~流麗! 真夜中の常連客~
怖かった。
恐ろしかった。
長い長い旅を終えて、わたしはようやく目的地に辿り着いた。
夜というわたしの時間だけを使って、朝というわたしにとっては最悪な時間をやり過ごして。
わたしはようやく。
ここまでやってきた。
でも。
怖かった。
拒絶されるのが恐ろしかった。
だから。
ずっとずっと、ここにいるだけでも良かった。
でもそれじゃぁ意味がないから。
わたしは。
勇気をふりしぼって、声を出した。
「……こ、こんびゃんは」
噛んでしまった。
恥ずかしい……
と、わたしが自分の顔を両手で覆ったけれど――
「やぁ、こんばんは」
彼女はそう返事をくれた。
わたしは彼女に興味があったので、ずっと彼女を見ていた。
でも、それは夜だけ。
夜がわたしの時間だから。
朝と昼は、わたしを拒むから。
どうしてこんな身体になったのか。どうして、こんな風になってしまったのか。どうして退屈に殺されたのか。どうして生きながらに死んでいるのか。
どうしてわたしは――
「ようやく声をかけてくれたね。待っていたよ」
ぐるぐると疑問と後悔がわたしの中で混ざり合っている間に、彼女はわたしにそう言った。
「気付いていたの?」
「もちろんだとも。最初は勘違いかと思った。そろそろ私もモーロクしてしまったのか、と嘆くところだったが別の可能性を考えてみたんだ」
彼女はいつも通り、楽しそうに語る。
わたしはここでずっと彼女を見ていた。
時々訪ねてくる者に対して、彼女は楽しそうにおしゃべりをする。
それは、わたしみたいなのを相手にしても変わることはなかった。
こんなわたしに対しても、彼女は差別も区別もなく、いつもどおりに語りだす。
「そう。ナニモノかの気配がするのならば、それはそうなのだろう。勘違いではなく、それが正解という可能性を広げる方が何倍も楽しい。そう思って私は仮説を立てた。まずは新しい技術、もしくは魔法だ。姿を消す魔法を生み出したんじゃないのか。誰か秘密の魔法を作り上げて実験をしているんじゃないか。しかし、残念ながら違った」
彼女は肩をすくめながら首を横に降る。
自分の仮説が間違っていたのが、心底嬉しいような。そんな表情だった。
「次に考えたのが、単純明快な話だ。盗賊だ。盗賊という生き物は、なにせ気配を消すのが上手い。目の前にいるのに、まるで空気に溶けているような感覚を覚えることもある。ならば逆も可能ではないだろうか。姿を消して、気配だけ濃厚に主張する。そんな物好きな盗賊がいるんじゃないのか。そう考えて、それを荒唐無稽だと、無意味だと破棄したのだが……どうやらあながち間違いではなかったようだね」
そう。
実はそれが正解だ。
でも、ひとつだけ間違っているのだからわたしは訂正した。
「わたしは盗賊ではないわ」
「ふむ。では、聞かせてもらえるかな? 君はナニモノだい?」
彼女は――白くにごったような、銀色の瞳を持つハイ・エルフは……わたしを覗き込むようにして、そう聞いてきた。
純粋にして純潔にして純血なる最古の森人。
ハイ・エルフが、わたしに質問してくれた。
だから。
だからわたしは答える。
「吸血鬼」
「ヴァンピーレ(吸血鬼)!」
旧き言葉で、彼女は驚きよりも嬉しさの勝る表情で答えた。
「吸血鬼! 吸血することにより生きながらえる魔! ヴァンピーレ! まさか、まさかまさかこの目で見れるとは、この口で話せるとは、思ってもみなかった! と、いうことは君は貴族なのかい? これはこれは失礼した、ヴァンピーレの姫よ。かしづいた方がよろしいか?」
「……もし、本当にわたしがそれを望んでいたら、あなたは今ごろ跡形もなく消滅しているところよ?」
「ふふ。その通りさ、ヴァンピーレ。でも、そうはなってない。そのつもりなら、最初からこそこそと私を観察などせず、堂々と正面から会っているだろうからね。裏口入学してくる者はいるけれど、ヴァンピーレが来たのは初めてなんだ。少々どころか物凄く私は興奮している。どうだろうか、よければ私を、このハイ・エルフを君の友人たちが並ぶテーブルの末席に加えてもらえないかい?」
「いいの? その……わたしはあなた達の敵だけど」
人間種の敵。
魔物と呼ばれている私たち。
わたし達は、わたし達のことを『ノーヴス』と呼ぶ。旧き言葉で『新しい』という意味があるのだけど、どうしてそう自分たちのことを呼んでいるのかは知らない。
そう魔王様が言っているのだから、そうなんだろう。
わたし達は『新しい』生き物なのだから。
旧き時代より地上を闊歩してきた人間種とは違って、わたし達ノーヴスの方が後から生まれている。
だから、わたし達は『新しい』のだろうか……
「敵。敵か。敵ねぇ。敵ならば君は私を殺しに来たというのかい? 毎夜毎夜、まるで夜這いを狙う思春期の男の子のように、生娘のごとく恋焦がれる視線を送りながら、私の元に忍び込んでは、まるで恋心を抱くように私の一挙手一投足を観察を続けていたのは、私を殺すチャンスをうかがっていた。そういうことかい、ヴァンピーレ」
嬉しそうに語るハイ・エルフに対して。
わたしは首を横に振った。
「違うわ。あなたを殺すつもりなんて無い」
「そう。それを聞いて安心したよ。命乞いの言葉と交換条件をいくつか考えていたのだが、それはもう捨ててしまっても良い、ということだね」
「えぇ、あなた達の神さまに誓ってもいいわ」
わたしの、そんな気まぐれな言葉にハイ・エルフは嬉しそうな声をあげた。
「ほう!」
と。
