第三章

「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯」

 全力疾走で通路を駆けた恵羽と葉音はぶち破る勢いで扉を開くとそのままの勢いで外に出た。

「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯どうしよう、荷物置いてきちゃった⋯⋯」

 膝に手を当てて息を吐く恵羽が開け放たれたままの迷宮の扉に目を向けながら言う。

「⋯⋯はぁ⋯⋯はぁ、しょうがないよ、ちょっと休んだら時機タイミングを見計らって取りに行こう」

 背中で息をしながら葉音も扉の方を見る。

「あれ、先客の方ですか?」

 その時、荒く息を整える二人の上から声がした。

「!?」

 二人同時に驚いて見上げると

「!!」

 凄まじく長身の女が二人並んでいた。一人は180cmはあるだろうし、もう一人も170cmは確実に超えている。二人とも黒を基調とした揃いの服を着ており、軍服と騎士団服を合わせたような気品を感じられる制服に身を包んでいる。

 大きい方の女は物静かな顔をしているが、内に秘めた何かが危険な存在であると警鐘を鳴らす。

 そしてもう一人は

「虎女!?」

「外にも怪物モンスターが!?」

 頭の上に載る猫科の耳が特徴的な亜人を見た瞬間、二人は迷宮内からの追手に追い越されたのかと思ってしまい、思考の許容範囲を超えてその場に倒れた。

「アリシアを見て気絶しましたよね?」

「リュウガのことを巨人族とでも間違えたんじゃないの?」

「わたしはそこまで大きくないですよ」

「あたしだって虎じゃなくて猫よ」

 リュウガとアリシアは目的の迷宮に到着した途端、なぜか新米冒険者を倒してしまった。手も触れずに異能の力も魔法を使うこともなく。

「この盗賊っぽいのは『外にも怪物が』っていったわよね」

 目を回す葉音を見下ろしながらアリシアが言う。

「キュアから聞いていた話とは違いますね」

自動人形あれの説明だと『迷宮には迷宮支配者ダンジョンマスター迷宮仕事人ダンジョンワーカーズしかいない』、そのはずなんだけど」

「このたちに聞いてみますか」

「それが得策ね」

「それにしても可愛い戦士と盗賊ですね、持って帰りたいですね」

「ご自由にどうぞ」


「⋯⋯う、うん⋯⋯?」

 恵羽は目を覚ます。頭の下に柔らかい感触がある。

 とても安心できる心地好さ。家のベッドの枕だろうか。

「気がつきました?」

 その声で現実に引き戻された恵羽は、頭上に先ほど遭遇した長身女性二人の大きい方の顔を見た。自分を覗き込んでいる。

「ぎゃーっ!?」

 一体何が起こっているのか分からないまま恵羽は体を起こす勢いで飛び退いた。

「そういうときは『ぎゃー』じゃなくて「きゃー」ですよ女の子なんですから」

「紅蓮の死神の膝枕なんて滅多にないってのにもったいないわね」

 リュウガの向かいにはアリシアが腕組みして座っている。膝の上には気を失ったままの葉音の頭。

「⋯⋯うう、⋯⋯うん⋯⋯え、⋯⋯――ぎゃーっ!?」

 意識が戻って瞼を開いた瞬間、鋭い眼光とその上の猫科の耳を見た瞬間に、飛び上がる勢いで起きるとアリシアの膝上から逃げ出し恵羽の隣に逃げ込んだ。

「まったく二人とも悲鳴が汚いわね」

「では次はわたしがアリシアの膝枕に――」

 アリシアはリュウガの頭頂部に無言でゲンコツを食らわせると、立ち上がった。

「二人に訊きたいことがあるんだけど」

 そういいながら抱き合って震える二人の目前に立つ。本物の虎のごとき迫力の彼女が目の前に来れば、二人は射竦められたように半泣きで固まるしかない。

「もうアリシアってばそれは交渉じゃなくて脅しですよ」

 リュウガが頭をさすりつつ言う。二人はガタガタ震えるばかりで会話が成立しそうにない。リュウガも立ち上がるとアリシアの隣に来たが、目線を合わせるように立て膝でしゃがむ。

