~可憐! あたしは、仲間を見捨てることができませんでした~
魔物図鑑とか魔物辞典に載っているのは、現在確認されたことのある魔物だ。
魔物っていう総称だけど、中には野生動物も含まれている。
ウルフとか、ドラゴンとか。
ドラゴンって野生動物なんだよ知ってた!? ってサチに聞いたら――
「……常識だよ?」
って言われたのがちょっとショックだった。
魔物図鑑の最初の方のページは、レベルが細かく分かれてるけど、後ろにいけばいくほど魔物のレベルはおおざっぱになっていく。
その理由は、なんにも知らないあたしにだって想像できた。
もう一人で戦えるような相手じゃないから。
レベル5の魔物には、レベル1の冒険者が5人で戦って勝てるよ。
なんて分かりやすい基準だけど。
だからといって、レベル100の魔物にレベル20の冒険者が5人で勝てるか? って言われたら絶対に違うっていうのが分かる。
魔物図鑑の後ろのページにいくにつれて、レベルの刻み方がおおざっぱになっていく理由はそれ。
だから。
レベルが70だったか、75だったか。
それとも73みたいな中途半端な数字に指定されていたのか。
もう、記憶するまでもない、覚える必要もなかった情報だから。
スレイプニル。
八本足の幻想種の馬。
巨大な体躯を衰えさせることなく迫ってくるその姿は、図鑑通りの恐怖の姿でもあった。
「なんで、どうして――」
こんな所にいるはずのない魔物が、よりにもよってあたし達を狙って襲い掛かってくる。
運が悪かったの?
それとも、街が狙われているから?
大規模な工事をしているから、魔王が動き出した?
分からない。
なにひとつ理由が分からない。
想像することもできなかった。
唯一できるのは逃げるだけ。
だって。
逃げないと確実に死んじゃうっていうことだけが、理解できた。
「はぁ、はぁ、はぁ――!」
こんなにも。
こんなにも逃げるのって体力を使うんだ。
もっともっと速く走りたいのに、これ以上は速度があがらない。
だから無理をする。
加速しようとしてしまう。
余計な体力を使っちゃう。
「たす、けて、たすけて、ししょ、う――!」
祈るように。
あえぐように。
あたしは全力で逃げながら、神さまじゃなくって、師匠に助けを求めた。
でも。
聞こえてきたのは、師匠の声じゃなかった。
後ろからの声。
あたしは――
「あ」
と、短く声をあげて振り返った。
あたしは、みんなを見捨てようとした……
ひとりで先に、逃げてしまった……
「パルヴァス、逃げろ! 前だ、前を向け!」
イークエスの言葉に、あたしは再び前を向く。
でも。
振り返った時に見えてしまった光景が……
サチが――
一番足が遅いサチが、一番後ろで走ってた。
「――ッ!」
だから、あたしは足を止めた。
ごめんなさい、師匠!
ここで死んじゃったらごめんなさい!
本当にごめんなさい!
でも。
でもでもでも!
もう、サチと仲良くなっちゃったから。
いっしょにご飯食べて、いっしょにお風呂入って、いっしょに寝て、いっしょに冒険して、いっしょに笑ったから。
だからごめんなさい師匠……
あたし、死にたくないけど。
けど!
死ぬかもしれません!
「パルヴァス!?」
「イークエスは先に走って! あたしはサチを守る!」
「お、おう! ぜったい付いてこいよ!」
「分かった!」
もしかしたら、イークエスはあたしがオトリになるのかって思ったのかもしれない。
違うよ。
あたしは最初からオトリだったから。
みんなの仲間になったフリをしていただけの、盗賊ギルドから頼まれてきただけの、ただの役立たずだったから。
今更、本物のオトリになるなんておかしな話だ。
それに、スレイプニルは知能が高い。
スキル『挑発』みたいな、スキル『誘惑』みたいなので気を引くことなんて不可能だと思う。
知能が高い魔物には、挑発もオトリも効かない。
だから。
あたしにできる精一杯の方法だ。
「サチ!」
「はぁ、はぁ、パルヴァス、ごめん、ごめんなさい」
「しゃべんなくていい。これ飲んで!」
走りながらサチにベルトに装着していた小瓶を渡す。
師匠からもらってたスタミナ・ポーションだ。
「う、うん!」
サチは浴びるようにスタミナ・ポーションを飲んだ。だいぶこぼれちゃってるけど、走りながら飲むのは難しいから、仕方がない。
でも、効果は充分に発揮される。
ぜぇぜぇと言ってたサチの呼吸がすぐに整って、走る速度があがった。
さすが神さまの祝福。
さすが師匠が渡してくれたスタミナ・ポーションだ!
