~卑劣! 説明する必要もないくらいに有名な魔物~

「師匠が浮気してるー!?」


 と、叫んだ弟子に対して――

 俺が出来た対策は、果たして言葉で身の潔白を表すしかなかった。


「待て、パル! 話せば分かる!」


 いやいや。

 いやいやいやいやいや。

 今まで、浮気した旦那の言い訳としてバカにしていたようなセリフなのだが……トッサに出てきた言葉がソレだった。

 現行犯で何を言い訳をする必要がある。素直に首を差し出してしまえ。

 そう思っていた。

 そう思っていたはずなのに、なぜか俺の口から飛び出した。

 なんだろう。

 俺、ホントに浮気してるみたい……

 こういう時、なんて言ったらちゃんと伝わるんだろうか……


「師匠の裏切者ぉ!」


 と、パルがシャイン・ダガーを抜いた。

 あぁ。

 ホント、どこかで見たかのような愛憎劇の様相になってきたぞーぅ。問題は、奥さんの持ってるのが包丁とかじゃなくて、光の精霊女王ラビアンさまの加護を受けた、それはそれは威力の高い光る刀身のナイフってところだ。

 うん。

 キラキラ光りながら、パルが迫ってきた。

 さよなら、ありがとう。

 できれば俺も、勇者と共に魔王を倒したかった――

 パルを一人前に育てあげて、立派な盗賊として送り出したかった――

 あぁ。

 まだ見ぬ未来の光景が走馬灯のように……


「……じゃねぇ! パル、良く見ろ」

「ほえ?」


 ゆるやかに振り下ろしてきたシャイン・ダガーを右手の人差し指と中指で挟んで受け止めつつ、俺は左手で太ももに吸い付いてくる謎の黒少女を指し示した。

 というか、ゆっくりだったとは言え、マジで振り下ろしてきたのにちょっと師匠はビビりましたよ、我が愛すべき弟子さまよ?

 冗談半分っていうより、半分冗談だったのか。

 割りと怒ってる?


「これが逢瀬に見えるか?」

「あ、怪我しちゃったんですか師匠。治療中……? いや、でも、えぇ……?」


 浮気の疑いは晴れた。

 だが、今度は自分の怪我している場所を少女に舐めさせているという、とんでもない性癖の持ち主に向ける表情を、パルは俺に向けてきた。

 弟子から向けられる軽蔑の眼差しっていうやつなのかな……

 師匠は悲しいです。

 浮気を疑われて慌てて言い訳して、ナイフを振り下ろされて割りとビビって、変態を見る視線を向けられる悲しみ。

 なんだろう。

 感情がマイナス方向に忙しい。

 いやいや。

 それにしても――この黒少女は何なんだ?

 今だにペロペロと夢中で俺の血を舐めているのだが。


「学園長、説明を求む」

「うむ。その言葉を待っていたよ。この場を唯一解決できるのは、この私を置いて他にいまい。というわけで、盗賊クンの要望に答えることにしよう。さぁ、パルヴァスくんも聞きたまえ」

「はーい」


 パルは素直にうなづいて、俺の隣に座った。

 そんな俺たちの前に立って、学園長はまるで講義でもするかのように語りだす。


「まず、盗賊クン。君に黙っていたことを謝ろう。私は人類種の裏切者として怒られるかもしれない。そう思って言い出すことができなかったんだ。投獄されたり、拘束されてしまっては人生を楽しめないからね。いやいや、しかし、それがまさかこんな事態になるとは思わなかった。できれば、もっと穏便に紹介したかったのだが、盗賊クンが早合点して飛び出してしまったのだ。これに関しては君は悪くない。こうなることを予想できなかった私の落ち度でもある」