「怖がらせてごめんなさい。でもあなたたちを襲うのが目的なら、もう既に二人の体はこっちのおっかないお姉さんのお腹の中に消えているはずですよ」

 アリシアが「酷いこというな」という顔になるが、話の邪魔はしない。

「わたしたちは二人と同じようにこの迷宮に入れる有資格者です」

 リュウガはそういいながら自分が所持する解錠ノ剣キークリフを見せた。

「⋯⋯あ」

 それを見せられて恵羽も葉音も急に恐怖や敵愾心が消えてきた。アリシアも腰の後ろに着けていた同じものを見せると二人の震えも止まる。

「⋯⋯お姉さんたちも私たちと同じ冒険者?」

「王のめいを受けて迷宮に用事を済ませに往く直属の師団員――そんなところです。だからこの解錠ノ剣キークリフはその時に渡されたもの」

 正体をぼやかしたギリギリの言葉を選んでリュウガは自分たちの立場を説明した。相手が怯えている場合に虚言ばかり使っては、極限まで高くなっている生存本能で見破られて再び相手を怖がらせるだけで、また話が進まなくなる。

 恵羽と葉音はその説明を聞き、相手が着ている制服が確かに騎士団や近衛団が着てそうなものだったので、本能で築いた障壁が徐々に崩れてきた。解錠ノ剣キークリフがその時に支給されたのなら、それなりに信用できる組織が預けたということにもなる。

「二人を我々よりも先にこの地下迷宮に突入した先達と見込んで、中の状況を教えて欲しいのです」

 長身でそんな衣装の彼女にかしずかれて、そんなにも粛然とした雰囲気でお願いされたら、先程は怪物モンスターと間違えたのはどこへやら、美麗な女騎士にでも頼まれたかのように首を何度も縦に振る恵羽と葉音であった。


