~卑劣! 朝食の後は街の外へ~

 夜明けと共に目が覚めた。

 これも長く冒険者みたいな生活を続けていた弊害だろうか。ようやく天井のある部屋で寝ていたというのに、自然と目が覚めてしまう。

 まぁ、見張りを担当していた事もあるので、夜明けごとに目覚めていた訳ではないが。

 それでも、太陽が出ると同時に目が覚めた。


「まぁ、床で寝ていたせいかもしれんが」


 唯一のベッドを弟子に占領されてしまう、という失態。

 といっても、取り返すというのも大人げない気がするので、どうしようもないが。

 ぐぐぐ、と体をほぐすように伸ばす。硬い床で寝るのは問題ないのだが、やはり体がこわばってしまうのは仕方がない。

 次いで洗面台で顔を洗う。これこそ、野宿には無いありがたみかな。まぁ水が豊富にある場所だと、そのまま飛び込んだりするが……


「嫌なことを思い出した」


 まるで覗き魔でも見るような賢者と神官の視線。

 見ねぇよ。

 俺の好みから正反対じゃねーか、おまえら!

 ……と、堂々と宣言するわけにもいかないので現状がある。


「生きるのって難しいなぁ」


 顔を洗ってサッパリしたはずなのに、気分は落ち込んでしまった。


「はぁ」


 ため息をつきつつも、俺は真っ白になっていた聖骸布を装備する。身につけると自然と赤く変化した。


「おい、パル。起きろ」

「う、うん……んえ?」


 目を覚ましたパルは起きようとするが、混乱したかのように周囲を見渡した。


「な、なんですか、これ!」


 おはようございます、の挨拶も無しに彼女が聞いてきたのは、今更の物。じたばたともがくように手足を動かしている。


「ベッドだが」

「これがベッド……」


 今まで自分が寝ていたのを何だと思っていたのか。

 というか、昨夜は半分気絶していたのだろうか。


「すごい」


 改めて、ベッドのやわらかを確かめるように、パルはベッドへと寝ころんだ。


「ほれ、二度寝してしまう前に、さっさと朝の準備をしてこい」

「朝の準備ってなんですか?」

「……顔を洗ったり、髪を整えたり、トイレいったりだ」

「はい……?」


 なんとなく納得いかないような顔をしていた彼女は、それでも洗面所に向かってくれた。さすがにトイレは理解できているのだろう。

 そんな世話までしなくて助かったともいえる。


「朝ごはんは食えるか?」

「食べれます!」


 戻ってきたパルに聞けば即答だった。

 また食べ過ぎないように気を付けないといけないようだ。


「ふむ」


 俺はパルの顔を覗き込む。


「な、なんですか、師匠?」


 動けないほどに食べた結果でもあるのか、多少は血色が良くなったように思える。まだまだ手足の細さはそのままだが、やつれた顔はマシになったように見えた。

 顔を洗った際のしずくが残っていた髪を拭いてやりつつ、髪の毛を整えてやる。といっても、サラサラなのでそこまで梳いてやる必要もないか。

 しかし、長い髪をそのままというのも盗賊には不利に働きそうだな。特にこだわりが無ければ切ればいいが……ここまで綺麗で長いともったいない。


「ふむ」

「な、なんですか? キスですか? いいです! 覚悟できてます!」

「そんな覚悟してんじゃねーよ」


 俺はパルの額に手刀を軽くたたき込み、彼女の顔を離した。


「今日から修行を開始するからな。覚悟はいいか?」

「――は、はい!」


 頑張ります、と気合いを入れるパルの頭を撫でてやり、彼女を連れて宿の食堂へ移動した。


「おはようございます、エラントさん、パルちゃん」


 食堂の入り口では朝も早いというのにリンリーが笑顔で応対していた。

 多少は時間が経っているが、まだ夜明けに近い時間だぞ?


