~卑劣! あとで弟子に怒られた話~
ジックス家の別宅を後にして。
俺とパルとサチは、大きく息を吐いた。
「ふぅ~」
「ふへ~」
「はぁ~」
三者三様とはこのことか。
とも思えるが、息の内容は同じだろう。
やっと緊張感から解き放たれた感じだ。
大きな仕事をひとつ終えたような、肩の荷を全て下ろせたような、そんな疲れと喜びが混じったような息だった。
やはり貴族の館に足を運ぶっていうのは、平民にとっては精神的な負荷が凄い。加えて、変装というか演技というか、バレちゃいけない事があったので、余計に心労が重なった感じだろうか。
なんにしても、無事に作戦は終了した。
あとは宿に戻るだけで、安心できる。
しかし――
「ピンシェルさま!」
と、後ろから呼びかけられて再び俺は背筋を伸ばした。ちなみにパルとサチはそのままだった。
油断していた訳ではなく、声の主が分かったからだ。
甘いなぁ。
あとで注意しないと。
気を抜いていいのは、全てが完全に終了した時のみ。いつどこで誰が見ているのか分かったものではないのだから。
どんな優れた盗賊であろうとも『偶然』には勝てない。
それに勝てるのは『幸運』を司る神さまぐらいのものだろう。
と思いつつ、俺はゆっくりと振り返った。
「どうしましたルーシャ」
そう。
声をかけてきたのは、ルーシャだった。
慌てるように館から出てきて、走って追いかけてきたようだ。少しばかり息が乱れているし、髪を留めるメイドカチューシャもズレている。
「ふぅ、ふぅ、よ、良かった。追いつきました」
「ほら、カチューシャがズレてしいます。メイドの身だしなみが乱れているのは、主人の装飾品が乱れているのと同義。気を付けないといけませんよ」
俺はメイドカチューシャの位置を治してやりながら、ルーシャの後方を確認した。
ふむ。
どうやら監視や尾行の類は無い。
ルーシャの単独のようだ。
俺はピンシェルという怪しい商人の顔を捨てて、盗賊のそれに切り替える。といっても、ヘラヘラと浮かべた笑顔を消すだけだが。
それでも彼女と向き合う必要がある。
ピンシェルではなく、エラントとして。
「あ、あの、お礼を。お礼を言いたくて、追いかけてきました」
「……そうか。俺は君に謝らないといけないかと思ってたんだ。勝手に連れて、勝手にメイドにしてしまって、悪かったな」
「いえ、とんでもないです!」
ルーシャはメイド服の裾を持ち上げるように、スカートをギュっと握った。
「わたしは……ボクは、とても嬉しいです。無理やりでもいい、もっと強引でも良かった。ボクが、自分が不幸だって教えてくれたのはお兄ちゃんですから」
後方でパルがピクリと反応したのが分かった。
いま、いいところだから!
あとで話を聞きますから、いまは口を出さないでね!
「つまり、今はしあわせってことでイイんだね?」
はい、とルーシャはうなづく。
「こんな世界があるとは思いませんでした。こんなに優しい人たちがいるとは思いませんでした。貴族って、もっと怖い人だと思ってました。でも、ルーシュカさまはとても良くしてくださいましたし、熱心に教えてくださいました。館で働く他のメイドの方々も優しくしてくれます。ボクは、もっともっと世界は酷いものだと……酷い状態が普通なのだと思ってました。でも、違うってことを知りました」
だから、とルーシャは俺を見た。
少年のような少女の瞳で。
キラキラと輝く少女の瞳で、俺を見た。
「ありがとうございます、お兄ちゃん。お兄ちゃんのお陰で、ボクは、ボクは女の子に成れました」
ぜ、絶妙な言い回しだなぁ。
物乞いをしていたルーシャは、身を守るために男の子のフリをしていた。
でも、今はもうその必要が無くなった。
という意味だ。
決して、俺が女にしてやった、みたいな意味ではない。
そういうことなので、後ろに控えている俺の弟子よ。そう殺気を放つではない。
いや、ホント、殺気の使い方うまくなりましたね。
あとで褒めてあげましょうか?