「地獄の魔王の現し身の女子高生?」

 二人の説明をリュウガがおうむ返しに聞く。

「じょしこうせいってなによ?」

 アリシアが口を挟む。

「ミドルスクールの次の学童群体だったはず」

「ああ、ハイスクールガールってことね。高等学校生徒の女の方を方舟艦の中ではそんな風に呼ぶのか」

「アリシアは知らなかったんですか、いつも解析機関の前に座ってる勉強家ですのに」

「必要の無いものまで学ぶのは勉強とはいわない。それはただの無駄な暇潰し」

 アリシアの博識は情報取得選択の賜物であるらしい。

「最初は悪の魔法少女ドロシーサタナキアとして現れて、その剣を見た瞬間に女子高生に変身して一旦退き、次に現れた案山子型魔法生物を蹂躙?」

 アリシアは恵羽から小剣を貸してもらい調べていた。

 刀身から滲み出る忌避感。忘れもしない、自分の生まれ故郷で感じたあの感覚だ。この剣の製作者は間違いなく、空の街を根城にしていた魔女あたしたちの創造主だ。

「魔法少女形態よりも女子高生形態の方が強い⋯⋯ということですかね?」

悪の魔法少女ドロシーサタナキアとしての姿は力を封じておく鎖のようなもの?」

 アリシアはそういいながら小剣を恵羽に返した。恵羽はそのまま取られちゃうんじゃないかと思って冷や冷やしていたが杞憂に終わった。

「魔王もだけど、チビッコたちの腰回りの装備を綺麗に落としたっていう案山子型魔法生物も気になるわね」

 その話になって思わずお尻の辺りに手を当てて防御姿勢になってしまう恵羽と葉音。

「悪戯目的で魔法が使えるなんて相当な手練れよ。真面目に本気で魔力を使ったらどれだけの力があるのか検討もつかないわ」

 しかもそんな怪物が入ってすぐの地下一階にいたというのである。

魔女オリジンの誰かが作ったか、魔王が地上で行動するための補佐として自ら作ったか。とにかく面倒な相手には間違いない」

「そうですね⋯⋯。でも、とにかく行くしかないですね」

 突入前の話し合いはこれで十分かと、話に付き合わされている恵羽と葉音の方にリュウガは向き直った。

「わたしたちはこれから目的を果たすために、迷宮に突入します。二人はこれからどうします?」

「う、うちに帰ります!」

 即答である。

 荷物を迷宮に入って直ぐの処に置いたままなのを説明すると、わたしたちが迷宮に入ったら取りに行きなさいと言われた。これでようやく開放される。

「ちょっと待ちなさい」

 と、思ったら、猫科の亜人おっかない方に呼び止められる。

「あんたたちの若さでこんな地下迷宮なんてところに入ろうってことは相当な覚悟があってのことよ。それだけの代価となる目標――夢があってのこと。あんたたちの夢ってなに?」

 いくら自宅に解錠のための道具アイテムがあったとはいえ、危険が蔓延はびこる地下迷宮に降りていく勇気は相当なことだ。

 年端も行かぬ少女たちをそこまで動かしたものは何かと、アリシアは気になった。

「この迷宮の近くに冒険者の甘味処――じゃなかった冒険者の酒場を作ること⋯⋯」

「それの資金を作るために機械使徒操士ってのになって外の世界に出ること⋯⋯」

 素直に喋らなければ解放されぬと思い、二人は赤鬼に語ったことをそのまま伝えた。声の張りは無くなっていたが。

自動人形キュアたちが配っている案内状は方舟艦ここまで届いているんですね」

 自動人形がやっている操士探しの事情を知るリュウガは、二人の夢の一つに考え深げな顔になった。

 操士候補となりうる少女たちを見つけ出し、稼働できるダンタリオン型機械使徒の数を増やしていく長き永き事業。いずれは自動人形がやっている候補探しも全て人間が受け継ぐことになる。

「まあ、あの鋼鉄の淑女たちが選んだってことは、それなりの逸材ってことね、本人たちが気づいていないだけで」

 アリシアも事情は知るので、案内状が届いた少女たちを改めて見た。

「案内状が届いているなら、ある程度正体はバラしても良いと思うから話すけど」

 アリシアが目配せするとリュウガも「わたしも良いと思います」と目線で返した。

「あたしらはその機械使徒ってのを取り扱う組織、黒龍師団からやって来た者。もしあんたたちが機械使徒に乗るのに値する者だと判断されればこっちにいるでっかいの、リュウガ・ムラサメの後進たちがあんたたちをシゴいてくれるわ」

