35 ぬくもりに包まれる冬②
エレン作のトルトラトはうまくできていたようだ。ミハイルがうまいうまいと言ってくれたので、エレンも大満足である。
食事の後で、風呂に入る。
「一緒に入るか?」「まだ早い!」のやり取りをした上でミハイルに先に入ってもらい、その間にエレンは細々とした用事を済ませることにした。
今日は帰宅時に、フェドーシャがエレンあての手紙を選別して持ってきてくれた。その中にはエンフィールドから遥々届いた速達便があり、急いで返事を書こうと思っていたのだ。
叔母夫婦である女王マリーアンナと王配テレンスには、ミハイルとのやり取りのおおまかなことを教えていた。
もちろんこの手紙を書く際にはミハイルも隣で一緒に文章を考えてもらい、「最初はひょんなことから始まったけれど、今では夫のことをとても愛している」と、心を込めて書いた。
食事の前に返事だけ見たのだが、マリーアンナは「あなたが夫とうまくやっているのなら、それで十分」などと、覇王として知られる「革命女王」と同一人物なのかと疑う人がいそうなくらい優しい言葉をくれた。
テレンスも、「魔法薬師としての仕事も大切だが、夫婦としての時間も充実させること」と、かつての恩師らしく優しく教えてくれた。
エレンも、叔母夫婦や亡き両親のように幸せな夫婦になりたいと思っていた。ミハイルとの結婚直後は遠き道のように思えた夢が今は、ミハイルと一緒にもうちょっと手を伸ばせば届きそうなところにあると実感している。
……とはいえ手紙の最後に書かれていた、「子どもが生まれたら、すぐに知らせること。そして大きくなって季候のいい時期でいいから、会いに来ること」の箇所には、閉口してしまった。
どうやら、マリーアンナたちは
(い、いや、そりゃあ、やることをやれば生まれなくもないけれど……まだそこまでじゃないし)
まだミハイルとは、抱きあったりキスをしたりできるようになった段階だ。
ミハイルも「少しずつおまえとの愛情を深めたい」と言ってくれているので、ゆっくり時間をかけてステップを上がっていけばいいと思っている。
……ということは、そのまま上がっていけばいずれ「そういう」場所に到達するということで。
(今の私には、まだちょっと早い……)
結局ミハイルが風呂から上がるまでの間には手紙――特に最後の一文への適切な返事――を書ききれず、風呂の後で続きを書くことにした。
リュドミラは乾燥しているが冬になると雪だけは降るため、水には困らない。いざとなれば外の雪を掬って浴槽に放り込み、溶かせばいいのだ。
グストフ邸の場合はフェドーシャが魔法を使えるため、水さえあれば彼女が一瞬で湯を沸かしてくれた。リュドミラの風呂は湯の中で体を洗うので、一人入るたびに湯を捨てて入れ直している。
湯にゆっくり浸かって体を温め、髪も洗う。昔はカミラの風呂の世話をしてやったりしたので、一人で風呂に入るようになったのは革命戦争が終わった三年前からだ。
(うん、いいお湯だった)
風呂上がりにフェドーシャに髪を乾かしてもらい、リビングに戻ったエレンは――バスローブ姿のミハイルがテーブルの上のものをじっと見ていることに気付き、温まったばかりの体が氷点下まで冷えるかと思った。
(あ、あああ! 手紙! そのままにしていた!)
「ミッ、ミー……」
「ああ、上がったのか。……これ、エンフィールドの女王陛下からの手紙だな」
「う、うん。返事を書こうと思って……」
いそいそとテーブルに向かい、手紙をひっくり返す。
彼に見られたらまずい内容があるわけではないが、「子どもが……」の箇所はやはり恥ずかしいし――もし書きかけの手紙を見られていたのなら、その返事の箇所のところでペンが止まっていたことにも気付かれたはずだ。
先ほどは冷えたと思った体がすぐに熱を取り戻し、手紙一式を胸に抱えたエレンはおそるおそる振り返る。
だがミハイルは「ふうん」と相槌を打っただけで、髪を掻き上げた。
「返事は今日のうちに書くのか?」
「えっ? い、いや……そこまで急がないから、明日でもいいかな、うん」
「なら、そろそろ寝よう。……おまえも明日は早いだろう」
「……うん、そうする」
……もしかすると、返事の方までは見なかったのかもしれない。
ほっとしつつもやはり恥ずかしいので、エレンはこそこそと一式をしまってから、ミハイルについてリビングを出た。
既に使用人二人は帰宅し、一階に自室のあるフェドーシャも「おやすみなさいませ、旦那様、奥様」と厨房の前でお辞儀をした。リビングを出る際にやはりミハイルは愛用の剣を持っていったので、やはり長年で染みついた癖はなかなか抜けないようだ。
二階に上がってすぐのところに主寝室、その奥にエレンの部屋があるので、エレンは主寝室の前で振り返った。
「あなたは明日が泊まりだったと思うし、今日はゆっくり休んでね」
「……」
「じゃあ、おやすみ――」
「エレン」
言いながら背を向けようとしたら、背後からぎゅっと抱きしめられた。
剣は壁に立てかけたのか、ミハイルのがっしりした腕がエレンの胸の上下に回され、背中がバスローブ越しにミハイルの胸に触れる。
(ミハイル……?)
どきっと高鳴る心臓の音にエレンが身を強張らせると、エレンの右耳の方に唇を寄せたミハイルが囁いた。
「……今はまだ、一人でないと熟睡できそうにない」
「……」
「だが……もう少し肩の力を抜けるようになったら。そして、おまえも望んでくれるのなら。……おまえを寝室に呼んでもいいか」
艶のある低い声で囁かれ、エレンの喉から「ひえっ」と悲鳴が上がった。
誰かに聞かれたわけでもないのに思わず口元を手で押さえると、ミハイルはくすくすと笑って少し腕の力を弱めるとエレンの体をくるんと回転させ、正面から向き合った上で肩に手を載せた。
柔らかく細められたミハイルの目が、エレンを見下ろしている。
妖しくて艶っぽくてとろりと甘い眼差しが、小刻みに震えるエレンを優しく見ていた。
「今、俺が側に置いて寝るのは愛用の剣だが……それが必要なくなれば、おまえを腕に抱いて寝たい。リュドミラの寒い夜を、おまえと体温を分かちあって過ごしたい」
「いっ……!? あ、あの、それは……」
「嫌か?」
「……。……やでは、ない、です……」
「では……もうちょっとだけ、待ってくれるか?」
「待ち、ます……」
むしろ、エレンとしては大歓迎である。
こくこくとリュドミラの伝統工芸品の人形のようにぎこちなく頷くエレンを、ミハイルはふわりと笑って見つめた。そして肩を引き寄せると、そっと控えめなキスを唇に落とす。
「おやすみ、エレン。ゆっくり休め」
「……おやすみ、なさい……ミーシェニカ……」
震える声でなんとか挨拶を返すと、ミハイルはくつりと笑ってから手を離した。
彼がその場から動く気配がないのでエレンが部屋に入るまで待っているのだろうと分かり、ぎこちなく足を動かして自室に駆けこむと、薄暗い部屋の床にへたり込んでしまう。
『おまえを寝室に呼んでもいいか』
『リュドミラの寒い夜を、おまえと体温を分かちあって過ごしたい』
ミハイルの言葉が、甘く強烈に蘇ってくる。
彼が言いたいのは、つまり、それは。
「……頭……茹だりそう……」
頭を抱え、エレンはうなった。
「ゆっくり休め」と言った当の本人のせいで、今夜は熟睡できそうになかった。
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