36 不穏な時間
エレンとミハイルの仲が緩やかに、しかし確実に日々前進している傍ら。
王太子妃カミラの周辺でも、嬉しい出来事が起こっていた。
「えっ、それじゃあアリソンとキャロリンは、もう相手が……!?」
「ええ、そうなの! どちらのお相手も騎士団の方なの」
驚くエレンに対するカミラはこれ以上ないほど上機嫌で、周りのメイドや騎士たちもにこやかだ。
エレンは特例中の特例でミハイルとの結婚が決まったが、その他のカミラ付き五人の結婚も前向きに検討すると、国王は約束してくれた。
カミラが輿入れして数ヶ月経ったが国王はちゃんとその件について考えてくれていたようで、先日、騎士のアリソンとメイドのキャロリンがリュドミラ人の男性と見合いをしたという。
見合い、というと堅苦しくて恋愛の絡まないものに感じられるが、二人とも伴侶として騎士を希望しており、なおかつ騎士団の方でも是非王太子妃のお付きの女性と交際したいという者が出たそうで、両者を引き合わせることにしたのだ。
この時点ではまだカミラと関係者にのみ情報が伝えられた上で見合いをしたのだが、どちらも非常に好感触で、「是非、結婚を前提にした交際を」と相手から返事をもらえたようで、二人とも舞い上がっていた。
話を聞くと、二十三歳でこの中では最年長のアリソンには三十歳の部隊長が、十八歳のキャロリンには十九歳の従騎士がそれぞれ交際を願い出たという。
アリソンと部隊長は半月ほど前に騎士団での特訓中に知りあったらしく、そのときに他の騎士が女性相手だからと遠慮する中でもアリソンを女性扱いをしなかったそうだ。
そして自分を完膚無きまで叩きのめしてくれたことから相手のことを意識するようになり、相手もアリソンのことを覚えていたのだとか。
またキャロリンと従騎士はなんと三年前の革命戦争時、お互い見習いとして参戦した際から顔見知りだったという。まるでどこかの誰かたちのような話である。
(すごいロマンチック……!)
「おめでとう、アリソン、キャロリン!」
「ありがとう、エレン!」
「感謝する。男女交際にはまだ慣れないが……この会合で学んだことを生かし、結婚に向けて邁進していこうと思う」
キャロリンは無邪気に、アリソンは武人らしく生真面目に応え、カミラはくすくす笑った。
「ああ……私も嬉しいわ。でももし皆が結婚しても、これまでと変わらず私の側にいてくれたら嬉しいわ」
「もちろんです!」
「旦那だろうと何だろうと、我々の忠誠心に横やりを入れさせはしません!」
「私たちの主君は、永遠にカミラ様です!」
「私こそ、結婚して子が生まれてもこうしてお仕えできることを願っております!」
「今も昔も、カミラ様の御身をお守りするのは我々です!」
「どうかこれからも、カミラ様のお側にいさせてください!」
エレン含めた六人が一斉にカミラに詰め寄り、熱くアピールする。
王太子妃ご一行の忠誠心と友情は、いくら愛する夫相手でも揺るいだりはしないのだ。
ひとまず今回の会合――エマの記録によると、今回で第九回だったらしい――は嬉しい報告をしたところで終了となり、それぞれの仕事に移る。
エレンは既に本日分のカミラの薬を処方したのでその後は魔法薬研究所にお邪魔し、「まーた昨日、騎士団で飲み会があって、二日酔い止め薬が売れたんですよねー」と嬉しそうな魔法薬師に協力して、薬を作った。
リュドミラ人は本当に酒豪揃いで、彼らが酒宴を繰り広げるたびに二日酔い用の薬が飛ぶように売れる。小遣い稼ぎができる研究所の者としてはウハウハなのだが、城内の者の健康管理を司る医師長としては少し頭が痛いようだ。
ここ数日で減った分の薬を作ると、それを城内の各部署に届ける。今日のエレンは騎士団ではなく聖堂にお邪魔し、高齢の神官たちのための腰痛薬を届けに行った。
「……あら、エレンさん」
薬を届けて帳簿にサインをしてもらい、さて戻ろうかと思ったところでエレンは涼やかな声に呼び止められた。
振り返った先の階段から下りてきたのは、黒いドレス姿の美女。確かこれからカミラの魔法の授業だったと思うので、手には教本を持っている。
「こんにちは、エーリャ様。これからカミラ様の授業ですね」
「ええ。……あなたはお薬を届けに来てくださったみたいですね。もしこれから離宮に戻られるのなら、一緒に行きませんか?」
「……そうですね」
エレンの手元には、品物を届けたサイン入りの帳簿がある。だがこれは急いで研究所に返さなければならないわけではなく、「聖堂に届けたら、今日の分は終わりです」と魔法薬師も言っていた。
(研究所より離宮の方がここに近いし、エレオノーラ様をお送りしてから、家に帰る前にさっと研究所に寄っていけばいいよね)
「……かしこまりました。では、お供させていただきます」
「ええ、ありがとう」
エレオノーラと一緒に聖堂を出ると、ひうっと吹いてきた雪混じりの風が頬を打ち、エレンはコートのフードをぐいっと下げた。
今、リュドミラは晩冬だ。今年は例年並みの積雪量らしく、小柄な大人くらいの身長まで雪が積もっている。
相変わらず魔道士たちのおかげで雪を除け、保温効果のある魔法にも助けられているので、日常生活でものすごく困るというほどではない。
(でも魔法がなかったら、この雪国で暮らすのは相当厳しそう……)