 背の高い方の女性――リュウガはそう紹介されて微笑を浮かべる。

「もしあんたたちが操士の一員となってあたしの下へ辿り着いたのなら、もう一度膝枕くらいしてあげても良いわよ」

 アリシアはそう告げると迷宮の扉へ向かい、そのまま中へと消えた。

 リュウガもそんなアリシアのさっぱりとした別れに付き合うように「またどこかで会いましょう」と短い別れの言葉を残して扉を潜って行った。

「⋯⋯」

 後には狐につままれたような少女二人が残された。


「しかし、あんたはあんなチビッコの相手が得意よね、助かったわ」

 ようやく迷宮への突入となったアリシアが、隣を歩くリュウガに言う。

「普段はあの二人とそんなに歳の変わらない女の子たちの相手をしてますからね」

 ダンタリオンやそれに続く後継機の乗員たちの顔を思い出しながらリュウガが応える。

「アリシアもどうですか教官のお仕事」

「ごめんこうむるわ」

 確かに彼女アリシアにはらしくないなとリュウガは苦笑する。

「しかし魔王クラス怪物モンスターがいるのは、厄介ですね」

「なに、遅れを取りそうだから嫌?」

「いえ、穏便に済ませるのが難しいなーと」

 機械神を破壊した女ならではの悩みに「へー」で済ませる雷の魔女。

「そいつとの決戦で迷宮を壊しちゃいそう?」

「相手の実力次第ですね」

「あたしが魔王そいつの相手をするからあんたはその隙に最下層に降りて封印を解いてこれるか? その方が面倒ごとが減る」

「状況によりますね。迷宮支配者として封印されてしまったあの人がどれだけの力になっているのか分かりませんし」

「まったく、あのマヌケが封印されてから十年か」

「マヌケって⋯⋯わたしたちの長ですよ、一応」

「一応ね」

 その時、通路の向こうに二つの影が見えた。

 一つはスカート姿の女の子のようなもの、一つは畑に刺さっている案山子のようなもの。

「あれが女子高生ってやつの衣服か。魔王は既に臨戦態勢ってことね」

 女の子のようなものを遠くに確認してアリシアがいう。アリシアも猫科の血が混じっているので目は良い。

「まずはあたしたち二人同時で攻める。ある程度戦ったら時機を見計らってあんたは離脱して下層したへ向かえ」

「一人で大丈夫ですか?」

「あたしが遅れを取るとでも?」

「いえ、アリシア一人で迷宮の壁を壊さずに戦えるのかと」

 アリシアは無言のままもう一度リュウガの頭頂にゲンコツを食らわせると、二人は魔王の現し身と案山子へと向かう。


「⋯⋯なに、あれ⋯⋯バケモノ⋯⋯?」

 こちらに歩いてくる二人を見て、委員長――堵炉椎ドロシーが呆然とした声で言った。

「どちらの方ですかな?」

「背が大きい方に決まってるじゃない⋯⋯」

 ゼファーの問い掛けに堵炉椎は揃いの制服を着た二人組の背の高い方から目が離せないまま応えた。

 隣を歩く方は頭の上に猫科の耳が載り、鋭利な眼光と相まって虎が直立歩行しているような、見た目は余程こちらの方が化け物なのだが、そんなものは全く比較にならない。なまじ魔力があるからか、内に秘める尋常ではない何かを感じて、その場に貼り付けられたように動けない。

「あれが機械神とかいうものなの? 稀に県境に現れるって言う」

 目の前に現れたバケモノはかなりの長身であるが、身の丈100メートルはあるという機械神に比べればはるかに小さい。

 しかし歩行するだけで大災害と同義といわれる機械神それと、ただ歩いてくるだけのが同一のものだと説明されれば否定できない。人間の女性に見えるあれが、実は超常の存在の正体なのではないのか。そう疑問に思ってしまう程のとてつもない何か。

「我輩も遠くから機械神ホンモノは見たことはありますが、大きさも形状も全く違います。しかし『違う』とは言い切れない何かはありますな――」

 ゼファーは一旦言葉を区切ると何かを決意したように再び喋り始める。

「――娘殿、今まで助平な悪戯を毎日のようにして申し訳なかったですな。しかしご安心下され、それも本日で最後です」

「ぜ、ゼファー? なにをいって」

「水上保安庁のお嬢様たちの実力も上がってこられたようですし、水の魔物の討伐は彼女たちだけで今後は十分でありましょう。ですから本日を持って、魔法少女のしもべとしての契約は破棄でございます」