「たまたまだ。俺は君を選んだわけじゃない。偶然だった。それでも、君が本当に男の子だったら、こんな救い方はできなかった。逆に君がはじめから女の子だったら、俺は君を選ばなかったかもしれない。偶然だった。でも、どこか運命的でもある。それを誰に感謝するのかは君の自由だけど、ひとつだけ言っておくよ」
俺は少しだけ屈み、視線を彼女と合わせた。
「この先、君の両親を名乗る者が現れると思う。そして、君にタカリに来るだろう。給料をよこせ、分け前をよこせ。お前だけズルいぞ。親をなんだと思っているんだ。そう言いながら、君の親は、今さら君の親であることを主張してくるはずだ。でも、その時はひとりで戦っちゃいけない。必ずルーシュカさまを頼るんだ。いいね? 自分で解決してはいけない。これは君の問題であると同時に、ルーシュカさまの問題でもあるんだ。だって、君を所有しているのはルーシュカさまだからね。彼女は必ず君を助けてくれるだろう。そしたら君を放置していた両親に言ってやるといい。君を育児放棄して、今さら親という言葉を使う醜い大人に言ってやるといい」
俺はニヤリと笑って言う。
「ざまぁみろ。もう遅い。おまえの娘は立派になって貴族の家で何不自由なくメイドをしているぞ、ってね」
その言葉を聞いて、ルーシャはくすくすと笑った。
「そんなことを言ったら、メイド失格ですよお兄ちゃん。ルーシュカさまに叱られてしまいます」
「ふぅむ、なかなか厳しいんだなメイドってのは。ま、それだけ気を付けてくれたら問題はない。あとはルーシュカさまが何とかしてくれるさ」
俺は肩をすくめつつそう言った。
たぶん近い将来、そうなると思われる。
その時、その場所に俺はきっといられない。
だからこそ、先に伝えておく必要がある。
君の味方はすでにいるのだ。
そう理解しておく必要がルーシャにはあるのだ。
「はい、分かりました。あっ、お兄ちゃん」
「ん?」
ルーシャが俺の顔に手を伸ばしてきた。
なんだ、ゴミでも付いてたのかな?
ルーシャは目のあたりに指を伸ばしてきた。まぶたに何か付いているのかもしれない。
そう思って俺は目を閉じてルーシャの指を受け入れる。
と――
「ちゅ」
まぶたではなく、顔に手を添えられて。
ほっぺたにキスをされた。
「ああああーーーー!」
で、パルが叫び声をあげた。
「あはは! ありがとうございましたお兄ちゃん! またいつでもいらしてくださいね!」
そう言って、ルーシャは真っ赤になったほっぺたを抑えながら、館に向かって走って逃げていった。
「師匠!」
「なんだ!」
メイド服の美少女が勇ましくも俺に突撃してきた。
なので、俺も受けて立つ!
「いまの避けれましたよね! 赤毛のお姉さんのちゅーは避けたくせに、さっきの子のちゅーを避けれないわけがないですよね!」
「いやぁ、この俺が不意打ちを避けれないとは思わなかったなー。ルーシャは良い盗賊になるのかもしれないなー」
「もう! もうもうもう! あたしも、あたしもちゅーする!」
「はっはっは! おまえに俺が捕まえられるかな?」
「あっ、逃げるな師匠! ていうか、お兄ちゃんってなんだー! いろいろ説明してください! 師匠、ししょー! 逃げんな!」
だばだばと俺とパルは走り回る。
いやぁ、かわいいメイド服のスカートの裾を持ち上げながら走る美少女の姿っていうのは、とても良いものがあるなぁ。
ちなみに、サチは俺たちのことを半眼で見つめていた。
「……なんだこの師弟」
と、つぶやいたとか、つぶやかなかったとか。
「師匠! あたしにもちゅー!」
「分かった分かった、あとでしてやるよ!」
「ほっぺにしてください!」
「あ、俺がやるんだ」
「あれ?」
なんだか知らないが、とにかく後でパルのほっぺにちゅーをしてやった。
ちょっとドキドキした。
「にへへ~」
まぁ、パルが満足そうなのでいいか。
ちなみにほっぺにちゅーでルーシャにお兄ちゃんと呼ばせていことを誤魔化せたので、全て俺の勝ちだ。
はっはっは!
まったくまだまだ甘いなぁ、ウチの弟子は!
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