~卑劣! はじめての戦闘~

 さて状況も確認したので帰るか――


「ッ!」


 と、思った矢先。

 俺はパルの頭をおさえ、無理やり地面へと這いつくばせた。もちろん、俺も地面へ身体を投げ打つ状態だ。


「し、師匠!?」

「静かに……」


 俺はパルに視線で示す。

 林の奥。

 遠く遠く、木々の間に見えるものがあった。

 それは――一匹の魔物。


「あ、あああ、あれって……」


 あわわ、とパルが恐れるようにつぶやいたのは無理もない。

 人間でもない、動物でもない。

 そんな存在を初めて目にしたのなら、その反応が一般的だ。むしろ、強がって平気な言葉を口にする無謀な冒険者こそヤバイ。

 強がりは必要だ。

 だが、同時に冷静な判断も必要になってくる。

 彼我のレベル差も見抜けないようでは、その寿命は本来のものから桁がひとつ消失しているようなものだろう。


「あれはコボルトだ」


 魔物図鑑――

 モンスターマニュアル――

 デモニウム・ピクトロリベロ――

 いろいろな呼ばれ方をするが、どの書物でも必ず1ページ目に書かれるのがコボルトであり、魔物最弱の存在でもある。

 十歳ほどの人間の子ども程度の体格で、頭が犬のそれ。

 身体はふわふわと茶色い体毛で覆われており、だらしなく口を開けている。そこには鋭い牙がいくつか並び、それと同時に舌がだらりと垂れていた。

 どことなく愛嬌があるのがコボルトという魔物なのだが……魔物は魔物。人間を襲う存在であるには変わらず、一匹でとことこと歩いてきたコボルトも武装していた。

 手に持っているのは小さな斧だ。随分とボロボロであり、単体で移動しているのを見ると、『はぐれ』というやつだろう。

 ゴブリンと並んで冒険者ルーキーに討伐される筆頭なのだが、未だに絶滅はしない。どこからともなく無限に沸いて出てくるのが恐ろしいものだ。


「よし、パル。倒してこい」

「えぇー!?」


 小さい声で驚くパル。犬の顔をしていてもコボルトは耳がいい訳でもなく、鼻もそれほど良い訳ではない。魔物最弱という称号は、本当にその通りなのだ。


「武器はある。相手はまだこちらに気づいてない状態だ。さぁ、やってみろ」


 つまり、バックスタブのチャンス。

 まだまだ距離がある上にコボルトの目指す方向は分からない。それでも、非常に有利な状況なのは確かだ。


「なに、失敗しても助けてやる。安心して処女を捨ててこい」

「え……あたし、コボルトに犯されるんですか……?」


 びっくりした顔で弟子が俺を見た。


「すまん……言い方が悪すぎた……」


 はぁ~、と俺は地面に顔をつけて息を吐く。

 少女に使うには、比喩表現が悪すぎた。反省する。というか、そういう知識はあるんですねパルヴァスさん。路地裏ってやっぱり過酷ですね。ごめんなさい。


「『殺し』を経験しとけ」


 もっとも――魔物と人間とでは、状況も気分も何もかもが違うだろうけど。


「わ、分かりました」


 パルはずりずりと這いつくばったまま前進すると、木の陰まで移動する。そこで一息つくと、立ち上がってコボルトの様子を見た。


「よし、いいぞ」

「――ツ!? びっくりさせないでくださいよ、師匠!」


 実は気配を殺して、パルの後ろにぴったりとくっ付いて移動していたのだが弟子を驚かせてしまった。


「すまん」

「もう! ちゃんと付いてくるのならそう言ってください!」

「はい」


 だって心配だし。

 仕方がないので俺はこの木で待つことにした。距離はかなりあるので……いざという時のために投げナイフを手に持っておく。


「行きます」

「おう」


 そこからゆっくりとパルはコボルトに近づいていく。コボルトの様子は、というと単純に林の中を横切っていくような動きだ。

 何かを探しに来たのでもなく、またさまよっている訳でもなく、単純に移動中らしい。

 向かう方向は街なのだが……


「斥候か?」


 いやいや、コボルトを偵察や斥候に使うとは、どんな判断だ? いくら魔物といえど通常の考えとは思えないので却下しておく。

 やはり群れからはぐれた魔物と考えるべきだろう。

 パルは少し迂回するように木々を移動していき、コボルトへ近づいていく。手には俺が渡した投げナイフを通常ナイフのように装備していた。

 うまく背後から攻撃をしかけられれば、パルの一撃でも充分に倒せるはずだ。