サチの速度が上がったから、あたしは並走して走る。
それでも、後ろからは執拗にスレイプニルが追いかけてきていた。
「がんばってサチ! もうちょっと!」
「う、うん! はぁ、はぁ、はぁ……!」
イークエスが先頭で走り、ガイスとチューズが続く。その後ろにあたしとサチが追いかけるみたいに続いた。
「こっちだ!」
木々が生い茂る森へ――
あたし達は一気に森の中に駆け込んだ。
スレイプニルの身体は大きい。それこそ細い木々の間は通り抜けられないほどの巨体だ。
だからこそ、木々の生い茂る森の中はこっちに有利になるはず。
「だったら!」
あたしは魔力糸を顕現させる。
意味はないかもしれない。
無意味かもしれない。
それでも、できることはやっておきたかった。
「うぅぅりゃああああああ」
魔力糸の細さなんて気にしてる場合じゃない。ぼふん、と毛糸みたいになっちゃっててもいい。不細工でも、今あたしに出来る全力だ!
あたしは、糸を引きながら森の中をジグザクに走った。木と木の間をすり抜けながら、右へ行ったり左へ行ったりして、糸を這わせていく。
少しでもサチとの距離を開けるために。
ほんのわずかでも、スレイプニルの動きを邪魔するために。
全力で左右にステップしながら、サチの後ろを走っていく。
「はぁ、はぁ、んぐっ」
息が切れてきた。
魔力糸を顕現させながら走るのは、相当に疲れてしまう。
でも。
それ以上に後ろを振り返るのが怖かった。
もう、すぐ後ろまでスレイプニルが迫っているかもしれない。
次の瞬間には、あたしの頭の上にスレイプニルの凶悪な蹄が叩き落されるかもしれない。
大きな口を開けたスレイプニルに頭を噛み砕かれるかもしれない。
物凄い速度で弾き飛ばされて、そのまま死んじゃうかもしれない。
例え――
光の精霊女王ラビアンさまの聖骸布があったとしても。
神さまの加護があったとしても。
あたしの頭がパッカリ割れて、そのまま体ごと叩きつぶされるのが分かる。
耐えられるわけがない。
一撃で殺される。
それが理解できた。
理解できてしまっていた。
「はぁ、はぁ、はぁ!」
こわい。
こわかった。
泣きそうなほど、おそろしかった。
涙とか、鼻水とか出ちゃってたかもしれない。
だってぬぐってる暇なんて、ないもん。
涙は、逆にまばたきをしなくて済むから拭いちゃうのはもったいない。
それぐらい全力で、全開で、死に物狂いであたし達は走った。
「こっちだ」
イークエスが前で合図している。
その先には洞窟があった。入り口が狭くて、隠れられそうな、岩場に亀裂の入っただけのような、そんな洞窟。
イークエスが入り、ガイスとチューズが入り、サチが入ったところであたしは振り返った。
「追ってきてない――」
でも。
ぜったい近くにいるはず。
「パルヴァス、はやく!」
「うん!」
サチの後を追うようにして、あたしは洞窟に飛び込んだ。
転がり込むようにして地面に突っ伏すと、今さらながらに汗が浮き出てくるのが分かった。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
息が苦しかった。
唾液を飲み込むことすら出来なくて、口の端からダラダラとこぼれちゃう。
今まで、こんな全力で走ったことなんて一度も無かった。
殺されるかもしれない、なんて思いながら全力でこんな長い距離を走ったのは、初めてだった。
「はぁ、はぁ、んぐ……はぁ、はぁ、はぁ」
みんなも同じらしく、スタミナ・ポーションを飲んだサチも、息も絶え絶えに呼吸をしていた。
でも。
それでも。
逃げ切った。
生き残ることができた。
森が近かったのが運が良かったのかもしれない。
こうやって休める洞窟を発見できたから、安心できたのかもしれない。
さすがイークエスだ。
すごいな。
あたしだったら、こんな亀裂が空いてるだけの洞窟の入り口なんて、ぜったいに見逃してた。
気づかずに、ずっと森の中を逃げることになってたと思う。
「はぁ、はぁ……ありがとう、イークエス。おかげで……はぁ、はぁ、あれ、なにしてるの?」
ぜぇぜぇ、とみんなが息を整えている中。
イークエスは、何かを燃やし始めていた。
明かりのためにランタンに火をつけたんだろうか、と思ったけど――
違う。
「はぁ、はぁ……ふぅ。全力疾走で息がつらいだろ?」
「う、うん」
ぼわん、と白い煙が大量に発生した。
なぁにこれ?
回復アイテム?
「居眠り草だ。煙を吸った者は、あっという間に眠りに落ちる。全力で走ったら、息を止めるなんて不可能だもんな」
「え?」
なにを言ってるのイークエス?
そんなことをしたら、みんな――
イークエスだって、眠りに――
「目覚めたら、きっといいことがある、ぜ……」
「なに、を……」
ガイスが倒れるように眠りに落ちた。
「なにやって……んだ……」
チューズも眠ってしまった。
「な、にが……どうして……かみさ……、ま」
サチも眠りに落ちてしまう。
「いー、くえす……?」
あたしも、身体に力が入らなくなって、くにゃりと倒れてしまう。
最後の最後に。
「あぁ、たのしみだ……」
と、笑いながら眠ってしまうイークエスの姿が見えた。
それを最後に。
あたしの意識も無くなってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます