第四章

 六人と一体は迷宮最下層へと降りてきた。

「この扉の向こうが迷宮支配者ダンジョンマスターの間」

 最下層へ降りてきて少しだけ歩くと扉の前へたどり着き、雫那が説明を始めた。どうやらこの最下層の殆どの容積スペースが迷宮支配者の間に使われているらしい。

「今回の二人の少女と同じく、解錠ノ剣キークリフをどこかで手に入れた冒険者がこの迷宮を攻略しようとしているという情報を私は入手した」

 雫那の説明によると、少女たちのように義務教育機関中の者が長期休養を利用しての物見遊山的なものではなく、一定以上の経験も能力も持った手練れの冒険者達がこの迷宮の攻略を狙っていた。

「地下迷宮に入って生計を立ててる冒険者ひとたちって実在するものなんだね」

 そんなものは幻想物語フェアリーテイルの中だけなのかと陽子は思っていた。自分自身は異端審問官に追い掛けられるような身の上だが、それとは話は別だ。

「外の世界には結構たくさん不思議な施設がありますよ」

 隣にいるリュウガが説明する。陽子はリュウガの隣にいるのだが、堵炉椎や鬼越が感じるような絶対の恐怖は、何故か感じない。リュウガのいる反対側の陽子の腕にはその堵炉椎が抱き付いて震えているのだが、それは仕方ない。

「ただ、外の世界で起こる千年に一回の世界全土の水没をどうやって回避しているのか分かりませんが」

「ここへ来た冒険者たちも方舟艦の外の世界からやって来たのだろう」

 リュウガの説明に繋ぐように雫那が続ける。

「だが、それを確かめる術はない。彼らはこの扉の向こうへは行ったが迷宮支配者との接触後、動く死体ゾンビにも骸骨剣士スケルトンにも再利用できなくなった、とだけいっておこう」

 その説明を聞いてビクッと堵炉椎が震えたので、陽子は反対側の手を回して彼女の肩を抱いた。

「冒険者を迎え入れるにあたり、方舟艦ここの近海で行動していた貴官方の長へと迷宮支配者役を頼んだ」

「良く黒龍師団うちの師団長と交渉できたわよね。しかも了承してるし」

黒龍師団そちらを統括する鋼鉄の淑女からは、何かと要請を受けるもので」

 アリシアの問いに雫那はそう応える。

 自動人形が全てに優先させる二つの案件「機械神の常態維持」「自分達の代替品創造の探求」を達成させるために、迷宮仕事人という特殊な職種の者たちとは昔から付き合いが深いのだろう。

「ようは鋼の女神の尻拭いか」

「貯まっていた貸しをいくらか返してもらったともいう」

 雫那が少し口許を歪めつつ続ける。

「師団長には冒険者を追い払ってもらいたいと願った。侵入を計画した冒険者たちはほぼ山師のようなもので、この迷宮が預かるものを渡すには値しないと判断した。師団長はそれを了承してくれて、この迷宮支配者の間で迎え討ってくれたのだが」

「そこで問題の封印ね」

 アリシアが言う。そのおかげでフィーネ台地攻防戦という黒龍師団の総力を上げた一戦に、その師団長がいないという事態が起こったのだ。

「冒険者も持参した封印道具シールアイテムを用いて簡単に突破しようと思っていたらしいのだが」

 雫那はそこで一拍おいて続けた。

「貴官方の長は強すぎた」

 冒険者たちが今まで相手にして来た迷宮支配者の強さレベルであればその封印道具は問題なく効力を発揮し、この迷宮の制覇と財宝の所得に成功していただろう。しかし相手は機械神を運用管理する組織の長であり自身も機械神操士である。桁の計算を誤った冒険者は封印をかけた直後、人の形をしていない何かになってしまった。

「迷宮支配者を倒すことは叶わず、厄介な封印だけ残していった」

 雫那の説明に、陽子と鬼越は黄鬼から同じような話を聞いたのを思い出した。

 それから十年。

 キュアが自前で保有する解析機関などを使い、ようやく開封のための術式を組み上げた。

 そしてそれを持ってリュウガとアリシアの二人が、師団長の救助のためにここまで派遣されてきたのである。

「開けるぞ」

 事前説明はこれで終わり、後は現物を見ての補足だと、雫那が迷宮支配者の間へと繋がる扉を開く。

 地下に構築された迷宮内とは思えないほどに広大な広間の中央に、一人の男が踞っている。

 胴体に交差するように鎖が巻かれ、胸の辺りに錠前が付いている。封印道具だ。

 黒龍師団師団長、ガルア・ディアル。

 所在不明の師団長、その人である。

 当時の戦闘の様子を窺っていた雫那が説明するには、ガルアの体に封印の鎖をかけた瞬間、鍵が粉々に砕け散ったらしい。彼が内包するあまりにも強すぎる力が封印の要となる部品に流れ込み許容を超えた。後は封を強引に破ろうと逆に凶暴化してしまった師団長に冒険者も鍵と同じにされた。それが顛末。