「だからゼファー、なにをいってるの?」

「後方に下がりまずは陽子殿と合流するのです。そして体勢を立て直したら鬼越殿を連れて早急にこの迷宮を脱出しなさい」

「ゼファー?」

「未熟者の小娘は足手まといだからすっこんでろ――で、ございますよ」

 ゼファーは極大の風塊を作ると、それに堵炉椎の体を取り込ませ、通路の奥へと飛ばした。

「ゼファー!?」

「雫那殿がいればなんとかなったかも知れませぬが、迷宮仕事人は冒険者と怪物との戦闘には不可侵が絶対ですからな」

 遠ざかっていく堵炉椎の絶叫を聞きながら独り語ちる。

「しかし隣が椎那殿だった場合はどうしていたのですかな。一緒に戦っていたか――いや、やはり逃がしていたでしょうな。ですので」

 改めて侵入者へと向き直る。

「ここで使うのは我輩の命一つで十分」


「魔王が後方に下がったわね?」

 女子高生の現し身の魔王は周囲に旋風を巻き起こすと、それに包まれて後ろへと下がっていった。

「あたしたち二人の相手ならあの案山子一本で十分ってことか。随分と舐められたものね」

「地獄からやってきた魔王というのは比喩でもなく本当みたいですね」

「私は下層したでお茶でも飲んでいるからその間に倒しておけ、とでも言い残したか」

 地獄というものが本当にあるのかどうか知らないが、そのように形容されても恥ずかしくないだけの実力の持ち主なのは予想できた。そうでなければしもべ一体残して撤退などあり得ないだろう。

「手筈通り、あたしが先ずは相手をするから、あんたは隙をみて下層へ行け」

「迷宮支配者の前に辿り着く前に下がった魔王と遭遇したらどうします?」

「あんたならどうにでもなるでしょ地獄の魔王でも。逃げるなり倒すなり好きにして。迷宮支配者の封印を解くのがここに来たあたしたちの仕事よ」

「了解です」

 そして二人は残った案山子と会話が可能な距離まで接近した。

「魔王の僕よ、あたしたちは下層へ用事があるの。おとなしく道を空けなさい」

 アリシアが一応は相手が交渉の通じる相手なのかと判断するように言う。

「魔王? 我輩は魔女の僕はやっておりますが」

 正確には魔法少女だが、相手に合わせてゼファーも言い替える。

(魔女? そうするとあの案山子はやはり魔女オリジンの誰かが作った魔法生物なのか)

 しかしその言い替えが更なる差異を生じさせる。

「あのたちも混乱していて魔女を魔王と聞き間違えたのかも知れませんね」

 リュウガがそう想像する。

「何を相談しているのか窺い知れませぬが、ここを通すわけには参りませぬ」

 ゼファーにも向こう二人組がとてつもない相手なのは嫌というほど分かるのだが、譲れないものは譲れない。

椎那殿先代よりお預かりした娘殿二代目が後ろにいるのです。何があろうとも通せませぬ)

「交渉が効かない相手なのは分かったわ。戦闘に入ったら時機をみて先に進んで」

「了解です」

「勝手に戰場いくさばの構築はしないでいただきたいですな。相手がいればこその戦闘。それを無視すれば――」

 ゼファーがそこまで言った瞬間、アリシアの手から雷光が飛んだ。

「!」

 岩石くらいなら軽く粉砕するだろう電圧を含んだ速攻にさすがにゼファーも遅れを取る。遅ればせながら風の障壁でそれを弾くが、その隙に

「ごめんなさい案山子さん」

「!?」

 真横を通過する瞬間になってようやく接近に気が付いた相手――リュウガが申し訳なさそうに言う。そして一瞬にして追うのが手遅れな位置まで進む。少ないながらも魔力が体内に眠る堵炉椎が機械神かと疑うほどの相手。移動力も半端ではなかった。

