゆるやかな絶滅に向かう可能性がある。
却下だ、却下。
「ダメでしょうか」
「ぜったいにやらないでくれ」
「残念です」
危なかった。
俺は間接的に人類を救った。
もしも今度、勇者と話すことがあったら自慢してやろう。
俺、おまえの知らないところで人類を救ったんだぜ。
ってね。
というか血と言えば……
「あの……さっき俺の血を舐めてたようだけど……もしかして、俺を操れる?」
「えぇ操れますよ。あ、申し訳ありません。こんなこと初めてだったので自分でも良く分からないのですが……その、あなたの血を見た瞬間に我慢できなくなって。ドキドキしてしまって、つい舐めてしまいました」
頬をおさえながら吸血鬼は恥ずかしそうに言うのだが……それどころじゃない。俺、操られるのか。体調にはまるで変化が無いので問題ないと思っていたし、ポーションで治療もした。
それでも操られてしまうのなら――少々、マズくないか?
「ちょっと試しにやってもらえるか?」
「え、でも……」
「頼む」
「わ、分かりました」
そう言って吸血鬼が紅い瞳を俺に向ける。
その瞬間――意識が希薄になった。まるで頭の中にぼんやりと霧のような感覚があふれ、甘い香りで満たされる。
どこか懐かしいような、昔から知っているような香り。なんだろう。なんだっただろう。思い出せそうだけど、なにか忘れてしまっていた。
そんな感じのにおいが、鼻孔をくすぐる。
あぁ。
なんだ。単純だった。知っていた。忘れるわけがない。
彼女だった。
吸血鬼。
知恵のサピエンチェ。
いや、違う。
サピエンチェさまの、美しい瞳と、その甘美たる香りが俺の心を満たしていく。全てが満たされていく。全てが、幸福感が溢れて。
なんて。
なんてシアワセ――
「ハッ!? ……はぁ、はぁ! い、今のが、そうか」
「はい、そうですわ」
なるほど、理解した。
人を操るっていうのは、魔法を使用したような強制的な動きをさせるのではなく、あくまで自主的に行動させる……つまり、対象を傀儡化させるわけだ。
さっきまで、俺にはサピエンチェが神さまのようにも見えていた。彼女に見られているだけで幸福感が増し、彼女のためなら何だってできる気がした。
なるほど。
この状態で死ねと言われれば喜んで死ぬ。魔王を殺せと言われれば、喜んで死地に赴く。
彼女のために。
自分のしあわせのために。
死んでも役に立ちたい。
そう思ってしまうほど、凶悪な洗脳だった。
「どうして……」
「はい?」
「どうして、俺をこの能力で操らないんだ? そうしたら、俺は確実に君の物になっているし、君の望みは全て叶う。それができるのに、なぜやらないんだ?」
「――それは本気で言っていますか?」
吸血鬼の。
その真っ直ぐな瞳を受けて。
果たして俺は、降参だ、とばかりに両手をあげた。
「悪かった。そして君の名前を思いついたよ」
「本当ですか」
吸血鬼の表情がパっと明るくなった。
う~む。
やっぱり可愛い。
やばくない?
こんな可愛い子が俺に好意を寄せてるって。
ただし吸血鬼で、魔王の部下で、四天王で、俺より強い。
なんにしても、彼女の本気度は分かった。
理解した。
それゆえに、彼女の名前を決めた。
「初めはルゥブルム(紅い)にしようと思ったのだが、そこに付け加えるよ」
紅い瞳を見て、単純にルゥブルム(紅い)と決めたのだが。
俺はそこにもうひとつ、旧き言葉を付け加えた。
「君の名は――ルゥブルム・イノセンティア」
「ルゥブルム……イノセンティア……」
吸血鬼は――
ルゥブルムは、呼吸をするように、その言葉を受け入れて、瞳を閉じた。
まるで噛みしめるように。
まるで魔王の意思を上書きするように。
俺の言葉を、受け入れる。
「ルゥブルム・イノセンティア。紅き清廉潔白か。はっはっは、赤色なのか紅なのか、それとも白なのか。なかなか皮肉の効いている良い名ではないか。君もそう思うだろ、パルヴァスくん」
「あたしも! あたしにもファミリーネームが欲しいです、師匠」
パルが文句を言ってきたのだが。
俺はそんな彼女の言葉に、少しばかりキョトンとしてしまった。
そうか。
パルは、ファミリーネームを持ってもいい、と思えるようになっていたのか。同じ捨て子である俺にとって、ファミリーネームは必要ない物でもあったのだが……
それが欲しいと思えるくらいには、パルは救われていたらしい。
「あぁ、じゃぁ結婚した時にふたりで考えるか」
なので、俺はそう答えた。
そうしたら――
「へあ」
と、奇妙な声をあげて、パルが転がった。
あれ?
「ふむ、盗賊クン。君は少しばかり加減というものを覚えた方がいい。今のはプロポーズだぞ。冗談で言って良い類の言葉じゃぁないんだがね」
「……いや、まぁ、冗談でもなかったつもりなんだが。時期尚早というか、まだまだ気が早いのは自覚してるが。でもパルが受け入れてくれるのなら、そのつもりだったし。途中で嫌われるかもしれないので、保証は無いけど」
「ふ~ん。じゃぁ私も結婚してくれるかい?」
「嫌だ」
「なんでだよー!?」
と、学園長が叫んだところで、俺は肩をすくめて苦笑するのだった。
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