「犬のひとだ⋯⋯」

 遠目から彼の顔を見た陽子が思わず呟く。

 そう、ガルア師団長は犬の獣人である。犬と狼はかなり違うが親近感が湧いてしまうのは仕方ない。

「オルトロス⋯⋯」

 その犬の獣人の右腕を見てゼファーが思わず口を開いた。

「カカシは知ってるの、あれ?」

 アリシアが訊く。自分たちの長を「あれ」呼ばわりである。

「片腕にもう一つの顔を潜ませる最強格の獣人ですぞ。魔術に精通するものであれば基本知識として持っているものだと思いまするが」

 あたしはあれに拾われたんだけどな――とはアリシアは思ったがあえて口に出さなかった。

 オルトロスとは元々が二首の犬の魔獣の名だが、彼の種族は右腕にも犬の頭部を潜ませるのでそのように呼ばれる。右腕が第二の犬の頭部となっている理由は、本人にも分からないらしい。

 右手の犬の頭部は普段は手の形に縮小しているのだが、それが常に発動状態になっているのは封印の強さを物語っている。ガルアも無意識の内に内側から封印を破ろうとしているのだろう。それが結果的に迷宮の最後の守護者としての力を向上させてしまっている。

「しかしあれが最強格ねぇ⋯⋯黒龍師団 うち には九尾の狐の遊び人レベッカっていう他にも強いのがいるから、そんなにエライもんだとは思わなかったわ」

「九尾の狐ですと! どれだけ精鋭揃いなのですか黒龍師団 そこ は!」

「そこにいる紅蓮の死神でっかいのの所属組織ってだけで推して知るべしでしょ」

「⋯⋯ですな」

「そろそろ行きますよ?」

 妙に弾んだ会話をしている二人には申し訳ないなと思いつつ、役目を果たさないと帰れないのでリュウガが促す(珍しい)。

「了解よ――といいたい処だけど、今のあたしは殴ったり走ったりの肉弾戦しかできないから遅れを取るわよ」

 それを受けてアリシアは自分の体調が全力戦闘には耐えられないのを素直に説明した(珍しい)。

「直前までこのゼファー卿と戦ってたのよ。魔力なんてカラよ」

 アリシアが案山子型魔法生物のことをごく自然に敬称付きで呼んでいるのに、主の堵炉椎を始め、陽子も鬼越も驚いてしまった。雫那もそうなのだろうが、魔術に精通する者たちからするとゼファーの実力は相当なものらしい。