 申し訳なかったね、とまったく謝る表情ではなく嬉しそうに学園長は語って、一応と頭を下げた。

 どうやら反省はしていないらしい。

 もっとも――俺としては、まだ何が悪いのか、この黒少女が何者なのかが分からないので、今は謝罪を受け入れて飲み込むしかないが。

 そういう意味では学園長の『話術』は上手い。さらりと人類種を裏切ったという言葉を聞いているのに、流さざるを得ないのだから。


「その少女の名前は『知恵のサピエンチェ』と言う。私の友人だ」

「サピエンチェ(知恵)……名前の中で意味が重複しているのだが?」


 彼らはさまようエラント、小さなパルヴァス――そんな風に、旧い言葉と共通語を合わせたような、不可解な名前だ。

 知恵のサピエンチェ。

 そう呼ばれても、まだ彼女は俺の血を夢中で舐め続けている。


「そのとおり。だから彼女の名前にそれほど意味は無いよ。盗賊クンの名前は何だったかな?」

「……エラントだ」


 少しばかり含みを持った視線と、その口調。

 学園長は俺の状況を把握してくれた上で、わざとらしく名前を聞いてくれた。


「彼らはさまようクン。その名前に、意味はあるかい?」

「皮肉ならいらない。俺の名前に意味なんて無いよ」


 肩をすくめる俺に対して、そうだろう、と学園長は含みを持たせた視線と言葉で答えた。


「同じくパルヴァスくん。小さいクン? 君の名前も、それほどの意味は持たないだろう」

「……うん」


 俺もパルも、本名は名乗っていない。

 だからこそ名前の意味などそこまで深くは無いことを知っている。誰かと誰かを識別できれば、それだけで良い物だ。

 もっとも――学園長がその最たる例ではある。

 唯一のハイ・エルフとなった以上、彼女に対しては最早名前は意味を成さない。単純に学園長やハイ・エルフことが、彼女の『名前』と成り果てたのだ。

 ゆえに、学園長は自分の名前を忘れた、と言っているのかもしれない。

 おちゃらけたように、サッピーと……この黒少女と同じ名前として、悪ふざけでサピエンティス(賢者)と名乗ったのかもしれない。


「というわけで、その子の種族名を告げようではないか。それが分かれば、全てに納得ができるはずだよ。盗賊クンが敵わなかったのも、姿が見えなかったのも、その紅い瞳の理由さえも想像できるんじゃないかな」


 そう言って、学園長は俺に――ではなく、黒少女に近づくと、その肩を叩いた。

 そこでようやく黒少女はビクリと身体を振るわせて、現状を把握するように周囲を見渡す。なにが起きていたのか、どうなっているのか、まったく状況が分かっていないような顔をしているし、パルの顔を見て心底驚いていた。

 それほどまでに夢中になっていたらしい。

 血。

 血を吸うモノ――


「それ以上血を飲むと、太ってしまうよヴァンピーレ。いや、太った吸血鬼がいるのなら見てみたい気がするが、そこは吸血鬼としての矜持が許さないかな?」

「ヴァンピーレ……吸血鬼だって!?」


 俺は思わず叫んでしまった。

 吸血鬼!?

 ヴァンピーレ!?

 吸血鬼とは、有名な魔物だ。説明不要の幼児でも知っている、おとぎ話に多数登場する魔物である。

 それこそ古来より存在するゴーレムと等しい存在でもあり、どんな魔物図鑑でも後方に位置するレベルの推定すら不可能なバケモノたち。

 曰く、旧神話時代の貴族が不老不死の力を手に入れた姿。

 曰く、神話時代のエルフから生まれた突然変異種。

 曰く、神さまの怒りに触れた人間。

 曰く、魔王の前身。

 曰く、曰く、曰く――

 曰くだらけの伝説を持つ、古代種の生き残り。


「吸血鬼って、あの、おとぎ話の……?」


 パルの言葉に嬉しそうにうなづく学園長。


「そう、そのとおり! 誰もが知っている、誰もが小さな頃、ベッドの中で震えながらおびえた、あの吸血鬼さ! 彼らは人の血を吸って、部下を作る。蝙蝠や狼に変身する。流れる川を渡れない。鏡に映らない。心臓に杭を打たれたら死ぬ。そしてなにより、一番有名なのが――」


 学園長は人差し指を一本立てた。

 もちろん、それは指し示しているのだ。

 吸血鬼最大の弱点を。


「太陽の光にさらされると灰になる」


 おかしな話だと思う。

 太陽とは、生物が生きていく中で一番重要なものだ。光とは、それそのものが力となり、熱となり、希望となる。

 それが毒になるなんて、それが致命的な弱点だなんて―― 

 生物として、あるまじき条件だ。

 なにより、太陽の光なんてどこにでも降り注ぐだろう。逃げ場なんて、無い。

 それこそ――


「……魔王領か」


 俺のつぶやいた言葉に、学園長はうなづいた。


「そのとおり。この子は魔王の手下だよ。それも四天王の地位にいたようだ。知恵のサピエンチェとは魔王が命名したらしい。もっとも、我々人類種には、それを確かめる術は持っていないけどね」


 俺は、思わず吸血鬼を見た。

 だが――


「ん?」


 ぷい、と視線をそらされてしまう。

 なんだ?

