~卑劣! 神さまはそれを全否定したいが、この場に神官はいなかった~
「いっ痛……!」
気が抜けた瞬間――
太ももに熱した鉄を刺し込まれたような錯覚に襲われた。
自分で刺したナイフとは言え、傷は傷に違いなく、じわじわとズボンが血の赤に染まっていく。
夢魔の幻覚から意識を取り戻すために、俺は自分の太ももにナイフを刺した。この痛さは確かにホンモノであり、精神攻撃を覚ますためには充分な刺激だ。
しかし、残念ながら幻は消えなかった。
黒少女は俺のことを、なんだかびっくりした様子で見ているし、消えてしまう様子もない。
ましてや周囲に夢魔であるインキュバスやサキュバスといった魔物は見つからず……
この場に居るのは学園長と黒少女の気配だけだった。
つまり――
「幻では無くホンモノか」
俺より遥かに強い少女……
姿の消し方――盗賊スキルで言うところの『隠者』も一級や特級を越えてスキルマスターをも上回る領域。たとえ目の前にいたとしても気付けない可能性もあった。
ただし、気配の消し方にはムラがあったので、かろうじて発見できたのだが。
それでも普通の人間には気付けないレベルの気配断ちだ。盗賊としては、今すぐにでも実践で使えるレベルではある。
それこそ見た目はパルとそう変わらない年齢にも思えた。
綺麗で美しいドレスは貴族や王族を思わせるし、その雰囲気は皇族をも想像させる。どこか気品のようなものを感じさせる少女だった。
ただし、彼女が普通の人間だったら、の場合だ。
どう見ても、彼女は普通ではない。
なにせ、煌々と怪しく光る瞳。
紅の瞳が、嫌でも印象に残ってしまうほど――魅力的だった。
それは人間種には無い、独自の物。
だからこそ、惹かれるのだろうか。
だからこそ、見つめてしまうのだろうか。
しかし。
あぁ。
もしかしたら――
「あぁ~ぁ~、なにをやっているんだ盗賊クン。はやく脱ぎたまえ」
と、学園長が俺の元へとやってきた。
逃げる素振りはおろか、黒少女におびえた様子はない。
そこから理解できることはひとつ。
学園長は黒少女を知っている。
既知の仲、だということを示していた。
「……」
学園長は暗に、黒少女は敵ではない、ということを語っている。無視するわけでもなく、かといって黒少女に付き従っているわけではない。
あくまで、普通に。
あくまで当たり前に。
彼女の存在を、この空間における居場所を。
黒少女に認めていた。
その証拠に。
こんな状況だっていうのに、黒少女は襲ってこない。
彼女の実力ならば、俺なんか一呼吸で殺せるだろう。学園長ならば、それこそ呼吸もいらない。まばたきした刹那の瞬間には、絶命させることだって出来るはずだ。
学園長が居場所を許していると同時に。
俺と学園長は、黒少女に生存を許されている。
それほどまでに黒少女の強さは……
それこそ、あの勇者でさえ……
「ほら何をしているんだい、盗賊クン。思慮は尊ぶべき行為だが、思惑は重宝すべき人類の武器だが、今は先にやることがある。戦闘は終了したんだ。君は戦わなくていい。安心したまえ。私も襲われていないよ。結論から言うと、彼女は敵じゃないんだ。ほら、とにかく傷の手当が先だ。早く脱ぎたまえ。じゃないと、傷の手当ができないじゃないか。これはお願いではなく命令だぞ、盗賊クン」
「あ、いや、しかし……」
「私をレディ扱いしてくれるのなら大歓迎だがね。レディたる前にハイ・エルフであり、ハイ・エルフである限り、私も人間種だ。だから人命救助が優先する。君は胸に傷を負った女性に遠慮して助けることが出来ないとでも言う、ウブで情けない意気地なしの童貞なのかい?」
「俺は童貞だ」
「あ、はい……わ、悪かったよ童貞クン。じゃなかった、盗賊クン。そんな顔で見るなよぅ。いつか童貞がモテる日が来るさ――じゃなくて、傷だよ傷! 太ももは血がいっぱい出るんだから早く手当しないと君は死んでしまうじゃないかと私はヒヤヒヤしてるんだ」
そう言って学園長は俺のベルトをカチャカチャと外しに掛かる。
いやいや、自分で外せるから。
というか傍から見たら誤解を招きまくる光景なので、遠慮して欲しいのだが!?