 アリシアが出れないのならばリュウガ一人でもなんとかなりそうだが、片腕を負傷しているので誰か一人は一緒に相手をして欲しいところである。

「代わりに我輩がお手伝い差し上げたいところですが、我輩も雷帝アリシア殿との戦闘で魔力は殆ど残っておりませぬ。正直に申せば立っているだけで精一杯でございます」

 ゼファーが駄目ならば必然として堵炉椎も駄目、ということになる。

「アタシももう無理はできない」

 菖蒲の液体を浴びた鬼越も、立っているだけでやっとだ。

「仕方ありません。迷宮内の怪物には不可侵が絶対ですが、ここは私が」

「ボク⋯⋯が」

 禁を破ってリュウガの手助けをしようとする迷宮仕事人を止めるように、狼の獣人が手を上げる。リュウガが負傷する理由を作ってしまったのは自分なのでその責任も感じる。

「ボクの敏捷力だったら、あの犬の師団長さんのところにも近づけると思う」

「頼んで良いの、あたしの代わり?」

「うん!」

 アリシアの問い掛けに陽子は力強く応えた。

「⋯⋯」

 鬼越はさりげない動きで陽子から堵炉椎を離させると、代わりに自分の腕に抱き付かせた。

「お願いしますね犬飼さん」

 リュウガは持っていた開封の鍵を渡す。

「はい、預かりますムラサメさん」

 陽子は渡された鍵を握り締める。

「⋯⋯」

「⋯⋯」

「なんでしょう、あなたのことをさん付けで呼ぶと変な違和感を感じるのはなぜでしょう?」

「うん、ボクもあなたのことは呼び捨てとか『艦長』とかって呼んでいたような気がするのはなぜだろう」

「わたしのふねにあなたは砲手として乗っていて?」

「ボク鉄砲とか撃ったことないんだけど、そんな気がするのはなぜだろう」

 遠い遠い昔にそんなことがあったような気がする。

「相手はそれなりの驚異です。ここはしがらみなく行きましょう、ヨーコ」

 だからリュウガもそんな風に言い

「そうだね、リュウガ」

 陽子もようやく自分の居場所に辿り着いたように応えた。

 リュウガは背中に背負っていた長物を一旦下ろす。自分の身長とほぼ同じくらいの得物の鞘を抜き払うと床に投げ捨てた。鞘まで鉄で出来ているのか凄い落下音がする。

艦颶槌かぐづち、ではないですか紅蓮の死神殿が持っているのは」

「良く知ってるわね」

 ゼファーの博識に隣のアリシアの簡素な受け答え。

「帆船での大航海時代に敵船の船腹を切り裂くですとか帆柱マストを叩き折るですとか、そのような重戦用途に使われていた斬敵兵装ですぞ。普通は二人掛かり以上で扱う長重武器をあんな軽々と?」

「あいつは自分が持っている異能力と自分の両腕が同時に使えないから、それを補うためにあれを振り回すのよ、更正療養リハビリ代わりにね」

 リュウガは艦颶槌の柄を顔の右横に持ち上げる霞構えにすると、相手と対峙する姿勢を取った。

「これを盾代わりに接近します。わたしがしばらく相手をしますからヨーコはわたしの後ろに隠れて時機タイミングを見て、迷宮支配者が疲れて動きが鈍ってきたと思ったら飛びかかってその鍵を」

「うん」

 陽子も渡された鍵を口に銜えると、いつでも両手を床に付けられるように姿勢を低くする。

 リュウガが少しずつ接近を試みると、防御線の内側に入ったのか今まで俯いていた迷宮支配者の頭が持ち上がり目を見開いた。真っ赤に輝く瞳が二人を迷宮を汚す新たな侵入者と認識する。

「⋯⋯来る」

 リュウガがそう呟いた瞬間、迷宮支配者はのっそりと立ち上がった。二メートルを超える巨躯が二人を見下ろすように近付いてきて左腕を持ち上げると、今までの緩慢な動きからは想像もできない速度で拳が飛んできた。

「!」

 それをリュウガは艦颶槌の刀身の面で受け止めるが、あまりの威力に靴底が床を滑った。彼女は自力で動かない両腕を戦闘中にも動かすために、艦颶槌そのものを媒体にして電磁誘導と重力制御を場に滞留させる器として用いている。その結果として単純な筋力のみでは不可能な剛力が出ている。

 しかし迷宮支配者はそれを押し返した。普通の人間であれば一瞬にして形を変えられている威力だ。

 そして今度は右腕が飛んできた。巨大な犬の顔が剣ごとリュウガを飲み込もうかという勢いで向かってくる。

「ヨーコ逃げて!」

 これでは艦颶槌で受け止めても刀身に噛み付かれて粉砕されるだけだと判断したリュウガは後ろの陽子にも退避を指示し、リュウガと陽子がそれぞれ違う方向へ飛び退いた直後に、二人がいた空間を右腕の犬の頭部が通過した。

「ヨーコ、鞘を拾って!」

「うん!」

 鍵を銜えたまま返事をすると陽子は四つ足で床を駆け、リュウガが捨てた鞘の下へ一瞬で辿り着くと、それを拾って持ち主に向かってぶん投げた。

 リュウガは艦颶槌を左手だけで持つと飛んできた鞘を右手で受け取り、鞘の方を今度は迷宮支配者に向かって構えた。

 右腕の犬の顔の噛み付きと左拳の殴打を、リュウガは鞘で応戦し始める。艦颶槌は鈍器としての威力の方が大きいが刃も付いているので裂傷力もある。だから相手を無用に切り裂かないように武器を持ち替えた形だ。艦颶槌の鞘は長大な刃を安全に輸送するために鉄拵えとなっており、主兵装を失った際の予備武装にもなる。剣も鞘も両方鉄製ではその運ぶ時に無理が生じるのではと思われるが、リュウガは普段から電磁誘導と重力制御を用いて運んでいるので、重さに関しては然して問題にしてはいない(本人のみは)。

