~卑劣! 笑うエルフ~

 不自然な明かりと不自然な壁。

 それに加えて、白く漂うような煙はタバコの香りがした。そんな状況にも関わらず、目の前の男はタバコを吸っていない。

 紫煙の発生源が不明になっていた。


「おいおい。俺はこっちだぜ、どこを見てやがる」


 盗賊の言葉に、俺は肩をすくめた。


「あぁ、だからそっちを見てるんだ」


 不自然な明かりと壁を、俺は見た。どう考えても不自然な位置にある壁。現状、この空間を上から見れば『凸』の形をしていることになる。普通に考えれば四角い空間をつくるはず。出っ張っている部分が不自然なのだ。

 パルも俺と同じく壁を見ていた。

 まだ何も教えていないというのに、なかなかやるじゃないか我が弟子は。まぁ、社会常識というか、なんかそういうのが無茶苦茶だけど。


「そこの壁、ニセモノですよね師匠」

「あぁ」


 盗賊スキル『みやぶる』、というところかな。なかなかどうして、パルの観察力も優れているようだ。


「ご明察~」


 そう聞こえたのは、壁の向こうから。まるで酒焼けを起こしたような女性の声が聞こえてきた。

 パチン、と指を鳴らす音。

 それと同時にカウンター奥にいた男の姿が消えた。どうやら幻覚だったらしい。壁と明かりも消えて、本当の盗賊ギルドの姿が見えた。

 今まで見ていたのは、あくまでも部屋の一角であり、本当の姿は偽壁の向こう側に広がっていた。といっても、見えているのはいくつかのテーブルとカウンターだけ。扉が一枚あるので、その向こう側が『本部』みたいな扱いになっているのかもしれない。

 そんな中で、ひとりのエルフがこちらを見ながらニヤニヤと笑っていた。

 キセルから紫煙をくゆらせ、椅子の上に右足を乗せている。


「ようこそ、盗賊ギルドへ」

「エルフが盗賊ギルドにいるとは……」


 森に住む妖精族のひとつ、エルフ。その特徴は葉っぱのように細長い耳だ。それに加えて、全員が美男美女という美しい種族でもある。

 更にエルフは寿命が無い。

 永遠に若く生きる彼らは千年も万年も生きており、神話時代の話をつい最近のように話す。若い頃の話だ、と爺のように話すその姿は、それこそ若者エルフとそう変わらない。

 もっとも。

 それは人間やその他の種族から見れば若いだけで、エルフから見れば充分に爺と婆らしい。

 見分け方は永遠の謎だ。それこそ、人間が永遠と感じるほどに。


「エルフだ……」

「珍しいのかい、お嬢ちゃん」


 こくこく、とパルは可愛らしくうなづいた。

 エルフというだけで珍しいのは分かる。

 だが、それ以上に――

 エルフが盗賊ギルドに所属している、というのがレア中のレアだ。

 エルフは森に住む者が多く、それこそ街に来る者は少ない。それに加えて、彼らは高潔な一族としても有名だ。自然を愛し、自然に生かされていると考えているエルフの文化に、卑劣という言葉はもっとも異端にして忌諱すべき事とされている。

 森での生活に退屈を覚える『変人』だけが街に出てきたりするものだが、それでもエルフはエルフ。その高潔な生き方を変えることがない。

 ましてやそんな彼らが盗賊になど、なるわけが……


「なっちまったものは、しょうがない」


 と、エルフの女性は肩をすくめた。


「もう一度言うよ。ようこそ盗賊ギルドへ。わたしはルクス・ヴィリディ。わたしをやさぐれエルフと言ったヤツは不幸な呪いが掛かるともっぱらの噂だから注意しておくれよ」

「……肝に銘じておくよ」

「あ、あたしも」


 ギロリ、と不健康そうな瞳でにらまれれば、俺もパルもうなづくしかない。

 彼女の言う『不幸な呪い』が、ただの噂なのか、それとも実力行使の結果なのかは……問うまい。


「よろしく、ルクス・ヴィリディ(うすい・緑)」


 その名の通り、ルクスの髪は薄い緑色をした長いものだった。胸を覆うだけの軽装で肌の露出が多いが、そこには黒の入れ墨が紋様のように彫られている。

 人間から見れば美形の多いエルフだが、ルクスが注意したとおり『やさぐれ』ているのか、目の下のクマが特徴的だった。なによりあばら骨がギリギリ浮いていない程度に痩せているせいで、肉体も貧相に感じる。