 何か後ろめたいことでもなるのか?

 あれだけ俺の太ももから血を舐めたり吸い取ったりして、今さら何を遠慮しているんだ、この吸血鬼少女は。


「サピエンチェ、君が魔王の手下だっていうのは本当か?」

「……ぅん」


 ん?

 肯定した?

 いや、声が小さいな。聞き取れない。というか、そわそわとして落ち着かない様子だ。

 俺の血が不味かったとか?

 なんか、それはそれで嫌だなぁ……やっぱり処女の血の方がいいんだろうか?

 そういえば、学園長の二つ名に『純潔』があった。やっぱり学園長って処女なんだろうか? だったらすげぇ。何千年か、もしくは何万年も処女を守り続けていることになる。すげぇ。


「むッ……」


 と、俺が妙に思考がそれていくのを感じていると、横でパルの機嫌がどうにも悪くなっていた。

 なんかくちびるを尖らせて、これ以上ないってほど『不快ですアピール』をしている。


「どうした、パル」

「な、なんでもないです師匠。というか、師匠は早くズボンを履いて……の、前に治療をしてください。血が流れてます。死んじゃいますよ!」

「あ、はい」


 なんか怒られた気分なので、さっさとポーションをぶっかけてズボンを履くことにした。というか、美少女たちに囲まれた中でズボンを脱いでるおっさんという構図は、確かにヤバイのでさっさと履いた方がいいというパルの意見は圧倒的に正しい。

 俺がポーションで治療しつつズボンを履いている間に、なにやらパルと吸血鬼が顔を合わせていた。


「初めまして、師匠の一番弟子パルヴァスです。師匠に命を救われて、師匠に盗賊として修行をしてもらっています。あたしは師匠のことが大好きです。以上」

「……理解した」


 さっきの俺への態度よりかは、なんかシャンとしているっぽいけど……なんだろう、なんか、こう、怖い……


「ふふふ、これは良い。とても素晴らしい状況だよ、盗賊クン」


 そんな怖いふたりを見て、学園長は愉快そうにニヤニヤしていた。


「なにが起こってるんだ? というかあの吸血鬼は、どうして襲って来ないんだ学園長」

「なに、簡単な話さ。退屈していたそうだよ、サピエンチェは。彼女は私の友人と言っただろう。私の友人ということは、私の同類さ。ここに退屈を殺しにやってきただけの、ただの長生きしている強い女の子だよ。つまり、彼女は人類種の一員さ。知識欲を満たしに学園都市を訪れた者に、種族は関係ない。そう思わないかね、盗賊クン」

「言いたいことは分かる。トドメと言って良いぐらいなのは共通語を話していることだ。魔物が共通語を使えることは驚きだが、なにより、学園長の方が彼女に興味を持ったのだろう?」


 俺の言葉に、彼女は笑う。


「はっはっは! 盗賊クンは私のことを理解してくれているじゃないか。嬉しいねぇ。どうだい、ホントに結婚してみるのは。子どもはそうだなぁ……三十人くらいで――おっと」


 軽い冗談なのか本気の数字なのか。

 逆に考えると、彼女のこれからの人生を思えば子どもの数が三十人っていうのは、逆に少ない気がしないでもないが……

 それはともかくとして、学園長は失言だったかな、と苦笑した。

 それは俺ではなく、視線が横を向いている。

 見れば――


「こわっ!?」


 弟子と吸血鬼が物凄い眼光で、俺と学園長をにらみつけていた。

 いやサピエンチェは分かるけど、パルもそんな視線に殺気を乗せられるんですね……

 もうスキルとして名乗っていいよ。

 そうだな……

 盗賊スキル『虎の視線』って感じで。

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