~勇気! 僕らはまだ、世界を救えない~

 空を見れば、分厚い雲が覆ったままで。

 見えるはずの星は見えず、ましてや月なんて見える訳がなく。

 たとえ明日が来たとしても――

 太陽は見えないことが分かった。

 魔王領に入ってから、僕は初めて村をひとつ魔物の手から解放できた。

 でも――

 村を魔物の手から解放したところで、魔王領を削れるわけではないのをヒシヒシと感じる。

 やはり魔王の力は強大であり、希望の光はまだまだ遠い。


「はぁ」


 僕はため息をつく。

 勇者として旅に出て、もうすぐ十五年も経ってしまう。

 それは、勇者としての不甲斐なさを示す数字でもあり、力の無さを証明する数字でもある。

 僕の情けなさとか意気地なしさを現わす明確な数字でもあった。

 勇者とは、代替わりするモノらしい。

 先代の勇者がどこまでやって、どんな成果を上げたのかは聞いている。

 彼は、先を急ぐあまり死を早めた。

 充分な力を付ける間もなく魔王領に入り、ただひたすらに魔物を倒し、そして最後は仲間と共に力尽きた。

 光の精霊女王ラビアンさまから聞いた話でもあり、旅の途中で伝え聞いた物語でもある。

 だからこそ、僕には南に旅をしろ、と仰られた。

 魔王領とは真逆の南。

 力を付け、知識を付け、仲間を得て、経験を重ねて。

 そしてようやく――

 魔王領に入った。

 ここまでで十五年だ。

 もう肉体のピークは過ぎてしまっているだろう。

 ラビアンさまの加護があり、肉体は若く保たれている。それでも、もう成長はしない。身長は伸びないし、力の限界値も決まってしまっている。

 もう何もしなければ、衰えて弱くなっていく一方だ。

 もしも勇者じゃなかったら、子ども達からおじさんと呼ばれても不思議ではない。


「はぁ……」


 見せてはいけないため息。

 僕は村外れの小さな家の中で、静かに息を吐いた。

 そして、その息が誰にも気付いてもらえない音だと思っている自分に自嘲した。

 あいつなら、こんな小さい音でも聞き逃さないだろうな。

 いや。

 あいつがいたなら、僕はため息なんて……ついているはずないのだから。

 足手まといって言ったこと、怒ってるかな。

 追放しちゃったこと、怒ってないかな。

 味方になってあげられなかったこと、怒ってるだろうな。

 なんて……

 今さら後悔してしまう。

 でも、それは本当のことなんだから仕方がない。

 あいつは、それこそ死に物狂いで戦ってた。

 一戦一戦が、彼にとっては命がけだった。

 それこそひとつのミスが死につながる。たった一撃が致命傷となる。耐えられる攻撃なんて、あいつにとってはひとつも無いところまで来てしまった。

 もしも――

 もしもあいつが死んでしまったら……僕は勇者として、それ以上は進めなくなってしまうだろう。

 他にも仲間はいる。

 でも。

 生まれて初めての友達で、幼馴染で、ずっと共に生きてきて、ラビアンさまの祝福を受けていっしょに旅立ったあいつは。

 あいつは。

 僕にとって――

 やっぱり特別なんだ。

 だから、死なせる訳にはいかない。

 間違っても死なせてはいけない存在なんだ。

 僕は世界を救えなくてもいい。

 いや、きっともう、魔王を倒せる時間は残されていない。と、思う。

 それでも前に進むには、あいつが近くにいない方がいいと思った。あいつが笑って生きてる世界を、人間領を守るために――僕は頑張れる気がしたんだ。

 だから。

 だから後悔なんてしちゃいけない。

 ため息なんて、こぼしてしまってはいけないんだ……

 そう思う。

 でも、誰にも見られず、誰にも気付かれず。

 僕はため息をついてしまった。


「もう大丈夫ですよ」


 と、声が掛かった。


「あぁ、すいません、お爺さん」


 僕は机の下から這い出るようにしてお爺さんにお礼を言った。

 この家の家主で、とても人柄の良い人だ。