「……君は寝てないのか?」

「いえ、寝ましたけど?」


 どうしたんですか、という目で見られた。


「そうか……熱心に働くんだな。家に帰ってないのか?」

「ん? あぁ、まだ伝えてませんでしたね! わたしはこの宿の店主の娘です。正真正銘、本家本物の看板娘ですよ」


 えっへん、と彼女は大きな胸を揺らし――もとい、胸を張った。


「なるほど。夜遅いのも朝が早いのも納得だ」

「はい。パルちゃんも、おはようね」

「おはようございます」


 と、挨拶するパルの頭をリンリーはいい子いい子と撫でた。

 街一番の宿なだけに、食堂もそこそこ大きい。朝はメニューが限られているのか、パンの良い香りが食堂の外まで届いていた。


「はいはい、ひとり500アイリスだよ」


 食堂で忙しく働くおばちゃん。

 一食は銅貨の500アイリスのようだ。


「ふたり分で」


 ふたり合わせて1000アイリス。というわけで、銀貨一枚をおばちゃんに手渡す。


「はいよ。たーんとお食べ」

「ありがとう」

「ありがとうございます」


 おばちゃんにお盆の上に載ったパンと目玉焼きとウインナー、それにサラダとコーンスープのセットメニューを渡してもらった。

 そのままお盆を持って近くの席へと移動する。

 食堂にはちらほらと商人の姿があったが、例の豪雨事件の影響か、客足は少なそうだ。もちろん必ず食堂で食べる必要もなく、外に食べに行っても良い。いま食堂にいる人数が全てでは無いが……やはり少ないことは間違いない。


「美味しそう!」


 周囲を観察する俺とは違って、パルは朝食に釘付けのようだ。

 まぁ、これぐらいならば食べすぎるという事もあるまい。


「慌てて食べるなよ。しっかり噛むんだ」

「はい! いただきます!」


 あはー、と笑ってパルはパンを手に取る。そのままガブリとかじりつくと、蒼い瞳をキラキラとさせて、ほっぺたを抑えた。


「んふ~。美味しい……!」


 俺からしてみれば、普通に美味しいパンだ。焼き立てとバターの香りが素晴らしいが、それでもやっぱり普通のパンだ。

 しかし、パルにしてみれば極上の一皿にも思える表情をしていた。

 彼女にしてみれば、今まで食べたパンの中で一番美味しいパンであるのは間違いないだろう。それを加味しても美味しそうに食べる姿は、食堂のおばちゃん達も微笑ましく見ていた。


「師匠、めちゃくちゃ美味しいですね!」

「あぁ。そうだな」


 わざわざ否定することもあるまい。美味しいことには違いないのだから。


「ほら、慌てるな。こぼすともったいないぞ」

「あ、はい。気を付けます」


 ひとつの欠片も落とさないぞ、というパルの気迫はなかなかのもの。そんな風にして朝食を全て食べ終えた俺たちは、そのまま宿から出ることにした。


「ちょっと散歩に行ってくる」

「はい、いってらっしゃいませ」


 リンリーに適当に告げた俺とパルは黄金の鐘亭から出て、中央通りをまっすぐに歩いて行った。


「師匠、どこへ行くんです?」

「散歩を兼ねた修行だからな。広場や街中でやるわけにもいかないから、街の外へ行くぞ」

「外ですか」


 その言葉に、パルはちょっぴり緊張したような表情を見せた。

 街の外とは、そのまま危険地帯を表す言葉でもある。

 普通に魔物や危険な野生動物がうろつく場所。冒険者でもなければ、気軽に散歩なんて出来る訳がない世界が、外には広がっている。

 いくら孤児であっても、それぐらいは知っているのだろう。

 もしも外が危険でなかったのなら、孤児たちはとっくの昔にこの街を後にしていてもおかしくはない。新しい街ならば、新しい場所ならば、今とは違った物が与えられるに違いない。そう考えるのは孤児だけでなく、商人も冒険者も一般民も同じだ。

 しかし、誰もが簡単に移動できないからこそ、孤児たちは街の中でその生まれを呪うことしかできない。

 そんなものだ。

 それ以上でもそれ以下でもない。


「出るぞ」

「はい、お気をつけて」


 街の入り口を守る門番に適当に挨拶をして、俺とパルは街の外へ出た。入る時は厳重だが、出る時は適当だ。早朝だから尚更かもしれない。


「うわぁ、すごい……何も無いんですね、師匠」

「外だからな」


 当たり前と言えば当たり前のこと。

 それでも、自分たちより大きな壁に囲まれた街の中で生きてきた彼女にとって、人工物が何も無い外の世界というのは、感動に値したようだ。


「行くぞ、パル」

「あ、はい師匠!」


 歩いていく俺の後ろにパルが追いついてきた。


「それで、師匠。どんな修行をするのですか?」

「まずはこれだ」


 俺は親指で人差し指をくっつけて輪を作って見せた。


「?」


 なんですかそれ、というパルの質問が来る前に、その答えを見せてやる。


「盗賊スキルの基本。魔力糸だ」


 俺はくっつけていた指を離す。

 その間を糸を引くようにして、魔力で生成された一本の糸が人差し指と親指をつなぐのだった。

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