~卑劣! 高尚な交渉の前にこうしよう~
さすがに貴族の館となればパールもサーティも大人しくなる。
ガチガチになっている訳ではないが、肩の力は必要以上に入っているようだ。
緊張感がこっちまで伝わってくるが、演技ではなく素が出てしまっているのもなかなか状況に合っている。これもまた良いカモフラージュだ。
しかし、一般的な貴族邸と比べて、このジックス家の姿は大いに違う。絢爛豪華さとは無縁の質素さが際立つ館だ。
およそ外からは想像がつかないだろうが、中は牢獄とそう変わらない。質実剛健ではなく、あくまで質素なのだから。
退屈でヒマな空間なのは、住むまでもなく理解できるだろう。
もちろん、ある程度の自由は保証されているので、庶民に比べたら天国と変わらないし、路地裏の生活とか比べること自体がナンセンスだ。
あくまで普通の貴族と比べて、の話である。
「こちらでお待ちください」
メイドさんに案内されたのは前回と同じ部屋。
ソファとテーブルがあるだけの、簡素な応接室だ。
「ふはぁ」
「……ふぅ」
メイドさんが扉を締めたところでパールとサーティは大きく息を吐いた。
「大丈夫ですか、ふたりとも。緊張するにはまだまだ早いですよ」
誰も見ていないからといって演技は中断しないこと。
変装の掟とも言える事柄だ。
「あ、はい。すいませんピンシェルさま。でも、ドキドキしちゃいますよ? ね、サーティ」
「……とても緊張します」
俺は苦笑する。
貴族慣れしている一般人という方がおかしいのだが、パールはそこそこ慣れていると思ったのだが、違うらしい。
もしかしたら、イヒト・ジックスには慣れた、だけの話であって。貴族そのものに慣れたとは言えない状態だろうか。
イヒト領主は、人格ができているタイプの貴族だからなぁ。
もしも一般的な貴族や領主と応対することになると……パールは嫌悪感をあらわにするかもしれない。
路地裏の正反対に位置する生活をしている上に、それが当たり前だと認識している。平民は貴族に尽くすものだと、考えているのが普通の貴族だ。
下手をすれば命の価値が違う可能性すらある。
貴族には青い血が流れている……だったかな?
言い得て妙、というやつだ。
冷血という言葉のイメージは、やはり『青』なのだから。
「失礼します」
ノックがあり、扉が開いた。
と、同時にパールとサーティが背筋を伸ばすのが分かる。おそらく貴族が入ってくるのかと身構えたのだろう。
しかし、入ってきたのはメイド服を来た少年――のような少女だ。
獣耳種たるネコ耳をぴくりと動かしたルーシャは、俺の顔を見ると途端に明るくなる。
「ピンシェルさま!」
彼女は俺に駆け寄るとキラキラとした瞳で俺を見上げた。
あぁ。
あぁ!
なんということだ!
めちゃくちゃ可愛い……少年のような顔立ちだが、可愛い。間違いなく可愛い。これがアレか。ショタコンの気持ちなのか。いや、でも違うよな。俺はルーシャが少女ということを知っている。知っているからこその感情なのだろう。情報は武器だというが、こういった時に情報がアダとなる場合もあるのか。純粋な少年としての素晴らしさに気付けないのが少し残念ではあるが、今すぐ頭を撫で繰り回したい衝動に俺は襲われている。ほっぺたを撫で、そのまま顎の下をこちょこちょとくすぐってやりたい気持ちにさせるのはルーシャがネコタイプの獣耳種だからだろうか。いや、それとは関係なくいっぱい撫でてあげたいのは、やっぱり可愛いからに違いない。あぁ、あぁ、あぁ、誰か助けてくれ! 俺を止めろ! じゃないと今すぐ目の前の少年のように可愛い少女メイドを抱きしめてしまうぞーぅ!
「あれ……も、もしかしてボク――じゃなくて、わたしのこと忘れちゃいました?」
ハッ!