 とてもじゃないが、素直に美しいとは言えないエルフを……俺は初めて見た。


「それで、加入テストには合格できたのか?」


 ニセモノの壁を見破る。

 それが盗賊ギルドに加入できる条件かと思ったが……


「いんや、この程度じゃテストにすらならないよ」


 はん、とルクスは鼻を鳴らしキセルを吸う。赤く光るタバコの光は、薄暗い盗賊ギルドの中で不気味に目立つ。


「本番はこれからだ」


 だろうな、と俺も肩をすくめる。パルは俺とルクスの顔をキョロキョロと見比べた。どうやらパルだけは、これで合格と思っていたらしい。

 ちゃんと自分で見破れただけに、ガッカリしたのかもしれない。


「テストを受ける価値があるのかどうか、を見極めるぐらいだな。まぁ、盗賊ギルドの場所を特定できるほどには情報収集の力があると認めるが、それ以上となるとまだまださ」

「ふむ。で、何をすればいいんだ?」

「ふたり一緒でかまわないから、クラッスウスを探しな」

「クラッスウス(デブ)か。分かった」


 俺はそれだけを聞くとさっそく行動にうつす。

 バサリ、と首にまいた赤い布をマントのようにひるがえし、颯爽と盗賊ギルドから立ち去ろうとしたのだが……


「え、え、え、え? な、なんですかクラッスウスって? デブ? 太ってる人? え、あたしも探すの? 師匠?」


 パルが慌てた様子で、俺のマントをつかんだ。

 おかげで、ぐぇ、と情けない声を出してしまったので、仕方なく足を止めた。


「パル……」

「な、なんですか……」


 俺は黙ってエルフを指さした。


「ひ、ひひひ、ひひひひひひ、ひっひ」


 そこには不気味に笑うルクスがいた。お腹を抱えて笑っている。


「なんで笑われてるんですか、あたし」

「いや、笑われてるのは俺だ」

「はぁ……師匠が……? どうして?」


 パルが分かりません、と俺の顔を見た。


「今のやり取りを見てたか? そして俺を見てたか? どう考えてもカッコつけて立ち去る部分だろう。盗賊だぞ、盗賊。そして盗賊ギルド。こう、なんていうか、大人のやり取り、みたいな感じがあるじゃないか。おまえ、うろたえてどうするんだよ……」


 カッコ付けさせてくれよ、と俺はしゃがみこんだ。


「う……すいません師匠」


 パルは謝ったのだが、それがルクスのツボに入ってしまったらしい。


「あはは、あはははっはっはっは! いいじゃねーか師匠! 可愛い弟子だなぁ、おい。どんな関係なんだ、ちょっと教えておくれよ。くふふ、ひひひひっははははは!」


 バタバタと暴れるようにルクスは足を踏み鳴らした。


「さっき拾ったばっかりの関係だ。あまり語ることは――」

「自慢の師匠です!」


 ルクスがご機嫌だと思ったらしい。

 どやぁ、と語るパルのセリフは、エルフの浅いツボにクリティカルヒットしたようだ。


「だっはっはっは! やめろ、やめて、いひひひ! し、師匠! カッコつけないで! あはははあ、死ぬ、死ぬ、じぬぅ! いひひひひひひひ!」


 ……このエルフ、実は物凄い『ゲラ』なんじゃないか?

 それとも俺が、そんなにマヌケに見えるのか……?

 いや、見えるんだろうなぁ。

 そんな気がしてきた。


「な、なんで笑うんですか! あたしは真面目です!」

「分かってる分かってるから――おまえさん、おま、おまえ、あはははは! やめて、もうダメ、漏れる、漏れちゃう。あははあああ、苦しいいいい、んふふふふふ、あああはははは」


 もう悲鳴に近くなってきたぞ。


「ほら、弟子。行くぞ。早くしないと長命のエルフが笑い死ぬ」

「あ、はい」

「ふふ、ふへへへへ、行って、いってくださいおねがいじまふふふふふははははは」


 あ、ダメだこれ。

 もう懇願し始めたぞ。


「ぜったい合格しましょうね、師匠!」

「あ、はい。がんばりましょう」


 階段を登りながらパルが言った言葉が聞こえたんだろう。

 最後のトドメを刺されたような……

 そんな悲鳴にも似た笑い声が聞こえた。

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