たびだちのためのおわり

「じゃあ一回練習するから、二回目に飛ぶときが本番ね」

 夏休みの高校の校庭。レーシングウェア姿の陽子が佇む前には走り高跳びの競技道具が用意されていた。少し離れた場所では制服姿の堵炉椎が笛を持って立っている。

 気温が高くなる一歩手前の時間帯。朝練と称して道具一式を貸してもらった。クラス委員長である堵炉椎が使用届けを出してくれたので、手続きは滞りなく進んだ。

「⋯⋯」

 練習であるからか陽子は特に掛け声を上げることもなく走り出した。

 ゆっくり走っているように見えて空気を切り裂くような疾走感。安定した高速からの跳躍。まるで風にふわりと乗るように陽子が飛ぶ。

 尻尾がバーを軽く撫でる。でも落ちる気配はない。この場の風の動き全てを陽子は支配している。

 マットの上を着地の勢いのまま転がると、そのままの流れで胴のバネだけでとび上がりマットの横に優雅に降り立つ。バーは陽子の尻尾に少し撫でられたのにも気付いていないように微動だにしていない。

「ダメだね。これは競技じゃなくて演技」

 見事な出来パフォーマンスの跳躍に陽子自身は駄目出し。しかしその顔は晴れやかだ。

 陽子は再びスタートラインに戻る。

「いきまーす!」

 今度は本番らしく右手を上げて走り出す姿勢を取る。そして最初の一歩を駆け出すと急に走力を落とし普通に歩きだした。

「⋯⋯」

 静かに歩を進める陽子の胸の中には様々な想いが去来していた。

 そしてバーの目前に到着すると

「今までありがとう。そして」

 陽子は背伸びしてバーに口付けするとそっと押した。

「バイバイ」

 陽子が別れの言葉を告げると同時にバーはマットの上に落ちた。

 ピーッ!

 笛が鳴る。

「犬飼、アウト」

 涙ぐみながらの堵炉椎のその声を、陽子は花が咲いたように輝かしい笑顔で聞いた。


 ――◇ ◇ ◇――


 別れの場所はミカの家の神社にした。

 校舎や寮の玄関も考えたが、そのような公舎はいずれは建て替えられて無くなってしまうものだから、悠久のときの流れの中でも変わらないであろうここを選んだ。

「しっかし手水場ちょうずば見て逃げ出してた二人が機械神を追う仕事なんてね」

「逃げ出そうとしていたのは狼女ヨーコだけだぞ」

赤鬼ミユキだって火傷するかも知れないっていってたよ」

「まぁ、得意ではないのは確かだ」

「お互いにね」

 黒龍師団師団長が滞在するアリシアの艦が停泊する第弐海堡に出向いた陽子(何故かすんなり通してもらえた)は、機械神操士補になることを受け入れるのをガルアに伝えた。

 自分にとっての普通の日常がそこにはあるからと、陽子も思えたから。

 そんな陽子が決心を胸に秘めて第弐海堡まで行ったというのに、そこには既に機械使徒操士の制服を着た鬼越が待っていた。

「遅かったな」という鬼越らしい挨拶に「朝のランニングをちょっと走りすぎてね」と陽子らしく返した。

 希望通り機械使徒操士候補生の一人にしてもらえた鬼越は、機械神操士補となった陽子に着いて機械神八号機を追うことになった。リュウガの予想通り操士としての習熟を通り越しての早速の白兵部隊配属である。

 いきなり二人の階級に差がついてしまったがお互い気にした様子もない。

 二人ともこれからは第弐海堡の黒龍師団駐屯地を活動拠点とするので、持ち歩く必要のない私物は実家に送り(鬼越の分は鬼貫が取りに来てくれた)寮や校内の身辺整理は済ませた。八号機の回収に成功すれば、いずれはそこすら離れて黒龍師団本拠地へと行くことになる。

「まぁ、いつになるか分からないとは思うけど、本拠地向こうに着いたら違うイレモノの私によろしくいっといて」

「は?」

「だから巫女小噺ギャグよ巫女小噺ギャグ

「⋯⋯」

 解りにくすぎる小噺を操る巫女の隣では堵炉椎が俯いて立っていた。

「⋯⋯二人ともせっかく友達になれたのに」

「狼女はともかく、鬼が友人にいては普通の人間であれば苦労するだけだぞ」

 鬼越が苦笑しながらそういい、隣では陽子が「わははは」と笑う。

「その苦労だって私にとっては大切な宝物よ。それに私はもう普通の人間じゃないわ」

「お前も着いてきたいのなら着いてきて良いのだぞ堵炉椎よ? 機械使徒操士を目指すのは誰でも自由だ」

 鬼越の申し出に堵炉椎は首を横に降った。

「今の私じゃ着いていっても二人の足手まといになっちゃう。それは嫌よ」

 そういいながら斜め後ろに立っているカカシの方を見る。

「まずはゼファーがいなくても、一人でなんでもできるようにならないと。悔しいけどゼファーがいないとなんにもできない」

「娘殿も強くなりましたではありませんか。もっと御自身を誉めて下さいませ」

 ゼファーの優しい言葉に、しかし堵炉椎は再び首を横に振る。

「魔法少女って、魔法少女と魔法生物カカシさんの二人組での活動が鉄則じゃなくて良いの? しもべ無しでもだいじょうぶ? 僕なしで強くなれる?」

 陽子が疑問に言う。

「ゼファーもいってたけど水上保安庁の人たちの実力も上がってきたから魔法少女は傭兵家業からは引退でも良いのかも知れないの。それでもダメなら先代母さんに復帰してもらって押し付けちゃうわ。とにかく一人でつよくなれる努力をしないと」

 堵炉椎が再び二人に顔を向けながら言う。

「だから二人に追い付くのはそれから」

 堵炉椎はそこで少しだけ笑顔を見せた。

「わかったよ。ボクたちはいつでも待ってる。追い付けそうだと思ったらいつでも来て!」

「うん」

 堵炉椎は大きく両腕を広げると二人まとめて抱きついた。

 悲しいし辛いけど、二人の友人として二人を送り出せるこの幸せは自分で得たもの。それは真実。

「いってらっしゃい二人とも」

 二人から離れると堵炉椎は別れの言葉を告げた。後ろではミカとゼファーも静かに見送る。

「ああ、いってくる」

「うん、いってきます!」

 そして二人は旅立ちの言葉を残して背を向けた。

 これから始まる更に激しき日常の世界へと二人は進み。

「さあ、どんな物語が待ってるのかな!」

 


 ――灼熱の犬飼さん おしまい――

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