「追わねば」

「あんたの相手はあたしよ」

 どうにかして追撃しようとするゼファーを猫科の亜人――アリシアは許さない。再び強烈な雷撃が襲う。

「仕方ありませぬ。脅威を少しでも減らすという名目で貴女のお相手をいたしましょう、全力で」

「そう来なくっちゃね」

「我が名は風使いのゼファー、お見知りおきを」

 そういいながらゼファーは風塊を放つ。

「あたしは、そうね――雷帝とでも名乗っておこうかしら」

 アリシアはそれを雷刃の呪文で切り裂く。

いかずちみかどとは大層な名ですな」

西風ゼファーそのものを名前にする厚顔には負けるわよ」

 再び雷撃を放つ。ゼファーをそれを風の刃で切断した。

「雷を切るだと」

 切られた雷は術としての効力を失い霧散した。

「魔法で魔法を切断できるのは貴女だけができる術ではないのですよ」

「⋯⋯強いわね。空の街で創造主の周りにいた護衛、あれと同じようなものか」

「空の街の創造主? クリストフのことですかな」

 アリシアのつい口を出た独り言にゼファーが反応した。

「クリストフ? 創造主あいつはそんな名前なのか」

「知らなかったのですか」

「知らないもなにも、名前を訊く前に空の街ごと消してしまったから知りようがないわ」

「空の街を消した!? 創造主クリストフごと!?」

「正確には消したんじゃなくて撃沈だけどね」

「そちらの方が凶暴ですぞ!」

 二人の戦いは続く。


「⋯⋯?」

 リュウガが地下一階奥で見つけた階段を降りて地下二階へ到着すると、直前に見えた十字路の中央に、魔王の現し身が佇んでいた。酷く青ざめた顔で魔の王の威厳など微塵も感じられない。

 しかし彼女からは自分がこの場所に居ることだけに全力を尽くす一生懸命さを感じたので、リュウガは歩を止めた。

「⋯⋯」

「⋯⋯」

 無言で対峙する紅蓮の死神リュウガ魔王の現し身ドロシー

 堵炉椎がジリジリと少しずつ後退していくだけが状況変化。リュウガもそれに合わせるように進んでいく。

 そして堵炉椎が十字路を抜け、代わりにリュウガが十字路の中心に入った時

「いまよ!」

 堵炉椎は叫ぶと同時に全力でその場から飛び退く。そして十字路の左右側道の奥で同時に二つの瞳が光る。それは人影となり一つは狼人、一つは赤鬼の姿となって同時に飛び出した。

「うぉおおおぉおお!」

 二人とも人とも怪物ともつかぬ雄叫びを上げながら襲い掛かった。狼人陽子は右腕に噛みつこうとし、赤鬼鬼越は左面から金棒を降り下ろす。


 狼人と赤鬼が長身の女戦士に速攻をかける少し前。

 自分にとっての猛毒である銀を見た瞬間に逃げ出した陽子は地下一階奥で震えていたのだが、菖蒲の臭いが微かに漂ってきた瞬間に鬼越の危機を察知、臭いを頼りに通路を進むと倒れている鬼越を発見、そのまま担いで通路奥へと退避した。

 その後に風の塊の中に押し込められて飛ばされてきた堵炉椎と合流し、ちょうど目の前に階下へ通じる階段があったので一旦地下二階へ降りて態勢を立て直すことにした。

 そして堵炉椎から自分を逃がすためにゼファーが一人で新たな侵入者に立ち向かっていったと聞かされた直後、上階から誰かが降りてくる気配を感じたのである。その気配を感じて堵炉椎が強く震え出す。彼女が機械神バケモノと感じた方がゼファーをかわして降りてきたらしい。

「アタシと陽子おまえが同時にかかれば一瞬でも動きは止められるか?」

 赤色の肌色の上からも青ざめた顔で鬼越が言う。菖蒲の花から抽出した液体を浴びたのだ。二回目なのでダメージは減っているとはいえ、弱点を突かれた攻撃の内傷は大きい。

「やるよ、今度は逃げたりしない」

 陽子が決然とした顔で言う。相手が銀の武器を持っていたりしても今度は逃げたりしない。仲間の命がかかっているのだから。

堵炉椎おまえには相手をそこの十字路まで誘導する役をやってほしい。できるな?」

「⋯⋯まさか、死ぬつもり⋯⋯じゃ」

 唇を震わせながら堵炉椎が言う。

「違う。生き残るための策だ」

 彼女の危惧を鬼越は否定する。

「堵炉椎は我々が相手を抑えたらその脇をすり抜け上階へ逃げろ。堵炉椎おまえがそれだけのことをしてくれれば相手もさすがに一瞬は動きが止まるだろう。その隙をついて我々も離脱して上階へ逃げる」