 幸いにも地面に落ち葉は少なく苔が多い。

 スキルまで昇華していない素人の『忍び足』でも充分に音は殺せる。

 気配遮断はまだまだだが……まぁ、コボルト相手ならば大丈夫だ。

 ゆっくりと、じりじりと、普段の倍以上の時間をかけて移動するパルは、すでに汗がにじんでいるようだった。

 無理もない。

 相手も自分も、暴力の象徴である刃を持っている。武器の大きさではなく、武器の威力でもない。単純に斬る物を持っているのが、より緊張感をあおる。

 それこそ、処女を捨てる、というやつだ。

 この恐ろしいまでの初めての経験は、必ず通らないといけない。その初体験は、安全であればある程に、今後が有利になる。

 知っているのではなく、経験したことがある。

 これが何より、存外に役に立つのだ。


「……」


 コボルトに、自分の間合いまで移動したパルは確かめるように手の中のナイフを見た。

 その一瞬で覚悟を決めたようだ。


「――フッ!」


 小さく呼気を吐き素早く移動したパルは、殴りつけるようにナイフをコボルトの延髄あたりに差し込んだ。


「浅い」


 俺は木から飛び出し、パルの元へ駆けつけるが――それより早く、パルは二撃目を、追撃の手を用意していた。

 どうやら、最初から一撃で終わらせるつもりが無かったらしい。

 前のめりにフラつくコボルトに前蹴りをくらわし、完全に倒してしまう。


「うわあああぁ!」


 そのまま倒れたコボルトの首元に刺さっているナイフの柄を踏みつけるようにして、トドメを刺した。


「――ッかは。はぁ、はぁ、はぁ、はぁ!?」


 林に、激しい呼吸音だけが聞こえる。

 倒れたコボルトから、反撃の様子も命乞いをする声も聞こえない。

 パルは自分の両手を見た。

 震える手に残ってる感触に嫌悪感をおぼえるように、両手を握り込んで、滝のように流れる汗と共に、自分の身体を抱きしめた。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ! し、師匠! 師匠!?」

「大丈夫だ。ここにいる」


 手のひらをギュっと握ったり、思い切り開いたりしてるパルに、落ち着け、と声をかけた。

 無理もない。

 生き物を刺す感覚というのは……そういうことだ。ましてや、自分と同じ大きさの生物を殺すのには、それなりに覚悟がいる。

 それが魔物であろうとも、感覚は同じだ。

 同じなのだ。

 平気で最初の一歩を踏み出せるのは、狂人か快楽殺戮者でしかない。


「大丈夫だ。それは、俺も通ってきた道だ」


 パルがまともで良かった、とも言える。


「は、はぁ、はぁ、んぐ……はぁ……はぁ……ふぅ」


 ようやく落ち着いたところで、倒れているコボルトを見た。

 地面にうつ伏せに倒れ伏したコボルトは、まるで闇に消えるようにその身体が黒く染まっていき、粒子となって空中に消えていく。

 これが、魔王領で生まれた魔物の死らしい。

 まともな生物とは思えない上に、そこに残される『魔物の核』。それが魔物の命の根源と言われている。魔物の正体が造られた生命だとか言われているが、魔王に聞いてみないと真実は分からない。

 コボルトは、その流れ出た血さえも消え失せ、最後に小さく茶色い石のようなものを残すのみとなった。


「師匠、これは……?」

「コボルトの石、と呼ばれるものだな。魔物はそれぞれ『核』を残す。コボルトならコボルトの石、ゴブリンならゴブリンの石だ。冒険者ギルドに持っていくと討伐の証となる。どうにも魔法の触媒になるらしく、相応の値段で買い取ってもらえるぞ。冒険者の中には、穴をあけてネックレスのようにした勲章として身に付けてるヤツもいるがな」

「そ、そうなんですか……コボルトだと、どれくらいになるんですか?」

「まぁ、10から15アイリスくらいか」


 銅貨15枚の価値。


「リンゴも買えないんですね。五匹くらい倒さないといけないのか……」


 最弱の魔物なので、仕方がない。

 なんにしても――


「処女卒業おめでとう」

「あ、ありがとうございます師匠。これで私も立派なレディですね!」

「おう。パーティドレスを着るにはちょっと早いがな」

「ふひひ」


 パルは疲れた表情をにじませつつ、健気に強気に笑ってみせるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る