 魔物に支配されていても、こんなにも朗らかな笑顔を浮かべていられたのは、とてもとても強い精神力を持っているに違いない。

 きっと僕よりも勇気ある老人だ。


「しかし、綺麗な人ですな。あんな女性から逃げるとは、勇者さまも人が悪い」

「あはは……どうにも色恋沙汰は苦手でして」


 僕は苦笑しつつ自分の頬をかいた。

 やってきたのは賢者だろう。

 頭の良い彼女だ。僕がどこに逃げ隠れたのか予想して行動したに違いない。

 賢者である彼女と神官のあの子は、僕に好意を寄せてくれている。

 まぁね。

 露骨とも言える態度を見れば、こんな僕でも気付いてしまうものだ。

 それに応えるのは、ちょっと怖かった。

 たぶんだけど、どちらかを選べばどちらかが去る。

 もちろん、両方選ぶなんて論外だし、両方を拒絶したところで彼女たちは諦めない。

 冒険者パーティが瓦解する理由が、女と金、とは良く言ったもので……勇者パーティが崩壊する理由は『女』のようだ。


「はぁ~」

「はっはっは。重いため息ですな」

「あぁ、すいません。勇者たる者が情けないですよね」

「そんなことありませんよ。人間らしくて良いではないですか。男女の仲で悩めるなど、しあわせである証拠です。この村では、そんなことが一切なかったですからな」

「……そうですか。少し聞かせてもらえませんか? 魔物が村を支配していた理由みたいなものが分かれば、少し方針が見えてくるのですが」

「えぇ、構いませんよ」


 と、お爺さんが村で起こっていた魔物の行動を語ってくれた。

 いわゆる情報収集だ。

 こういうのは、あいつが全部やってくれていた。盗賊らしい物静かなフリをしているけど、人と話すのが上手いヤツだったからなぁ。

 人当たりがイイっていうか……単純に聞き上手ともいうか。

 あぁ、単純に人から好かれるタイプだったのかもしれない。

 もっとも――

 僕をいつでも護衛してるせいで、神官と賢者に邪魔者扱いされちゃったけどね。

 しかし――


「申し訳ない……つらいことを話させてしまいましたね」


 僕はお爺さんにあやまった。

 村で起こっていたのは、悲惨な現実だった。

 子どもが早く生まれるハーフリングは家畜扱いだった。

 羽を装飾品とされた有翼種も同じく家畜扱い。

 ドワーフはその特性ゆえに魔物用の武器と防具を作ることを強制された。

 人間は、なぜか料理ばかりさせられていたらしい。

 お爺さんも、その料理人のひとりだったようで。物心ついた頃から、ずっと魔物の為に料理を作り続けていたようだ。

 魔物は何も生み出せない。何も作り出すことができない。何も成し得ない。

 だからこそ、人間を利用したのだろう。

 ゼロからイチを生み出せる人間種を、強制的に働かせていたらしい。


「材料は、聞かない方がいいでしょうな」


 魔物は人を喰う。

 子どもが早く生まれるハーフリング。

 あぁ……

 そういうことなんだろう……

 お爺さんが生まれた時からそうだったらしく、それがどういう事なのか理解してしまった時には、すでに何も感じなくなっていたのだろう。

 そういうものだから、と。

 そういうものだったのだ、と。

 文化として受け入れてしまったのだと思う。

 僕も孤児だから知っている。

 親という存在に対しての気持ちは、きっとお爺さんの感情に近くなると思う。

 今さら僕の父親や母親が現れたところで何にも思うことがないし、ましてや両親が死んだと知らされても気持ちは揺らぎもしないだろう。

 それでは勇者失格だ、なんて言われるかもしれないし光の精霊女王ラビアンさまからお叱りを受けるかもしれない。

 でも、それは事実なんだから仕方がない。

 そういうものなんだろう、と認識するしかないのだ。


「エルフと獣耳種はどうなったんですか?」


 他にも人間はいくつか種族がいるけれど、代表的と言えるエルフや獣耳種がどういう扱いを受けていたのか、気になったので聞いてみた。

 しかし、お爺さんは首を横に振る。