わたしにとってはまったく分からなかったけど、彼女にとっては興味深い言葉だったみたい。
「君にも、魔物たちにも神という存在がいるのか。これはこれは興味深い。神さまは人間にだけ慈悲や奇跡を与えていると思われているが、そうではないのか。やはり神さまっていうヤツは――いけすかないねぇ」
あっはっは、と笑いながら彼女は床に詰んである本を崩し始めた。
わたしはギョッとしながらその場を退く。
どうやら本の下に埋まっていたノートを取り出したらしく、そこにいろいろと書き込んでいる。
「ねぇ、なにをしているの?」
「いやいや、私のことは気にしないでくれヴァンピーレ」
「そう……えっと……わたしも本を読ませてもらってもいい?」
「もちろんだとも。適当に読んでいってくれたまえ。ふむふむ……ん? 本を読むのかい!?」
ハイ・エルフが慌てて顔を起こしたので、わたしはびっくりしてしまった。
でも、わたしは語る。
聞いてもらいたいからかな。
わたしは胸の内に溢れてきた言葉を吐露した。
「退屈だったの」
「ほう。続けて」
「続けなきゃいけないの?」
「もちろんだとも。私は話をするのが大好きだが、話を聞くのも大好きなんだ。だから聞かせてくれたまえよ、ヴァンピーレ。君がここに来た理由と合わせてね」
分かったわ、とわたしは肩をすくめながら話し始めた。
「わたしは、わたしが何だったのか知らない。気が付いたらわたしは吸血鬼になっていたのよ。それこそ、当時はあなたが言うようにヴァンピーレって呼ばれていたわ。でもそれが吸血鬼やヴァンパイアって呼ばれるようになってくるころには、わたしは別の名前で呼ばれていたわ」
「ほう。魔物に固有の名前が与えられたのか。それで、君はなんという名前をもらったのかな?」
「サピエンチェ。知恵のヴァンパイア・サピエンチェ」
「なるほど、サピエンチェ(知恵)か」
続けて、とハイ・エルフ。
「魔王さまにそう名付けられて、統治する土地を与えられて、命じられるままにやってきたわ。気が付けば四天王と呼ばれて、なにひとつ困ることのない毎日を過ごしてた。気まぐれに人間種の血を吸ったり殺したりして、それなりに楽しかったわ」
「ほう。やはり血を吸うのかい?」
「えぇ。だって吸血鬼ですもの。でもね、段々と飽きてきた。毎日まいにち、同じことの繰り返し。問題が起これば部下に解決させるし、なにか良い事があったら、部下といっしょにお祝いする。でも、それも同じことを繰り返していく内に部下が対処の方法を学んじゃって、ついにわたしには何の報告も来なくなった。わたしがいなくても、わたしの領地は安定した安寧の土地になったわ」
「素晴らしいじゃないか」
「えぇ、とても誇らしい気分よ。でも、その後に訪れたのは退屈よ。なにもしない、なにもすることもない、なにもしなくても良くて、なにもする意味がない。そんな毎日になってしまった。もう何百年かしら。もしかしたら千年経ったかもしれない。だから、そんな時に聞いたのよ。人間の国に何千年と生きるハイ・エルフがいると」
「なるほど、合点がいったよ。君は私を殺しに来たのではなく、退屈を殺しに来たわけだ」
「……えぇ。どうかしら、あなたにわたしの退屈を殺せる?」
わたしの言葉に。
果たしてハイ・エルフは答えた。
「もちろんだとも!」
そう言って、白い肌の両腕を広げて、白く濁ったような銀色の瞳を輝かせた。
「ここには世界の全てがある。それを知るには、世界をゼロから知るようなものだ。この樹の年輪よりも多く多く、多くの知識が眠っている。そう、受動的ではいけない。能動的になればなるほど、ここでは知識を手に入れられる。それだけじゃない。明日だ。明日には新しい事実が見つかるだろう。あさってには、新しい魔法が知れる。三日後には、たとえ男子でなくても目を見張る変化をしている少女がいるかもしれない。そう。毎日がお祭りなのさ。毎日が誰かの誕生日であるように、毎日がなにかの発見日であり、発明日でもある。だからヴァンピーレ。いや、知恵の吸血鬼サピエンチェ。約束しよう」
「約束?」
「あぁ。ここに居る以上、君を退屈させることは今後一切無いことを、この私が約束しようではないか。この純粋にして純潔にして純血の最古の森人たるハイ・エルフが神に代わって保証しよう!」
「信じていいの?」
「もちろんさ。はるばる北の最果てより南の最果てまで旅をしてきた勇敢なるヴァンピーレ。君の旅路は、これより祝福に変わるのだ。さぁ、誉れ高き吸血鬼の姫よ。共に、あのにっくき退屈という概念を、これより永劫に渡ってぶん殴ってやろうではないか」
あっはっは、とハイ・エルフは嬉しそうに笑った。
あんまりにも嬉しそうだったので。
「あは……あはは、あははははは!」
と、私は笑った。
笑ってしまったのだ。
最高だった。
長く長く生きる存在っていうのは、感情が希薄になっている。もうすでに、あらゆることを体験したせいで、なにひとつ心が動かないし、揺れもしない。
でも。
このハイ・エルフは違った。
バカみたいに笑うのだ。
阿呆のように笑うのだ。
まるで無邪気な子どものように、濁った瞳でキラキラと輝かせるのだ。
あぁ。
なんて――
なんてステキなんだろう。
だから。
だから、私は夜ごとに通う。
この、退屈からは無縁の城へ。
退屈を殺されに、わたしは毎日、学園へと通うのだった。
そう。
夜はわたしの時間だから。
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