 そして左手は艦颶槌を持ったまま。動きに合わせて重量バランスを取るための支えとして使っているので二刀流として使っているわけではないが、両手双方に掛かる重量を考えれば二刀流以上のことをしている。

(しかし⋯⋯なかなか隙が見つからない)

 相手がただ倒せば良いだけの敵であるならば、機械神を破壊するほどの火の力で消し炭にしてしまえば良いだけなのだが、そういう訳にはいかないので間合いを取り続けている。

 このように打ち込みを続けていけば何処かで相手も崩れるかと思ったが、十年もの間この迷宮支配者の間で侵入者を迎えるべく座していたのである。封印の力の恩恵で、何らかの超自然的な栄養補給や体力回復がなされているのは間違いなく、このままでは千日手にしかならない。

「リュウガ! 一旦退いて!」

 どうしたものかと思っていると陽子が銜えた鍵を外して呼んでいるのでリュウガは一度後退した。迷宮支配者もある一定のラインを超えるとそれ以上追ってこない。相手もこの時機で失った体力の回復をしているのだろうか。

「どうしました」

「このままじゃ決着が着かないから作戦を」

 リュウガが後退の理由を訊くと陽子は作戦を耳打ちする。

「それってわたしがとんでもないくらいのバカヂカラってことが前提の作戦ですよねぇ?」

「⋯⋯ダメ?」

「いいですよ」

 リュウガは苦笑しながら鞘を再び捨てると、今一度艦颶槌を両手で霞構えで持つ。そして今度は迷宮支配者の目前まで一気に突っ込んだ。剣を振れば切っ先が触れる距離で急停止するとそのまま勢いで霞構えから艦颶槌を頭上で旋回させる。そしてその途中で時機タイミングを見計らった陽子が、再び鍵を銜えながら旋回中の刀身の面に飛び乗った。

 リュウガは陽子ごと艦颶槌を迷宮支配者の目前の床へと打ち下ろす。

「!?」

 その奇をてらったトリッキーな動きにさすがに迷宮支配者も反応しきれず陽子は左腕に取り付くことに成功した。そして銜えていた鍵を左手で持つと胸の錠前目掛けて差し込もうとする。しかし同時に右腕の犬の頭部が陽子を喰らおうと襲い掛かる。陽子の鍵と右腕の牙、どちらが早い。それは陽子にも分かっていた。相手の方が確実に早いことは。だから最初から半身が持っていかれるくらいの覚悟で艦颶槌で投げ飛ばして貰ったのだ。

 しかし陽子の体に牙が届く直前に迷宮支配者の体が揺れた。鍵穴を狙っていた陽子の左腕も少しずれる。

「ダメですよ無茶しちゃ」

「!」

 リュウガが迷宮支配者の右腕の犬の頭部を抱え込んで動きを止めていた。陽子を艦颶槌で投げた後、その艦颶槌を捨てて陽子の後を追って自分も飛び込んでいた。

「ぐ、がぁ!」

 しかし迷宮支配者は犬の獣人、本来の顔にも殺傷力の高い牙が生えている。両腕を抑えられた迷宮支配者が、目の前の陽子を噛み砕こうと口を開くが

「そう、今のあんたは一人じゃないんだから無茶するな」

 迷宮支配者の後ろからアリシアが飛び付いて頭を締め付けた。

「遅れは取るっていったけど、殴る走るの肉弾戦はできるともいったでしょ」

「アリシア⋯⋯さん」

「あたしも呼び捨てで良い。あたしの覚えてるリュウガのふねには確かにあんたが砲手として乗ってた。だから今さらさん付けなんかされたらこそばゆくて仕方ない」

「うん⋯⋯ありがとアリシア!」

 陽子は二人に動きを封じられて身動きができなくなった迷宮支配者が胸に下げる錠前に鍵を突っ込むと勢い良く回した。それと同時に体に巻かれた鎖が粉々に吹き飛び、その勢いで組み付いていた三人も吹き飛ばされた。