ネコ耳少年のような可愛い少女が俺のもとに笑顔で駆け寄ってくる。
なんていう人生で一度もないようなシチュエーションに心をまるっと奪われてしまった。
危ない危ない。
ふぅ。
落ち着け、俺。
そう。
俺は盗賊なんだ。
クールにいこう、クールに。
「いえいえ、問題ありませんよ。ルーシャがあまりに立派になっていたので驚いたところです」
これは嘘ではなく本当だ。
まぁ、当たり前といえば当たり前な話なのだが。
それでも育児放棄された彼女をなんの知識もなく貴族の館に放り込んだ負い目というものがある。下手をすれば『折檻』という名の暴力を受ける可能性もあったが、そんな環境下に置かれているような姿ではない。
なにより立派なメイド服を着させてもらっているし、肌つやも良くなっていた。
とても良い環境に置かれていると判断しても良いだろう。
「よく頑張りましたね」
俺は彼女の頭を撫でてやった。
髪質もあがっている。
なるほど、問題なさそうだ。
「……むぅ」
なぜか俺の後ろでパールが物凄い殺気をワザとらしく放っているが……気のせいだ。
うん。
気のせいに決まっている。
まだ殺気の放ち方なんて教えてないし。
うん。
「失礼しますわ」
と、そこへルーシュカが部屋に入ってきた。
ノックもせずに入ってきたのは、扉が開いていたからだろう。しっかりと頭を下げて部屋の中に入ってくる。
それはどこか貴族らしくない態度とも言えた。
なにせこちらは平民なのだから。
「ルーシャ、客人に対しての挨拶を。いくらピンシェルさんに出会えたのが嬉しくても、最低限の礼儀を忘れてはいけませんよ」
「は、はい!」
改めまして、とルーシャは一歩後ろへ下がり、手をお腹の前にそろえて丁寧に頭を下げた。
「いらっしゃませ、お客様」
ほう。
完璧な所作じゃないか。
「素晴らしい。完璧ですね、ルーシャ。心配で様子を見に来たのですが、わたくしの心配は杞憂だったようですな」
俺は仰々しく腕を広げながら言った。
次いで、ルーシュカさまを見る。
「さすがルーシュカ・ジックスさまでございます。あのルーシャをこのように完璧に躾けて頂けるとは……わたくし共々、ルーシャも恐悦至極の極みでございましょう。いやはや、やはりジックス家を訪れたことは間違いではなかった!」
俺は大きく両手を広げて感動を噛みしめる表情を浮かべた。
とりあえず褒めておこう。
褒めておいて問題になるのは罪人だけだ。
……いや、目の前の貴族は罪人だったわ。
間違いだった。うーん。人を褒めるって難しいなぁ。
「ふふ、お世辞と取っておきますわ。どうぞお座りになってください」
おや?
なんというか、随分と人当たりが良くなっているというか、自信があるようになったというか、社交性がアップしたかな、と思わせる態度だ。
前回会った時は、人と会うのを嫌がっていたようだが……
「今日は奥様はいらっしゃらないのですか?」
俺はソファに座りながら聞いてみる。
「えぇ、少し用事がありまして。今日はわたしが対応させて頂きます。いえ、母がいてもわたしが対応しないといけませんよね……え? えっと、あ、あの……」
「はい?」
ルーシュカが困ったように言葉を濁したので、何事かと思ったら――
隣にパールが座っていた。
「……パール」
「はい、なんですかピンシェルさま」
「あなたはメイドです。メイドは主人といっしょに座るものではありません。サーティを見習えと何度言ったら分かるんですか」
いや、ほんとマジで!
おまえ自分がメイド役ってこと忘れてただろ!
「ハっ!」
ハじゃねーよ!
ハじゃ!
見ろよ、サチを! 可哀想なくらいにオロオロしてるじゃねーか!
「いいですか、パール。あなたが仕事を覚えられないのは重々承知しています。それでも役立たずと捨てたくありません。あなたと縁を結んでしまった限り、ぜったいにそんなことはしたくないのです。さぁ、パール。サーティを見習って学習なさい。いいですね」
「はい、ピンシェルさま!」
と、パールは慌ててサーティの隣に立った。
で、にっこりと誤魔化すように笑った。
めっちゃ可愛い。
けど――
「はぁ~……」
と、俺は目を覆うように手を当てて、天井を仰いだ。
まったくもって、ダメなメイドをやらせれば天下一品なのかもしれない。もちろんそんなコンテストはないし、あっても出場させないけど。
優勝したところで名誉すらもらえないのであれば無意味な大会だ。
「またお困りのようですわね」
「……面目ございません」
「つまり、彼女の面倒も見て欲しい……という話なのでしょうか?」
ふむ。
その話の流れは使える。
使えるのだが、俺は首を横に振った。
「最初はそのつもりでした。でしたが今の一件で預けるにも値しない……再教育の必要性があることを認識いたしました。どうにもパールは自覚が足りないようです。自分がメイドであることを」
「ふふ。そのようですわね。明るく可愛らしくて良いと思いますが、本当に働くとなると笑顔が曇りそうです」
そうでしょうな、と俺は肩をすくめた。
おっと、いけない。
素が出てしまいそうだ。
「パールの件はまたいずれ。今回はもうひとつの件についてお話を進められれば、と思います」
「はい、なんでしょうか?」
俺はちらりとルーシュカの後ろに控えるルーシャに視線を送る。
もともと彼女にはスパイのつもりで送り込んだ訳だが……残念ながら大空振りもいいところだ。事件とはまったく関係なかったし、加えてイヒト領主から受けた依頼というか調査みたいなところも問題なさそうだ。
ならば、ルーシャの件を解決しておかないといけない。
いつまでも、このまま放っておいては無責任だ。
だから決着をつけないといけない。
俺はひとつ咳払いをして。
ルーシュカ・ジックスお嬢様に告げた。
「ルーシャを引き取りにきました」
その一言で。
彼女の表情が変わるのを――
俺は見逃さなかった。
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