「自分で脱ぐから、大丈夫だ。それよりも説明してくれ学園長。彼女は何者なんだ……?」
黒少女はさっきからこちらを見て……ん?
なにやら特徴的な紅い瞳がうるんでいるような気がしなくもないが……というか、なんか頬が赤くなってない?
あぁ、俺がズボンを脱いでるからか。
申し訳ない。
下着姿になるが、まぁ直接見えているわけではないので、我慢してもらいたい。童貞の下半身なんて、見る価値もないし、なんなら見ただけで人生の幸福度が下がってしまうだろう。
まぁ、黒少女の実力から考えて……ウブな少女という訳でもないと思うし。ここまでの実力を有するには、それこそ人生経験も多いはずだ。たぶん。いや、女の子の人生経験っていうのがどれほどのことを指すのか俺は良く知らないので、アレなんだけどさ。
「彼女は私の友人だよ。毎夜、いっしょに本を読む読書友達さ。だから特別紹介する必要はないと思っていたんだけど、君は勘違いしてしまったようだ」
さぁ、ゆっくり座るんだ。と、学園長は俺の肩を支えようとするが、まったく身長が合わなかった。
「君はもう少し身長を削る必要があるな」
「そんな必要は無い。これぐらいの傷ならポーションをかけておけば治る」
俺を学園長に支えられることなく足を伸ばして座った。血がジクジクと流れ続けており、ひたすらに熱く痛いのだが……まぁ、この程度の怪我は日常茶飯事といっても過言ではなかった。
それこそまだまだ未熟な頃――勇者と共に旅立った当時は、ふたりして生傷が耐えなかったものだ。
ポーションがあるからこそ傷も消えているが、もしも神さまの奇跡の水が無かった場合、俺も勇者も、全身傷だらけの物騒な姿をしていたことだろう。
ありがとう、神さま。
綺麗な身体でいられるのは、神さま達のおかげです。
でも童貞は早く捨てたいものです。切実に。
「ポーションは確かに素晴らしいものだ。傷を消してくれるしな。だが、盗賊クンが今そこで血を流している事実は変わらない。痛々しい姿なのは現実だし、その記憶は私の中に残ってしまう。だからせめて、私が手当をしないと落ち着かないんだ。君は平気かもしれないが、私は平気じゃない。血を流している者を平気で観察できるほど、私は無機質なハイ・エルフでは無いんだ。そういう理由なので私のワガママと思ってくれたまえ。で、君はポーションを持っているのかい? 私は持っていないぞ」
「あぁ、ベルトに装備してある。取ってくれるか?」
「うけたまわった」
学園長はいそいそと俺が脱いだズボンとベルトを探ってポーションを探している。
「なんだい、このベルト。仕込みの投げナイフだらけじゃないか。これだから牙の抜けていない童貞は困る。どれだけ脱がされることを恐れているんだい、君は?」
「酷い言いがかりだなぁ。いいから、ベルトごと持ってきてくれ」
苦笑しつつ、ため息をついた。
あと、痛いことは痛いので早くポーションで回復したいのも事実。学園長は無駄に話が長い。普段から人と話していないから、こういう時に爆発するのかもしれない。
いや、普段から人と話していても長そうだから、もう諦めるしかないのだろうか。
「はぁ~」
と、もう一度ため息をついたところで――気配が近づいてきた。学園長はおっかなびっくり後ろでズボンを持ち上げているはず。
だから、
「え?」
黒少女だと分かった。
分かっていたけど、その表情を見れば分からなくなった。
「はぁ……あぁ……」
まるで。
まるで獲物を前にしたハンターのような紅い瞳に。
まるで初夜を経験する新妻のような表情を合わせて。
まるでご馳走を前にした我が弟子、パルヴァスのような口元の緩みを加えて。
まるで――
まるで吸血鬼のような牙を覗かせた黒少女は、俺の足元にしゃがみこんだ。
「は、ぁ、ぁ。も、もう我慢できない。わ、わたしは、わたしは悪くありませんから。あなたが、盗賊サマが悪いんです、はぁ、はぁ、あぁ、あぁぁ」
そう言って、俺の下半身に――太ももに這いつくばるようにして顔を近づけた。
「な……なにを――」
なにをしているんだ、と俺は言いたかったが。
それよりも不気味さが勝った。
黒少女は俺の足を抱え込むようにすると、ハラリとこぼれる髪を少しばかりに耳にかけながら――
真っ赤に見える舌を、俺の傷へと伸ばした。
「ぐぅ!?」
痛みが走る。
だが、それ以上に、いや、それよりも黒少女の舌がぴちゃりぴちゅりと俺の傷を……
俺の血を舐めている!?