「ご無事ですか師団長」

 床上に踞る犬の獣人――ガルア・ディアルにリュウガが尋ねる。

「早く目を覚ましなさいよ、十年なんて寝すぎよ寝すぎ」

 その隣で覚醒直後の自分たちの長にアリシアが文句を付ける。

「⋯⋯誰だ、お前たち?」

「リュウガです」

「アリシアよ」

「⋯⋯はぁ!?」

 ガルアはそれを聞いて一気に目が覚めた。

「お前ら⋯⋯本当にあのふたりなのか?」

「そうだっていってるでしょほら!」

 アリシアは頭の上の猫科の耳が見えるように頭頂を突き出した。人前であまりやりたくないのだが、腰の後ろの尻尾も振ってやった。

「⋯⋯そうか本当にアリシアなんだな⋯⋯そしてそっちのウスラデカイ方がリュウガなのか」

「ウスラじゃないですけど確かに大きくなりました」

「⋯⋯二人とも随分と成長したもんだな⋯⋯何を食べればそこまでデカくなれるんだ?」

「そういう時は『随分と美人になったな』とかって感想を述べるのが礼儀なんじゃないの師団長?」

 アリシアの呆れた物言いに隣のリュウガがクスクス笑っている。

「それとお前ら、あの凄い美人はどっから連れてきた」

 ガルアが陽子の方を見ながら言う。

「⋯⋯ボクってそんなに美人なんですか、やっぱり?」

 陽子が当惑気味に応える。

「お前は自分の顔を鏡で見ないのか?」

「鏡は毎日見るけれど、普通の人間に囲まれての生活だから自分の顔の良し悪しは分からないです」

「まあ、ここは方舟艦という閉鎖世界だからな。そうなるのは仕方ないか」

 ガルアはそういいながら二メートルを超える巨体を立ち上がらせた。

「すまんが、誰か包帯を持っていないか?」

 右腕の犬の頭部が小さくなっていき(それでも左腕より一回りは大きいが)三本指のゴツゴツとした手の形となりながら周囲の者に訊く。

「ここに」

 雫那がリュウガに巻いたものとは別の新品を差し出した。

「巻きましょうか」

「いや、いい。自分でやる」

 ガルアは包帯を受け取ると左手だけで器用に右手に巻きはじめた。

「それはさておき、俺はどれだけ封印されていたんだ?」

「十年です」

 ガルアの問いにリュウガが改めて応える。

「十年、か⋯⋯」

 包帯を巻き終えて口と左の指で縛りながら言う。

「副長には随分と悪いことをしたな」

「そうよ、どれだけ迷惑かかってたと思ってるのよ」

 アリシアが言う。フィーネ台地攻防戦のことも説明してやりたいが、話が複雑すぎるので今はできないのが非常に悔しい。

「まずは本拠地に戻り色々と訊かねばならんことが山積みのようだが、先ずは」

 ガルアがそういいながら陽子の方へ顔を向ける。

「お前、機械神操士をやってみる気はないか?」

 なんの脈略もなくそのように話を降られ陽子も「はい?」な顔である。

「俺がこの方舟艦まで来たのはその周囲を回遊しているという機械神八号機の所在と動向を確かめに来たのがそもそもの理由だ。その流れで迷宮支配者の役を引き受けたらこんなことになってしまったが」

 雫那が少し申し訳なさそうな顔になるが、気にせず話を進める。

「お前は美人だがそれ以上に体の中に持っている何かを感じた。機械神がお前を操士として認めるだろう何かを。俺には分かる。そうでなければ機械神を取り扱う組織の長なんて任されていない」

 厳粛な雰囲気を纏い、黒龍師団師団長が言う。

「お前が引き受けてくれるのなら俺の権限で機械神操士補の役職をやっていい。どうだ?」

「⋯⋯その仕事を受けるとするとボクはこれからどうなるんです?」

 陽子自身も興味が有る無いではなく、その誘いを聞いた瞬間に宿命のような何かを感じた。リュウガとアリシアとは遠い昔にお互い呼び捨てで呼びあうほどの仲であった――そのように心が動くのと同じ感覚。

「八号機を追ってもらいたい」

 ガルアが簡潔に説明する。

「俺が途中にしてしまった仕事を継承してほしい。方舟艦出身の者に任せられるのなら話は早くなる。故郷であるならば八号機が普段潜んでいそうな場所もなんとなく検討がつくかも知れんしな」

「⋯⋯考えさせてもらって良いですか」

「構わん。お前も長寿の家系だろう。時間などあってないような概念。答えはいつでも良いぞ」

「⋯⋯」

「さて、直ぐにでも本拠地に帰りたいところだが、この地に残した事後処理も色々あるだろうからまだ戻れんな。まずはここでの前線基地になる滞在場所の確保か」

「それならあたしのふねを使わせてあげるわ。第弐海堡の桟橋に係留してある」

「あたしの艦ってなんだ?」

「オルタネイティブフォルテシモ。あたしが方舟艦隊ここへ来るのに乗ってきた艦よ」

もう一つの最強オルタネイティブフォルテシモ? それは機械神十二号機が戦艦型へと可変した時の艦名じゃないか。所在不明の空の街の動力に使われているままの十二号機をどうしたっていうんだ? 同名の別の艦でも新造したか?」