「一度も見たことがありません。おそらく……この村が魔王領になり、魔物に占有された時に殺されてしまったのではないでしょうか」

「そうですか……」


 魔王がなぜ人間を襲うのか。魔物で支配しようとするのか。

 それは理解できた。

 食料であり、家畜であり、労働力なんだろう。

 もっとも――驚きなのが料理をさせられる、っていうことなんだけど。

 魔物のイメージといえば、生のままや丸焼きにしたものを食べるような感じがある。

 でも、そうではなかった。

 つまり、味覚があるっていうことだ。なにより、料理したものを美味しく感じることができる存在だということ。


「……ん? そういえばお爺さん」

「なんでしょう?」

「魔物の言葉が分かるんですか?」


 僕は今まで、一度も魔物と対話したことがない。ギャギャギャとか、ギギャとか話しているのを聞いたことがあるけど、あれは言語だったのだろうか?

 魔物語?

 というものがあったりするのか?


「いえ、共通語を話す上位の方々がいまして」

「なんだって!?」


 僕は驚いて、思わず声をあげてしまった。


「知性のある魔物もいるとは思っていたが……僕たちと同じ言葉を使うのか……」

「私には普通だと思っていたのですが、勇者さまにとっては驚くほどのことなのですか?」

「……はい。今まで、魔物とは人間に襲い掛かってくる動物と変わらない物と思っていましたから。意思疎通が取れるとなれば、少し、考え方を改めないといけない」


 こちらの戦略を聞かれたり、堂々と戦術を魔物の前で語っていた。

 それは、言葉が分からないからだろう、という事だから。


「今まで以上に気を付ける必要があるのか」


 あぁ、本当に。

 こういう時に、盗賊であるあいつがいたなら!

 的確な指示と状況判断をしてくれただろうに!

 今からでも呼び戻すべきか――


「……」


 僕は頭を振った。

 ダメだ。

 今さら、あいつを死地に呼び戻すべきではない。なにより、聖骸布の反応が増えてるんだ。あいつはあいつで、なにかをやっている。

 次に向かって進んでいるんだ。

 一度追い出した僕が、今さら何も言う資格がない。


「はぁ~……」


 僕はまた大きな息を吐いた。

 お爺さんは少し困ったような表情を浮かべる。

 いけないいけない。

 村が救われた日だっていうのに、おめでたい日だっていうのに。

 こんな表情を老人にさせてしまうだなんて。

 それこそ勇者失格だ。


「すいません、お爺さん。最後にひとつだけ聞かせてもらえますか?」

「えぇ。最後と言わず、いつでもなんでもお答えしますよ」

「あはは、ありがとうございます。お爺さんが知っている一番上位の魔物が何者だったのか、知っている範囲で教えて頂けますか?」

「一番上位となりますと、四天王のおひとりであるアスオエィローさまでしょうか」

「……四天王、アスオエィロー」

「はい。魔王の幹部であり、魔王領をそれぞれ管理している王のような感じでしょう。豪快で力強く巨大な剣を背負ったオーガのような方でした」

「オーガ種……なるほど、分かりました」


 僕は深くお礼を言う。

 魔王領と言えども、魔王が全てを支配している訳ではないようだ。

 実質的に統治をしているのは『四天王』と呼ばれる幹部らしい。

 僕がまず倒さないといけない存在……倒すべき存在が、判明した。

 四天王。

 まず、そいつらを倒さないと魔王領を削ることにはならないだろう。

 おそらく、分厚い雲が天を覆っている理由はそこだ。

 四天王を倒さない限り、太陽の光が降り注ぐことはない。

 明日を生きる希望を取り戻すには、四天王を倒すことが必須だ。


「目標がようやく決定した」


 今後の方針。

 まずは四天王を倒すこと。

 その内のひとり。

 オーガ・アスオエィロー。

 それを、最初の目標とする!

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