ただでさえリュドミラはエンフィールドと比べて、魔道士が生まれにくいのだ。
今回カミラについてきた者のうち半数は魔道士だから、たまには異国人の血を取り入れ、少しでも魔道士が生まれやすくするという工夫も必要……なのかもしれない。
「……エレンさん。ミーシャのことですが」
「っは、はい! ミーシェニカが何か……あっ」
考えごとをしているときにいきなり夫の名を出されたので、つい彼の愛称を口に出してしまった。
案の定、エレオノーラは足を止めて驚いたようにこちらを見てきている。
美女にまじまじと見つめられてエレンはじわじわと頬を熱くするが、やがて彼女はくすっと笑った。
「まあ、まあ……ということはミーシャは、それだけあなたに心を許すようになったのですね」
「え、えっと……はい、そうだと、思います」
「素敵なことですね。……愛称で呼ぶことを許されるのは、それだけの間柄になれたということ。……」
「……エーリャ様?」
「エレンさんは、ご存じ? ミーシャの愛称を呼ぶことが許されたのは……あなたで二人目だ、ということを」
エレンは、まばたきした。
周りに誰もいない静かな庭園で、エレオノーラはまるで氷でできた美術品のように佇み、控えめに微笑んでいる。
だが――なぜかその微笑みが怖いと感じられ、エレンは分厚いミトンを嵌めた手で二の腕をさすった。
「え、と……知らなかったです」
「そうでしょうね。……ああ、大丈夫ですよ。過去にミーシャに恋人がいたのではなくて……わたくしの兄が、彼のことをミーシェニカと呼ぶことを許されていたのです」
「……そう、なのですか?」
エレオノーラに言われて、エレンはリュドミラ人の「愛称」について思い出す。
愛称で呼びあうのは多くは恋人や夫婦だが、同性の場合は心を許した大親友で呼びあうものだそうだ。
ミハイルとボリスの場合、その間には絶対的な主従関係がある。
だが――ボリスのことを誰よりも敬愛していたミハイルは、ボリスにならば愛称で呼ばれてもいいと考えたのだろう。
夫の亡き主君への忠誠心の高さは、エレンも三年前からくどくど言い聞かされていたし、素晴らしいものだと思っている。
(もしミハイルが平民じゃなくて貴族だったら……二人は友だちになれていたのかもしれないな)
そんなことをしみじみ考えていたエレンだが、ふうっとため息を吐き出したエレオノーラからまたしても不穏な空気を感じ、ぴっと背筋を伸ばした。
「……そう。ミーシャは、兄の一番の部下でした。兄のために剣を取り、その命令に忠実に従い、華々しい戦果を立てる彼こそが、わたくしが理想としていた騎士の姿。『首刎ね騎士』の名は、そんな彼にこそふさわしいのです」
「は、はい……?」
「……それなのに、ミーシャは変わってしまった。兄だけが呼んでいたミーシェニカの名をあなたにも許し、あの勇猛さを捨ててしまい――今の彼はもう、わたくしが憧れ、認めてきたミーシャではない。今のミーシャを見て……兄は、何と言うでしょうか。きっと、とても悲しんで……」
「え、あ、あの……エレオノーラ、様?」
「……ごめんなさい。少し、しゃべりすぎましたね」
何か、おかしい。
きっと今、自分は聞いてはいけないことを聞いてしまった。
ふらつきそうになったエレンは空いている手を伸ばすが、腕はちょうど脇に積まれていた雪の山にずぼっと肘まで埋まるだけで、エレンの体を支えてはくれなかった。
妙な意識でくらくらしそうになっていたエレンの前に、すうっとエレオノーラが詰め寄ってきた。
ぎょっとするエレンを真っ直ぐ見つめ、エレオノーラは囁く。
「口が軽くなってしまったわたくしが、悪いのです。あなたは、悪くない。……今の話は、どうか忘れて。あなたは、何も聞いていない……」
「え、れお……さ……」
何か、大きなものが這い寄ってくるような恐怖感に、エレンは身を震わせる。
逃げないと、耐えないと。
エレンは、必死に意識を繋ぎ止めようとするが――
エレンは、まばたきした。
「……あれ?」
「あら、どうかなさいましたか?」
自分の数歩先を歩いていたエレオノーラが、振り返る。
そう、聖堂に届け物をしたエレンはそこでエレオノーラと出会い、カミラの授業に行く彼女を離宮まで送ることにしたのだ。
そして……。
(……おかしいな。今私、立ったままぼうっとしていた?)
「すみません。ちょっと、ぼんやりしていたみたいです」
「まあ……そうでしたか」
「……あの、エーリャ様。私、ぼうっとしていたみたいでしたが……今、何かについてお話ししていましたっけ?」
まだ少しぼうっとする自分の頭をこんこんと叩きながら、エレンは尋ねた。何か、エレオノーラとしゃべっている途中で意識を飛ばしたような気がしていた。
だがエレオノーラは不思議そうに首を傾げ、エレンの顔を覗き込んできた。
「いえ、特には。……ああ、そうです。今日のカミラ妃殿下の体調についてお伺いしても、よろしいでしょうか?」
「あ、そうですね。えっと、今日は朝と昼に保温効果のある薬をお召しになり――」
……エレオノーラと一緒に歩きながらカミラの話をしていたエレンは、気付かなかった。
先ほど自分が立っていたすぐ脇の雪山に、不自然な丸い穴が空いていたことに。
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