~卑劣! 仁義を切るのは少女から~

「お控えなすって!」


 少女は膝を立て、座る。

 汚れ切った髪の隙間から蒼い瞳が見えた。

 その瞳にはまた希望が残されている。

 だが。

 だが!

 まるで俺を糾弾するように、蒼の瞳は引き絞られた!


「くっ」


 少女の言葉。

 少女の振る舞い。

 その意味を、その言葉を、その理由を――俺は知っている。

 知っているが!

 なぜ、この少女が!?


「し、失礼しやす。お控えなすって!」


 俺は少女と同じように膝を立て、地面へと座った。

 これは『義の倭の国』に伝わる旅人の伝統だ。

 文字が読めない旅人が、その存在が嘘偽りのない旅人であると証明する儀式でもある。


『仁義を切る』


 そう呼ばれている、一種の存在証明だ。

 簡単に言ってしまえば自己紹介。

 まるで儀式めいた、仕来たりに則した作法。

 究極のマナーとも言える。

 もっとも。

 貴族たちではなく、あくまで旅人や商人たちの間でのみ通じるマナーではあるが。

 だが。

 だが問題がある。

 そう。

 問題があるのだ。

 それは、この儀式めいたマナー作法は一字一句間違えてはいけない、ということ!

 間違えた瞬間、その者は旅人ではなくニセモノということになる。

 その昔――旅人という存在は貴重だった。

 危険と隣り合わせの世界をその身ひとつで移動を続ける人間は、それこそ稀有であり滅多に訪れることのない者でもある。

 旅人は各地を旅するが故に、情報を持っていた。

 その情報をもたらす貴重な存在であるために、村や集落は旅人に宿や食事を提供するのが習わしだった。

 貴重な周囲の情報や新しい道具などのアイデア、各地で起こっている災害、魔物や野生動物を退ける知恵などを提供する代わりに屋根のある寝床と食事を提供する。

 悪い言い方をすれば、旅人のフリをすれば誰でも一宿一飯にあやかれるものだった。

 だからこそ対策された。

 旅人でもない者が不当にせしめようとするのを防ぐ、一種の符合でもあった。

 そう――

『仁義を切る』とはすなわち、『嘘を見破る』ことでもある。

 自己紹介でもあると同時に。

 それは、嘘を看破することでもあるのだ!


「ありがとうございやす。どうぞ兄さんからお控えなすって」


 少女は淀みなく返した。まるで熟練の商人のように、スラスラと答える。

 くそッ!

 本格的に仁義を切る気か。

 俺も知っている。

 知っているが、それは知識だけのこと!

 実際にやったこともない曖昧模糊なものを、この場で実行しなくてはいけない!


「――ありがとうございやす。どうぞ姉さんからお控えなすって」

「手前、しがない孤児でござんす。どうぞ兄さんからお控えなすって」

「手前、旅中の者でござんす。どうぞ姉さんからお控えなすって」

「再三のお言葉、逆意とは心得ますが、手前これにて控えさせていただきやす」


 仁義を切るなんて、この国でやるとは思わなかった!

 くそ!

 少女は淀みなく答え返しながらも、俺を見続けている。

 続けなければならない。

 続けなければ、いけない。

 しかもここからが本番だ!

 俺と少女はお互いに右手を出し、手のひらを上へと向けた。

 思い出せ!

 こっからが本番だ!

 え~っと、確か――


「さっそくお控えくだすってありがとうございます。手前は粗忽者ゆえ、前後間違えましたらまっぴらご容赦願います」


 自分で言っておいてなんだが、ホントだよ!

 容赦してくれよ!

 あぁ~、クソ!

 まだまだ俺のターンが続く! 続いてしまう!

 ここからが本題の自己紹介だ。

 生まれと職業を言うはず!


「手前、生国は大パーロナ国、ジックス領、ジックス街。生憎と親は不明の孤児院育ちでございます。姓は無し。名は――エラント。稼業は無く、未熟の駆け出し者でござんす。以後、万事万端、お願いなんして、ざっくばらんにお願い申し上げる」


 よっし!

 切り抜けたぞ!

 ざっくばらんってなんだよ、まったく!


「ありがとうございます。ご丁寧なるお言葉、申し遅れて失礼さんにござんす。手前、姓は無し、名はパルヴァス。稼業も無く、未熟の駆け出し者。以後、万事万端、よろしく申し上げます」


 少女の名は……パルヴァスというらしい。

 パルヴァス(小さい)という名前か。その名だからこそ小さいのか、はたまた小さいからパルヴァスと呼ばれているのか。

 おそらく、後者だろうな。

 っと。

 まだ仁義を切る儀式は続いている。

 最後まで油断できない。


「ありがとうございます。どうぞお手をお上げなすって」

「あんさんからお上げなすって」

「それでは困ります」

「それでは、ご一緒にお手をお上げなすって」


 パルヴァスの言葉に、俺は顔をあげる。彼女も同時に顔をあげた。


「ありがとうございます」

「ありがとうございました」


 終わった。

 終わることが、できた。

 頭の奥から無理やり引っ張りだしてきたが……面白い文化なので、一応は、と覚えておいて良かった!

 まさかこんなところで役に立つとは思わなかった!

 しかし――


「ギルティ」


 と、パルヴァスは言った。


「なッ!?」


 ギルティ……罪だと!?

 ということは――


「どこが間違ってた!?」


 俺は思わず、そう口走ってしまった。

 その瞬間――しまった、と顔をしかめる。

 なにより、パルヴァスの口がにやりと歪んだからだ。


「ふひひ。旅人のくせに仁義を切るのに自信が無いなんて……ニセモノ確定だよね。ここまで出来たのに、ここまでやり切ったのに、それに疑問を抱いてるなんてニセモノの証だよ」


 パルヴァスは俺へと近づいてくる。

 してやられた。

 あぁ、くそ。

 油断した、ということもあるが……相手が少女だったということが、どうにも俺の中で甘さを招いたのかもしれない。

 なにより孤児。

 孤児の少女。

 あぁ、ちくしょうめ。


「……ブラフに引っかかるとは、俺もまだまだだ」


 まさか。

 まさかの、まさかだ。

 仁義を切る行為で、俺を旅人かどうか確かめてくるのかと思った。でも、狙いはそこじゃなかったわけだ。

 いや、『仁義を切る』に付き合った段階で俺の負けが決まってしまったのかもしれない。知らぬ存ぜぬを決め込めば、ブラフに引っかかることもなかった。


「はぁ」


 俺は手のひらで顔を覆い。

 大きなため息と共に空を仰ぐ。


「くひひ」


 そんな俺を、蒼い瞳の少女が意地悪く笑うのだった。

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