 その後は猫科の亜人とゼファーの戦いの場を撹乱し、混乱に乗じてゼファーを連れ出し地上に出る。

地上おもてにさえ出れればあとはなんとかなる」

 そして三人は脱出のための速攻をかけた。


 十字路の中心に立つ人物、紅蓮の死神リュウガは特に動くこともせず、そのままの姿勢。

「!?」

 攻撃を与えた二人が、逆に驚愕する。赤鬼が全力の剛力で降り下ろした金棒は左腕一本で受け止められ、右腕に狼人の鋭利な牙を突き立てられても動じた気配がない。

(な、なにもの!?)

 事前に堵炉椎からとてつもない相手だとは聞かされていたが、これ程までとは思わなかった。二人がかりで倒した鉄車怪人が玩具のように思えてくる。

「!」

 堵炉椎は作戦通りに脇を通り抜けようと走ったのだが、二人が全力で抑えつけても全く動じない――あえてその攻撃を受けたとも思える――相手にただ見られただけで動きが止まってしまった。

「堵炉椎走れ!」

「――」

 鬼越の声を聞いても堵炉椎は魂を抜かれたように立ち尽くしたまま。

 陽子もせめて堵炉椎だけでも助かって欲しいと声を上げたかったが、相手に噛み付いて抑えているのでそれもできない。

「そこまで!」

「!」

 組み合ったままの三人が聞き覚えのある大音声に反応する。声のした方に同時に振り向くと、通路の奥から楠木雫那が血相を変えて走ってくる処だった。

「申し訳ない! まさかこの時機で黒龍師団の方が迷宮に入ってくるとは思わなかったので」

「楠木⋯⋯どういうことだ?」

「この女性ひと迷宮仕事人わたしがとある案件を願った組織の所属員だ」

 鬼越の問いに雫那の即答。

「⋯⋯つまり、仲間、ということか?」

「そうなる」

「紅蓮の死神殿も、矛を収めてくださいお願いします。全ては迷宮仕事人の責任です。代償が必要であれば我が命――」

「いえ、お互い連絡手段が無いのは仕方ないですし、それに」

 呆然とした顔で牙を突き立て金棒を降り下ろしたままの二人を交互に見ながら言う。

「このお二人が決死の覚悟で向かってきた瞬間なんとなく分かりましたので。攻撃を受けたのはわたしの我が儘です」

 普通の人間であれば即死級の攻撃を受けても、それでも平静を崩さないまま言う。

「これぐらいの攻撃では致命傷にはなりませんが、痛いのは痛いのでそろそろ離してもらえませんか」

「⋯⋯あ、ぁ⋯⋯ぅ」

 二人はその言葉でようやく呪縛が解けたように、陽子は言葉にならない言葉を発しながら牙を抜いた。鬼越もそれに倣う。リュウガの右腕から多量の血が流れ落ちるが本人は気にした様子がない。

「応急処置しますので服を脱いでください。二人は気絶しかかってる山本堵炉椎を快方してやってくれ」

 雫那が事後処理を始めようとする。

 陽子と鬼越が見ると堵炉椎が目を見開いたまま身体を震わせ立ったまま動けないでいた。

「ヨーコお前が抱いてやれ、震えが止まるくらい強く」

「え? あ、うん」

 陽子は震えが止まらない堵炉椎の体に手を回すと壊れ物を扱うようにそっと抱き締め、それから徐々に力を強めて腕の中で守るようにする。鬼越もリュウガの姿が見えない位置に然り気無く立つと、彼女を震わせる脅威を視界から消した。