「その空の街まで出向いて回収してきたのよ、そこのウスラデカイのと一緒にね」

 リュウガは好まない呼ばれ方に困った顔をしつつ「まぁ、そのせいで空の街は墜落しましたけど」と、付け加えた。

「空の街が墜ちて十二号機を回収!? 俺がここにいる間に外では何が起こってるんだ!?」

「十二号機をぶん盗ってきたのなんて外の世界で起こったことに比べればオマケみたいなものよ。詳しくはあたしの専用機アムドゥシアスの中で話してあげるわ」

 そうアリシアに促されガルアは一先ず迷宮支配者の間を後にしようとする。雫那が補足する説明をするために後に続く。

「陽子も含め、なぜ我々には機械使徒操士の案内状は届かなかったのだ?」

 艦颶槌を鞘に納めてとりあえず自分も迷宮から出る準備をしているリュウガに鬼越が問う。

「自分たちはここに進入を果たした小娘たちより余程操士としての職に向くと思うのだが」

「自力でそこまで辿り着けそうな者にはあえて配布しない。自動人形とはそんな考え方です」

 その自動人形が育親しとねおやであるリュウガは簡潔に説明した。恵羽と葉音にも片方にしか届かなかった。そこで既に選別は始まっていた。いかにも自動人形らしいやり方だと思う。

黒龍師団わたしたちの本拠地では機械使徒操士の募集自体はいつでもやっているんですよ。ただ、それを知らないが余りにも多いので、自動人形が世界を回ってやりたそうな娘を見つけては案内状を置いていくんです。だから自力で本拠地まで来れそうなあなたのような人には自動人形は最初から配らないんですよ」

「アタシが応募したら機械使徒操士候補生くらいにはしてもらえるのか?」

 鬼越が更に問う。

「そうですね、あなたの身体能力でしたら機械神操士わたしの持ってる権限で操士補くらいにはすぐにしてあげられますね。ただ機械使徒の操作を覚える前に白兵部隊として他に色々とやってもらう仕事が増えそうですけど」

「それでも構わない。アタシは見聞目的で里の外に出された。その目的を達するには黒龍師団に身を置くのが一番だと判断するので」

「わかりました。あなたの願いは無下にはしません」

 リュウガはそういうと、艦颶槌を背負い師団長たちの後に続いた。

「鬼越さん、行っちゃうの?」

 後ろから近付いてきた堵炉椎が訊く。誰かに抱き付いていなくとも大丈夫なくらいには心も回復した。

「あの大女にも話したが、アタシの目的は世界を見聞しそれを里に持ち帰ること。それを考えれば黒龍師団という組織に属するのが一番良いと判断できる。だからこの機会を逃したくない」

「それに犬飼さんも誘われてたし」

 堵炉椎が心配そうな声で言う。

「ボクは⋯⋯」

「アタシは元から自分の目的を主軸にして行動していた。その軸を置く最適な場所が黒龍師団というものに定まったに過ぎん。だから陽子おまえの方の誘いは自分自身で答えを出せ」

「⋯⋯ボクは」


 ――◇ ◇ ◇――


 迷宮入口付近に置いておいた荷物を回収した恵羽と葉音は私服に着替えると、とぼとぼと家路へ通じる道を歩いていた。

 恐怖というよりも驚愕の方が大きかったように思う。とにかく驚きの連続だった。

「私、あの背の大きい女騎士みたいな人に膝枕してもらったんだな⋯⋯」

「⋯⋯私は、あの虎みたいなお姉さんが膝枕してくれてたんだよね」

 二人とも頭の後ろに手をやって柔らかい感触を思い出してみる。

「なんだか機械使徒操士になるって目標の前にとんでもない夢を叶えちゃったような気がするのは気のせいかな⋯⋯」

「気のせい⋯⋯ってことにしておこう! なんか怖いから!」

「うん、そうだね!」

 二人の物語はもうすぐ始まる。

 だから今は、随分と多く残ってしまった夏休みで鋭気を養おう。

「海、見に行きたいね」

「じゃあ明日行こう!」

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