~卑劣! 涙の数だけダラダラと~

 その日は結局、宿に戻ってぐしぐしとパルとふたりして涙をぬぐった。

 先生に出会って泣いてしまうとは……ちょっと恥ずかしい。

 ポーションも補充したし、恩師にも挨拶ができた。

 俺としては満足なのだが……

 問題は弟子だった。

 いや。

 問題はすでに解決したけど。

 結局、パルが孤児院を出て行った原因は、どこにでもある話だ。

 どんな立場になろうとも、どんな境遇であろうとも、人は自分より下を探す。見下されている人間は、見下して良い人間を求める。

 あの少年たちに取って、見下して良い人間がパルであり、何をしても良い相手をパルにしようとしたのだろう。

 少女が孤児院を逃げ出した原因だ。

 もしも逃げずに残っていたら――

 どうなっていたかを想像するのは容易い。

 俺と勇者も、孤児院で過ごしていたから見たことがある。

 孤児院から出ていく者、卒業するまでいれなくなった者は、それなりにいる。

 今まで安全だった場所が、自分の住処だった場所が、ある日突然そうじゃなくなるのだ。

 食料が提供される?

 安心して寝れる?

 先生が守ってくれる?

 現実は、それほど簡単ではない。食料は奪われ汚され、眠りを邪魔され、先生に声は届かない。

 待ってるのは餓死か、暴力による死か。

 先生は確かに助けてくれる。

 でも、完璧じゃない。本当に目が届いているのなら、そんな事は起こらない。誰もが、苦しいながらも生活を続けられるはずだ。

 でも、そうじゃない。

 そうじゃないことが、多い。

 特に少女が――何の力も持っていない少女が、男に目を付けられたら。

 待ってる運命など、娼婦よりも酷いものだ。


「カーエルレゥム(蒼)か」


 パルヴァス(小さい)より、よっぽど良い名前だが……もう二度と、その名前で呼ばれることはないだろう。

 俺は蒼い瞳の少女を見た。

 床に座って、魔力糸を顕現させる練習をしていた。一日では大した成果もないが……コツはつかんだのか毛糸みたいな魔力糸はすぐに出せるようになっている。


「師匠、細くなんないです」

「開きすぎなんだ。もっと魔力が出るイメージを尖らせろ」

「うーん?」


 どうにもイメージが掴めないようだ。


「口を大きく開けると息がすぐに出てしまうだろ。しかも温かい。口をとがらせると、冷たい息が出る。そんな感じだ」

「こ、こう……」


 眉間に皺をよせながらパルが顕現すると……まぁ、さっきの毛糸よりはマシな魔力糸になっていた。もけもけではなく、普通の糸っぽい。

 糸よりかは、紐か。


「できた」

「よしよし。強度はどうだ?」


 パルが思いっきり引っ張るが、切れる様子はない。強度も、まぁ及第点か。体重を支えられれば合格だが、まだそこまでは求めていない。

 ただの糸や紐でも、最低限の使い道はある。それこそスリングにするには充分だ。


「ふむふむ。大したもんだ。そのまま練習を続けるように」


 と、俺はパルの頭を撫でてやった。

 厳しくしたところで意味なんか無い。しっかりと褒めてこそ、やる気が出るっていうものだ。

 その点、勇者は凄かった。

 どんな些細な、どんな小さいことでもあいつは褒めてくれたもんな。


「えへへ~」

「そろそろ夕飯でも食べるか」

「はい、師匠!」


 練習を切り上げ、部屋から出る。

 ロビーにいたリンリーに美味しいお店を聞いて、そこへ出かけた。大きくもなく、また混み合ってるわけでもない、頃合いの店だ。落ち着いた雰囲気とはまた違った、温かい雰囲気の店という感じかな。

 料理の内容も家庭料理が多い。

 パルの食べ過ぎに注意しながらいくつかを注文した。

 昨日は俺も注文しすぎたのが悪かったのかもしれない。

 反省して、今日に活かそう。


「師匠」

「なんだ?」


 食べながらパルが呼んだ。次第に増えてきた客で、周囲はガヤガヤと雑多な音がしている。そんな中で、俺たちは静かに食べていたのだが……その沈黙をパルが破った。


「あの、ありがとうございます」

「……まだ早い」

「え?」

「俺はおまえを弟子にした。まだ何にも教えてないし、まだまだひとりで放り出せない。パルが一人前になった時、その言葉を聞くよ」

「……はい。でも、言わせてください」

「分かったよ」


 俺は肩をすくめた。


「ありがとうございます」

「うん」

「あと、今日はいっしょにお風呂に入ってください」

「……なんで?」


 すでにお風呂という存在というかシステムは理解しているはず。

 ひとりで入れるはずだが……?


「お礼です! あたしにお礼をさせてください!」


 パルは力強く言った。

 そんな俺たちの隣の席で――

 たまたまか、はたまた聞き耳を立てていたのか……冒険者らしき少女がガシャンとフォークとスプーンをお皿の上に落とした。

 嫌な予感がして、俺はそっちを見る。

 物凄い顔をした女冒険者(神官)がこっちを見ていた。

 邪神のお告げを聞いてしまったかのような、そんな表情で俺を見ていた。


「どうしたんですか、師匠?」

「パル。お礼とは何をすることなのか、ちゃんと声に出して言ってくれ。世の中にはしっかりと言葉にしないと伝わらないことがあると、俺は学んだんだ」

「は、はぁ……」


 見知らぬとは言え、女神官さまに妙な誤解を与えたまま、というのは、こう、なんとなく嫌だったので、パルに言葉としてちゃんと説明してもらう。

 じゃないと、神官さまが向けてくる目が女性にとっての最低最悪魔物『ミノタウルス』と同じ視線を受けることになってしまう。


「師匠とお風呂にいっしょに入って、気持ちよくなってもらいます。あ、違う! あたしが師匠を気持ちよくしてあげます!」


 アウトー!

 ほら、見て! パルヴァスさん!

 隣の女神官の顔が人間じゃなくて魔物を見る目になってますよ? きっと俺が女性をさらって犯して仲間を増やすミノタウルスに見えてますよ!?

 しかも、ゴブリンとかそういう不衛生な魔物を見る目も加わってるよ、ぜったい!

 うん。

 俺はそういう目に詳しいんだ。

 なにせ、そんな目で見られていた結果、勇者パーティを追放されたんだから。

 うん。


「あ~……ちゃ、ちゃんと言ってくださいます、パルヴァスさん?」

「え?」

「背中を洗うとか、そういう……」

「リンリーさんに洗ってもらった時、くすぐったかったけど、とっても気持ちよかったんです。だから、お礼です師匠! あたし、がんばって師匠を気持ちよくさせます! 気持ちよくなってもらいたいんです! 全身つかってがんばります!」

「……はい。おねがいします」


 うん。

 弟子が師匠のため、と頑張ると言ってるんだ。

 たとえ通りすがりの女冒険者に誤解されたとしても。

 甘んじて受け止めようではないか。

 それが師匠の役目だ。

 そうに、違いない。

 と、思いたい。

 うん。

 うん。

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