「重ね重ね本当に申し訳ありません」

 上着をすべて脱いで胸を覆う下着だけになったリュウガの右腕に包帯を巻きながら、雫那が謝罪する。

「二人がただの迷宮をさすらう怪物であったなら、今ごろ消し炭も残らないほどに燃やし尽くしていたでしょうね」

 赤く染まっていく自分の右腕の包帯を見下ろしながらリュウガが言う。

「でもあの二人を消してはいけない。あの二人は自分を鍛えて強くなろうとすることを止めようとしない。感じる意志のままに。そんな気高き者を消すなんてできない。それに」

「それに?」

「いえ、こちらの話しです」

 彼女には珍しくお茶を濁した。

「怪物役をお願いしたそっちの三人」

 雫那が震えたままの堵炉椎を囲う陽子と鬼越に言う。

「ここにいる全員の素性とここにいる理由を説明するから、それまで動かないで。紅蓮の死神殿もお付き合い願います」

 そう宣言すると事情を説明し始めた。


「方舟艦の外の世界?」

「黒龍師団?」

 陽子と鬼越が続けざまに言う。抱かれたままの堵炉椎は陽子の腕をしっかり掴んだまま俯いて聞いている。

 雫那が「貴女のことはどこまで話して良いか」と問うと「雫那さんのお好きなように」と返されたので、ある程度深い処まで話している。そうでなければこの状況が説明できない。

 リュウガは表で少女たちから訊いた迷宮内の様子を伝えた。

「そうか、アタシが小娘たちを撤退させるためにいった方便が勘違いを生みこんなことに。謝っても謝りきれんな」

 鬼越が頭を下げる。

 リュウガの判断次第では鬼越も陽子も、そして堵炉椎も消し炭の欠片残さず燃やし尽くされていた。

「いや、赤鬼殿は少女たちの未来のためにしたこと。この失策は迷宮全体を把握できていなかった迷宮仕事人の責任。責めるなら私のみにして欲しい」

 怪物役として三人を呼び寄せ紅蓮の死神リュウガの所属組織である黒龍師団にとある仕事を依頼していたのは他ならぬ雫那ではある。

「あの、いいですか?」

 しかしそうやって罪の償いを言い合っている者同士を、このすれ違いを矯正させた本人が止めた。

「上の階で案山子ゼファーさんとうちのアリシアが大決戦の最中だと思うんですけど」

「!」


「やるじゃないカカシ」

「猫殿もやりますな」

 風の大魔導師と雷帝は互角の戦いを繰り広げ、膠着状態となっていた。

(どうする、もう魔法を放つ精神力なんか残ってないわよ)

(魔力を使い果たしてしまいましたな。立っているだけで精一杯ですぞ)

 お互いがお互いの手札が切れていることを知らずに次の手を悩む。

(あたしも火の魔法でも使えればあんなやつ一瞬で薪にできるというのに)

 リュウガとは下層へ行く役を変えれば良かったと思うが、過ぎたことは仕方ない。

「ゼファーっ!」

「アリシアーっ!」

 その時、横の通路から突如として堵炉椎とリュウガが、飛び出し対峙を続ける二人をお互いが壁に激突する勢いでかっさらった。

「な、なによ」

 壁に背を預けるように尻餅をついたリュウガに、アリシアは横抱きに抱えられていた。

「なんであんたにいきなりお姫様抱っこなんかされてるのよ、恥ずかしいでしょ」

「わたしたち勘違いで戦っていたので止めに来たんです!」

「勘違い?」

 その向こうではゼファーを押し倒すように床に倒れ込んだ堵炉椎が案山子の頭を抱え込んで号泣していた。

「ばか! ゼファーのばかーっ! 勝手に一人だけで全部背負い込もうとして、私たち相棒パートナーでしょっ!」

「⋯⋯ですがあなたは椎那殿からお預かりした身。せめてあなただけでも生きて帰さねばと」

「ばかーっ! めちゃくちゃ怖くて、心細かったんだからね! もう私から離れるのは禁止よ! 契約破棄なんて無効なんだから!」

 堵炉椎はそこまで全力で言い切ると抱きついて泣きついて体の水分が全部出てしまうのではと思うほどに泣いた。

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