33 死にたがり騎士の願い③

「それで……ええと、あ、そうだ。ミーシャは妻である私に財産を譲り、なおかつ白い結婚として再婚しやすくするために死のうとしたんだっけ」

「まあ、噛み砕くとそういうことだ」

「なるほど。……で。それで私が悲しむかも、ってことは一切考えなかったの?」


 静かに尋ねると、ミハイルは赤く腫れてきた頬を手で押さえたまま視線を逸らした。

 彼も馬鹿ではないから、それくらいのことは分かっていたはずだ。


「まあ確かに、あなたがこうして暴露することなく戦死していれば、あなたの思わくどおりに事は進んだでしょうね。……で、結婚後間もなくあなたを亡くした私が悲しくて悲しくて泣きまくって、食事も喉を通らなくなって、再婚とか遺産相続とかをする前に衰弱死するかも、とは思わなかったの?」

「……おまえが、俺の死ごときにそこまでうちひしがれるはずがないと、思っていた」


 それは彼の本心のようで、呆れや怒りを感じるよりも、自分をやけに過小評価するところにエレンは無性に悲しくなった。


「……そんなに自分を安く扱わないでよ。私は……あなたのことを、いい人だと思っている。革命戦争時代からの友だちなんだし、なんだかんだ言って結婚したんだし……死んだら辛いに、決まっているじゃない」

「……すまない」

「ミーシャ。腹が立つくらい前向きだったあなたがそんな考えをするようになったのは、周りで無責任なことばかり言う人が原因でしょう」


 少なくとも国王は、カヴェーリン公の死はミハイルのせいではないと断言したし、アドリアンだってミハイルのことを案じ、剣術の師匠として慕っている様子だった。

 公の妹であるエレオノーラでさえ、兄の死を悼みつつもミハイルの勇猛さを称えていた。

 それに、「首刎ね騎士」のことを恐れながらもその武勲に敬服の意を表し、憧れている人の姿はエレンも見てきた。


 それでも――ヴァレリーの妻のときのように、理不尽だろうと何だろうと「おまえのせいだ」と言われると、ミハイルは傷つく。

 ただでさえ彼はカヴェーリン公を守れなかったことを気に病んでいるのだから、そういった言葉の一つ一つが鋭利な刃物となってミハイルを襲い、いまだ癒えない柔らかい傷口を何度も抉っていった。


 そっと手を持ち上げ、ミハイルの頬に触れる。少し指先に引っかかる感触がするのは、短く生えたひげだろうか。あごひげもっさりはミハイルらしくないが、案外口ひげあたりなら似合うかもしれない。


「……さっきのあなたの質問に、答えるね」

「……どれだ?」

「どうしてあなたを助けたのか、よ」


 今なら、その答えをはっきり言える。


 ミハイルの赤茶色の目に映るエレンは、微笑んでいた。


「……あなたのことが、大切だから。とてもとても大切で……失いたくないと思ったから」

「……」

「今思えば三年前から、ずっとあなたのことが気になっていた。別れてからも……また会いたい、リュドミラに行ったときには、あなたが散々自慢していた美しい白銀の大地を、案内してほしい。たくさん笑いあって、小突きあっていたい、って思っていた」

「……エレン、それは――」

「ん?」


 エレンが優しく促すと、ミハイルはごくっと唾を呑み、ほんのわずか目元を赤くした。


「……俺も、思っていた。三年前は少年のような身なりだったおまえが、美しい女性になって目の前に現れて……懐かしくて、愛おしくて、その声を聞きたくて、縋りたくて……触れたかった」

「ミーシャ……」


 ミハイルの腕が持ち上がったので、彼がやりやすいようにエレンは身を屈めた。


 ミハイルはゆっくりとエレンの背中に腕を回し、胸に抱き寄せてきた。

 塞がったばかりの傷口のことは心配なのでエレンは遠慮しつつ身を委ね、ミハイルの硬い背中をそっと撫でる。


「……死ぬのは、怖くないはずだった。それはおまえと結婚してからも変わらなくて……どのタイミングで戦死し、おまえを送り出せるだろうかと、ずっと考えていた。それなのに……未来を考えるのが、不安になった」

「……」

「俺では、おまえを幸せにはできない。おまえと共に生きていくことはできない。それなのに……ふと、思ってしまうんだ。これから先もおまえと共に暮らし、くだらないことを言いあい、一緒に屋敷に帰る――そういう日が続けばいいのに、と」


 絞り出すようなミハイルの言葉を、エレンは時間を掛けて飲み込み――愛おしさに、ミハイルの肩に頬ずりした。


 死にたがっていた「首刎ね騎士」が、エレンとの未来を望んでくれた。

 自分が生きている未来を考えてくれた。


 それは、とても、嬉しいことだった。


「……大丈夫だよ、ミーシャ。私は、側にいるから」

「……俺はまた、死にたがるかもしれない。おまえまで、人殺しの妻だと詰られるかもしれない」

「あなたが死にたがったらまた、平手打ちをしてでも止めるわ。あなたを人殺しと言うのなら……ミーシャがこれまで戦ったからリュドミラは平和なんじゃないか、って言い返す。この前みたいなことがあったら、責任転嫁するな、って言ってやるわ」


 エレンがはっきり言うと、ミハイルの瞳が揺れた。


「……俺は。おまえと共に歩む未来を……夢見て、いいのか?」

「うん、いいと思う。……あなたがこのまま『首刎ね騎士』を続けるのならそれでいいし、もし辞めるのなら新しい生き方を一緒に考えよう」

「……俺は、おまえを妻として見ていいのか。おまえを……愛おしいと思っても、いいか?」


 それまでは流暢に言葉を返していたエレンも、さすがにその質問には詰まってしまった。

 だが、「はい」か「いいえ」かで迷っているわけではない。


「……うん。あなたに好いてもらえるのなら、私はとても嬉しい。私も……あなたのこと、もっともっと好きになりたいって思っているから」


 ミハイルの目が、瞬く。

 その瞳に徐々に柔らかい熱が灯り、エレンの体をかき抱く手にも力がこもった。


「……エレン。リュドミラで、俺と共に生きてくれ。俺が馬鹿なことを言いだしたら、ぶん殴ってでも正気に戻してくれ」

「ふふ、了解。それじゃああなたも、私がもし馬鹿なことを言いだしたら『おまえは馬鹿か』って言ってね」

「ああ。……」


「ミーシャ?」

「……ニカ」

「うん?」

「ミーシェニカ。俺の……愛称だ」


 そう呟いたミハイルはほんのりと頬を染め、視線を逸らした。


 リュドミラの名前には、略称と愛称がある。

 略称は親しい間柄の者ならば気さくに呼びあうが、愛称――たいていは元の名前よりも長くなる――は、同性ならば一番の親友、異性なら恋人か夫婦のみで呼びあう名だった。


 彼が自分の愛称を教えたというのはつまり――エレンとそういう間柄になりたい、と願ってくれているということと考えてもいいだろう。


 エレンは微笑み、ぎゅうっとミハイルの首筋に抱きついた。


「うん。……ミーシェニカ」

「……エレン。俺を……掬い上げてくれて、ありがとう。……おまえのことが、好きだ」

「うん、私も……大好き」


 囁いた二人の顔が近づき、何も言われずともエレンはまぶたを閉ざす。

 ぱちり、と部屋の隅で燃える魔法の炎のはぜる音にかき消されそうなほど微かな音を立て、二人の唇が重なった。


 窓の外は、晴れている。

 今日一日は、よい天気が続きそうだ。

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