「いったいなにを、なんで、血を……?」
俺が目を白黒とさせている後ろで、のんきに学園長が戻ってきた。
そして、さっきまで慌てふためいていた表情をどこかへ消し去り、とても貴重な物を観察するような表情で、俺の後ろから黒少女が舌を這わせる様子を覗き込んだ。
「あぁ、ちゃんと紹介しておこう、盗賊クン。彼女は私の読書友達だが、少々種族が特殊でね。その特殊性がゆえに読書仲間になった、友達になった、友人になった、同士になった、同盟を組んだ、とも言えるかもしれない。いやいや、長生きはするものだよ盗賊クン。君も数多い友達のひとりと思っているが、君の友達たる勇者クンは賢者クンが狙っているようだから、私は遠慮したんだ。興味を持つだけで後ろから刺されそうな気分だったよ。くくく。頭の良い人間の嫉妬ほど怖いものはないからね。だから私は勇者クンではなく君を、盗賊クンをお友達と認定することにした。だって、私が友達になってやらないと可哀想だからね、盗賊クン。やはり予想通り、君は追い出されることになってしまったのだから。どういう理由であれ、君はあのパーティに追い出されると、私は予想していたんだよ。だってねぇ、盗賊クンはちょっと勇者クンを過保護過ぎたんだ。ちょっとは勇者クンから目を離してあげないと、賢者クンが付け入る隙が無いだろ。間と急が必要なのは何も戦闘やスキルだけではない。人間関係もそうなんだよ、盗賊クン」
「い、いまそれを言われてもな。というか、分かっていたんだったら言ってくれれば良かったのに! 先に言ってくれたら覚悟もそれなりに……って違う! それよりこの子は何なんだ!?」
「ヴァンピーレ。吸血鬼さ」
しれっと学園長は答えた。
なんだって?
いま、なんて言った!?
「その子は吸血鬼だよ、と言ったのさ盗賊クン」
「吸血鬼!? ま、魔物だっていうのか、この子が!?」
ヴァンピーレ。
吸血鬼。
聞いたことのある魔物だが、遭遇したことはなかった。
だが、それ以上に驚いたことがある。
それは共通語だ。
魔物が、共通語をしゃべり、意思疎通ができているということ。
それこそコボルトやゴブリンだって、何か言語を話しているのは分かっている。ただし、それは魔物たちだけで通じる言語であって、それがどんな意味を内包しているのかはサッパリ分かっていない。
しかし、逆に。
逆に、だ。
逆に魔物たちが共通語を用いて話しているとは、想像もしなかったことだ。ましてや人間種と出会えば殺し合うしかなかった存在でもある。
加えて、魔物は死ぬと石を残して姿が消える。
それはどこか、非生物的な印象でもあった。魔法で作られたのか、それとも魔王のスキルなのか。得体は知れないが、それを生命として扱うには、常識の外だった。
だからこそ、意思疎通の取れない襲ってくるだけの存在が魔物。
そう思っていたのだが……
「ぴちゃ、ぴりゃ、あぁ、美味しい、すごい、あ、ああぁ、美味しすぎる……ん、ちゅ、ぴちゃ、ぴちゃ」
俺の傷に舌を這わせている吸血鬼の少女。
果たして――
この魔物の目的は……
と、思っていたところで、
「あぁ~! 師匠が浮気してるー!?」
愛しの我が弟子がやってきた。
史上最悪のタイミングでやってきた。
俺の下半身に顔をうずめるようにしてる少女と、それを容認している俺。
誰がどうみてもプレイの最中だろう。
俺、ロリコンだし。
ちくしょう!
神さまはきっと、俺のことが嫌いなんだと思う。
いや、むしろ俺のことが好きなんですか!? 俺が慌てふためいてパニックに陥っているのを見て楽しんでいるに違いない!
そんな風に。
神さまに逆恨みをしてしまうようなタイミングでパルが来てしまったのだった。
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