34 ぬくもりに包まれる冬①

 冬の間に、ミハイルは変わった。

 まず、無謀な戦いをしなくなった。


 真冬の間もしばしば旧王国軍の悪行の知らせは届いたが、彼は前のように目の色を変えて突撃することはしなくなった。

 憎き仇を前にしても冷静さを欠かず、仲間たちの様子にも気を配る。負傷した者がいれば残党を追いたくなる気持ちを抑え、歩けない仲間を担いで本陣まで戻ったと、エレンは聞いた。


 そして日常生活で、彼とエレンの距離や過ごす時間の長さが変わった。


 相変わらず彼は多忙なので屋敷に戻れない日はあったが、それでもなるべく帰宅し、エレンと食事を共にするようになった。

 もはや性格なのか彼は言葉少なでエレンが話をして相槌を打つことの方が多かったが、夫婦で会話をしながら食事をする時間は温かくて、柔らかい愛情に満ちていた。


 またミハイルの変化はエレンにも微々たる効果があったようで、今日はカミラに、「最近、あなたが幸せそうだわ」とにこやかに指摘された。


 エレンとしてはいつもどおり出勤し、いつもどおりの仕事をしているだけなのだが、どうやら皆からはエレンの周りにお花が浮いているように見えるそうだ。

 新婚当初とは比べものにならないほど嬉しそうだと言われ、本日開催の会合ではかなりからかわれてしまった。


(……そんなに顔に出やすいのかな、私)


 自分ではそこまでだらしなくなっていると思っていなかったので、鏡の前でむんっと真面目な顔の練習をしてみる。


「……奥様?」

「あ、ああ、どうしたの、フェーニャ?」

「いえ、顔をしかめてらっしゃったので、体調でも悪いのかと……」


 リビングにある大きな鏡の前で練習したのがまずかったようで、フェドーシャにまで心配されてしまった。


 彼女が夕食の仕度が完了したことを告げたので、エレンはソファから立ち上がった。そしてフェドーシャについて竈の前まで行き、使用人が蓋を取った鍋の中を見て思わず歓声を上げてしまった。


 今日は、ミハイルと夕食を一緒にできる。そう聞いたエレンはせっかくだからと、夕食のおかずを一品だけ作ってみることにしたのだ。


 前にエレンが料理をしたのは、馬で遠乗りに行ったときの弁当くらい。あのときもミハイルは「おいしかった」と言ってくれたがどうしてもメニューが限られてしまったので、今回はできたての熱々を彼に食べてもらいたかった。


 フェドーシャたちの手を借りて作ったのは、リュドミラの郷土料理の一つである煮込み料理。

 トルトラトと呼ばれるこれは、数種類の根菜をワインで煮込んだもので、香辛料も入れているのでぴりっと辛い。フェドーシャ曰くミハイルの好物の一つのようで、窓の外が真っ白に染まるこの季節に、帰宅した彼の体を温めてくれるはずだ。


 他の料理はフェドーシャたちに任せ、エレンは紅茶のポットの中に液体の薬を入れた。これは冬のエンフィールドで愛用される薬で、体を芯から温める効果がある。


(体がほかほかの状態が夜までつはずだから、きっとよく眠れる)


 そうしていると、玄関でドアが開く音がした。

 その場を任せてぱたぱたと玄関の方へ向かうとびゅうっと寒風が吹き付け、髪を靡かせたミハイルがドアを閉めたところだった。


「おかえりなさい、ミーシャ」

「ああ、ただいま、エレン」


 はい、と腕を差し出すと、ミハイルは手早く上着を脱いで渡してくれたので、エレンは思わず笑ってしまった。


「今日も寒かったな……どうした、何を笑っている」

「いや、前にこうして私が腕を差し出したら、あなたが勘違いして抱きしめてくれたことがあったなぁ、って」


 エレンが笑いながら言うと、ミハイルのこめかみがひくっと動いた。どうやら彼もすぐに思い出したようで、寒さ以外の理由で頬がほんのり色づいていく。


「……あれはっ。おまえがちゃんと、荷物を寄越せと言わないのが悪いっ」

「それもそうね。からかって、ごめんなさい」


 エレンは頷くと急いでコートと剣を置いてきて、なおも玄関で憮然とした表情をしているミハイルに駆け寄ると、再び両腕を差し伸べた。


 それを見てミハイルの眦が下がり、長い両腕がエレンの背中に回ってぎゅうっと抱きしめられた。


「……今日もお疲れ様」

「おまえこそ。……いい匂いがするな」

「ふふ……実は今日、一品だけだけど私が作ったの」

「何、おまえが?」

「ええ。トルトラト。あなたも好きでしょう?」

「ああ、大好物だ。それは早くいただかなくては。……っと」

「えっ?」


 ミハイルの腕が離れたので一緒にリビングに行こうとしたら、腕を引っ張られた。

 そうしていると夫の端整な顔が近づき、ちゅ、と軽く唇同士が触れあう。


「……んっ!?」

「トルトラトもいいが、まずはこちらだな。……うまかった。それでは、飯にしようか」


 ふふんと勝者の笑みを浮かべてミハイルが言ったので、あっという間にエレンの顔が火照ってくる。間違いなく、先ほどのミハイルよりも赤くなっているだろう。


 ……ミハイルの変化の、三つ目。

 スキンシップが、ものすごく増えた。


 元々リュドミラ人はエンフィールド人よりも男女交際の在り方というものにお堅くて、恋人関係でもない男女がべたべたするのはよろしくない、という考えだ。

 いつぞや騎士団詰め所の裏庭でエレンとミハイルが抱きあった事件も、直後にミハイルが求婚したから「そういうものか」で流せたのであり、普通なら大問題になっていたという。


 だが、リュドミラ人が恋愛に関してドライというわけではない。

 むしろ、人前でなければエンフィールドの比ではないくらいべたべたに相手に甘え、相手を甘やかし、愛の言葉を囁きあい、二人きりの世界に浸るものだということを、エレンは最近になって知った。


 人前では今までどおりほどよい距離を保つミハイルだが、こうして自分たち以外誰もいない場所となると積極的にエレンとのふれあいを求めてくる。


 最初エレンは夫の急変に驚いて胸を押して拒絶してしまったのだが、そのときのミハイルはとても傷ついた顔をしていた。

 その後できちんと彼と話しあった結果、リュドミラにはリュドミラのやり方があるのだとエレンは知り、ミハイルにもエレンは嫌がったのではなく慣れなくて驚いただけなのだと分かってもらえた。


(……まさかこんなところで、文化の違いを体感することになるとはね)


 カミラたちにも教えたらそれはもう大興奮で、あのエマでさえほんのりと頬を赤く染めていた。エンフィールドから来た結婚に憧れる乙女たちは日々、リュドミラの文化を一つ知って賢くなっていく。


 ちなみにリュドミラ人がなぜここまで情熱的なのかとエレンが尋ねたところ、ミハイルは首を傾げつつ、「寒いからじゃないか?」と言っていた。

 本当にそうなのだろうか。

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